第五百三十九話 物見遊山(偵察) 33
7452年9月24日
ミヅチの体感だが夜半を過ぎた。
あれから空は曇りが増しているようで、月明かりも星明かりも地表まで殆ど届くことのない闇夜だった。
ランドグリーズを出てたっぷり五時間は経っていると思われる。
先程通り過ぎた村で二つ目。
今耕作地に足を踏み入れようとしている村で三つ目だ。
今の時刻は深夜〇時から一時であろう。
踏破距離はランドグリーズを起点として一五㎞はある。
時速換算で平均三㎞という速度は、舗装もされていなければ馬車や荷車の轍の跡もくっきりと残り、凸凹だらけで碌に整備もされていないような街道を闇夜に進む速度としては異常な程に速い。
そして、もし仮に追跡者がいたとしてミヅチ同様の肉体レベルでもない限りは【赤外線視力】で見通せる距離も相応に短くなってしまうので速度も制限される。
そもそもミヅチと同様に碌に休息もせずに連続して五時間も歩き続けられる者など居ないと言っても良いだろう。
ミヅチも装備している武器を除けばろくすっぽ荷物もない、訓練時などとは比較にならない身軽な格好だから出来ることだ。
――もういい加減に二人共死んだ頃かしらね。
今まで歩いてきた街道から外れ、耕作地の外側に広がる森の中に足を踏み入れながらミヅチはそう思った。
あの場で必要だと思われる情報を取った以上、ヘクサー・バーンズとジャッキー・エルデナンという二人を殺しておくことは充分に可能だった。
そうしなかったのは悪手であるから以上にアルが好むであろうからだというだけの事で、要するに二人には生きているうちに誰かに接触して貰った方が良かったからだ。
あの二人はあれからどうしたって蟲に刺され、噛まれまくる。
遅かれ早かれそうなる以外の道はない。
その過程で瀕死になることは目に見えており、少しだけ運の天秤が悪い方に傾けば死んでしまってもちっともおかしくはない。
と、言うか、可能性から言ってまず二人のうちどちらかは死んでいるだろう。
尤も、確実に生還させる方法が全く無いこともない。
例えば、二人が居る部屋の扉を開けた瞬間か、開ける前に部屋中を氷漬けか、火の海にして蟲を殺し尽くし、しかる後に治療するなどだ。
だが、部屋を開けた瞬間や開ける前に部屋が大量の蟲(それも、何か異常があるまで碌に動かずに待機を命ぜられている蟲だ)に気が付くなどしていなければ土台無理だし、そんな事に気が付ける事が可能な存在なんて神か悪魔でもない限り無理な相談だ。
気が付いて氷漬けか火の海にしたところで体力が落ちているところに凍傷や火傷に襲われる。
氷や炎を消すタイミングが少しでも遅れてしまうと窒息で済めばまだ良い方で、下手すればそれだけで死ぬ。
かと言って普通に踏み込んで全身を蟲達に刺され、噛まれれば致命の傷を何百何千と受けることになる。
場合によっては治癒魔術を施すそばから体内に潜り込んだ蟲に新たな傷を作られ毒を流し込まれるだろう。
そんな者を救うなどミヅチどころかアルにだって無理である。
そうなると生き残ったところで死ぬのは時間の問題であり、助かる方法などない。
例えアルが助けようと限界まで治癒魔術を使用したところで徒労に終わるからだ。
それ程までに昆虫群召喚の魔術は恐ろしいものなのだ。
――流石に丸一日、動かず、大声で助けも呼ばず、そして窓を開け放しにしている以上、見回りに気付かれずは無理でしょうしね。
もしもそれが出来たら蟲に襲われることなく魔術の効果時間が切れて蟲はいなくなる。
が、排泄をそれだけ長い間我慢し続けるのは絶対に無理だと言い切れる(小便や大便を漏らした時点で蟲達は異常発生と判断して食いつく)し、何より仮に乗り切ったとして、二人は両足を繋ぎ換えている。
