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第九章 邂逅(11)

 東の大国大聖堂(ルシード)の本拠地である神殿、その深部にある長老衆の執務室では三人の老人が黙したまま人を待っていた。老人達は誰もが自ら口を開こうとはせず、平素から物音のない室内は異様な沈黙に支配されている。

 室内にいる三人のうち執務机を前に座しているのは長老衆の筆頭、アベルである。アベルより一歩下がった場所に佇んでいる狐顔の老人はゼノンといい、彼はアベルの参謀である。そしてもう一人、アベルとゼノンに対する形で佇んでいる老人はカロロスという。先日南方から戻ったばかりのカロロスは数日のうちに憔悴しきり、頬を痩けさせていた。

 四人のうち三人の長老衆が会している場に、やがて召喚された人物が姿を現した。黒髪に同色の瞳といった容貌の女はカロロスの隣に並び、アベルとゼノンに向かって頭を垂れる。軍服姿の女は大聖堂の軍事を取り仕切っているヴァイスであり、彼女こそが長老衆の待ち人であった。俯くカロロスとふてぶてしく面を上げているヴァイスを一瞥した後、アベルは口火を切る。

「さて、私が何を言わずとも召喚の理由は察しているな?」

 アベルの口調は淡白なものであり、カロロスが過剰なまでの反応を示した。目に見えるほど震え出したカロロスを庇うかのようにヴァイスがアベルの問いに応じる。

「カロロス様が怯えていらっしゃることについて、ですか?」

 ヴァイスが問いの形をとったのでアベルは頷くことをせずに話を進めた。

「ヴァイス、お前を監視に任命したのはカロロスが戻って来るまでの繋ぎだ。そのことは前もって伝えたと思ったが?」

「はい。心得ています」

「では何故、カロロスが戻った現在でも聖女やルーカスに構う? 近衛軍団長であるお前には他に為すべきことがあるはずだ」

「そのことに関して、近々ご報告にあがろうと思っていました。先を越されてしまいましたね」

 ヴァイスがなかなか戯けた調子を崩そうとしないのでゼノンが焦れた様子で容喙した。

「カロロスが怯えていることと関係があるのだろう? 早く話したらどうだ」

「さすがはゼノン様。ご高察です」

 明らかにそれと判る世辞は不敬でしかなく、ゼノンはヴァイスに辟易した様子で唇を結ぶ。ゼノンを手玉に取ったヴァイスは薄笑いを収め、表情を改めてからアベルを見据えた。

「聖女は人間ではありません」

 ヴァイスが真顔のまま奇怪なことを言い出したのでゼノンが失笑を零す。

「何を言い出すかと思えば。狂人(ルーカス)の世迷言を真に受けるなど愚の骨頂だ」

「しかし、ゼノン様。アベル様は戯言とは思っていないご様子ですよ?」

 ヴァイスが矛先を向けたことによりその場の視線はアベルに集中した。アベルは決して目を合わせようとしないカロロスを一瞥した後、ヴァイスに視線を留める。

「人間でなければ何であると言うのだ?」

「神の類やもしれませんね」

「神、か」

 ヴァイスが平然と言ってのけた言葉をくり返し、アベルは笑った。だがその笑いは嘲笑ではなく、アベルは再びカロロスに視線を傾ける。

「カロロス、お前が感じていることを私たちに説明してくれ。お前の言葉で聞きたい」

 南方から戻った時の満ち足りた表情が嘘のように、カロロスは目をぎらつかせている。疑心暗鬼に陥ったその表情はルーカスが狂った時と同じであると、アベルは感じていた。アベルの意向を受けたカロロスはしきりに周囲を気にしながら声をひそめて語り出す。

「初めてこの地へ来た時に見た聖女と同じなんだ。顔も、髪も、目の色も、名前まで」

 カロロス本人の口から事情を聞いたアベルは苦い表情をしているゼノンを仰いだ。

「今生の聖女の名は何といったか?」

「さあな。エドワードに任せきりだったから覚えていない」

 小さく首を振るゼノンも問いかけたアベル自身も、一度も聖女の顔を見たことがなかった。女好きであったエドワードに内々の処理を任せ、彼らは主に対外的な政を担当していたのである。

