第一章 旅立ちは性急に(1)
宗教的な要素、残酷な表現を含みます。苦手な方はご注意を。
夜の静寂に包まれた礼拝堂で男は人を待っていた。燭台の小さな灯りが彼の顔を暖色に染め上げ、伸びた影が磨かれた壁に浮かび上がっている。
白い法衣を纏った男の名は、モルド。四十一歳と、そろそろ老いの域にさしかかる彼は薄くなってきたブラウンの髪を全体的に短く刈り、前髪は眉毛にかからない位置にある。
足音が耳に届き、モルドはゆっくりと閉ざしていた目を開けた。彼の青い瞳に映ったのは待ち合わせ相手である青年。
「遅かったな。陽があるうちに着くものと思っていたが」
「予定は未定だ」
軽い調子で返す青年の名はコア。彼はその出自から実年齢が不明であるが二十代後半と思しき若さを残しており、真綿の上衣・下衣という旅装に身を包んでいる。コアは長椅子に腰を落ち着けると鬱陶しいといった風に目にかかりそうな錆色の髪を掻き上げた。
モルドは燭台を持つ腕を下ろし、久方ぶりに対峙する歳の離れた友人が口を開くのを待った。深い緑の瞳を上げたコアは懐から古びた紙片を取り出す。
「色々と見付かったが、あんたに渡せそうなのはこれくらいだ」
受け取って、流し見る程度に文字を追いながらモルドは口を開いた。
「持ち運べない物も、収穫はあったのだろう?」
「時間がかかった割に今回は大した収穫じゃないぜ」
紙片の内容をこの場で確認することは無理なようだったのでモルドは顔を上げ、コアを見た。
「長旅で疲れただろう。部屋を用意させる、ゆっくり休んでいってくれ」
「もとよりそのつもりだ。これで帰りの旅費も負担してくれると助かるんだけどな」
「数日中に用意させよう。リリィ、こちらへ来なさい」
柱の影に向かいモルドは声をかける。そこに隠れている人物がいることを、彼は会話を始める前から承知していた。
観念したのか少女がすぐに姿を現した。イエローブラウンの髪を頭の高い位置で一つに結んだ少女は名をリリィといい、歳の頃は十六・七歳であるが実年齢は不明である。リリィは腰をしぼったローブを身につけており、それは礼拝堂で働く者であることを表している。
しかめっ面のリリィを凝視した後、コアが首を傾げた。
「見ない顔だな」
「孤児でな。少し前にわたしが引き取った」
「へえ」
「リリィ、こちらの方を青の間に案内してさしあげなさい」
モルドの言い付けにリリィは不可解だと言うように眉をひそめた。
「でもモルド様、あの部屋は特別な方しか使えないのでは?」
リリィの口調は明らかな不信感をわざと強調していてコアが苦笑いを浮かべた。リリィの刺々しい態度をモルドは柔らかく制す。
「いいのだよ。この人は特別だ」
「……わかりました」
渋々というように頷いたリリィは背を向ける。それを受けてコアはモルドを振り返った。
「じゃあな、オッサン。後は任せた」
「ああ。明日には終わる」
先に姿を消したリリィを追い、コアも去って行く。扉が閉まり人気のなくなった礼拝堂でモルドは変色した古い紙を見つめた。
礼拝堂を出て月明かりが差すだけの石畳の通路を歩きながら、コアはやや先を進む少女に声をかけた。
「盗み聞きはよくないぜ」
足を止め、リリィは苦い表情で振り向いた。
「あなたも、気付いてたのね」
「まあな。あのオッサンも用心深い奴だから」
「あなた、何者?」
「何者と言われてもねぇ。どんな風に答えて欲しい訳?」
「モルド様とどういう関係で、あそこで何をしてたか聞いてるの」
「興味があるのはさっきの紙切れだろ?」
モルドが手にしていた紙片を、リリィはそれと知れないよう振る舞いながら気にしていた。コアはその目線を見逃さなかったがリリィは指摘されると思っていなかったらしく、沈黙する。構わず、コアは言葉を続けた。
「何を知りたいのか知らんが、やめといた方がいいぜ」
「……何故?」
