第十一章 泡沫夢幻の隠者(7)
廃墟となった礼拝堂でラーミラとの再会を果たしたマイルとリリィは、ラーミラに先導される形で南に向かった。大聖堂領から南へ向かうということは戦地を潜り抜けるということであり移動は容易ではなかったが、こういった事態に慣れているラーミラとマイルが采配をとって一行は辛くも戦地を脱したのであった。
(この調子だと大聖堂が大陸統一を果たすのは時間の問題だな)
現在地が大陸の極東なので西方の情報はなかなか耳にすることが出来ないが、マイルは肌でそう感じていた。南西の戦況を見た限りでは、現在の大聖堂は飛ぶ鳥を落とす勢いである。
大聖堂に支配される世界、それはマイルが一番忌避したいことであった。だが世界の流れは着実に、マイルが望まぬ方向へと向かっている。重いため息を吐いた後、マイルは気分を変えるためラーミラに話しかけた。
「ラーミラさんは聖女を見たことがあるんですか?」
「あるわよ」
ラーミラがあっさり頷いたので興味を引かれたマイルは問いを重ねる。
「どんな人物ですか? コアに聞いても要領を得なくて」
「う〜ん、そうねぇ……」
ラーミラは空を仰ぎ、聖女の姿を思い返している様子であった。しばらくそうした後、ラーミラはマイルに視線を移す。
「確かに、あのお方を説明するのは難しいわね。コアなんか傾倒してるから、特になんじゃないかしら」
ラーミラがいたずらっぽい笑みを浮かべたのでマイルは訝った。だが問いを口にしていいものか迷ったマイルは、結局閉口する。しかしマイルとは別の場所に引っかかったリリィが横から口を挟んだ。
「ケイトウってどういう意味?」
「傾倒っていうのはね、その人に夢中ってことよ」
ラーミラから答えを得たリリィはすっきりしない表情をしたままであった。リリィはそのまま、ラーミラの顔色を窺いながら確認するように問いを重ねる。
「コアが聖女に夢中……ってことですよね?」
リリィの言葉が率直すぎたのでマイルは驚いたが、ラーミラは笑いながら答えた。
「そうよ。コアは聖女に夢中なの」
簡単にそう言ってのけたラーミラがコアに思いを寄せていることは周知の事実である。想い人が自分以外の誰かに傾倒していると語るにはラーミラの態度は明るすぎであり、リリィにもマイルにも不可解に映った。
「素直な反応ね、二人とも」
リリィとマイルが同じ表情をしていたためか、ラーミラは吹き出した。リリィとマイルはどういう顔をしていいか分からず、無表情を保つ。無表情となるまでマイルとリリィの息が合ってしまったのでラーミラは腹を抱えて笑った。
「あんまり笑わせないでよ〜」
一人で笑い転げた後、ラーミラは柔らかな笑みをつくった。その表情は達観さえ感じさせ、マイルは微かに眉根を寄せる。ラーミラは初めに疑問を発したリリィに顔を向けて胸の内を明かした。
「あのね、聖女はステキな女性なのよ。アリストロメリア様ってお名前なんだけど、あのお方が相手じゃ勝ち目がないわ。私は勝てない戦はしない主義なの」
ラーミラから補足を受けても納得がいかなかったようで、リリィは眉根を寄せながら首を傾げた。
「でも、ラーミラさんはコアが好きなんでしょ? コアに振り向いて欲しいから抱きついたりしてるんじゃないの?」
リリィの質問はまたしても露骨であり、ラーミラは再び笑い出した。さすがに止めた方がいいと感じたマイルは小声でリリィを制す。
「リリィ、いくらなんでも失礼だ」
「……そうね」
自身の発言を思い返してか、リリィは反省しているような表情をした。だがラーミラは、豪快にもまったく気にしていないようである。
「勝ち目のない戦はしない主義だけど自分の気持ちを曲げるつもりもないわ。そういうことよ、リリィちゃん」
ラーミラのこの言葉はリリィにとってもマイルにとっても難解であった。リリィが分からないながらも頷いたのを見たラーミラは笑いを鎮めてふっと憂いのような表情を見せる。
「会ってみれば分かるわ。コアが傾倒する理由もね」
自分の疑問から話が飛躍したことに責任を感じたマイルは事態を収拾するために話題を変えた。
「容姿は、どんな感じの人ですか?」
「髪は金で、腰まであるストレートよ。瞳の色は深い青。ああいうのは澄んだ水の色って言うのかしらね。どちらかといえば無口な方で、あまり表情を動かさないの。でもたまに見せる笑顔がステキなお方よ。同性の目から見ても惚れ惚れするわ」
ラーミラが予想以上に詳細を語ったのでマイルは聖女の姿を思い浮かべてみた。だが実際に見たことのない人物を想像することはやはり無理があり、マイルは諦めて首を振る。
「どのみちモルド様の所へ行けば会えるわよ。先を急ぎましょう」
ラーミラが話を打ち切ったのでマイルも頷いて歩き出す。気候はすでに南方のものに変わっており、一行の眼前には深い森が迫っていた。
