第五百三十五話 物見遊山(偵察) 29
7452年9月24日
夜。
レーンは屋敷に帰宅するなり、執事の一人からヘクサーとジャックが倉に侵入していたとの報告を受けた。
「それで、二人は何と?」
勿論レーンに心当たりはありまくりだ。
だが、それはそうと執事からの報告を受けるのが先である。
「いえ、それがお二人共虫の息……とても喋れる状態ではなく」
「は?」
そこまでの大怪我、重傷ならぼやぼやしている場合ではない。
「治療は?」
意識せずとも語勢が強くなり、執事を責めるような口調になってしまった。
が、事情の説明すらままならない程の状態だというからには、緊急時にのみ使用するよう言い含めておいた転移――いきなり倉に現れたという事から、事前に渡しておいた転移の一葉を使用したに違いあるまい。
ロンベルトで緊急事態に遭ったのだ。
それも、二人の命に関わる程の。
恐らくは彼らの偵察が露見したのであろう。
「可能な限りの治療は施しましたが、何分傷の数が多い上に毒まで……お館様も奥方様も御領地への視察旅行中のため、お嬢様のご帰宅だけが頼りでございました」
ゲグラン男爵家は銀杯の称号を持つ、デーバス王国でも上澄みに属する魔術の大家として名が通っている。
尤も、そこで働く家人だからと言って魔術が得意だという訳ではないが、魔術自体には慣れ親しんでいることから魔術知識は総じて高い。
その彼が言っている以上、二人への治療は出来る限りの事はしたのであろう。
その上でなお、治癒できていないどころか死線を彷徨っている。
レーンはそれ以上、報告に無駄な時間を浪費することはせずに、すぐに二人が運び込まれているという部屋に向かった。
そこで見たものは、当然ながら無惨に変わり果てた二人の姿である。
顔どころか手足や体中を毒虫に刺され齧られていることで、二目と見られぬ姿に成り果てて唸っていた。
「ヘックス、ジャック!」
治療のため下着まで剥ぎ取られて全裸の二人に駆け寄るレーンだが、長年の付き合いのある彼女をして、どちらがヘクサーで、どちらがその兄であるジャックに【変身】したアーニクであるかの見分けすらつかない。
二人とも両の瞼は腫れ上がり、鼻も倍くらいに膨らんでいる。
顔の輪郭も既に人間の域を外れたそれを描いており、片方など右耳の外耳が丸々無くなっていた。
勿論それだけではない。
体中が腫れ上がり、細かな傷が無数にあり、各所から血が染み出すように流れ続けている。
極めつけは、二人共性器が原型を保っていない。
心から気の毒な事ではあるし、思わず目を背けたくなる程に凄惨な有り様だ。
そんな二人の周りにはそれぞれ数人の奴隷が取り囲んでおり、体中に潜り込んでいる蟲を穿り出そうと悪戦苦闘していた。
「耳の無い方がバーンズ様です」
執事にそう言われてレーンはまずヘクサーの容態を診る。
何度か治癒魔術を受けたらしく、耳自体の傷口は塞がっていた。
その部分の皮膚だけはマシではあるが、毒を受けて腫れているので五十歩百歩だ。
「お嬢様。何か喋ろうとしておられましたので、喉に治癒魔術を掛けたかったのですが、傷の数が多く喉の奥にまで届かせられず……」
執事の言葉に頷きを返しながら、レーンは絶望感に打ちひしがれていた。
――こ、これだけの傷……とても全部治療なんか……。
彼女が使える治癒魔術で最高位のものは完全治癒だが、その完全治癒を以てしても一箇所の怪我にしか効果はない。
外傷・内傷を問わず一発で七割方の治療は行えるのでその効果は絶大と言えるのだが、複数の傷を同時に回復させることは出来ないのだ。
どうしてもまずは生命維持に大きく関わりのありそうな大きな傷を優先せざるを得ない。
次いで後遺障害が残ってしまうかもしれない傷。
これが治療の定石だが、体の内部にまで蟲に侵入されているために、表層からは伺い知れない程の重傷を体内に負っている可能性がある。
傷に触れさえすればその傷を対象として治癒魔術を掛けることは出来るので、ある程度治癒させる傷を選別する事は可能だが、体内の傷についてはそうは行かない。
脳を始めとする重要な器官にまで蟲に潜られていたらアウトかも知れないのだ。
それに、体内から完全に蟲を除去しなければ、例え体内の傷を治癒出来たとしても再び傷を負ってしまうであろう。
だが、今はそのようなことにとらわれ、手をこまねいている場合ではない。
