第五百十九話 物見遊山(偵察) 13
7452年9月24日
『あ~、すいません。ちょっとトイレへ』
『あ、そこの奥の右手です』
席から立つヘクサーと彼の荷物であるサドルバッグに鋭い視線を送りながらも、サージは調子よく受け答えている。
――荷物を持って行かない、って事は逃げるつもりはないと見て良いのかな? まぁ、奴らの訓練にも良いし上手くやるだろ。
そう考えながら手持ち無沙汰そうな店員の子ども奴隷に対して顔を向けると、二本指で自分の両目を指し示し、すぐに左手の人差し指に右手の人差し指を巻き付け、両手で障子のような引き戸を開ける動作をすると、右手の指を三本立てた。
トイレに行った奴(当然、ヘクサーのことだ)の監視のために、店の裏口に三人立たせておけ、という合図だ。
奴隷はサージに小さく頷くとすぐにカウンターの中へと入っていった。
その姿を眺めながらサージは氷水を口にする。
そして、
「おい。注文だ」
改めて店員を呼ぶと小声で、
「怪しまれんように、店は閉めるな。他の客もいつも通り入れ続けて構わん」
と命じていた。
・・・・・・・・・
時刻は一七時を回り、今日の仕事を終えた者たちで人通りも増えてきた。
――なるほどな……。
今まで男が観察し続けたところによると、ロンベルトの騎士団は複数の監視グループを組んでおり、その幾つかは持ち場をあまり離れず、幾つかは定期的に持ち場を交代するかのように動いている。
そして、ちび女はあれで指揮官のように、ラーメン屋に一番近い路地から動いてはいない。
ちなみに、彼女だけは黒染めの金属鎧を着込んでいるので、周囲や街並みからはものすごく浮いている。
――それを考えると、ものすごい体力の持ち主だな……力で指揮官に登ったか。
彼の脳裏にちらりと背の低い山人族の顔が浮かぶ。
そのドワーフは【予測回避】という戦闘向きの固有技能を持っていた。
幾つもある固有技能の中でもかなり珍しい、戦闘時にこそ本領を発揮するタイプの能力である。
しかもかなり強力な能力であり、【予測回避】を使っている限りそのドワーフに純粋な接近戦で打ち勝てる者など存在しないのではないかとすら思われる程だ。
――しかし、長いな。
二人の元日本人が連れ立ってラーメン屋に入ってからもう二時間どころか三時間近くになっている。
その間、店には色々な客が出入りしていた。
――警告も含めていっそのこと俺も店に入るか? この姿なら、あいつも俺だと気付く筈……。
とすら思う。
当然、この考えは何度も脳裏に浮かんでは消えている。
しかしすぐに、
――入ってどうするんだよ。
と自分自身に否定されて霧散する。
今店に入る意味がない。
ただ一つ、あるとすれば弟の素性が割れ(既に割れている可能性は高いが)、それによって戦闘が発生する寸前か、発生している場合のみだ。
――まだ騒ぎ一つ起きた訳じゃない。
と言う事は冷静な話し合いが行われていると考えるのが妥当だ。
――常識で考えてもオースどころか地球でも、これだけ長時間に亘る話し合いを客に認めるラーメン屋というのは存在しないんだがな。おっと、オースにラーメン屋がある……ちっ、あの猫人族め、ラーメン屋の関係者ってことか。
そう考えると店の名前も怪しい。
メン屋グリードである。
グリードと言えば、北ダート一帯を掌握しただけでは飽き足らず、南ダートにも侵攻し土地や民、財産をデーバス王国から奪ったならず者貴族だ。
調査ではなんとかという、ベンケリシュのような大迷宮で頭角を現し、ロンベルトの国王に貢ぎ物をした事で貴族に叙されている。
それはともかく、南ダートに侵攻したのも彼に嫁ぐ筈だった女性を彼の領地から大分離れた場所で拐われた事をデーバス王国の仕業だと決めつけて怒り狂った事が原因だという。
碌な調査もしないでそう決めつけ、挙げ句に宣戦布告のような真似までしてデーバス王国を挑発した。
オースでは戦争の前に宣戦布告などを行う文化はない。