「相当に危なっかしいもんだから、とでも言っておくか」
「何それ? どういう意味?」
「言葉の通り」
「それじゃ解らない。もっと解り易く説明してよ」
「知りたきゃモルドのオッサンにでも聞くんだな」
突き放し、コアは顔を背ける。この後の面倒を考えれば嫌味など些細なうさばらしでしかなく、コアはリリィの刺々しい視線を受け流して歩き出した。
「……ここよ」
リリィが指差すまでもなく、闇のなかで青に塗られた扉は目立ちすぎていた。一目でそれと判る場所にわざわざ案内をつけたモルドの真意は理解していたので、コアは胸中でため息を吐く。
(ったく、オッサンもまわりくどいやり方しやがる)
用は済んだとばかりにさっさと踵を返す少女にコアは声を投げた。訝しげな表情でリリィが振り返る。
「ちょっと寄ってかねーか?」
顎で青の間を指すコアに、リリィはさらに眉間の皺を深くした。
「何故?」
「聞いてやるって言ってんだよ。場合によっちゃお前が欲しがる返事をくれてやる」
言い置き、返事を待たずにコアは青の間の扉を開けた。リリィにとっては願ってもない申し出だったはずで、すぐに後を追ってくる。
「それで? 何が知りたいんだ?」
貴賓用の豪奢なベッドに腰を下ろし、腰のベルトから煙管を引き抜きながらコアは問う。懐から取り出した葉を火皿に詰めて燃やすとリリィが嫌な顔をした。
「それ、何?」
「これは煙管って言ってな、刻んだ葉に火をつけてその煙を吸って楽しむ道具だ」
「……すごい臭い」
「うるせーな。文句言うなら聞いてやんないぜ?」
煩わしく、コアは吸った煙をリリィめがけて吐き出した。無防備に直撃をくらったリリィは涙目になりながら睨みつけ、しかしそれ以上文句は言わず、少し距離をとりながら話を始めた。
「子供の頃、私は山間の集落に住んでたの」
リリィの故郷は大陸の東、礼拝堂から見れば東南の方角にあったらしい。僻地であるため小競り合いに巻き込まれることすらなく、人々は穏やかな日々を送っていた。
だがある日、集落は燃えた。たまたま集落の外にいたリリィと子供数名を残し、消滅してしまったのである。そして集落壊滅の折、リリィは紅蓮の空を泳ぎ去って行く艇を見たのだと言った。
「その時、私たちを保護してくれたのがモルド様なの。布教のために村を訪れるところだったって言ってたけど私は嘘だと思う。何か、他に用事があって来たのよ。それなのにあの艇のことも、村で何が起きたのかも、何も教えてくれない。知らないっていう感じじゃない、知ってるけど教えてくれないのよ」
不満を孕み、リリィは顔を歪ませる。しかし思い直すように小さく首を振ってから話を続けた。
「モルド様が何も教えてくれないから自分で出来るだけのことはしたの。そしたら、私が見た物と同じような空飛ぶ艇があちこちで目撃されてることが判ったの。そして、あの艇が通った後には必ず不幸が起きていることもね。私が知りたいのはアレが何なのかってことと何故私たちの村があんなことになったのか、その理由よ」
それまでコアは黙って聞いていたが、話が一段落したのを見計らって口を開いた。
「あんたら、モルドのオッサンに助けられたって言ってたよな? その後はどうなったんだ?」
「皆、別々の所に引き取られたわ。私もつい最近までは養父母の所にいたんだけど、モルド様に呼ばれてここに来たの」
「なら、俺から聞かなくてもオッサンから話してくれるぜ。それも近々な」
「何故そう思うの?」
「オッサンがあんたを呼び寄せた理由なんてそれくらいしかないだろ?」
「……私、養父母とうまくいってなかったから」
「そんなの二の次だと思うぜ。おそらく、俺が戻って来たらあんたの質問に答えるって腹くくってたんだろ」
「あなたが戻って来たら……?」
「まあ、オッサンがその気になってくれりゃ解ることだ」
「……訳が解らないわ」
