第五百十六話 物見遊山(偵察) 10
7452年9月24日
「はい」
男は切符を差し出すと、連れ立って家畜運搬車へ向かう猫人族と普人族の後ろ姿を目で追った。
つい先程、切符の提示で何やら揉めそうになった二人だが、実は折角買った切符を回収されたくがないために降車時に切符を渡そうとしない客も居ないでもないので、どの駅でも毎日一度はお目にかかるトラブルだ。
――あ~、やはり目をつけられていたか……。
だが、まだそうと確定した訳では無い。
焦るには早すぎるだろう。
しかし、用心は必要だ。
何しろ、ヘクサーに声を掛けたキャットピープルの男はヘクサーと同様に東洋人の面影をしていたのだから、ヘクサー同様に生まれ変わった日本人である可能性は高いのだ。
確率は低いだろうが、もしもそういった偶然の出会いがあったのであればどちらともなく声を掛けてしまうのは当然とも言える。
が、場所が場所である以上、男が“目を付けられていた”と考えてしまうのも当然である。
「あと、荷物を……」
ステータスを検められながら男は護衛官に声を掛ける。
「ああ。あんたのは、あん中だよな?」
ステータスを検めた護衛官は親指で貨車の荷の上に荷造り用のゴムバンドで固定された箱を指し示した。
男の荷物である雑嚢は少し大きくて椅子の下に入れられなかったのである。
「ええ」
「ほいよ、じゃあ貨車の方へ来てくんな」
護衛官は身軽に貨車によじ登ると慣れた手つきで雑嚢を取り出して手渡した。
男は預けていた荷物を受け取りながら護衛官に声を掛ける。
「あのぅ。すみませんが、廁はどちらですかね?」
少し前かがみで腹を押さえる仕草を見ながら鉄道護衛官は脳内を検索する。
確か、この男はダスモーグ駅から乗り込んできた男で、ラムヨークで小さな商家を営んでいる精人族だ。
そこそこに安くてまぁまぁ美味い食事を振る舞う店で、護衛官も名前までは覚えていないものの何度か顔を見たことはある。
今回は今まで仕入れたことのない食材を探しにダスモーグやデバッケンに行くんだと言っていた筈だ。
最近、北ダート地方のあちこちで、こういう新たな仕入先を開拓しようとする商家が増えてきた。
それもこれも、毎日定期的に運行する馬車鉄道が開通したおかけだ。
そのせいか、海岸線からかなり距離のあるラムヨークの街でも高級店では海の魚を扱う店も出て来て、街の話題になったこともある。
「あいよ。厠は、ほれ。駅舎の脇にあるぜ」
何が入っているのか、その大きさから比して意外に軽い、皮と麻布で作られた雑嚢を渡してやりながら護衛官はトイレの場所を指差してやった。
「ありがとうございます」
エルフの男は護衛官に軽く会釈をして、頑丈だがあまり重くない雑嚢を肩に掛けると少し尻を締める感じで僅かにひょこひょこと歩いていく。
その後ろ姿を見送りながら、護衛官は次の降車乗客から預かっていた荷物を渡すために貨車の上に積まれた荷物の上を慣れた足取りで移動した。
・・・・・・・・・
「ふう~~っ」
エルフの男は駅の厠で小さな溜め息を吐きながら雑嚢を個室の隅に置く。
厠はしっかりと掃除が行き届いており、投弾の目標を便壺から外した流れ弾が床に散らばっても居ない。
「きれいなもんだな」
少しだけ嫉妬の感情を滲ませながら手早く腰紐を緩めるとシャツを脱いだ。
脱いだシャツは畳まずに雑嚢の上へ置く。
そして、ゆっくりと個室内を見回しながら、ズボンの後ろのポケットから薄い革製の物入れを取り出す。
手帳のようなデザインをしたそれをそっと開くと……数十秒ほど掛けて目的の物を探し当てたようだ。
探し当てた何かを取り出して口に咥え、手帳もシャツの上に放った。
そして、咥えた何かを左右に引き伸ばして舐め、唾を付けると自分の額に貼り付けた。
それは、何かの体毛か髪の毛だったらしい。
同時にズボンの前ポケットから半円形をした木の板のようなものを取り出すと口に入れ、おもむろに個室の壁際にしゃがんだ。
両手で自らの体を抱きしめるような姿勢を取ったかと思うと……。
「ぐっ……! うっ……!」
目をしっかりと瞑り、歯を食い縛りながら小刻みに痙攣を始めたではないか!
