第十章 箱艇の番人(3)
ラマダラ族の少女が率いる一団に先導された一行は外壁を巡らせた部落へと辿り着いた。外壁の内側にはレンガ造りの家々があり、この場所に暮らす者達は定住しているようである。少女を先頭にしたラマダラ族のラクダは易々と部落の中を闊歩した。だが部落の人々は同族ではないようで、白いマントを纏ったラマダラ族の者達を見ると怯えた様子で姿をくらませる。その様子をラクダの上から見たリリィは怪訝に思ったが疑問を口に出せる空気ではないので沈黙を保っていた。
ラクダはやがて、一軒の家の前で止まった。先頭を行く少女がラクダを下り、続いて意識のないマイルを抱えたコア、抵抗出来ないようラマダラ族の者達に捕らわれる形であったリリィとクロムも地に足をつく。他の者達は外に残り、ラクダを下りた者だけで家の中へ移動した。
「ボレーゼ、客だ」
少女が声を張ると奥から黄土色のマントに身を包んだ老人が姿を現した。老人は腰に手を当てて佇む少女を一瞥し、それからコアにもたれているマイルに視線を移す。
「解毒は安い仕事じゃない。せいぜい高値をふっかけることだな」
冷淡な物言いをする少女の声音には明らかな侮蔑が含まれていた。しかもそれは彼女らと同じく砂漠に生きる民にのみ向けられているように感じ、リリィはかすかに眉根を寄せる。ボレーゼと呼ばれた老人は無言のままマイルの傍に寄った。
「我が族にどのような用があったのかは知らないが、次に会ったら殺す。二度と砂の大地に足を踏み入れるな」
今度はリリィたちに鋭いまなざしを向け、釘を刺すように言い捨てると少女は去って行った。あまりに一方的な少女の発言にリリィは腹が立ったがコアの冷静な声が聞こえてきたので顔を傾ける。
「治せるか?」
コアの問いを受け、しゃがみこんでマイルの様子を見ていた老人は立ち上がってから答えた。
「この程度の毒の回りであれば十日もすれば抜けきる。とにかく、解毒だ」
老人に頷いて見せたコアがマイルを抱えて歩き出す。彼らの姿が別室へ消えるのを見送った後、リリィはクロムの傍に寄った。
「少し、情報でも集めておこうか?」
「それは許可を得てからにした方がいいと思います。あまり、歓迎されていない様子でしたし」
クロムの返事を聞いたリリィはラクダの上から見た光景を思い出した。怯えを露わにした部落の人々の態度は、確かに歓迎しているとは言い難い。他にすることの見当たらなかったリリィとクロムはコアが戻って来るのを待つことにしたが、コアはすぐに姿を現した。
「十日くらい、ここに滞在することになりそうだ」
そう告げながらコアは腰から煙管を引き抜く。砂漠へ来てから初めて目にするコアの喫煙姿はどことなく不思議であり、リリィは張り詰めていた空気が緩んだことを感じた。
「これから、どうしますか?」
クロムが問うとコアはゆっくりと煙をくゆらせながら答えた。
「とりあえず、もういっぺん情報を集めないとだな。ラクダとか砂漠の危険な生物とか、そういうもんの知識なしに侵入したのはさすがに甘かった」
コアは苦い表情で別室の方に顔を傾ける。布一枚で区切られた空間ではマイルが治療を受けているはずであるが、先程の老人が姿を現した。
「終わったのか?」
コアが問うと老人は頷き、一行に椅子を勧めた。それぞれが腰を落ち着けてからコアが老人に向かって口火を切る。
「名はボレーゼ、だったか?」
「ボレーゼは我々の言葉で卑怯者という意味の蔑称だ。私の名はボリスという」
「すまない」
そう言うとコアは即座に頭を下げた。コアの素早い対応を怪訝に思ったリリィは眉根を寄せたが、当のボリスは穏やかに笑って見せる。
「あなた方は砂漠の民ではない。知らないのは当然なのだから気にせずともよい」
「そう言ってもらえると助かる」
コアの態度はいつになく下手であり、リリィはさらに眉間の皺を深くした。だが話の腰を折らないために口は挟まず、リリィは成り行きを見守る。互いに自己紹介を終えた後、ボリスが核心に触れた。
「ラマダラの兵と揉めていたということは、あなた方も神の艇が目当てですかな?」
「神の艇が空を飛んでいるのだとしたら、そうなるな」
コアがあっさり認めてもボリスの表情は変わらなかった。ただ小さく息を吐き、ボリスは空を仰ぐ。しばらく経ってもボリスが口を開く気配がなかったのでコアが再び口火を切った。
「色々と知りたいことがあるんだ。部落の者にも話を聞いていいか?」
「何を知りたいのかは知らないが、どのみち怪我人が回復するまであなた方は動けない。好きにすればいい」
半ば投げやりな調子で言い置き、ボリスは席を立った。別室へ姿を消したボリスから視線を外し、コアはリリィとクロムを振り返る。
「と、いう訳だ。しばらく情報収集しようぜ」
そう言い残した後、コアもボリスを追って別室に消えた。その場に残されたリリィはクロムを振り返る。