「今はな。ただ、これだけは言っておく。後悔するくらいなら初めから聞くな」
命令口調が気に食わなかったのか、リリィはあからさまにムッとした表情をした。
「おあいにくさま。とっくに覚悟は出来てるから」
言い捨てて、リリィは踵を返した。乱暴に閉じられる扉の音を聞きながら、コアは煙を吸い込む。
「……子供だな」
ため息と共に独白が、零れた。
青の間を後にしたリリィは大股で歩きながら憤慨していた。
(なんなの、アイツ)
初対面でありながら高圧的な態度に出られれば、それは失礼というものである。得体の知れない男の訳知り顔は目に焼きつき、リリィは怒りを静めることが出来なかった。
(ひとが、どんな思いであんなこと話したと思ってるのよ)
いきり立ったまま治まらなくて、リリィは壁に八つ当たりをした。感情のままに加減をしなかった右手がじんじんと痛み、リリィは身悶える。
「荒れてるわねぇ」
掛けられた声にリリィは涙目を上げた。彼女の緑の瞳に映ったのは、同郷の少女。
少女の名はカレンといい、首元で一つに結んだチョコレート色の髪を胸元へと流し、リリィと同じく腰をしぼったローブを身に着けている。彼女たちの故郷には年齢を数える習慣がなかったためカレンもまた実年齢は不明であるが、リリィより年上であることは確かであった。
カレンは保護されてすぐモルドに引き取られたので礼拝堂においては先輩にあたる。だがそれ以上に、リリィは姉のように慕っていた。
「……カレン」
暖かな緑の瞳に見つめられ、リリィは情けなく呟いた。
「盗み聞きは成功したの?」
「見ての通りよ」
痛みを我慢して平然を装い、リリィは立ち上がった。カレンは口元だけで笑んでみせる。
「どうせモルド様に見付かっちゃったんでしょ?」
「……それと変な男にもね」
「ああ、お客様ね。今伺おうと思ってたんだけど、リリィも行く?」
「あんな男、もう二度と会いたくないわ!」
「ダメよ、リリィ。私達はモルド様にお世話になってるんだから、働かないと」
「わかってるわよ。でもあの男の所にだけは行きたくない」
そっぽを向くリリィにカレンは微かにため息を吐いた。リリィは少し唇を尖らせながら顔を戻す。
「ねえ」
「なぁに?」
「カレンは知りたいと思わないの?」
問いに、カレンは少し考えるような素振りを見せてから口を開いた。
「あの時、モルド様が助けてくださらなかったら私達は死んでいたわ」
現実を淡々と言葉にするカレンにリリィは唇を引き結んだ。真顔のまま、カレンは続ける。
「私は、モルド様の下で働くことで少しでも恩返しがしたいの。信仰の素晴らしさを教えてくださったモルド様と、おそらく亡くなってしまった村の皆のために、私が出来ることといったら祈ることくらいだわ。私は、今の生活に満足してる」
「……そっか」
「でも全く知りたくない訳じゃないのよ。そりゃあ、自分達の故郷のことですもの。両親もいたし、友達もいた。けれどモルド様が教えて下さらないのは、きっと私達のことを想ってのことだと思うの。だからモルド様が聞かせてくれるまでは自分からは尋ねないことにしたの」
「私は、カレンみたいには思えない」
「それでいいんじゃないかしら。今のはあくまで私の考え。他の皆も、もしかしたらリリィと同じように思ってるかもしれないわ。自分の考えを押し付けるつもりもないし、リリィのやり方を否定もしない。知りたいと思うのは当然のことですもの」
「……うん、」
「でもね、物に当たるのは良くないわよ」
最後には笑って締め括るカレンに、リリィは苦笑した。
カレンは昔からしっかり者で、自分の考えを曲げることなく言葉にする。そのくせ他人の考え方にも寛容で、いたずらに他人と衝突はしない。
「じゃあ、私は行くわね。食堂の掃除、人数が足りないって言ってたから手伝ってあげて」
頷いてカレンと別れ、リリィはその足で食堂へと向かった。




