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第十一章 泡沫夢幻の隠者(2)

 大聖堂(ルシード)領の東域にあるミラーの町で宿をとった後、コアは酒場に向かった。この町の酒場は愛煙家憩いの場であると同時に情報収集が可能な場でもある。まだ営業していない酒場の裏手から入ると、そこには情報を売ることを生業としている者達がたむろしていた。上得意の客であるため、コアの姿を認めると誰もが寄って来る。コアは丸テーブルに腰かけ、腰から煙管を引き抜きながら見知った顔を見渡した。

「しばらく大聖堂領内にいなかったんだ。変わったことがあったら教えてくれ」

 コアが言葉を発すると誰もが顔を見合わせた。常であれば我先にと口を開く者達が静まり返っていることにコアは首を傾げる。妙な沈黙はしばらく続いたが、やがて一人がおずおずと話し出した。

「変わったことって……もしかして、大聖堂が戦を始めたことも知らなかったりします?」

 男の話を聞いたコアは驚きのあまり、丸テーブルから飛び降りた。

「情報が伝わりにくい場所にいたんだ。詳しく聞かせてくれや」

 コアが第一声を放った者に詰め寄りながら発した一言を皮切りに、情報屋達は口々に戦の状況などを語り始めた。様々な情報が飛び交うなか、コアは有益であると認めた者に硬貨を握らせていく。その動作を繰り返しながらコアは情報を整理した。

 事の始まりは西の大国フリングスの貴族であるラズル卿が北方独立国群の小国レマルへ侵攻したことであった。ラズル卿の領地とレマルは領土を接しており、不意を突かれたレマルは容易く侵入を許した。そうしてラズル卿の私兵がレマルの領土の半ばへ差し掛かった時、大聖堂軍が動いたのである。ここまでで一度思考を切り上げたコアは情報屋達に疑問をぶつけた。

「ラズル卿がレマルを攻めた理由は?」

「ラズル卿はフリングス王家に連なる貴族じゃない。財政がそうとう逼迫してたらしいぜ」

 中年の男が答えたが、それはコアの知りたい情報ではなかった。コアは中年の男に首を振って見せてから口を開く。

「そうじゃなくて、表面上の理由だ。まさか財政難を理由に戦をおっぱじめた訳じゃないだろ?」

「なんだ、そんなことか。なんでもよ、レマルの間諜がラズル卿が擁護していた聖女とやらを殺したんだと。聖女を信仰してた国民も兵として戦ってるらしいぜ」

 中年の男に硬貨を放り、コアは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。ラズル卿の領土に蔓延っていた聖女信仰を弾圧したのは、他でもないコア自身だからである。

(ウィリアムのやろう……俺を利用するとはいい度胸じゃねーか)

 ラズル家の現当主であるウィリアム=ラズルとコアは知己である。だがコアは、ウィリアムから軍隊は解散したと聞かされていた。ウィリアムの話を鵜呑みにしたのはまずかったと今更ながらに思ってみても、それは後の祭りである。そうは思っていても、コアは沸々と湧いてきている怒りを感じていた。

(今度会ったら締めてやる)

 密かに反撃を誓い、コアはいったんウィリアムのことを忘れることにした。

「それで、何でそこで大聖堂が介入したんだ?」

 この問いに対する答えはすぐには得られなかった。その理由は、大聖堂がフリングスへの侵攻を開始した公の理由が存在しないからである。大聖堂が声明すら出さず戦を開始したと知ったコアは眉根を寄せた。

「戦況は? 誰か、分かる奴いないか?」

 コアは問いを口にしながら情報屋達を見回したが誰もが首を振るだけであった。ミラーの町は実際に戦争が行われている場所から遠く離れた大聖堂領の僻地である。この町でこれ以上の情報を得ることは無理だとコアは判断したが、刹那、裏口から飛び込んできた男が声を張った。

「速報! 速報!! 南方諸国連合が動いた!」

「何だって!?」

 コアを初め、その場にいた全員が驚愕の声を上げた。コアは素早く速報を届けた男の傍へ寄り、詳しい説明を求める。男はコアの顔を見るなり驚いた表情をしたが、コアは急いて口を開いた。

「南はフリングスに味方したか?」

 南方諸国連合はその名の通り、南方を拠点とする小国が同盟を結んだ団体である。元々は対フリングス用に結ばれた同盟であったが南方はフリングスと大聖堂が二大強国として争っていないと存続出来ないため、現在は状況に応じて立場を変える第三の勢力となっている。そして現在の状況を推し量ると、どう好意的に見たとしてもフリングスが劣勢である。ならば南はフリングスに味方するしかないとコアは読んでいたのだが、速報を届けた男は首を振った。

