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第二章 六白の聖女(4)

 アリストロメリアは時折、歌を歌う。雪を抱いた頂に、晴れ渡った天に、吸い込まれて行く澄んだ歌声を聴くたび、コアはアリストロメリアが何かを嘆いているような気がしてならなかった。

「邪魔をしたか?」

 アリストロメリアの私室へ侵入した途端、歌声がやんでしまったのでコアは訊いてみた。アリストロメリアは微笑を浮かべ、小さく「いえ」とだけ答える。

「いい歌だな」

 開け放たれたままの窓辺に寄りながら、コアは呼びかける。連なる山々へ視線を傾け、アリストロメリアは独白のように応えた。

「この歌を歌うと、とても懐かしい気持ちになります」

 以前、コアが何処で覚えたのかと尋ねたときアリストロメリアは人に教わったのだと言っていた。そのことを思い出し、コアは何気なく頭に浮かんだことを口にしてみる。

「教えてくれた人を思い出すのか?」

「そうかもしれませんね」

 懐古の表情を浮かべ、アリストロメリアはコアに微笑みを向ける。幽玄の美にコアが見惚れていると扉を叩く音がしてテルが姿を現した。その両腕に荷物が抱えられているのを見てコアは首を傾げる。

「何だ?」

「長老衆からの贈物です」

「中身は?」

「お召し物のようですね」

「老人に女物の衣装がわかるのかよ」

 テルに苦笑を見せてからコアはアリストロメリアを振り返った。アリストロメリアに許可をもらい、コアは次々に箱を開封する。中身は色とりどりの衣装から小物に至るまで、身を飾り立てる物ばかりが押し込められていた。

 不快を表情に出さないよう、コアは胸中で憤慨した。軟禁状態の室内で服装に気を遣っていても、虚しいだけである。

「これなんか似合うんじゃないか?」

 純白のドレスを引きずり出し、コアはアリストロメリアを振り返る。

「窓から見える山の頂と同じ色ですね。アリストロメリア様、きっとお似合いになりますよ」

 テルも同意し、着てみないかと勧めた。しかしアリストロメリアは小さく首を振る。

「私には過ぎた代物です」

 何の感情も表れていないアリストロメリアの真顔を見つめながら、コアは人知れずため息をついた。









 白影の里は深い森の内部にひっそりと存在する集落である。赤月帝国の軍事を担っているため本来は外部の者が侵入することを制限しているがマイルは特別に出入りを許可されている。そのことを、リリィは里へ着いた夜に緑青(ろくしょう)から聞かされていた。

 緑青はこぢんまりとした屋敷に一人で暮らしているらしく、厄介になってからすでに数日が経過している。見て回ってもいいという許可が出たので、リリィは里の中を歩き回っていた。

 リリィが初めて緑青に会った時、彼は白装束に身を固めて素顔を見せなかった。そういった格好が一般的なのかとリリィは思っていたが実際はそうでもなく、里の者が身にまとっているものはまばらであった。

 白装束は修行を終えた者専用であり、仕事の時にしか着用しない。修行中の者は濃紺、それ以外は普通の格好で構わないというのが白影の里の在り方なのである。

 時折装束姿の子供達が走り去り、軒先や子供達の遊び道具に独自の物があるのが目に止まるが、白影の里は普通の村と大した変わりはなかった。穏やかな時間に身を委ねながら、リリィは息を吐く。

(平和だわ)

 戦争をしているというわりに人々は笑顔であり、緊迫感はない。心を和ませる空気に浸っていると故郷での暮らしが蘇り、リリィは空を仰いだ。

(カレン、元気かな……)

 親しい者の顔を思い浮かべると故郷が焼けた日に離れ離れになった仲間の顔が次々と脳裏をよぎり、リリィは在りし日に思いを馳せる。

 カレンだけでなく、いつも一緒に遊んでいた子供達。それぞれに引き取られてから一度も会わないまま、年月は過ぎ去った。いつか、自分の中でけじめがついたら会いに行ってもいい。だがそれはずっと先の事だと、リリィはもう一度ため息をついた。







 白影の里にある緑青(ろくしょう)の家で、マイルはくつろいでいた。

「そろそろ、話してくれてもいいんじゃないか?」

 畳の上に足を折って座し、茶を差し出しながら緑青が言った。他ではあまりお目にかかることのない泡立てた茶を受け取り、マイルは三回茶碗を回して口をつける。

「コアは大聖堂(ルシード)へ行っているんだろう?」

 急くように問い質す緑青の様子を、マイルは茶碗を置いてじっと窺った。

 白影の里は外部からの侵入者を異常なまでに警戒する。単身ならばともかく連れがいる状態で里へ入ることは、本来ならば有り得ない出来事である。赤月帝国は内乱中なので城下街で会うことが出来ない状況にあるがそれだけの理由で侵入の許可が下りたとは、マイルは思っていなかった。

「ああ。少し調べ事があると言っていたから戻って来るまで時間がかかるだろう。俺はその間の子守りを頼まれたんだ」

 頷くマイルに緑青は首をひねった。

「あの娘か。誰なんだ?」

「……素性も知らず誘拐したのか」

「あの時は……ただの人質だ。連れ立っているということはそう簡単には見捨てないだろうと思ったんだが」

「あの娘はモルドからの預かり物だそうだ」

 そこで、緑青は少し考え込むような素振りを見せた。

「まさかとは思うが、オキシドル遺跡の集落の生き残りか?」

 半信半疑に問う緑青にマイルは頷く。予想が的中したことに緑青は複雑な表情を見せたがマイルは淡々と話を続けた。

「よく知ってたな、そんなこと」

「モルドが子供を引き取ったと聞いた時、何かあると思って調べた。慈善活動をするほど彼も暇ではないだろう」

「目敏いな」

「それが仕事だ」

 一度話を切り、緑青は表情を改め呆れたように息を吐いた。

「モルドのお人好しも相変わらずだな。何故、彼は大聖堂の肩を持つ?」

 モルドは白影の里と敵対する大聖堂に所属している身であるが、その思考は大聖堂に染まってはいない。緑青はモルドと面識があり人となりも承知しているので、そうした疑問が零れてしまうのである。同じ疑いを抱いているだけに明確な答えはなく、マイルは肩を竦めて首を振った。