「ん……っ!」
すぐに目に見えて変化が起こる。
「ふっ……んっ……!」
何と、少し華奢な感じだった彼の体躯は心做しかゆっくりと大きくなり、肌の張りも若々しくなった感じがする。
加えて、筋肉までつき始めたようだ。
ズボンの腰紐を緩めたのはこの為だったのだろう。
頭髪の色も、それまでの水色から段々と濃くなり、あっという間に真っ黒くなる。
尖り気味だった耳の先端もゆっくりと引っ込んで普人族のそれと大差ない形になった。
「ううっ……!」
そして一分程で痙攣も収まり、目を開く。
体中にうっすらと汗を掻きながらも、つい先程まで完全な中年エルフだった男は、完全なヒュームの若者にしか見えなくなっていた。
但し、見るものが見ればすぐにそれとわかる顔つきは紛れもない地球の東洋人の特徴を備えている。
鼻は細く高かったが、今は少し高さも低くなり、横幅も広くなった。
目と眉の間は少し広がったばかりか、落ち窪み気味だった眼窩は埋まり気味に、瞼は二重から一重に変わっている。
顎の線は尖り気味の見栄えの良いものから、顎先は少し丸みを帯び、横に広くなった。
但し髪の生え際はだいぶ下に降り、額の面積は狭くなっている。
瞳は綺麗な青から黒に変色しており、今さっきまでのエルフの面影などどこにもない。
肉体を構成する目や耳など各パーツの数が同じという以外に共通項はないだろう。
「ステータスオープン……ふぅ」
男は小さな声で己のステータスを確認し、安心したように小さく息を吐くと先程の物入れに額に貼り付けていた髪の毛を丁寧に仕舞い直し、脱いでいたシャツを畳んで雑嚢の口を開いた。
雑嚢にシャツを入れ、ゴソゴソと探り、新しいシャツを取り出して被る。
そして、ズボンの腰紐を縛り直すと僅かに厠の扉を開いてそっと外の様子を窺う。
「間に合ったか……」
ヘクサーの馬は丁度家畜運搬車から降ろされて、馬具の取り付けが終わったところだった。
再び扉を閉めると男は雑嚢の中から薄手のローブを取り出して雑嚢を肩に掛けてからローブを羽織った。
フードを被り、周囲から顔を見えにくくしてからそっと厠を出ると何食わぬ顔で駅を離れて行った。
今日の陽気は時節に合った寒くもなく暑くもない丁度よい気候なので少し厚着の嫌いもあるが、他人から見て不自然な印象を与える程でもない。
・・・・・・・・・
駅を出て数十mも歩かないうちに男はヘクサーとキャットピープルに尾行者がいることに気が付いた。
それも複数が彼らから数十mの距離を置いて追跡を始めたのから分かりやすい。
とは言え、尾行者の腕はあまり高くはないようだ。
何しろそう言った事には素人である男にもすぐに気付かれる程度だったのだから。
しかしながら、尾行されることを常に意識していなければ気付かれる可能性は低いことも確かであり、そういう意味では尾行も悪くはない選択だろう。
尾行者を刺激したくなかった男は、駅から少し離れた道端に腰を下ろすと片足からサンダルを脱いだ。
底に小石が挟まった感じを演出し、わざとゆっくりした動きでベルトを締め直す。
因みにこのサンダルはラムヨークの街で購入したゴム底の逸品である。
デーバス王国の首都であるランドグリーズでも購入出来なくはないが、高価な価格はともかく、供給の絶対量が少ないのでデーバス王国の転生者でも所有している者はまだ少ない。
彼の少し後ろで尾行していたらしい男が、ちらりとその様子を見てからすぐに興味をなくしたように歩き去っていく。
サンダルを履き直し、少し後ろを確認し、自分には尾行者が付いていない事を確認する。
――こいつを五足も買えたのは僥倖だったな。しかもあんなに安く。
ヘクサーとキャットピープルの姿はもう一〇〇m以上も先になっており、デバッケンの商業地区に足を踏み入れてしまっている。
――見失う訳にはいかんしな……。
見失わないよう、ギリギリの距離を保ちながら進み、男が丁度商業地区へ足を踏み入れたところでヘクサーとキャットピープルは足を停め、馬留杭に馬を繋ぎ始めた。
遠過ぎてなんの店かはよくわからないが、どうやらあの店に入るのだろう。
少しだけ周囲を見回してから通りの様子や商店を観察するようなフリで速度を落とす。
二軒目の雑貨屋の店先を冷やかすあたりで二人の姿が消えた。
――あそこか。
店の場所をよく覚えながら(店先にはヘクサーの馬が繋いであるので覚える必要はないだろうが)男は通りを外れて行く。
デバッケンはそれなりに大きな街なので大通りの奥の通りにも商店はあるし、もし仮に男を尾行する者が居たとしても不自然な振る舞いではない。
最初の路地に飛び込んで数分。
――流石に俺を尾行する奴は居ないようだな。
まずはこの街、特にあの店周辺の地理を把握しておく必要がある。
男の脳内ではある程度の予想は付いていた(そして、それ自体は正解に近い)が確認は必要である。
まずは、対象の店が何屋なのかを確認し、滞在時間を推測する必要があるだろう。
少し足早に裏通りを抜け、ここら辺りだろうとアタリをつけた所の路地を伝って先程の大通りに戻ると、まだ馬は繋がれたままだ。
まだ真新しそうな店の看板には、
「メンリャ・グリード」
とでかでかと書いてあった。
――は? メンリャ? ……ひょっとしてこの匂い、麺屋か!?