「南は東西で真っ二つに割れました」

 南方の西を領土としている諸国は、まるで大聖堂軍に呼吸を合わせるかのようにフリングス侵攻の軍を発した。一方的に同盟を破棄した西の諸国に制裁を加えるために東側の諸国も大急ぎで軍を編成したのだが、赤月帝国に駐屯している大聖堂の部隊が南方の東側への侵攻を開始したのである。男からそういった情報を得たコアは呆然としたが、すぐに頭を切り替えた。

「誰か地図、持ってないか?」

 コアの呼びかけに応じ、一人の男がテーブルに地図を広げた。コアが地図を覗きこむと情報屋達は次々に丸テーブルを囲んでいく。コアは速報を運んできた男を己の横に招き入れ、地図に指を伸ばした。

「情報を書き入れてくれ」

 コアの横にいる男は求めに応じ、地図に線を引きだした。作業を見守りながら腕を組み、コアは思考を巡らせる。

 フリングスはすでに組織として機能しなくなっている。それはラズル卿が勝手に戦を始めたことからも分かり、またコアはフリングス王が何者かの傀儡となっている事実をマイルから聞かされていた。

(軍事費が削られてた、か)

 コアは不意にウィリアム=ラズルが言っていたことを思い出した。それはおそらく、フリングス王を傀儡とした者がフリングスの軍事力を弱めるために手を回していたのであろう。そして大聖堂は、フリングスがすでに烏合の衆であることを知っていて戦を仕掛けた。南方の分裂も大聖堂が裏から手を引いた結果に違いない。この狙ったような呼応は南方の独断では有り得ないと、コアは思っていた。

(そんなことが出来るのは……)

 コアは大聖堂の軍事を取り仕切っている女の姿を思い浮かべた。黒髪に同色の瞳をしている成り上がり者は、出身が西ということまでは判明している。こうなってくると大聖堂の軍事責任者であるヴァイスは、大聖堂に所属する以前から世界を手中にすることを考えていたと思わざるを得ない。ヴァイスが長老衆を傀儡としているのか長老衆がヴァイスを繰っているのかは不明だが、コアは思わず口元を笑みの形に歪ませた。

(やってくれるじゃねーか)

 相手にとって不足なし。ほぼ大聖堂の領土と化した大陸地図を眺め、コアはそう思った。

「おい、これ……」

「もう、ほぼ大聖堂領じゃないか」

「残ってるのはグザグ砂漠と、南方の東と、あとは北方の中央くらいか」

「北なんて国というまとまりがない。もう大聖堂の支配下も同じだろ」

「オラデルヘルはどうするんだ? あそこは確か、独自の軍を持ってたよな?」

 一様に困惑顔の情報屋達がざわめく。コアは謝礼を払おうと思い、速報を運んできた男を振り返った。すると男もコアを見ており、目が合う。

「コアさん、大聖堂領にいて平気なんですか?」

 男が脈絡のない物言いをしたのでコアは眉根を寄せた。

「どういう意味だ?」

「どういうって……そりゃ、コアさんの腕が立つのは知ってますけど。お尋ね者にこうも堂々と領内を歩かれちゃ大聖堂軍も立つ瀬なしですね」

「お尋ね者? 俺がか?」

 コアがさらに眉間の皺を深くすると男はおもむろに瞠目した。

「もしかして、何も知らないんですか?」

「ちょっと情報が届きにくい所にいたもんでな。詳しく聞かせてくれや」

「いや、詳しくも何も、手配書が出回ってますよ。オレはてっきり、コアさんが大聖堂を捨てたもんだとばっかり……」

 男の狼狽ぶりを目の当たりにしたコアは唇を結んで空を仰いだ。手配書が出回っているということはコアが何らかの罪に問われているということである。フリングス領内で暴れたことかと考えを巡らせてみるが、コアには納得がいかなかった。まだ判断をするに至る情報が足りないと思ったコアは再び情報屋の男を見る。

「俺の罪状とかは知らないか?」

「大聖堂の方針に逆らったからじゃないかと噂されてましたけど、詳しいことは分かりません」

「……そうか。他に何か、領内で変わったことはなかったか?」

「そういえば、コアさん以外にも手配されている人がいましたよ。えっと、確か調査部の……何て名前の人だったかな?」

 男は思い出そうとして考えこんだがコアはピンときた。推測の道筋さえ立ってしまえば後は容易であり、導き出された結論にコアは顔色を変える。

「助かった。これは礼だ」

 腰に下げていた小袋ごと男に放り、コアは急いで走り出した。

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