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第十一章 泡沫夢幻の隠者(9)

 南東の僻地に腰を落ち着けた後、マイルは変化のない日々を無為に過ごしていた。世界では戦が続いているはずだがそうした情報はあまり入って来ず、外壁で囲まれた屋敷の中には穏やかな時間が流れている。目的を失ってしまったマイルは呆けたように日々を過ごしていたが、やがてモルドの元を訪れることを決めた。

 モルドが私室として使用している部屋は屋敷の中央付近にあり、唯一の出入口に近い東には客間、西にはアリストロメリアの部屋がある。東の客間に寝泊りしていたマイルは石造りの廊下を西へ進み、モルドの部屋を訪れた。マイルを室内へ迎え入れたモルドは手にしていた本を閉ざして机の上に置く。キールの元から持ち出された黙示録はラーミラからモルドの手に渡り、モルドはラーミラと同じように読み耽っているのであった。

「ちょうど話を聞きたいと思っていたところだ」

 マイルの来訪を喜んでいるモルドは子供のように瞳を輝かせて言う。マイルは小さく息を吐き、モルドの求めに応じて腰を落ち着けた。マイルがキールや箱艇の様子などを話して聞かせるとモルドは感慨深げに嘆息する。

「わたしも会ってみたいものだ」

 愚者と話がしてみたい。それが、モルドが愚者を探していた理由である。そのことを思い出したマイルは意地の悪い笑みを浮かべた。

「モルドも会っただろう?」

 モルドの視線が説明を求めていたのでマイルは黙示録へ顔を傾ける。

「俺には読めなかったが、黙示録には何て書いてあったんだ?」

「愚者の名と、容姿や会話の内容などだ」

「その中に知った名がなかったか?」

 マイルが手掛かり(ヒント)だけをチラつかせるとモルドは慌てて黙示録を手に取った。ページをめくるモルドの指が、次第に震え出す。

「……まさか」

 モルドが驚愕の表情で顔を上げたのでマイルは頷いて見せた。モルドは黙示録を開いたまま呆然と立ち尽くす。

「俺達には人を見る目がないらしい」

 すっかり騙されたとマイルが言うとモルドはフラフラと歩き出し、脱力したようにベッドに腰を下ろした。マイルは眉根を寄せ、傍まで行ってモルドの顔を覗き込む。

「大丈夫か?」

「ああ。年甲斐もなく驚いてしまっただけだ」

「腰を痛めたりするなよ? 俺のせいになるだろう」

 マイルが軽い冗談を口にするとモルドは平静さを取り戻したように苦笑いをした。マイルはモルドから離れ、室内の隅で腕を組む。

「人間の中に紛れて、クロムは何をしたかったんだろうな」

 マイルが独白するとモルドは興味深そうに視線を傾けた。

「そういったことは聞かなかったのか?」

「圧倒、されていたんだろうな。今思うと。肝心なことは何も聞けなかったような気がする」

「そうか。神をも超越した者を前にしたのだ、仕方があるまい」

「モルドはまだ愚者を探すつもりなのか?」

 マイルが問うとモルドは曖昧に笑んだだけであった。聖女の安息を維持することとの兼ね合いなのだろうと、マイルは思う。そこで一度話を切り、マイルはようやく本題を口にした。

「俺は、ビルに帰ろうかと思っている。そのことを伝えに来たんだ」

「そうか。では、五百万ルーツを用意しよう。少し待ってくれるか?」

 モルドが話題に上らせた五百万ルーツという金額は、マイルが腹いせもこめてコアに要求したものであった。しっかりモルドにまで話が伝わっていることにマイルは苦笑いをする。

「金のことは、もういい。コアにも気にするなと言っておいてくれ」

「ビルに戻るのであれば何かと入用だろう。資金は潤沢に越したことはないと思うが」

 モルドの言っていることがもっともであると感じたマイルは素直に頷いた。ビルはおそらく、独立を保つために大聖堂と戦う道を選ぶだろう。工作には何かと金がかかるものなのだ。

 モルドの好意に甘える旨を伝えた後、マイルはふと窓の外に視線を走らせた。

「どうした?」

 異変を察したモルドも立ち上がり、窓から外を窺う。しかし外壁の内側には変化がなく、マイルは小首を傾げた。

 マイルの目には外壁の内側の茂みが揺れて見えた。その動き方が、人間が伝っているようだったので目に留まったのである。だが視点を定めた茂みは揺れ動いてはおらず、気のせいのようだとモルドに伝えたマイルは窓から視線を離したのであった。







 四方を深い森と外壁に囲まれた屋敷の一室で、リリィは一人の女と向き合っていた。腰まである長い金髪と碧眼が印象的な女の名はアリストロメリアといい、彼女は大聖堂(ルシード)の聖女と呼ばれた存在である。アリストロメリアは独特の空気を纏っている人物であり、リリィは初めて彼女に会った時から不思議な懐かしみを覚えていた。その感情の正体にリリィが気づいたきっかけは、アリストロメリアが時折歌う唄であった。