男の喉が鳴る。
しかし、男は常に理性的に振る舞う事が出来る性格の持ち主である。
蕎麦切りやうどんなど麺類を供する店のようだが、この匂いは豚骨ベースのスープを煮込んでいる匂いに他なるまい。
――ってことは、ラーメンか?
何にしてもそういった類の店であればそう長く居座る可能性は低い。
生まれ変わり同士、多少の情報交換を望まれたとしても一時間がせいぜいだろう。
余程の事がない限り店に踏み込むつもりはない。
手早く周囲を観察すると、店の出入り口や繋いだ馬を監視できそうなオープンテラスのある飯屋が近くにあった。
――あそこは、最後の手段だな。
万が一、長っ尻された場合の保険の一つにしておくべきだろう。
男は何軒か離れた場所に建つ雑貨屋のような店を選んだ。
店に入る際に、一人の客が麺屋グリードに入るところが見えた。
・・・・・・・・・
「飛ばせ飛ばせ!! 全速力だ!」
そう怒鳴りなら俺は後ろを振り返る。
俺のすぐ後ろをマリーが。
その後ろにラルファ、グィネ、クローと続き、ミヅチは最後尾に付けている。
とにかく騎手の疲労など一顧だにしない全速力だ。
時速換算で四〇㎞は出ているだろう。
荷物なんか殆どないし、もっと早いかもしれない。
とにかく、夕方までにはデバッケンに到着したいのだ。
どんな速度でどんな悪路を走らせようが、馬が全く疲れず、従って休憩すら必要ないまま連続で走り続けられるそよ風の蹄鉄の真価が発揮される時である。
半日間は全く疲労せず、心臓や肺などの呼吸器への負担もゼロなので普通なら全速力など一分と保たないが、俺を背に乗せて走るウラヌスは些かも速度を落とさない。
まぁ、大分鐙の位置を高くして、高速騎乗用の前傾姿勢を取り続けなければならない騎手の疲労はあるが、それとて己の脚で走るよりはまだ楽なのだ。
それにこいつらは伊達に毎日毎日走っている訳ではない。
まして俺なんて、王都からたったの二日でべグリッツに帰ってきた事もあるのだ。
それも、大半は今回のような平坦に作られた線路ではなく、路面状況など比較にならない程の街道や道なき道を使っての話である。
僅か数時間で音を上げるような事態など考えなくていいだろう。
・・・・・・・・・
「こりゃ何だい? コップ?」
男は何か変わった物、有用な物でもないかと別の土地から商品を仕入れに来た行商人の態で雑貨屋の女将さんに質問した。
「ああ、そいつはゴム製のコップだね。落としたり多少乱暴に扱っても壊れない優れ物さ」
「ほう。ゴム製ね」
男はゴム製のコップの匂いを嗅ぐと顔を顰めた。
「あっはっは。まだ新しいから匂いは少しきついけど、使ってるうちに匂いがしなくなってくるから安心おし」
「そういうもんなのか」
「ゴム製の食器はまだまだあるよ。コップや皿、丼なんかも大きさが色々あるからね。ゆっくり選んでくんな」
「ああ。ところでこいつの値段は幾らだい?」
「コップは三万五〇〇〇、皿は小さいのが三万で大きさで変わる。丼も三万からだね」
「そうか……」
数百~一〇〇〇Zも出せば購入できる木製はともかく、陶器製よりはずっと安い。
それに木製は痛みやすいし、使用後にはきちんと洗って乾かさないとすぐにカビやら何やらが生えて使えなくなりかねないし、陶器製は衝撃に弱い。
更に重量は大抵の木製のそれよりも軽い上に多少熱いスープを入れても持てないほど薄い訳でもなさそうだ。
そういった事を考えると洗いやすく、変形もして収納でき、ちょっとやそっとの衝撃くらいではまず壊れないゴム製の食器は確かに優れ物であると言えよう。
「ウチも最近になって仕入れられるようになったんよね。売れ筋だよ」
「うーん」
男は手にしたコップを弄りながら唸り声を出した。
「ま、好きなだけ見ていってくんな」
ニコニコと笑う女将を他所に、男は悩ましげな顔を続けている。
■コミカライズの連載が始まっています。
現在、Webコミックサイト「チャンピオンクロス」で第一〇話①まで公開されています(毎月第二木曜日に更新です)ので、是非ともお気に入り登録やいいねをお願いします。
私も含め、本作に携わって頂いておられる全員のモチベーションアップになるかと存じます。
■本作をカクヨムでも連載し始めました(当面は毎日連載です)。
「小説家になろう」版とは少し異なっていますので是非お読み頂けますと幸いです。
ついでに評価やご感想も頂けますと嬉しいです。
■また、コミックス1巻の販売が始まっております。
全国の書店や大手通販サイトでお取り扱いされておりますので、この機会にご購入いただけますと関係者一同凄く温かい気持ちになれますのでどうかご購入の程、宜しくお願いいたします。