「アリストロメリア様、です」

 ヴァイスが口を挟んだのでアベルはそちらへ視線を転じた。同時に、ゼノンが何かを思い出したかのように手を叩く。

「確か、初代の名を次代以降の聖女に継がせるとエドワードが言っていた。名が同じなのはだからではないか?」

「だが容姿が、まったく同じなのだ! 初めて目の当たりにした時、こんな女がいるのかと目を疑った。それほど鮮烈な記憶を違えるはずがない!」

 カロロスに力一杯否定されたゼノンは弱り果ててアベルの意向を仰いだ。ゼノンとカロロスを見比べたアベルは口元に手を当てて考えを巡らせていたが、ヴァイスが再び容喙する。

「ルーカス様が聖女の死を望んでいるのは、だからなのではないですか?」

 口元に厭らしい笑みを浮かべるヴァイスを一瞥した後、アベルはカロロスに問いかけた。

「ルーカスも初代の聖女を見ているのか?」

 カロロスは無言のまま幾度も頷いて見せる。考えあぐねたアベルは息を吐いて椅子に背を預けた。

「それならば何故、エドワードが何も言わなかったのだ?」

 アベルはただ、故人へ独白しただけであった。だが再び、ヴァイスが私見を述べる。

「お亡くなりになった方を貶めるような発言をしたくはないのですが、エドワード様はたいへん好色でいらしたようですね。今生の聖女もお気に入りのご様子でした」

「エドワードが庇っていたと、そう言いたいのか?」

 ヴァイスは答えなかったが否でないことは明白であった。アベルはエドワードの厳つい顔を思い返しながら思案に沈む。

 聖女の糾弾に否定的であったり自ら進んで狂人(ルーカス)の世話をするなど、確かにエドワードの行動には不審な点がある。だが自身で確かめる術がない以上、アベルには真実味を感じることは出来なかった。しかしある決断を下し、アベルは姿勢を正してからヴァイスを見据える。

「いずれにせよ聖女の存在は必要なくなるのであろう? 始末したいのであれば好きにするがいい」

 ゼノンとカロロスが驚いたように振り向いたがアベルはヴァイスから視線を外さなかった。ヴァイスはまるでアベルの答えを予想していたかのように不敵な笑みを浮かべる。

「ですがその場合、乱世の至宝を失うことになります。よろしいでしょうか?」

 ヴァイスが今生の聖女を気にかけていた理由を察し、アベルは納得して頷いた。アベルから了承を得たヴァイスは笑みを収めて一礼する。

「では、礼拝堂の主が到着しましたら実行したいと思います。エドワード様がご逝去された旨はすでに通達しておりますから」

 礼拝堂の主とは調査部の有力者であるモルドのことであり、彼は乱世の至宝ことコアと親しい。長老衆の一人であるエドワードの逝去を聞けばモルドは弔問に訪れるはずであり、そこを聖女もろとも消し去ろうというのがヴァイスの狙いなのである。そこまで読み取ったアベルは胸中で恐ろしい女だと呟いた。

 簡単に段取りを説明するとヴァイスはさっさと立ち去った。室内にはしばらく沈黙が流れていたが、やがてゼノンが口火を切る。

「いいのか? あの女に勝手をさせて」

 ヴァイスを生理的に受け付けないとまで言ってのけたゼノンは嫌悪感を露わにしている。だがアベルは口元に笑みを浮かべて頷いた。

「聖女が神であるかは知らぬが人間でないものを始末してくれると言うのだ、好意に甘えておこう」

「……乱世の至宝は?」

「軍事部で才能を発揮してくれるのならまだしも、調査部にあっては金食い虫だ。敵に回すには少々厄介な相手ではあるが、大陸が統一されれば息をする場所もあるまい」

 理路整然としたアベルの主張に異論を挟むほど強固ではないゼノンは口を噤む。ゼノンが黙諾したことを確認したアベルは呆然と立ち尽くしているカロロスを振り返った。

「それでいいか、カロロス?」

 アベルの声に反応したカロロスはぎこちなく顔を傾ける。カロロスの顔色がまだ優れないものであったのでアベルは柔らかい微笑みを向けた。

「あの女に躍らされることはない。だが彼女がお前に安眠を与えてくれるだろう。もう、白影の里も()いのだ。怯えることはないとルーカスにも伝えておいてくれ」

「……アベル……」

「顔色が悪い。今はゆっくり休むといい」

 アベルの温情に触れたカロロスは涙ながらに頷き、背中を丸めて去って行った。扉が閉まったことを確認してから、アベルは傍らに佇むゼノンを仰ぐ。

「彼にはまだ仕事が残っている。こんなことで倒れられては困るからな」

「……歳月を経ても変わらないな」

 偽善者を装うアベルも、情けに弱いカロロスも。そう独白したゼノンに苦笑を返し、アベルはゆったりと椅子に背を預けた。

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