助かったところで恐らくは長くても一週間で組織の拒絶反応が出て死に至るし、切断面の消毒なんかしていないから感染症を発症するのは確実だろう。
アルのように【鑑定】で症状を診断することも出来ず、取り巻きに心配され泣かれ惜しまれながら死んでいくのだ。
二人に対して死神の鎌が振り下ろされる迄の間に、デーバスの転生者達には軽々しくスパイを潜入させてきたのみならず、グリード侯爵家の第一夫人を誘拐した罪を認識して貰わねばならない。
表には出さずとも、心の奥底で後悔して貰う必要がある。
仲間内でしか喋る事はなくとも、悪いのは、いや、外野から見て悪く見えるのはどちらの方であるのかをしっかりと理解させておく必要がある。
そして、なぜ、グリード侯爵は激怒したのか。
なぜ、侯爵は単独でも宣戦布告をしてまでデーバス王国に対抗しているのか。
それらについてしっかりと考えて貰わねばならないからだ。
将来的にそれらを周辺諸国(又はデーバス王国内の諸侯)に訴える際に、数は少なくとも証人が居るのと全く居ないのとでは買える同情に大きな隔たりがあるからだ。
あの場で二人を殺して逐電してしまえば、何が起こったのか、誰にやられたのか、何も知らないまま激情に駆られたアルの攻撃を受けるだけだ。
勿論、既に宣戦布告までしている以上、単なる戦争の一作戦と思われる可能性はある。
だが、そこに第二夫人に続いて第一夫人までの誘拐を訴えることで、少なともデーバス王国内で意見は割れる。
それは、デーバス王国が戦場で押し込まれれば押し込まれるほどグリード侯爵に対する融和勢力の力が増すことになるだろう。
アルやミヅチとしてはデーバス王国を滅ぼしたい訳ではない。
勿論、相応の理由がない限り今の王家を始めとする三公爵家は根切りにしてもいいくらいの気持ちではいるが、貴族という支配者層の首全てをすげ替えるつもりなど毛頭ないのだ。
村の耕作地に入らずに大回りしている途中、突然にミヅチの【赤外線視力】に不審な反応が映った。
姿形は小さな鹿だ。
数は複数。
――あれは、ギョンかしら?
大きさは生まれてから暫くした仔鹿程度だが、脚は少し短めである。
体温はあの程度の小動物の例に漏れず、人間よりは少し高く、黄色より赤く見える部分が多い。
ギョンは魔物ではなく、単なる獣だが、撒いた穀物の種を鼻先で穿って食べてしまったり、実ってはいるもののまだ収穫時期にはもう少し、と言った収穫物を食い荒らす害獣だ。
肉食ではないからか、一応捕まえて解体すれば食用にはなるが、可食部は少ない上に筋が多くお世辞にも美味いとは言えない。
勿論、ミヅチの敵どころか、棒を持った子供にだって殺せる程度の獣なので戦闘力などゼロに近い。
が、本気で鳴き叫んだ際の鳴き声は大きく、ついでに人の断末魔のような濁った叫び声を上げるのだ。
足を止め、耳を澄ませたミヅチにも「ギョッ、ギョッ」という小さな鳴き声が届いてきた。
――鳴かれたら問題ね。
ギョンが大声で泣き叫ぶのは人や捕食者である獣や魔物に襲われた際の、群れの仲間への警告のためだ。
気が付いたのであれば黙って逃げればいいものを、いちいち不穏な叫び声を上げるので捕食者は余計攻撃的になることが多いのだが、それに気が付くような知能は持っていない。
当然、実際に攻撃を受けずともそういった生物が傍にいることに気が付いた際も鳴き叫んで警告を発する。
――うーん……困ったわね。
ギョンが警告の叫び声を上げるということは、捕食者が近くに居るという事に他ならず、通常、こういった人里の傍まで来る(又は居る)捕食者とは人間を除けば魔物に他ならない。
