第五百三十八話 物見遊山(偵察) 32
7452年9月24日
ランドグリーズから北に向かう街道を歩いていたミヅチは、程なくして前方から近付いてくる集団の存在に気付いた。
日も暮れて夜の帷が落ちる寸前とはいえ、耕作地を通る街道である。
見通しは良いのだ。
――あれは……。
馬車か荷車の脇から旗竿が伸び、旗らしきものが翻っているのがわかる。
見た所、馬車か荷車の数は二輌。
護衛らしき者の数も遠目に確認できるのは数人で、騎馬らしき者もいない。
時刻も時刻であるし、王都という比較的治安の良い土地であることを差し引いても、如何にも脆弱な集団に見える。
尤も、それ言ったら供すら付けない女一人、しかも徒歩のミヅチが何をか言わんやという以外の何物でもないのだが。
旗を掲げている以上、そこらに転がっている市井の商会ではない。
貴族家やそこに連なる者である可能性が高い。
が、仮に落ちぶれて没落した貴族家だとしてもあそこまで護衛が少ないというのは異常とも言える。
しかし、距離が縮まって正体が判明した事でミヅチは理解と安心を得られた。
彼らは神社の旅団であったのだ。
従って、馬車(荷車ではなく馬車であった)の周囲にいた者たちは護衛ではなく、単に馬車の御者台や荷車からあぶれて徒歩で随伴していただけの神官達だったのである。
――これはラッキーね。
とりあえずランドグリーズからの北上を目指して正解かどうかもわからないまま歩いてきた街道だ。
この先、この街道がどこへ向かうのかについての知識はなかった。
「あの、もし?」
ミヅチは道の脇に退いて神社一行の神官に声を掛けた。
「何か?」
「ランドバーゲルはこの街道で合っていますか?」
「ええ、かなり距離はありますがこのままこの街道を進めばランドバーゲルへ到着しますよ。ですが、見たところ、あなたはお一人で向かわれるのですか?」
二人の会話を耳にした他の神官も口々に「危ないぞ」「一度ランドグリーズに戻って明日の朝出直した方が良い」などと言って来る。
どれもこれも純粋に親切心からの言葉であり、そこに悪意は一片も混じっていない。
たった一人で街道脇に佇むミヅチの身を心の底から慮っての声であった。
そもそも、こういう人でないと神社で働く事は出来ないので、おいそれと顔も名も知らない相手に道を尋ねることすら憚られる時勢である。
だからミヅチも安心して道を訪ねたのである。
当然、嘘を吐かれる事も心配はしていない。
「ご心配ありがとうございます。ですが、急ぎランドバーゲルまで向かわねばならない事情もあるので……」
そう言って丁寧に頭を下げるミヅチに神官達は口々に「貴女の旅の安全をお祈り致します。テーソン」と言ってくれた。
――神社の旅団が通ってきたばかりなら野盗や追い剥ぎの類は暫く心配ないわね。
知能の低い魔物はともかく、人やある程度以上の知能を持つ魔物が神社の旅団を襲うことはない。
それもあって、神社の旅団から少し距離を置いて隊商や行商人などが続く事も多く、それなりの確率で安全が保証されているとも言えた。
それを考えるとほんの僅かな間ではあろうが、ミヅチに敵対する者と出会う可能性が極端に低いのは歓迎すべき事であるし、少なくとも北にあるランドバーゲルという都市まではこの街道で正解であると確認出来たのも単純に嬉しい出来事だった。
ミヅチは僅かな時間でも多少なりとも気を抜ける時間が出来た事に安心して、少し足取りも軽くなったことを自覚した。
・・・・・・・・・
「う……あ……」
ゲグラン男爵邸の一室では、相変わらずヘクサーとジャック(に変身したアーニク)が唸っていた。
レーンは全力で治療してくれたことは確かだが、魔術に長けている彼女とて万能からは程遠い。
だがそれでも比較的大きな怪我は治癒が叶ったし、幾種類かの毒も解毒されている。
それに伴って痛みもかなり軽減されたことは二人の気持ちを大きく落ち着かせる要因にもなっていた。
「あ……ぽ……」
しかし、大部分の傷は治療が済んでおらず、毒もまだまだ分解されずに体内に残っているものもある。
そして、体内に残されているモノは毒だけではなかった。
未だ死なずに彼らの体内に潜り込んだままの蟲も居るのだ。
「ぜっ……ばっ……」
ヘクサーは蟲が残っている事を感じてはいたが、正確にどこに居るかを伝える手段もなく、それ以前に喉の腫れが酷くなっていて満足に喋ることすらままならない。
――これは、まずいな。本当にまずい。胃か、食道になんかいる感じが拭えないが、どうしようもねぇ……。
そう思った瞬間、胃がムカムカしてどうしようもなくなった。
「ぐぷ……」
――あー、やべぇな、吐きたくて仕方ねぇが……。
上手く吐ければ胃だか食道だかにいるらしい蟲も吐き出せるかもしれない。
だが、体力も気力もギリギリであり、吐くには相当に大きな精神的覚悟に加えてなけなしの体力を更に使う事になるのは必定だ。
ひょっとしたら使い切って吐瀉物を喉に詰まらせて窒息してしまうかもしれない。
きれいに吐く事が出来なければ充分に有り得る話だ。
それもあって覚悟を固められずにいたのだ。
――くそ……これ、胃が破れて中に血が溜まってるからか?