コアもクロムと同じく、聞き込みを行う前に部族の誰かから許可を得た方がいいと考えていた。歓迎されていないことは明らかであったがそこまで慎重になる理由が分からず、リリィはクロムに問う。クロムはリリィに近付き、小声で答えた。
「おそらく、砂漠の民が争っている理由は宗教絡みです。信仰を穢すと恐ろしいことになりますから、コアさんはそういったことを懸念しているのではないでしょうか」
ボリスは箱艇のことを「神の艇」と言っていた。つまりはこの地でも、キールが神として崇められている可能性が高いということである。似たような状況をラズル卿の領地であるカランの町で体験しているリリィは小さく首を振った。
「神さまって、そんなに必要なものなのかしら」
「過酷な環境に生きる者にとって神は心の支えなのでしょう。こういった地でそうした発言はあまりしない方がいいと思います」
クロムが言っていることを正論だと感じたリリィは素直に頷いて口を閉ざす。だが神に対する根深い不信は拭えず、リリィの胸には嫌な気分が広がった。
東の大国である大聖堂の拠点にて、若き軍事責任者の女は組織を動かす老人と対峙していた。黒い短髪に同色の瞳が印象的な軍服姿の女はヴァイスといい、彼女と向き合っている老人は大聖堂の最高権力者である長老衆の一人で名をアベルという。
大聖堂は各国に布石を打ち、大陸統一の機会を狙っている。ヴァイスとアベルは連日そのための話し合いをしており、この日はヴァイスが新たな情報を入手してきたのであった。
「フリングスの西北?」
ヴァイスからの報告を受けたアベルは微かに眉根を寄せながら問う。ヴァイスは頷き、それから口元に妖艶な笑みを滲ませた。
「ラズル卿の領土に不穏な動きがあります」
ラズル卿はフリングス王家とは血の繋がりがない、いわゆる下級貴族である。現在の当主の名はウィリアムといい、彼は父親の代から領地を接するサーズ卿を敵対視している。その理由は、サーズ卿がフリングス王家の血筋に連なる者であるからという単純明快なものであった。
「それで、そのラズルとやらは何をしようとしているのだ?」
ラズル卿はフリングス領の西北に領地を持つ辺境貴族であるためアベルの関心は低いようであった。だがヴァイスが握っている情報は大聖堂にとって非常に有益なものであり、アベルも必ず食いつくと確信しているヴァイスは笑みを保ったままラズル卿の領地で起きた事件について語った。
ラズル卿の領土では偽りの聖女信仰が蔓延っていた。しかし聖女がただの女であることが露呈したことにより、この宗教は総崩れとなったのである。だがその後、聖女はやはり神の御使いであったという噂がまことしやかに囁かれ出した。そのため自らの手で聖女を貶めた者達は罪の意識に苛まれているのだという。この情報操作を行っているのはウィリアム=ラズルの手の者である。そしてラズル卿は、解散されたと思われた軍を密かに動かしている。ヴァイスがそこまで説明するとアベルは興味深げなまなざしになった。
「弾圧は捏造か。計画的にどこの国を攻める?」
アベルは愉悦に浸りながら同士討ちかと零した。ヴァイスはすっと笑いを収め、軍人の顔に戻ってから核心に触れる。
「ラズル卿が攻めようとしているのはレマルです」
レマルとは北方に位置する小国である。ラズル卿の領土とは北で接しており、ラズル卿はおそらくサーズ卿を呑み込むための布石としてレマルを攻めるのであろう。ヴァイスがそう私見を述べるとアベルは鼻で笑った。
「醜い権力争いだな。実に無意味だ」
「我々にとっては好機です」
「分かっている。準備をしておけ」
「はい」
アベルに一礼したヴァイスは軽やかに踵を返した。だがあることに思い当たり、ヴァイスは再びアベルを見据える。
「アベル様、『銃』の使用許可をいただきたいのですが」
『銃』とは、大聖堂が保有する遺物の名称である。弓のように離れた敵を攻撃可能な代物であるが構造がよく分かっていないことや過去に使用者が死亡した例などがあることから現在は使用禁止となっている。
「……銃、だと?」
平素はあまり動じないアベルもさすがに言葉を濁した。おもむろに眉間に皺を寄せるアベルの表情からは難しさが漂っていたがヴァイスは淡々と言葉を次ぐ。
「何もあなた方を射殺そうなどとは考えていませんのでご安心ください」
「そのようなことをせずとも我々に未来はないと言いたいのか」
「万全を期すためです」
不快を露わにしたアベルは迷っている様子であったが、やがて頷いて見せた。
「好きにしろ」
「ありがとうございます」
アベルに向かって深々と一礼したヴァイスは今度こそ踵を返す。長老衆の執務室を後にしたヴァイスは石畳の廊下を歩き出しながら人知れず含み笑いを零した。




