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第九章 邂逅(5)

 会話がなくなると室内は異様な静寂に支配された。アベルとゼノンはしばらく閉ざされた扉を見つめていたが、やがてゼノンが大きく息を吐いた。

「あの女はとんだ狸だ」

 ゼノンは忌々しそうな口ぶりで悪言を吐く。次第に冷静さを取り戻したアベルはゼノンと同じく一つ息をついてから思ったことを口にした。

「近世稀に見る逸材だな」

 ヴァイスが赤月帝国の王妃となったのは国王を現人神とした後、己が政の実権を握るためである。だがそれだけの思惑ならばアベルもゼノンも驚きはしなかった。彼らが驚いたのはヴァイスが後世まで破綻しない仕組みをつくろうとしていることに対してである。

 王政が倒れる理由は様々であるが、その一つに後継者争いというものがある。赤月帝国の現国王は王家の血を受け継ぐ唯一人となっているが子々孫々まで至れば血族は膨大な数になるであろう。通常は王の嫡男を後継者とするが王に子がない場合や側室が多い場合は争いとなる可能性が高い。王妃が全ての権限を握り、尚且つ自らは子を生さないことで、ヴァイスはそういった争いを生じさせないようにしようとしているのであった。

「自己犠牲は民衆の支持も得やすい。見せかけだけのとんだ母神だ」

 現人神が父神であればその妃である王妃は母神かと、ゼノンの止まない皮肉を聞きながらアベルは深く頷いた。

「確かに、あの女からは慈しみの情など感じないな」

「アベル、本当にあの女でいいのか?」

 ゼノンが念を押すように確認しているのは後嗣の問題であるが、アベルは口元に笑みを浮かべて頷いた。

「話題には上らなかったがあの女の計画にも愚者は邪魔なはずだ。神殺しは彼女にやってもらおう」

 ヴァイスを選んだアベルの真意を聞いたゼノンは不平を収め、策士の顔に戻った。

「なるほど。確かにこの年になってまで神殺しなどしたくはないな」

「神に殺されるのも御免被りたい。無論、愚者が神であればの話だがな」

 くつくつと陰湿な笑い声を零すアベルを見たゼノンは呆れたような顔をして嘆息した。







 そろそろ通い慣れた場所となった大聖堂(ルシード)の奥の院を歩きながらヴァイスは考えを巡らせていた。ヴァイスが用心を重ねているのは、長老衆の甘言に弄されるほど彼女が愚かではないからである。長老衆の発言には虚実が入り混じり、また語られていない真意も必ず存在するであろう。そう感じるのはヴァイスもまた、同じ種類の人間であるからであった。

 目的は世界を手中に収めることである、そう語ったヴァイスの言葉に嘘はない。だが真意でもなく、彼女の本当の戦いは世界を手中にした後に始まるのだ。人間による、人間の支配。時代が変わっても廃れることのない政治体制の樹立。この二つを成立させるためには支配者が腐らないことが絶対条件である。体制も血も長く続けばいずれは腐るが、その時期を乗り越えた後、神聖なものとなるはずなのだ。

 ヴァイスは赤月帝国王を現人神とする計画を立てているが、現人神が神聖となることと「神」が神聖であることはまったくの別物であると考えていた。彼女は「神」を創りたい訳ではないのである。むしろ「神」の呪縛から人間を解き放つことがヴァイスの本意であった。

 ヴァイスは長老衆との会話を思い出し、ゼノンが発したある言葉から褐色の肌をした青年を連想した。赤月帝国王の側室となった娘がサンザニア王家の末裔であることはカーディナルでも一部の者しか知らない真実である。だがヴァイスの小間使いであるアドリアーノや、果ては大聖堂の長老衆にまで情報が漏洩しているようではカーディナルに存在価値はない。

 ヴァイスは大陸の西を拠点とする地下組織、カーディナルを掌握するためにサンザニア王家の末裔を称していた。だが赤月帝国王に子が生まれた後は真実を公表するつもりであった。我が子ではなくとも次期王位継承者の教育は王妃が行うという仕組みをつくれば肩書きに意味はなくなるのである。どのみち、カーディナルに未来はない。いずれ滅ぼすのであればアドリアーノともども潮時であると、ヴァイスは微かに口元を歪めた。