たとえ無駄になるとしても一つでも多くの傷を治療してやる事で、二人の自然治癒力を重要な傷に回すことで助かるかも知れないのだ。
レーンは己の魔力量と気力を考えて、余程の外傷でもない限りは完全治癒ではなく致命傷治癒を使うことにした。
「外傷で酷いのはどこ?」
蟲を穿っている奴隷に尋ねると「お二人共このあたりですね」と股間を指差した。
――痛いでしょうし、ここは完全治癒を使いましょう。
務めて平静にレーンは二人の性器に完全治癒を掛けた。
崩れかけた睾丸を捧げ持つようにして他の傷に治癒魔術が吸われないように心掛けて意識を魔術へ集中する。
ヘクサーの睾丸は片方の皮膚が大きく食い破られ、蟲に食われた中身が見えてしまっている。
それがみるみるうちに回復していく様は驚異の一言であるが、食われてしまった部分まで完全に治せそうにない事はレーンも承知している。
もしも機能が失われていたら、機能回復がギリギリというところだろう。
次いで生殖器の方だ。
先っちょだけでなくあちこちが齧られており、大きな傷口からは内部の海綿体が覗いている。
少しでも痛みを与えないようにそっと指先で触れて完全治癒を使う。
何度か高度な治癒魔術を掛けたことで、あらかたの傷は良くなった。
微妙に元の形を取り戻せてはいないが、生殖機能を回復できた可能性は高い。
ジャックに【変身】したままのアーニクの方も同様に治癒してやる。
二人は未だに唸る程度の反応しか返せていないが、感謝の念は伝わってきた。
やはり、生殖器や性器のあたりは相当な痛みと心労を齎していたのだと思われる。
――さてと。
二人の心配の種の一部を取り除けたら、次は生命維持だ。
まずは毒をなんとかしなければならない。
解毒か毒中和か。
全身を各種の毒に侵されているため、まずは毒中和が適当だろうか。
二人とも立派な成人男性なので、全身を巡る血液量は四リットルを超えるだろう(ミヅチに足を斬られたりした際に大出血をしているので今は大分少なくなっている)。
そっと胸に触れ、レーンは毒中和の魔術へ精神を集中させる。
外傷を治したりするのは稽古を繰り返す戦闘奴隷を多数揃えていたこともあってかなり得意になっていたが、体内に入ってしまった毒を消し去ったり、中和したりの経験は多くない。
それでも魔術は数分で効果を発揮した。
一度では充分で無い事は理解していたので連続して毒中和を掛ける。
その度に集中時間は減っていく。
レーンにしてみれば中々練習の機会も無かった魔術なので焦りもあったがどうにか心を平静に保つ事が叶い、二人の血中に溶け込んでいた毒については完全に中和出来た自信がある。
とは言え、中和出来たのは血液中の毒だけだ。
筋肉や皮膚を腫らしている毒は放っておけばまた血中に溶け出してしまう知れないが、血中に溶け込んだ毒を一度中和出来ているので今までと比較して毒性はかなり薄れるであろうから一安心と言っても良い。
――問題は……。
血中に溶け込んではおらず、炎症や痛みなどを齎している方の毒だ。
見た感じと治療に当たっていた家人達に聞いたところによると、何十種類もの毒虫に刺されまくっている。
毒の種類もそれだけあるということだ。
中には大して強くない物もあるだろうし、猛毒もあると思われる。
勿論、毒を持たずにただ皮膚を食い破って真皮の下、筋肉層まで潜ってしまっただけの蟲だっているかもしれない。
「今までに捕まえた蟲を見せて。あるだけ全部よ」
レーンに言われるまでもなく、ヘクサーやジャックの体から穿り出された蟲は殺して治療に使われていたベッドの脇のテーブルに載せられた木の板に並べられている。
解毒の魔術を使うには術者に毒を特定させる必要があるためだ。
蟲はその殆どが嫌悪感を抱くような醜い見た目をしているが、中には火蟻のように一般的な見た目のものだっていない訳ではない。
とにかく蟲のステータスを検め、毒を推定して、解毒を掛けなければならない。
レーンや家人の知識にない蟲は、これはもう毒の種類が同定できないために解毒の魔術ではどうしようもない。
万が一を考えて考えつくだけの神経毒などを想定して、大半が無駄になることを知りつつ当てずっぽうで解毒を掛けるしか無いだろう。
その後は解毒効果があると言われる塗り薬などを駆使して回復を祈るくらいしか出来る事はない。
幾つか判っている毒を解毒したところでレーンはヘクサー達に声を掛けた。
「一体何があったの?」