従って、ゴブリンやノールなど、それなりの知能を持つ魔物による襲撃や耕作地荒らしを警戒する村の張り番は、すぐに若い衆を叩き起こして耕作地の見回りに向かわせる。
そのような者に見付かるようなミヅチではないが、面倒は面倒だ。
ついでに、ギョン達に荒らされる畑もグリード侯爵の領地ではないので追い払ってやる義理もない。
この木陰でしばらく様子を見ていれば、向こうはこちらに気が付いていない様子なのでそのうちに移動してくれる可能性もある。
――仕方ない。そう長い時間でもないでしょうし、待ちますか。
ミヅチはそっと近くに生えていた樹の下に座り込んだ。
幹の太さは三〇㎝もあるかどうかなので身を隠すつもりもない。
気配を殺し、ギョンの群れがどこかへ行くのを待つだけのことである。
やることもないので夫との性行為について、次はどのようなシチュエーションで愉しもうかと想像の翼をはためかせる。
この前は高貴な貴族令嬢になりきって、夫には下品で粗野、下劣且つ乱暴な盗賊の役を頼んだのだが、すぐに飽きてしまったのか、それとも最初から興が乗らなかったのか、「いや、ダークエルフの貴族令嬢とか居ないだろ……」と呟かれてしまったのだ。
今まで何度も色々なシチュエーションを考えてきたのだが、それにハマってくれる確度は低く、ミヅチとしてはそこが欲求不満のポイントでもあった。
――くうぅぅっ、この肌の色が邪魔することが多いのよね。どうしようもない事だけどさぁ! 全くもう、あの人だってもっと私の趣味に合わせてくれたっていいじゃないのさ!
いつの頃からか、空き時間にはしょうもないシチュエーションを考えることに費やされる時間が増えていたのだ。
・・・・・・・・・
ツェット、ミュール、ヴァル、ザンバに指揮された四個小隊は王都ランドグリーズからランドバーゲルへと続く街道を進んでいた。
闇夜のため照明については一応、灯りの魔術を持ち回りで使わせているが、充分とは言えないため速度は遅い。
時速にして二㎞も出ているかどうかというところであり、馬を伴っての夜間行軍の難しさを如実に示している。
それでも夜明け迄にはそれなりの距離を進む事は叶う。
夜が明けてからも走れる程の体力を持つ馬の数は少ないが、所詮はたった一人の相手だ。
騎兵、それも複数の騎兵が相手では碌に抵抗など覚束ないであろう。
勿論、北への街道は一本道という訳でもないので、途中でザンバとミュールが指揮する小隊とは別れていた。
今はツェットとヴァルが指揮する二個小隊で北上を続けている。
――グリード侯爵の奥さんをぶっ殺しゃ大手柄だ! 絶対にやってやるぜ!
ヴァルとしては女一人を殺すだけで転がり込んでくる大手柄に逸る心を抑えきれなかった。
■コミカライズの連載が始まっています。
現在、Webコミックサイト「チャンピオンクロス」で現在第一五話まで公開されています(毎月第二木曜日に更新です)ので、是非ともお気に入り登録やいいねをお願いします。
私も含め、本作に携わって頂いておられる全員のモチベーションアップになるかと存じます。
■本作をカクヨムでも連載し始めました(当面は毎日連載です)。
「小説家になろう」版とは少し異なっていますので是非お読み頂けますと幸いです。
ついでに評価やご感想も頂けますと嬉しいです。
■また、コミックス2巻が発売されました。
連載の継続には皆様のご協力が不可欠です!
全国の書店や大手通販サイトでお取り扱いされておりますので、この機会にご購入及び第2巻のご予約をいただけますと関係者一同凄く温かい気持ちになれますのでどうかご購入の程、宜しくお願いいたします。