ネガティブな思考が更に気持ちを落ち込ませる。
吐きたくて仕方がない。
苦労して隣に目をやる。
まぶたが腫れ上がっているからか、そもそも毒で目をやられてしまったからか、何も見えない。
しかし、己と同様に毒と怪我に苦しんでいる兄の気配は感じられる。
兄も自分と同様に必死に吐き気を耐えているのだろうか?
それとも吐き気とは別の、そう、毒による痛みや発熱、怪我に苦しんでいるのだろうか?
恐らくは今の自分と大して変わりはないだろうが、それでもやっと出会えた兄弟だ。
心配だった。
――あ、兄貴ならセルに変身すれば【超回復】が使えるはず……。
とは言えレベルは一なので、どこまで有効かは疑問だが、それでも【超回復】を行えるのと行えないのとでは大きな隔たりがある筈だ。
だのに、何故使わないのか?
――部屋に俺以外の誰もいないって事もないだろうし、【変身】は無理かもな……。
誰もいなかったところであれだけ【次元移動】を連発していれば、魔力が枯渇している可能性も否めない。
いや、命に関わる状況で【変身】を使っていないのは、使えないからだ。
冷静に考えれば魔力切れだろう。
それ以前に【変身】には僅かでも対象の体組織が必要になる。
完全に確認した訳では無いが、治療のためであろうが着ていた物を剥ぎ取られた記憶もあるので、兄も同様だと考えるならば、触媒となる例の手帳みたいな物も手元にはないだろう。
ジャックに【変身】した時はまだ倉の二階に踏み込まれる前だったので触媒手帳は身に付けていた筈だ。
収集に大変な労力を掛けたあの手帳はアーニクの生命線とも言える。
それはレーンも知っているから処分されたと心配する必要はないだろうが、今アーニクの手元に無いのは確かだろう。
「うぐっ……ぷっ……」
急速に押し寄せる吐き気に、限界を迎えそうだ。
――うわ……もう無理だ。吐くしか……。
「ぐぽっ……げぶおおおろろっ!」
決壊した。
・・・・・・・・・
当然だがツェットとミュール、そしてヴァルにザンバは互いに連絡を取り合っていた。
そして、新たな情報を得る度に伝令を飛ばす。
そんな中、今までになく有力な情報を得たのはツェットの配下の小隊だった。
「闇精人族の女だったんですね!?」
「ええ。少し前、北の耕作地に入る辺りの街道ですれ違いました」
「な、名前は? ステータスは確認しましたか!?」
「いえ、してませんよそんなこと……ダークエルフかどうかも怪しいですが、声とちらっと見えた口と顎から若い女性であることは確かですね」
「女は何処へ向かっているか聞きましたか?」
「ランドバーゲルに急ぐと言っていましたよ。危ないから明日にした方が良いとご忠告差し上げたんですがねぇ」
「わかりました神官様。ご協力感謝します!」
「いいえ、どういたしまして」
神社の職員は基本的に嘘を吐くことはない。
そもそも、そういう人でないと神社で働く事は出来ないのだ。
■コミカライズの連載が始まっています。
現在、Webコミックサイト「チャンピオンクロス」で現在第一五話まで公開されています(毎月第二木曜日に更新です)ので、是非ともお気に入り登録やいいねをお願いします。
今回は遂にロズウェラやヴィルハイマーが顔を出しました。あとロデ……ズールーも。
私も含め、本作に携わって頂いておられる全員のモチベーションアップになるかと存じます。
■本作をカクヨムでも連載し始めました(当面は毎日連載です)。
「小説家になろう」版とは少し異なっていますので是非お読み頂けますと幸いです。
ついでに評価やご感想も頂けますと嬉しいです。
■また、コミックス2巻が発売されました。
連載の継続には皆様のご協力が不可欠です!
全国の書店や大手通販サイトでお取り扱いされておりますので、この機会にご購入及び第2巻のご予約をいただけますと関係者一同凄く温かい気持ちになれますのでどうかご購入の程、宜しくお願いいたします。




