第十章 箱艇の番人(11)
砂漠の地下に広がっていた空間を当てもなく歩いていたリリィは疲労を感じて足を止めた。気分も優れなかったので座りこむと脱力してしまい、リリィは仰向けに倒れる。上方にはリリィ達が落ちた穴が空いており、そこから日射しが注いでいた。
(もう、昼なんだ)
砂漠の日中は暑いが地下空間は適温に保たれている。目を開けていることも難しくなったリリィは欲求に逆らわずに瞼を下ろした。気を抜けば泥のように眠ってしまいそうである。
自ら剣をとって戦場に身を置くという初めての経験は確実にリリィの体と心を蝕んでいた。戦っている時は平気でも我に返ると、人間を殺したという事実が圧しかかってくるのである。胸苦しさを感じたリリィは虚ろな気持ちで目を開けた。
(やっぱり、私……)
戦場において敵の命を奪うことは、バルバラの言っていたように当然のことである。殺さなければ殺される、そのことを理解したつもりでリリィは敵の命を奪った。だがひとたび我に返ってしまえば罪の意識に苛まれる。それが弱さであることを知りながら、それでもリリィは心の声に逆らえなかった。
(怖い)
寒さが身に染みたリリィは体を起こして両腕を抱えた。ガタガタと震えているのは体ではなく心であり、リリィは歯を食いしばる。すでに人間を殺めてしまった者がそのような感情を顔に出してはならないと、リリィは己を戒めた。
「リリィ」
不用意に声をかけられたのでリリィは慌てて顔を上げた。近くにはいつの間にかマイルの姿があり、リリィは真顔に戻って立ち上がる。
「さっきは、ありがとう」
マイルが口を開く前にリリィは頭を下げた。マイルは困ったように苦笑いを浮かべる。
「気にしていないか?」
「うん。大丈夫」
「そうか」
「そっちは何か見付かった?」
リリィが話題を変えるとマイルは小さく首を振った。地下空間は広く、個別に探索を行ったところではぐれてしまうだけだとマイルが付け加えたのでリリィも頷く。
「一度、戻ろうか」
「それがいい。おそらく、コアも同じことを考えているだろうからな」
話を切り上げたリリィとマイルは並んで歩き出した。しばらくはお互いに無言でいたが、やがてマイルが口火を切った。
「参考程度でいいから少し聞いていてくれ」
「うん。何?」
「世界にはまだ、男尊女卑の考えが根付いている場所も多い。砂漠の民もおそらくそうなのだろう。あのバルバラという少女を擁護するつもりはないが、男装をして戦うということにはそれなりの事情があるんだろう。これは俺の憶測だが、実情とそれほど差異はないと思う」
マイルの言葉は彼らしい慰めであり、リリィは笑みを浮かべた。
「マイルっていい人ね」
リリィが思ったままを口にするとマイルは複雑な表情をした。誰かと話をすることで少し気分が楽になったリリィは小さく息を吐き出してから言葉を続ける。
「私は、あの人みたいに割り切れない。戦うことに誇りを持ってる人ってすごいわ」
「彼女のようになりたいと、思っているのか?」
マイルが不安げな表情をして眉根を寄せたのでリリィは苦笑して首を振った。
「なりたくても、きっとなれないわ。すごいとは思うけど羨ましいとは思わないから」
「リリィはリリィ、彼女は彼女だ。同じになる必要はない」
「そうね」
リリィは言葉を切り、黙々と歩を進める。マイルも口を噤んだので二人は静寂の中を歩き続けた。
少し探索をしてみると、砂漠の地下に存在していた空間はかなり広範囲に渡っていることが判明した。隅々まで調べることは不可能だと感じたコアは早々に探索を諦めて元の場所へと引き返す。上空に空いた穴の近くへ戻ってみると同行者達が集合していたのでコアは砂漠の民であるバルバラに顔を向けた。
「この空間について何か知らないか?」
コアは砂漠の民であれば何かしらの情報に結びつく回答を持っているのではないかと期待したのだが、バルバラは即座に首を振った。
「砂漠の下にこのような空間があることは初めて知った。おそらく誰も、この空間のことは知らなかっただろう」
現地に暮らす者でも知らないとなれば、一行は完全なる未知の空間に迷い込んでしまったことになる。眉根を寄せたコアは日射しが差し込んでいる穴を見上げた。
「あの場にいた全員が呑まれてたとしたら助けも期待出来ないよな」
「おそらく呑まれなかった者もいるだろうが、どのみち助けは期待出来ない」
バルバラがあまりにもきっぱりと言い切ったのでコアは怪訝な表情を作って顔を戻した。