 人気のない廊下を進んでいたヴァイスは神殿のホールに差しかかった所で足を止めた。ホールの片隅には軍服を纏った赤髪の少女が佇んでおり、彼女はヴァイスの姿を認めると低頭する。ヴァイスは少女には声を掛けずに『列車』の発着場へと足を向けた。発着場は先客があるか一目瞭然であり、また使用時刻を外せば侵入する者はないので密談に最適な場所なのである。

 明りが灯っていないことで先客がいないことを確認し、ヴァイスは発着場へと続く階段を下った。列車の陰となる場所で足を止め、ヴァイスは後から来た少女を振り返る。

「何故、あなたがここにいるの?」

 赤髪の少女は名をエルザといい、ヴァイスは彼女に赤月帝国の監視を任せている。ヴァイスは生真面目なエルザが事前連絡もなく訪れたことを訝しく思ったが表情には出さなかった。エルザは一礼し、周囲に気を配りながら口火を切る。

「勝手をして申し訳ありません」

 謝罪した後、エルザはヴァイスの指示を仰がなければならない事態が発生したと告げた。内容に見当のつかなかったヴァイスはエルザに報告を促す。エルザは少し顔を歪めながら話を始めた。

 報告の内容は、アドリアーノが瀕死の状態で赤月帝国へ運び込まれたというものであった。問題なのは瀕死であったことよりもアドリアーノが発見された時の状態である。アドリアーノはフリングスとの国境に近い街道で倒れているところを発見されたのだが、彼の両手には刃物が突き刺さった状態であり、また右の眼球をも失っていた。アドリアーノの様子は何者かと戦って敗れたことを如実に表しており、エルザはアドリアーノがカーディナルの一員であることを知っている者が襲撃したのではないかと憂慮しているのである。だがエルザの憂慮が杞憂であることを知っているヴァイスは組織の問題に言及することを避けた。

「怪我の状態は?」

 冷酷にならぬようわずかばかりの憐憫を口調に滲ませ、ヴァイスはアドリアーノの容態を優先させる。エルザは沈痛な面持ちになって答えた。

「両手に刺さっていた刃物がかなり特殊な物で、枝分かれした刃が肉を(から)めていました。壊死の危険がありましたのでやむを得ず、両手首から切断しました。肋骨も何本か折れていましたがこちらは問題ありません。ですがもう、アドリアーノは戦力とはならないでしょう」

「……そう」

「意識は戻っておりますが錯乱状態ですので誰にやられたのかは判明していません。現在は拘束しておりますが……いかがいたしましょう?」

「しばらくは赤月帝国で養生させなさい。手に負えないと思ったらカーディナルに送っていい」

「はい。では、赤月帝国へ戻ります」

 深く頭を垂れた後、エルザは踵を返した。彼女は列車を使わず下山するので少しの時間も惜しいのである。人気のなくなった発着場で壁に背を預け、ヴァイスは考えに沈んだ。

 アドリアーノを再起不能にしたのは間違いなくコアである。乱世の至宝はアドリアーノごときでは相手にならないのかと、ヴァイスは不遜な態度を貫く青年の姿を思い浮かべた。乱世の至宝と呼ばれる者もアドリアーノのような者も安寧には不必要な要素である。どちらも不要ならば互いに殺し合えばいいと思い、ヴァイスはアドリアーノの要求を呑んだのであった。

 アドリアーノもエルザもカーディナルの一員であり、ヴァイスの配下である。例えヴァイスが同胞などと思っていなくとも彼らが仲間であると思い込んでいるのであればわざわざ否定する必要はない。だがその状態を維持するためには多少の思いやりを見せねばならず、結果、アドリアーノもコアも始末が先送りとなってしまうのはやむを得ない。

「……役立たずが」

 忠実を演じることも出来ない者は死に絶えればいい、それがヴァイスの持論である。人知れず不機嫌を露わにしたヴァイスはすぐに思い直し、壁に預けていた体重を足へと戻した。

 百人斬りの悪鬼と呼ばれる者であろうとコアも所詮は人間である。人間である以上不死などということは有り得ず、百人で殺せないのであれば千人を向かわせればいい。それが出来るだけの権力は間もなく手に入ると、ヴァイスは唇の端を釣り上げて微笑んだ。

 仲間を持たない孤高の策士、それがヴァイスという者なのであった。

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