第十章 箱艇の番人(5)
ボリスの家の裏手にある広場に出たコアは瞬間的に眉根を寄せた。そこは購入したラクダを繋いでいる場所なのだが、一行のラクダに黄土色のマントを纏って同色の布を頭に巻きつけたフィベ族の少年達が跨っていたのである。そしてリリィが地上から少年達に話しかけており、その様子はイタズラ小僧を追い払おうとしているかのようであった。
「何してんだ。ガキ共、下りろ」
ラクダは高い買い物であったので下手なことをされてはたまらないと思ったコアは邪険に子供達を追い払おうとした。見るからにやんちゃ坊主といった少年達はコアに敵意のこもった視線を向ける。コアが警戒しながらラクダに近付こうとするとリリィが慌てた様子で声を上げた。
「私が頼んだの」
「は?」
リリィが何を言っているのか掴めなかったコアは眉根を寄せて振り返る。リリィは至極真面目な顔つきのまま真意を説明した。
「この子達にラクダの扱い方を教えてもらってるの」
「……へえ」
コアは一度言葉を切り、不服そうな顔つきをしている少年達を見上げた。
フィベ族の部落に数日滞在して見えてきたことは、フィベ族がラマダラ族を極端に恐れているということであった。ラマダラ族の騎兵に連れられてやって来た一行も畏怖の対象であるらしく、なかなかまともに話を聞いてくれる者はいない。そういった中で物怖じせず近寄って来た子供は貴重な情報源になり得ると、コアは打算を働かせた。こちらが欲している情報を引き出すためには子供達の機嫌を損ねてはならないと判断し、コアは少年達に好意的な笑みを向ける。
「そいつは悪かった。許してくれよ、な?」
少年達はラクダの上で顔を見合わせた。しばし丸聞こえの内緒話をした後、少年達はラクダを降りてコアの足元へ寄る。
「おまえ、何て名前だ?」
ブルーの瞳をした少年が横柄な口ぶりで問う。話をする時は砕けた調子の方が好きなコアは笑顔のまま応じた。
「俺はコア。お前らは?」
同じ目線で話をするコアの態度に気を良くしたらしく、少年達は競い合うように名乗った。ブルーの瞳の少年はアチェロ、ブラウンの瞳の少年はカルメロという名であるようだ。
「リリィはへたくそだけどコアはラクダに乗れるのか?」
アチェロの一言にリリィが頬を引きつらせたのでコアは苦笑する。小さな動作でリリィを制した後、コアは表情を不敵な笑みに作り変えてから子供達に向かった。
「乗れるぜ。何なら砂漠の散歩に出かけるか?」
コアが誘うとアチェロとカルメロは子供らしい仕種で喜びを露わにした。子供達の色好い返事を受けたコアはさっそくラクダに跨る。
「一人はリリィと一緒な」
コアがラクダの上からそう言うと、アチェロとカルメロはコアの後ろを競った。結果はアチェロが破れ、彼はリリィと一緒に騎乗することとなったのである。子供達の争いを複雑な表情で眺めていたリリィはアチェロと目が合うと苦笑いを浮かべた。するとすかさず、アチェロがラクダに飛び乗ったのでコアは笑った。
「後ろに乗れってさ。しっかり手本を見せてもらえよ」
成す術なく佇んでいるリリィをからかってからコアは縄を引いた。指示を受けたラクダは歩き出し、リリィとアチェロを置き去りにしたまま進んで行く。家の表に回るとボリスの姿があったのでコアは騎乗したまま声をかけた。
「ちょっと散歩してくるわ」
ボリスはコアの後ろに乗っているカルメロに目を移したが何も言わなかった。制止も注意もされなかったのでコアは再びラクダを進ませる。外壁を出たところで、それまで黙っていたカルメロが口を開いた。
「コア、うまいね」
「お、砂漠の民に褒められるとは恐縮だな」
「キョーシュクって何? それに、僕たちはサバクの民じゃないよ」
カルメロから思わぬ発言が飛び出したので軽口を叩いていたコアは真顔に戻った。しかしコアはすぐ、何事もなかったかのように朗らかに応じる。