地球でもそういうものはかなり後、一六世紀以降になって(二〇世紀初頭のハーグ陸戦条約で初めて国際条約として有効になった)チラホラと行われるようになっただけであり、現代も宣戦布告を伴わない戦争行為の方が圧倒的に多い。
が、しないよりはする方が“礼儀正しい”と評されるのは当然であろう
――所詮は冒険者上がり、か。宣戦布告をしないまま侵攻して後にやいのやいの言われることを防いだだけとも取れるが、そのあたり日本人だよなぁ。
それはともかく、この辺りでグリードと言えばこの地の統治者になり果せているグリード侯爵その人であろう。
まして、ラーメン屋に日本人が関わっているとなればそれ以外には考え難い。
――要するにラーメン屋は敵地も同然……いや、このデバッケン自体が敵地だから敵の重要拠点みたいなものか。
ラーメン屋が重要拠点など、自分自身の考えに軽く頬を緩めながら、男は肚を決めた。
――あのちび女も路地に潜んだままだし、例の飯屋で監視を続けても大きな問題はなかろう。
それに、このままだとラーメン屋の監視に向いたテラス席が埋まってしまうかもしれない。
・・・・・・・・・
「もうすぐだぞっ! 頑張れ!」
空はまだ充分に明るいが、太陽は沈み始めている。
デバッケンまで残すところあと一〇㎞もない。
このままの速度を保てるのならあと一五分程度で到着できるだろう。
全速力で愛馬を駆けさせながらそっと腰の物入れに入っている時計の魔道具に触れる。
現在は一七時二分。
一三時前にべグリッツを発ったが、四時間ちょいでデバッケンか。
やはり最高時速は四〇㎞以上出ていたのだろう。
取るものを取り敢えず身軽な格好で出てきた甲斐があったか。
先頭の位置だと目が乾燥いて仕方がない。
この件が済んだら絶対にゴーグルを作るべきだ。
手を振って先頭をラルファに変わってもらう。
大体一〇分程度で先頭の交代を行っているが、その一〇分で目はもの凄く乾くのだ。
因みに兜を被っていれば、たとえオープンフェイスでも目庇があるのでかなり軽減される。
・・・・・・・・・
首尾よくオープンテラス席を確保した男は、適当な豚肉が混じった煮込み料理の他はエールを頼んだだけでフードを目深に被った。
小型の背嚢はローブの下で背負ったまま、雑嚢は向かいの席には置かずに自分の椅子の脇に立て掛けている。
――よく見えるいい席だ。
数十m離れた斜向かいにはラーメン屋が営業を続けており、彼の弟の乗馬もまだ繋がれたままだ。
ラーメン屋にも入れ替わり立ち替わり客が出入りを続けている。
周囲を観察していたこともあり、あの出入り口以外から連れ出されている可能性は相当に低い。
ラーメン屋の裏手は幅五〇㎝程度のドブが流れているだけであり、裏口からの出入りは出来るようだが、数㎝もあるかどうかというドブの縁を歩かねばならない。
そうでなければドブの中に足を突っ込むことになる。
つまり、今見えている表の出入り口を監視していれば、まず弟を見逃す事はない。
木製の皿に盛られた煮込み料理にフォークを突き刺しながら周囲を窺うが、流石にこう人通りも増えると監視の騎士団員とそれ以外の一般人との区別は付け難い。
だが、こういった飯屋に陣取って監視していた様子はなかった(あったら流石に入っていない)ので、監視に目を付けられないのならこれ程良い場所はない。
――最初からこの店で……って流石に三時間は粘れないだろうし、飯時とも言えるからこの時間が丁度いいな。
完全に暗くなるまでは人通りもそれなりにあるだろうし、今くらいは集中力の半分程度を食事に振り向けても構わないだろう。
腹が減っていた事もあり、男は瞬く間に煮込みを片付けてしまい、エールのジョッキも干してしまった。
――ふぅ、やっと人心地が付けたな……。
「おい、あれをくれ。あとエールをもう一杯」
店の店員に追加で傍に座っていた客が食べているものを頼むと、言われるままに小銭を払った。
デーバス王国と比較して料理の相場はそう変わらない事が男を驚かせている。