ロンベルト王国、特にグリード侯爵領であるダート平原への偵察行の途中で何かあったには違いなかろうが、これだけ多くの蟲に集られていた原因がわからない。
「……っ……け……ろ……」
二人共レーンの言葉は聞こえているようで、何か言おうとしているのは理解るが、何を言っているのかはさっぱりだ。
口の内部だけでなく喉の内部まで腫れているからだろうか。
又は、声帯を蟲に齧られてしまったか。
首尾よく解毒出来たからと言って、炎症はすぐに治まらない(多少はマシになるが、その程度だ)し、痛みもすぐに引く訳でもない。
既に発症している高熱だって治すにはある程度の時間が必要になる。
蟲に刺された、噛まれた直後なら大きな害もなく分解出来るのだが、既に効果を発揮してからそれなりに時間が経っているので毒を消せてもそれによって齎された症状まではそう簡単に治せるものではないのだ。
「はっ、はっ、はっ、れ、レーン……あ、あり……がと……」
そんな中、ヘクサーの口から意味のある言葉が漏れた。
息も絶え絶えであることから声は掠れ、その音量も非常に小さなものだったが、確かにレーンに対して治療への礼を述べている。
「大丈夫? 見える?」
瞼が腫れ上がって塞がっており、外側から瞳が見えないので見えている筈はないが、それでもレーンは声を掛けた。
「い、いや。く……逃、げられ、なか……た。す、すまん……」
「追われていたの!? 誰に? ロンベルトの兵隊?」
「ぐ、りーど……」
「え? グリード? グリード侯爵に?」
「はっ、ごほっ! がほっ!」
「ヘックス! 気をしっかり持って!」
アーニクの方も多少容態が改善され、喋れるようになったようだ。
「れ、れ、レーンさ、ま。あり……とう……ござ……ます」
「ジャック! 大丈夫! 助かるわ!」
「た、すか、る。ほ、んと……」
「ええ! あなた達は私が助けるから! 死なせない!」
「いて……ろ、べるとから、お、女が……」
「え?」
「ぐ、だぁ、デュ、ろう、の」
「デュロウ? ダークエルフ?」
「そ、う。い……おれ、達と、い……しょに、て、てんい……」
「何ですって!?」
今、ジャックは何と言ったのか?
レーンの表情が一瞬にして厳しいものになる。
「ダークエルフの女性があなた達と一緒にここに転移して来たのね?」
「……うだ」
「彼女はどこに?」
「に、げた。こ、この蟲……も、……や、やつの……んま、魔術で……」
レーンが知る魔術で一番近いのは昆虫召喚だろう。
だが、昆虫召喚ではこれだけの数に及ぶ蟲の召喚は無理だ。
だとすると、そのダークエルフの女性はレーンも知らない魔術を使ったのだと思われる。
「あ、いつ、ぐり、ドの……」
「グリード侯爵の奥さんってダークエルフだったはずよね? その人だって言うの?」
「そ、だ」
「あなた達が転移してきてから助けられるまでどのくらいの時間だったかわかる?」
「わ、か……らない……。でも、じ、ぷん、か、にじゅ……ぷん」
その言葉を聞いて、レーンは側にいる奴隷に「助けてからどのくらい経ってるの?」と尋ねた。
一時間半というところらしい。
つまり、彼らがゲグラン邸に転移してきてからまだ二時間も経っていない。
これは追わねば、追わせねばなるまい。
レーンはすぐに屋敷の私兵から追撃隊を組織するように命ずると同時に、親衛隊に対して緊急の招集命令を発した。
■コミカライズの連載が始まっています。
現在、Webコミックサイト「チャンピオンクロス」で現在第一四話まで公開されています(毎月第二木曜日に更新です)ので、是非ともお気に入り登録やいいねをお願いします。
私も含め、本作に携わって頂いておられる全員のモチベーションアップになるかと存じます。
■本作をカクヨムでも連載し始めました(当面は毎日連載です)。
「小説家になろう」版とは少し異なっていますので是非お読み頂けますと幸いです。
ついでに評価やご感想も頂けますと嬉しいです。
■また、明後日の27日(火)よりコミックス2巻が発売開始となります。
連載の継続には皆様のご協力が不可欠です!
既刊の第一巻もそうですが、第2巻の初動(発売日前)を含む売上数で継続が決まるそうです。
全国の書店や大手通販サイトでお取り扱いされておりますので、この機会にご購入及び第2巻のご予約をいただけますと関係者一同凄く温かい気持ちになれますのでどうかご購入の程、宜しくお願いいたします。




