第十一章 泡沫夢幻の隠者(10)
屋敷の中で話をしていたマイルとモルドは叫び声と、何かが弾け飛ぶような異音を耳にした。それは西の方から聞こえてきたものであり、尋常でない事態が発生したと直感したマイルとモルドは急いでアリストロメリアの元へ向かう。モルドが閉ざされていた木戸を開けると、聖女の私室には四つの人影があった。室内の中央付近には部屋の主であるアリストロメリアの姿があり、その傍には金髪に碧眼といった容姿の見知らぬ青年が佇んでいる。リリィは立ち尽くしたまま呆然と青年を見ており、扉に近い場所には小柄な少年が座りこんでいた。
「テル」
少年の姿を認めたモルドが驚いたような声を上げる。だが少年は振り向かず、放心したまま金髪の青年とアリストロメリアを見ていた。
「……アリア」
青年はアリストロメリアに腕を伸ばし、そのまま包み込むように抱き寄せた。知己であるのか、アリストロメリアにも抵抗する様子は見られない。短い抱擁の後、青年は気遣わしげなまなざしでアリストロメリアを見つめた。アリストロメリアは目を伏せ、俯いたまま言葉を紡ぐ。
「アストランティア、私……」
「何も言わなくていい」
アストランティアと呼ばれた青年は小さく首を振り、アリストロメリアから視線を外す。その後、彼はアリストロメリアの背後に立ち尽くしているリリィに声をかけた。
「共に来てもらおう」
不意に話の中心に据えられることとなったリリィは眉根を寄せて青年を仰ぐ。アストランティアと呼ばれた青年は何も言わず、アリストロメリアの手を取った。刹那、室内が強い白光に満たされたので視界を奪われたマイルは反射的に腕で目を覆う。
白い光が消えて視界が回復した頃にはリリィの姿が消えていた。無論、金髪の青年とアリストロメリアの姿もない。腕を下ろしたマイルは呆けたまま独白した。
「白い、光……」
マイルの脳裏には愚者を追い求めた旅路が蘇っていた。ウォーレ湖に流されたリリィが戻って来た時も、捨山からオキシドル遺跡へと移動してしまった時も、箱艇へ行った時も、溢れていたのは白い光だったのである。しかしそれが何を意味するのか、マイルには見当もつかなかった。
「テル、何があったのだ」
モルドの声が聞こえたことで我に返ったマイルは顔を傾けた。モルドはへたり込んでいる少年に話しかけているが、少年には応じる気配がない。マイルはふと、テルと呼ばれた少年の側に転がっている物に目を留めた。
「……これは」
マイルが独白を零しながら床に転がっている物を手にするとモルドが目を見開いた。
「銃……何故、こんな所に」
「やはり、これは銃か」
オラデルヘルでコアが言っていたことを思い返していたマイルは納得して頷いた。モルドが怪訝そうな表情をしたので、マイルはオラデルヘルでの出来事と共にコアから聞いた旨を説明する。
「そうか。だが、銃は長老衆の許可がなければ使用出来ない」
そこまで言った後、モルドは哀しげなまなざしをテルへ向けた。だが何かに気がついた様子で、モルドはテルの傍にしゃがみ込む。モルドの視線の先を辿ったマイルは焼け焦げたような跡を目にした。
「まさか……いや、だが……」
モルドが不意に困惑したような呟きを零したのでマイルは床から目を上げた。マイルの視線に気がついたモルドは立ち上がり、しかし狼狽を隠せずに口を開く。
「あの青年は雷帝……全知全能の神ではあるまいか」
「ゼウス? だが、その神は愚者に殺されたんだろう?」
モルドが言い出したことがあまりにも突飛だったのでマイルも混乱した。モルドにも答えはない様子で、彼は思考に沈んでいる。先程まで目前にいた青年の姿を思い浮かべたマイルはあることに思い至って愕然とした。
「アストランティア? アストランティアと言っていなかったか?」
マイルが不意に驚きを露わにしたのでモルドは思考を中断したようであった。マイルが同意を求めるとモルドも頷く。
「アリストロメリア様がそう呼んでいたな」
「アストランティアは愚者の筆頭である者の名だ。クロムがそう、言っていた」
マイルがそう告げるとモルドは瞠目したきり動かなくなった。マイルにも続ける言葉がなく、室内には沈黙が流れる。
「愚者、だったのか。あの青年も、聖女も」
頭を整理したマイルが導き出した結論を独白するとモルドは複雑な表情をした。改めて室内を見回したマイルはリリィの姿がないことを確認して空を仰ぐ。
「愚者が何故、リリィを連れて行くんだ」
この場に、マイルの疑問に答えられる者はいない。平穏を取り戻した室内には取り残された人間が三人、為す術もなくただ存在していた。