――ダート平原では家畜はすぐに魔物とかにやられちまうから、他よりも少し高価いと聞いていたんだが、ロンベルトの方ではあんまり変わらないよな。
尤も、ダート平原に入ってからもう何日も経っているので意外ではない。
と、その時。
駅の方から数頭の騎馬が近付いて来たのが見えた。
まだ市街にも入っていないのでかなり距離はあるが、馬の機動力を以てすれば指呼の距離だろう。
近付いてくる数頭の騎馬集団はなんとなく男に警戒心を抱かせた。
目を細め、騎馬を操るのがどういう者達なのかを見極めようとするが、距離が遠すぎて背格好どころか種族や性別すら見分けが付かない。
そうこうしているうちに騎馬集団はどんどんと接近し続け、ついに市街に入ってきた。
まだ充分に遠いがなんとなく判るようになった。
騎馬の数は六。
騎手が着用している物は鎧ではなく、平服かそれに準ずる程度の、いわゆる軍装品ではない。
だが、その騎馬集団の前に飛び出した者が見えた。
尤も、その者は行く手を阻もうとしたのではなく、騎馬集団のうちの一人と顔見知りか何かで声を掛ける目的であったようだ。
しかし、脳内に鳴り響く警告音に従い、男は席から腰を浮かせた。
勿論、雑嚢は引き寄せている。
・・・・・・・・・
「閣下!」
声のした方を見るとデバッケンのドレスラー伯爵騎士団の団員だ。
「おう」
返事をするとすぐに報告があった。
目標であるデーバスの男はバストラルと共に開店したばかりのラーメン屋に陣取っているとの事で、これはつい先程デバッケン駅で聞いた情報と同じだ。
ちらりと隣で轡を並べるミヅチを窺う。
ミヅチはかなりホッとしている様子だった。
間に合ったからだろうが、俺もミヅチも汗塗れだ。
心の底からシャワーを浴びて着替えたいが、今はそのような贅沢を言っている場合ではない。
『目標はこちらの【固有技能】を無効にする【固有技能】を持っている可能性がある。店の前で一人……グィネを残して降りたら突入して一気に拘束するぞ。グィネは万が一取り逃がしたら追跡しろ』
返事すら待たずに乗騎を加速させる。
デバッケンの住民が多数往来しているが、そんなもの構いはしない。
と、少し先の路地から馬の駆け足の音を聞きつけたのか、ゴムプロテクターに身を包んだ者が手を振りながら飛び出してきた。
あの背格好はノブフォムだろう。
それとほぼ同時に、ラーメン屋よりも先から走ってくる者が見えた。
ローブを目深に被っているために種族や性別もわからず、【鑑定】すら出来ない。
「グリード閣下!」
ネルの声には安堵の響きが混じっている。
彼女もデーバスの転生者を取り逃がすことを恐れていたのだろう。
『聞いている。突入するぞ!』
日本語で返し、店の前に付ける。
店の馬留杭には一頭の馬が繋がれている。
報告に有ったデーバスの転生者の持ち物かは不明だが、高確率でそうだろうと思った。
店に走ってきた男は全速力だったのか、フードが脱げて顔が見えている。
黒髪に黒目……かどうかまでは判らないが、顔の造作は紛れもない……。
――こいつも転生者か!?
「おい! お前!」
そいつに声を掛けながらウラヌスから飛び降りつつも反射的に【鑑定】する。
名前は、アレキサンダー・ベルグリッド。
どっかで聞いた名だが店の入口に駆け込んでいった為に一瞬で鑑定ウィンドウが消えてしまった。
しかし、内容までは不明ながら赤文字があったことは確認できた。
え!?
アレキサンダー・ベルグリッドだと!?
デーバスの王太子と同姓同名?
本人の訳がな……あるのか?
『突っ込め!』
怒鳴りながら後を追う。
店の出入り口まであと二m。
戸口の柱でも蹴って方向転換すれば減速の必要はないだろう。
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「小説家になろう」版とは少し異なっていますので是非お読み頂けますと幸いです。
ついでに評価やご感想も頂けますと嬉しいです。
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