熱帯降雨林を切り開いて作られた道をひたすら深奥へ向かって歩き続けていると、一行は外壁を持つ屋敷と思われる建物に辿り着いた。森の中にある佇まいとしては不釣合いな外壁の前には門の番をしている若者が二人ほどいる。
「どうやら当たりのようね」
そう言うとラーミラはつかつかと門番に歩み寄った。しかし面識はないのか、ラーミラは門番に止められる。しばらく押し問答をした後、ラーミラはリリィとマイルを振り返った。
「モルド様直々に確認しないと通してくれないって」
不便ねと呟きながらラーミラは息を吐く。しかし程なくして門番から報せを受けたモルドが姿を現し、一行は外壁の内側へと招き入れられた。外壁の内にある屋敷は横に長い造りになっており、東にある扉をくぐった一行は石畳の廊下を西へと進む。屋敷の中央付近にある一室に三人を招き入れたところで初めて、モルドは口火を切った。
「久しぶりだな」
リリィ、マイル、ラーミラのそれぞれに視線を向け、モルドは穏やかに微笑む。会釈程度で挨拶を済ませ、まずはマイルが問いを口にした。
「コアはいるか?」
「一度訪れたが今はいない。ビルへ行くと言っていたな」
「ビルへ? 何故だ」
「わたしも詳しいことは聞いていないが、やらなければならないことがあると言っていた」
大陸の西北に位置するビルはマイルの故郷である。マイルはコアがビルに行った理由を考えているのか、首を傾げたまま閉口した。会話が切れたのでリリィはラーミラを仰ぐ。
「私の話は後でいいわ。リリィちゃんからどうぞ」
ラーミラが先を譲ったのでリリィはモルドに向き直った。
「礼拝堂へ行ってきました」
「……そうか。知らせることが出来なくてすまなかった」
「いえ。それより、カレン達は無事なんですか? ここにいますか?」
「ここにはいない。だが礼拝堂にいた者達は全員無事だ、安心していい」
「そうですか……」
モルドの返答はマイルが言った通りであり、リリィは安堵の息を吐いた。だがすぐに表情を改め、リリィは話を続ける。
「キールに会いました」
リリィがそう告げるとモルドは目を剥いた。コアから聞いているものだとばかり思っていたリリィはモルドの過剰な反応に眉根を寄せる。
「コアから聞いてないですか?」
「初耳だ。驚いた」
モルドが本気で驚いている様子だったのでリリィは簡単に箱艇へ行った時のことを説明した。モルドは詳細な話を聞きたがっている様子であったが、リリィが故郷を滅ぼしたのが大聖堂であった旨を告げると好奇心を消して無表情になる。
「……そうか。すまなかった」
モルドは大聖堂に属していた身として頭を下げた。だがリリィはきっぱりと拒絶を示す。
「謝らないでください。モルド様のせいじゃありません」
モルドは確かに大聖堂の人間だったがリリィ達の故郷を滅ぼしたことには関与していない。直接手を下した者は別にいて、その者達でさえ上からの命令で仕方なくそうしたのかもしれないことをリリィはもう理解していた。だからこそ、リリィは真実の細部までを知りたかったのである。リリィがそういった胸の内を明かすとモルドは神妙な顔つきで頷いて見せた。モルドが調査を約束してくれたのでリリィは顎を引いて口を噤む。
「キールに会うという目的は達したようだが、これからどうする? カレンの所へ行くか?」
モルドはそう申し出たがリリィはすぐに首を振った。リリィには一人で旅をすることは不可能であり、カレンの元へ行きたいと言うことは同行者の負担となるからである。同行者となる可能性が高いマイルにこれ以上の迷惑をかけてはならないと、リリィは思ったのであった。
「しばらく、ここにいます」
「そうか。ならば、あるお方の話し相手になってもらいたい」
「大聖堂の聖女、ですか?」
リリィが問い返すとモルドはわずかな驚きを見せながら頷いた。
「そうか、もう事情を承知してくれているのだな。頼めるか?」
他にすることもなさそうだったのでリリィはモルドに承諾を伝えた。モルドがさっそく引き合わせると言ったのでリリィは頷く。すると、それまで黙していたマイルが口を挟んだ。
「俺も聖女を見てみたい。着いて行ってもいいか?」
「私もアリストロメリア様にご挨拶したいわ」
ラーミラもそう申し出たので一行は全員で聖女の元へ向かうこととなった。屋敷の中を西に移動し、聖女のいる部屋の前に到着するとモルドが控えめに扉を叩く。
「アリストロメリア様、入ってもよろしいですか?」
モルドが声をかけると内部からは「どうぞ」という言葉が返ってきた。モルドが扉を開け、室内に侵入する。モルドに続いたリリィはこちらを見つめている女の姿を目の当たりにした刹那、誰かに似ていると思った。