「何でだ?」
「酋長が死んだからな。今頃はそれどころではないはずだ」
「へ?」
「貴様らが襲撃したのは私の父だ。皆殺しにしたんだろう?」
「待て、俺達は襲われたんだ。向こうが仕掛けてきたから戦っただけだ」
「……二騎ならば始末出来ると思ったか。浅はかな考えだ」
バルバラは皮肉げに口元を歪めた。コアはバルバラから視線を外し、頭を整理するために空を仰ぐ。
一行が初めに出会った一団は別働隊ではなく、逃げ延びようとしていたラマダラ族の酋長が率いる集団であった。おそらくラマダラ族の酋長は、一行をグルタ族の偵察人員と勘違いしたのであろう。そして自分達の逃げる方角を知られないために一行を殲滅しようとして返り討ちにあった、というのが真相のようであった。思いがけぬ事実を明かされたコアは所在無く頭を掻いた。だがバルバラには感情的な様子は見られず、彼女は淡々と話を続ける。
「酋長が死ねば嫡男が後を継ぐことになっているが私はこうして穴に落ちてしまった。おそらく我が族は私も死んだと思っているだろう。父には私の他にも数人の子がいる。今頃は誰が後継となるかで争っているかもしれないな」
「ちょ、待て」
バルバラが饒舌すぎたのでコアはいったん話を切り上げさせた。もう顔を隠していないバルバラは無表情のままであり、コアは顔をしかめる。
「お前、親が死んだってのに何とも思わないのか?」
「父は、グルタ族が夜襲をかけてきたことを知ると逃げ出した。聖戦から逃亡するなど男の風上にも置けない。むしろ殺してくれて感謝している」
バルバラの口調は淡白であったが、彼女が戻らなければならないという思いで協力に賛同したことを知ったコアは言及せずに話を進めようとした。しかしコアが気付いた時には、リリィがバルバラの頬を叩いていた。
「貴様! 何をする!?」
怒ったバルバラはリリィの胸倉を掴んで声を荒げる。だがリリィも負けずに怒鳴り返した。
「冗談じゃないわ! 好きで親を失ったんじゃない人だっているのよ!!」
「黙れ! 貴様に何が分かる!!」
「親を殺してくれてありがとうなんて言う人の気持ちなんて分かりたくもないわ!!」
お互いに感情が昂っているリリィとバルバラは今にも殴り合いを始めそうな勢いであった。コアは無言で息巻いている二人の傍に寄り、彼女達の額をかち合わせる。
「いいかげんにしろ」
額を押さえて蹲る少女達を見下ろしてコアは大きく息を吐いた。そしてまず、コアはリリィに向かう。
「世の中には色んな親子関係があんだよ。お前は自分のことでもないのに興奮しすぎだ」
続いて、コアはバルバラに向き直った。
「お前は上から目線をやめろ。見下すことが悪いとは言わねえが、あんまり露骨だと誰もついてきてくれないぜ?」
コアはもう一度ため息をつき、最後は二人に向かって説教をした。
「自分の理解出来ないものを排除しようとすんな。認めなくてもいいが、そういう時は黙って流せ」
リリィはしょげた表情で、バルバラは敵意を剥き出しに、それぞれ顔を上げる。だが反論は出なかったのでコアは話を戻した。
「上から落ちてくる砂、まだ止まってねえんだよな。これだけの広さがあれば生き埋めってことにはならないと思うが移動はした方が良さそうだ」
コアの一言により、その場の視線は頭上の穴に集中した。いち早く視線を外したコアはマイルに声をかける。
「どっちに行ったらいいと思う?」
コアに問いかけられたマイルは先程回収したばかりの荷物から地図を取り出した。それは砂漠の詳細が書かれた代物であり、地図を覗き込んだバルバラが眉根を寄せる。
「こんな物を何処で手に入れた?」
バルバラが不審そうな表情をしていたので、コアはボリスに危害が及ぶことを懸念して話を進めた。
「とりあえず、現在地はここだよな?」
コアが指した場所は砂漠の中ほどにあるオアシスから少し東にあたる地点である。地下だろうと地上であろうと現在地に変わりはなく、地図をざっと眺めたコアはラマダラ族の部落真下へ行くことを提案した。
「距離感を掴むのが難しいな」
地下空間には目印になるようなものもなく、マイルが眉根を寄せながら言う。だが現在地に留まっていても何も解決しないので、とりあえず進んでみることになった。
「お前ら、次ケンカしたら置いてくからな」
リリィとバルバラにしっかりと釘をさしてから、コアは西北と思われる方角に向かって歩き出した。