「キョーシュクってのは嬉しいぜってことだ」
「ふうん。よく分からないけどコアってすごいね」
「よく分からないのに凄いとか言うなよ」
コアが呆れながら言うとカルメロは笑い声を零した。コアとカルメロはしばらく歓談しながら砂の大地を進んでいたが、リリィ達が追いついて来ないのでラクダを止める。コアはラクダを下り、カルメロを見上げる形で話しかけた。
「なあ、カルメロ」
「うん? 何?」
「さっきの話だけど、フィベ族は砂漠の民じゃないのか?」
「うん。僕たちはボレーゼなんだって」
「……お前、意味分かって言ってるか?」
コアが問いかけてもカルメロはキョトンとしたままであった。その様子からあまり分かっていないことを察したコアは小さく息を吐いてから話を続ける。
「ボリスに聞いたんだが、ボレーゼってのはあんまりいい言葉じゃないみたいだぞ。そんなこと言ってると大人に怒られたりしないか?」
「ううん。だって、みんなそう言ってるよ」
カルメロの答えが疑念を抱く余地もないほど明確なものだったのでコアは閉口して口元に手を当てた。カルメロの話が本当であれば、フィベ族は随分と自民族を卑下したものである。もう少し詳しい事情を知りたいと思ったコアは泳がせていた視線をカルメロに固定する。カルメロもまた、真っ直ぐコアを見据えていた。
「コアたちはラマダラ族なの?」
意外な問いを投げかけられたコアは即座に否定した。だがカルメロは納得していない様子で唇を尖らせる。
「うそだぁ。だったら何でラマダラ族のラクダに乗って来たんだよ」
「それはだな、ラマダラ族とケンカしたからだ」
コアが苦笑しながら経緯を説明するとカルメロは目を輝かせた。率直な羨望を向けられたコアは首を捻ったが、カルメロは興奮気味にラクダから身を乗り出す。
「あのバルバラをやっつけるなんてすごい!」
「カルメロはバルバラを知ってるのか?」
「えらそうでイヤなやつ! アイツ、嫌いだ」
カルメロは怒りを露わにしたが次の瞬間にはうなだれていた。移り変わりの激しい子供の態度についていけなくなったコアは眉根を寄せる。先刻まで息巻いていたカルメロが、今度は弱々しくぼやいた。
「でも、バルバラにさからっちゃいけないんだ。ラマダラ族は強いから」
カルメロの独白をどう捉えたらいいものかと、コアは頭をひねった。だが情報が少ないため憶測を巡らせようもなく、コアは小さく頭を振ってから表情を改める。
「俺がそのうち懲らしめてやるから元気出せ」
「本当!?」
萎れていたカルメロは途端に活力を取り戻してコアに迫った。コアはカルメロの気迫に押されながらもはっきりと頷いて見せる。
「男と男の約束だ」
「絶対だよ!」
コアとカルメロが密約を交わしていると、アチェロとリリィが乗ったラクダがようやく姿を現した。コアとカルメロの傍まで来た途端にリリィはラクダから降り、まだ騎乗しているアチェロはひどく不機嫌な顔をしている。アチェロの話によるとリリィがラクダの背に乗ることを怖がったために出遅れたとのことだった。
「アチェロ、アチェロ!」
まだ興奮を引きずっているカルメロがラクダから下りたアチェロの手を引いて走り出す。子供達が砂の上を走って奇岩の影に姿を消す様子をリリィが驚きの表情で眺めていた。
「何で、あんな簡単そうに走れるの?」
走ることはおろか、砂の上では歩くことすら容易ではない。砂に足をとられて幾度も転んでいるリリィには子供達の軽快さが信じられないようであった。コアは苦笑しながら慣れだと繰り返す。
「今は砂の上を走ることよりもラクダに乗れるようになることを考えろ。後ろに乗る奴の命を預かるのはお前なんだ、しっかりやれ」
コアが砂漠での戦闘も視野に入れて声をかけるとリリィは表情を消し、迷いのない様子で頷いて見せる。いい表情だと思ったコアは軽くリリィの肩を叩いてからラクダに跨った。