(……似てる)

 歌声も顔立ちも違うが、アリストロメリアはセレンに似ている。陸の孤島で出会った愚者と思しき女の姿を思い返しながら、リリィは改めてそう感じていた。何処が似ているのか、リリィにははっきりと言葉にすることが出来ない。だが強いて言うのであればセレンとアリストロメリアが有している空気が似ているのである。

(初めて会った気がしないなんて、不思議)

 リリィはアリストロメリアに親しみを感じていることを自覚していた。だがそれはアリストロメリアに言っても仕方がないことであったので、リリィは無関係な話を切り出す。アリストロメリアはあまり表情を動かさず無口だが、他者を邪険にするような真似はしなかった。

(ラーミラさんが言ってたこと、分かるような気がする)

 コアが夢中になるのも頷けるほどに、アリストロメリアは清純である。穢れを知らない乙女とは彼女のことを言うのではないかとまで思い、リリィは少しラーミラに同情を寄せた。

「どうかしましたか?」

 アリストロメリアが歌うように滑らかな声を発したのでリリィは小さく首を振った。刹那、アリストロメリアの視線が扉の方へ向いたのでリリィもつられて振り返る。まるで示し合わせたかのように扉が開き、小柄な少年が姿を現した。

 褐色の短髪に緑の瞳をしている少年は、リリィが初めて目にする者であった。面識のない者が出現したことに当惑したリリィは、とっさにアリストロメリアを振り向く。だがアリストロメリアは表情を動かすことなく少年を見つめており、リリィには彼らが知己であるのか見分けることが出来なかった。

 アリストロメリアから何かを読み取ることを諦めたリリィは再び少年に目を移す。後ろ手に扉を閉めた少年は表情を消しており、その面からはどのような感情も読み取ることは出来なかった。リリィが口を挟もうかと思った刹那、少年は腰に巻いているベルトから何かを引き抜く。少年が手にした物と同じような物を、リリィはオラデルヘルで目撃していた。その用途を知っているリリィは反射的に、アリストロメリアを庇う形で割って入る。

「退いてください」

 静かな室内に少年の硬質な声が響いた。少年に冷たいまなざしを向けられたリリィはその場で凍りつく。

 少年が手にしている物は『銃』と呼ばれる武器であった。それは弓のように遠距離からの攻撃が可能な代物であり、少年はすぐにでもリリィを殺すことが出来るのである。オラデルヘルで銃の威力を目の当たりにしているリリィは恐怖に凍りつき、動けなくなった。

「退かないと、あなたも殺します」

 少年ははっきりと、リリィを脅した。リリィは歯を食いしばり、この状況を打破する術がないかと視線を泳がせる。すると不意に、それまで微動だにしなかったアリストロメリアが自ら進み出た。リリィは慌ててアリストロメリアを見たが彼女の表情は動いていない。アリストロメリアはただ真っ直ぐに少年を見つめており、少年はゆっくりと銃口を傾ける。だが彼は、すぐに引き金を引こうとはしなかった。

「……アリストロメリア様」

 少年の顔が歪み、彼はアリストロメリアの名を呟いた。彼らに面識があることを知ったリリィは困惑しながら両者を見比べる。しかし、アリストロメリアの表情はやはり動いてはいなかった。

「すみません、アリストロメリア様。こうするしかないんです」

 アリストロメリアを見つめている少年の瞳から一筋の涙が零れ落ちる。涙の意味は分からずとも許しを請うことは理不尽であり、リリィは少年を睨み付けた。

「どうしてこんなことするの!?」

 アリストロメリアを殺そうとすることは少年の本意ではない。詳しい事情など知らずとも、リリィにはその思いが痛いほど沁みていた。だが少年は再び感情を消し、リリィの叫びに淡々と応じる。

「家族を囚われているんです」

 少年の冷たい一言はリリィから憤りも言葉も奪った。絶句したリリィから視線を外し、少年はアリストロメリアを見据える。

「僕の家族が生きているなんて、嘘かもしれない。でも僕は、もう二度と家族を失いたくないんです!」

 少年の過去に何があったのか、リリィには知る由もない。だが少年の抱えている痛みはリリィと同じものである。嘘にも縋りつきたい少年の気持ちに同調してしまったリリィには、もう何も言えなかった。

「……テル」

 アリストロメリアが静かに、少年に語りかける。テルと呼ばれた小柄な少年は目に見えるほど体を震わせた。アリストロメリアはゆっくりと、少年に向かって歩き出しながら言葉を紡ぐ。

「いいのよ、テル。死なせてはもらえない(・・・・・・・・・・)だろうから」

 アリストロメリアが一歩を踏み出すたび、テルの顔が歪んでいく。しかしアリストロメリアは歩みを止めず、確実にテルとの間合いを詰めていった。

「あ、ああ、あああああ!!」

 恐怖に耐え切れなくなったテルは叫びを上げ、アリストロメリアに向けて引き金を引いた。

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