「さあな。その辺はコアに聞いてくれ」

「……あいつにしても、いつまでも大聖堂に留まっている理由もないだろうに」

「モルドはともかく、コアに大聖堂が合わないことは明白だ。俺も再三流れ者(フリー)に戻るように提案しているんだがことごとく躱されたままだ」

「あいつを大聖堂に繋ぎ止める何かがあるのかもしれないな。まあ、今はいい」

 コアとモルドに関しては本人のいないところで憶測を重ねていても意味はない。緑青の目が続きを促していたのでマイルは話を元に戻した。

「あの娘……リリィというんだが、隔離された環境で育ったせいか世間を知らなさ過ぎる。これから先、足手まといになられても厄介だからこの機会に色々と教えておこうと思ってな」

「厳しいな。まだ年端もゆかぬ子供だろう?」

「そういえば年齢は知らないな。だがそんなものは関係ない。あの娘が選んだのは、そういう道だ」

 緑青が少し、表情を引き締めた。これから話題に上る事柄を察し、マイルも居住まいを正す。

「あの娘は、キールを求めているのか?」

 リリィ本人からはっきりと聞いた訳ではなかったが想像を巡らせることは容易であり、マイルは頷いた。

「それと、お前達のことを気にしていたからな。だからここを訪れた」

「気にしていた?」

 見当がつかなかったようで緑青が首を傾げる。小さく笑って、マイルは説明を加えた。

「コアが林を焼いただろう。手当てをしてもらった恩も感じたんだろうな」

「ああ……」

「あれしきの光景はどこにでもある。そういうことも教えておこうと思った」

「なるほど」

「それと、赤月帝国の内情も少し探ろうと思ってる」

「……俺の前で堂々と言うことか?」

「お前だから言ってるんだ」

 緑青は呆れたような表情をしていたふと、頬を緩めた。真顔を崩し、マイルも応じる。

「調べ事の内容を教えてくれるなら情報を提供してもいい」

 白影の里への侵入許可が下りたのは大聖堂の情報が欲しいからかと、緑青の言葉を聞きマイルは納得した。隠し立てをするつもりは初めからなかったのでマイルは迷うことなく答える。

「陸の孤島だよ」

 名称が気になったのか緑青は眉根を寄せて腕を組んだ。しばらく考えを巡らせる顔をした後、緑青は話を始める。

「現国王は大聖堂に屈したのは民のためと公言しているが、本音は私欲のためだ」

「私欲?」

「近々、国王自ら陸の孤島へ出向くらしい」

「……愚者が欲しいということか」

「何をしたいのかは知らんが余計なことをされては困る」

 緑青が苦々しく吐き捨てるのでマイルは思案に沈んだ。

 愚者の存在は使いようによっては第二、第三の大聖堂を生む可能性がある。世界が余計な混乱に陥らないよう愚者の存在を隠し続けてきたのが赤月帝国であり、保身のために愚者の存在を隠したいのが大聖堂である。両者の目的は同じだが在り方が違いすぎるため和解することはない、それが今までの赤月帝国と大聖堂の関係であった。

 新しい国王が認めても、常に第一線で血を流してきた白影の里は大聖堂を認めない。そして戦の記憶の残る民も、受け入れることはないだろう。そこまで考えたところでマイルは目を上げた。

「徹底抗戦か。今度は大聖堂じゃなく国王相手に」

 緑青は慎重に、しかし微塵の迷いもなく頷く。

「幾度か暗殺も試みているがことごとく失敗している」

 白影の里は赤月帝国の軍隊の役割を担っているが通常の軍隊とは異なる。表立って戦うことよりも隠密行動を得意とする彼らが暗殺を成し得ないことにマイルは驚きを隠せなかった。

「それで陸の孤島か」

 王城での暗殺が出来ないのであれば国王自らが陸の孤島へ赴く視察は格好の標的である。だが、とマイルは思考を中断して緑青を見つめる。

「あそこは行く方法がない」

「大聖堂との交渉でその方法でも見付けたんだろう。なんにせよ、好機だ」

「動くのか?」

 緑青は無言で頷いた。マイルは口を開きかけたが戸外の気配に気が付き、表情を作り直す。

「……何か、話中だったみたいね」

 姿を現したリリィは微妙な変化を感じたのか眉根を寄せている。マイルは無表情に努めて緑青を仰いだ。

「持って行ってくれ」

 肌身離さず所持していた木彫りの首飾りを、マイルは緑青へ差し出す。緑青が笑みを浮かべながら受け取ったのでマイルも笑ったが、心はざわめいていた。









 大聖堂(ルシード)の本拠地ですべきことを済ませ、コアはアリストロメリアの私室を訪れていた。

「アリア、そろそろ行くよ」

 夜更けのため、アリストロメリアは天蓋の向こうにいる。別れの時にはいつも、コアは彼女の顔を見ないようにしていた。

「そうですか。お気をつけて」

 涼やかなアリストロメリアの声に片手を上げて応え、コアは背を向ける。

「頼むぞ」

 室外で控えていたテルにコアは一言だけ告げる。テルが力強く頷いたことを確認し、コアは歩き出した。

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