第五百ニ十六話 物見遊山(偵察) 20
7452年9月24日
――くそっ、痛ぇ! 洒落になってねぇ!!
アレキサンダーは右足を斬り落とされた激痛に歯を食いしばって耐えていた。
――この痛み、これだけの痛み!! 目が醒めない! ゆ、夢じゃないってのかよ!?
生まれ変わった後、暫くは夢だと思っていたし、今迄も度々そう思えていた事もある。
多少なりとも整合性のある解釈として、事故が原因の昏睡中に見ている夢だと思っていた。
脳波があるために脳死(植物状態)だとは判定されないまま、病院のベッドの上で見続けている夢。
もうところどころ、細かいところは印象的な光景しか覚えてはいないが、あれだけの事故だ。
死にたくない、家族を残したまま死ねないという願望が、生にしがみつかせるために見せている夢。
――ギギギ……叫んで転げ回りたいが、蟲が……。
生前(?)の知識が足を斬り落とされたのは今後の不具などよりも直接的な生命の危機だと警鐘を鳴らす。
骨髄が剥き出しになっていることによる骨髄への感染症を患ってしまったら……。
少しでも早く傷口を剥き、もう少し骨を切って消毒し、切断面の皮膚を縫い合わせて傷口の密閉が必要だ。
しかし、それはあくまでも“地球”での処置である。
一部ではあるが、魔法というご都合主義が大手で罷り通っている夢であれば……。
――まほ……この女、再接続がどうとか……? 畜生、痛ぇっ!
蟲は光の届かない闇ならば、どこからでも現れて来るようで、倉の壁に凭れている背中と壁の間や腰の後ろからもうじゃうじゃと出現しているのがわかる。
もうとっくに裾や袖、襟口からも侵入されていた。
蟲の種類がどれだけいるのかは全く不明だが、これだけの数に一斉に噛まれたり刺されたりすれば下手をしたらショック死すらもあり得るのではないかと思えるほどだ。
とは言え、今この瞬間は蟲達に体を這い回られる不快さよりも痛みの方が数段深刻であるのもまた確かであり、すぐにでも対処を行う必要がある喫緊に迫った危機であった。
「ぐぎっ!!」
すぐ側では弟の健二が自分と同様、痛みに悶えているのがわかる。
弟の右足からは未だに出血も続いているようだが、少しマシにはなっているようだ。
暗くて見え難いので正確なところは判らないし、かと言って自分の傷口など見たくもない。
あまりの痛みに冷静に思考する事すら難しい。
――目が醒めない以上、現実として対処する他はない……。
ある意味で諦念すら含んだ思考に支配されつつも、アレキサンダーはこの場からの脱出――後遺症なしの――について考えてみるが、良いアイデアなど一つも浮かばない。
思考の表層に出てくる案と言えば、痛みに悶える振りをして【変身】の固有技能を使い、更なる別人か、本体に変身を行うことである程度の治癒を行うくらいしか思いつかない。
そして、同時にそうしたところでその後には【次元移動】を使えなくなる事に思い至る。
では、まず【次元移動】を使い、とにかくこの場を脱出、しかる後に【変身】……この感じでは【固有技能】自体あと三回が限度だろう。
流石に三回だと、きちんと倉の外の地面に転移が叶ったとしても大した距離は開けられない。
走ることもままならない以上、すぐに捕まってしまうのは目に見えている。
では、外に転移してすぐに助けを呼べばどうか?
運良くすぐ傍にゲグラン男爵家の私兵である戦闘奴隷でも居ない限りは殆ど意味がない行為で終わるだろう。
先程から見せている女の戦闘力は非常に高く、数人で取り囲めたとしても包囲を破られる覚悟すらしなければならない程だ。
――だが、このままじゃ……。
時間を稼ぐにしても感染症は待ってはくれない(足は諦める)。
脳が灼き切れるかと思う程に活路について考えた。
・・・・・・・・・
『……さて、状況は理解出来たかしら?』
召喚した蟲の群れに脳内で、
――ほぼその場で待機。但し、私が右足を踏み鳴らしたら私から見て右側の男の手の平を一箇所、サソリが刺しなさい。左足を踏み鳴らしたら私から見て左側の男の手の平を一箇所、ムカデが刺しなさい。
という命令を与えて昆虫群召喚に対する精神集中を切ったミヅチは、すぐに嘘感知の魔術を使った。
『あ、ひっ……!!』
『へぐ……うあ……っ!!』
二人は皮膚を這い回る蟲の感触に怯える以前に足を切断された苦痛に喘ぎ、妖しい光を発するミヅチの瞳に注意を払うことはない。
尤も、今ミヅチの目に視線を合わせたところで、懐中電灯のように指向性を持たせたカップの灯りの魔術に照らされているために気付く事など出来はしないのだが。
『まずあなた。【技能封じ】について教えて貰うけれど、その前に、持っている魔法の【特殊技能】とレベルについて教えなさい』
ヘクサーがガクガクと激しく頷くの確認し、ミヅチは言葉を継ぐ。
『嘘を吐いたり、私がそう思ったりしたら警告なしで即座に毒虫に噛ませるわ。あと、そういった毒に侵されている人に【再接続】の魔術を使ったことはないから、どうなるかは知らない。無事に繋ぎ直して欲しければ私の質問には嘘偽りなく、私の好む回答をお勧めするわ。あと、勿論回答を引き伸ばしてもいいわ。でも急がないと足の組織がどうなっちゃうかまでは知らないわよ?』
カップの懐中電灯を顔のすぐ脇に当てて、順繰りに二人の顔に光線を当てながら、ミヅチの右手はしっかりと腰の後ろに挿した魔法の曲刀の柄を掴んでいる。
――くっ、なんだ? この女の雰囲気が……?
なんとなくだが、二人の兄弟にはミヅチの存在感がすうっと薄れた感じがした。
前世の兵隊がやるように、左手で肩の上?顔の横?に構えた懐中電灯のような灯りの魔術がその存在を如実に主張しているのだが、これはもう既に何らかの術中に囚われてしまったのだろうか、という非現実的な妄想にすら……。
――この蟲の魔術……まだ一切噛まれて、刺されていないという事は蟲達はこの女の制御下にあり続けている筈だ。なのに、術中? ふっ、魔術ではなく催眠術だとでも……?
『喋りなさい』
冷酷な声と共に光はヘクサーを照らした。
『ち、地魔法、火魔法、風魔法、無魔法がそれぞれ四レベルだ』
ミヅチの目にヘクサーの息は反応しなかった。
『水魔法は?』
『使えない』
反応はない。
――ちっ、健二のやつ、ステータスを見られたら一発でバレる技能の有無は仕方ないにしても、レベルは少し誤魔化しとけよ……!
弟の答えを耳にしたアレキサンダーは僅かに顔を顰めた。
『じゃああなたの【固有技能】について教えて。レベルと、知る限りの能力を全て』
『……』
この質問に答えるのには幾分の勇気が必要だったのだろう。
回答までに少しの時間を必要としたが、女は待ってくれた。
『【技能無効化】だ。俺達はスキル・インヴァリデーションと呼んでいる……』
数秒で回答があった事もあり、ミヅチは特に何もせず後を促した。
『技能のレベルはマックスだ。自分も含めて他人の【固有技能】と……』
吐息に反応があった。
タン。
即座にミヅチは左足を踏み鳴らした。
「痛っ!!!!」
苦痛の声を上げたのはアレキサンダーであった。
『嘘を吐いたら毒虫に噛ませると言ったわ』
『……いい間違えただけだ。【技能無効化】は自分も含めて生まれ変わりの【固有技能】と【特殊技能】を無効化できる。種族の【特殊技能】も含めて、全てだ』
『それだけ?』
ミヅチの声は倉の内部にやけに冷たく響いた。
『それだけだ。取捨選択は出来ない。自分も含めて誰であろうと、生まれ変わり……そっちでは転生者と言うらしいな。【技能無効化】の使用中には魔法だろうだがなんだろうが使う事は出来なくなる』
『そ。他には?』
『……他?』
タン!
『あ痛った!』
またもやアレキサンダーが苦痛の声を上げた。
ちなみに、先程ムカデに刺された彼の左手はもう既に腫れ始めただけでく、熱を発し始めていた。
『仲間が私好みの答えを言ってくれないから……可哀想ねぇ』
ちっとも気の毒そうではない声音でミヅチが言う。
『射程距離は大体、レベルごとに二〇mだった! マックスの今は二〇〇mくらいだ! それから、レベルがマックスになって暫くしたら、俺だけは【技能無効化】の使用中でも魔法が使えるようになった!』
少し慌てたように早口で言うヘクサーに、アレキサンダーが“思わず”と言った顔で目を向けた。
仲間である筈の彼ですら知らない効果について白状したのであろう。
『じゃあ次、あなた。名前は?』
ミヅチはアレキサンダーに灯りを当てて訊ねた。
『その前に、一ついいか?』
『だめよ。名前を言いなさい』
『……アーニク・ストライフだ』
『そ。じゃああなたの【固有技能】は何? それとその能力も教えてくれる?』
『……【変身】……ポリモーフ・セルフだ。別人になりすますことができる』
『へ、変身!?』
ミヅチはここに来て初めて目を丸くした。
何しろ変身である。
字面のみで考えるならば、ミヅチ的には正義に属する側が持つ能力であり、物語の主人公である、混成昆虫などに代表される古より続く……とにかく憧れの能力なのであった。
『何あんた、【変身】出来るの? それじゃさっきまでのワープ? テレポート? は何だったのよ!?』
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