第五百十四話 物見遊山(偵察) 8
7452年9月24日
腕を組んで客席に座りながら、サージは外見こそ平静を装っていたものの、その心の中では大きな後悔を感じていた。
――さっき魔法使ったのバレてるかな?
サージがデバッケンから乗っていたラムヨーク行きの下り列車は、ネルやヘクサーが乗っていた上り列車とバルコーイ駅ですれ違ったのだが……。
その際に、下り列車の方が少し早くバルコーイ駅に到着していた事もあって昼食にと購入したホットドッグとジュース。
そのジュースの入ったカップに対して魔法で氷を出してしまったのだ。
直後にネルが声を掛けて来たために駅舎に向かったので、ひょっとしたらネルが使ったと思ってくれているかも知れない。
だが、使ってしまったのはどうしようもないし、肚を決めてターゲットのいる客車に乗り込んだ。
サージにしてみればまたデバッケンへ向けてとんぼ返りの格好になってしまう(そしてラムヨークのラーメン屋は開店が遅れてしまう可能性がある)が、それよりも転生者――しかもネルによればデーバス王国の親衛隊と関わっている可能性が高い者だ――の監視の方が重要だろう。
――ま、何にしても、何か起きるまでは派手な動きはしない方がいいな。
先程出発したバルコーイ駅からデバッケン駅までは大凡二時間程の行程で、途中に停車駅が一つあるものの、その駅まではバルコーイから一時間一五分程かかる。
サージとしては、ターゲットが切符を購入しているというデバッケン駅まで大過なく移動出来るならそうしたい所である。
何しろ、デバッケンは中西部ダート地方(ドレスラー伯爵領)の首都であり、伯爵騎士団も駐屯している(イコールで無線機も配備済み)のだから。
まして、【固有技能】を含むこちらの“全技能を潰せる可能性”がある【固有技能】の持ち主かもしれない、と来ては使える戦力は多ければ多い程良いのだ。
――使える戦力っつっても、間者かどうかはっきりと確定している訳じゃない。単なる行商人という可能性もゼロではないけど、ネルさんがデーバス王国で見覚えがあるっつってるしなぁ……。
報告ではデーバス王国の転生者は王国の上層部に食い込んでいるという。
中でも中心人物はデーバスの公爵家の跡継ぎという、非常に高い地位に生まれついている。
年齢を考えたら流石に公爵家の家督者になっているには少し早すぎるだろうが、その可能性だって捨て切れる程ではない。
どういう人物であるか不明な以上、現時点では何らかの任務を帯びてこのダート地方に潜入してきている、という想定で動くべきところだ。
そっと斜め後ろを窺ってみるが、別段怪しい動きをしている訳でもなく、流れ行く景色(深い森の中を切り拓かれた線路上を走っているだけなので大した景色ではない)に目を奪われているように見える。
馬車鉄道を利用した経験が無いか、少ない者にありがちではある。
――この角度からじゃわかんねぇな……けど、ネルさんが見覚えあるって言ってるし、ネルさんが【特殊技能】を使った時に反応したとも言うからな。
サージはそっと腰の物入れから黄色く染められた細長い布を取り出した。
そして、それを左肘の少し上、二の腕あたりに巻き付けると軽く縛る。
それを見ていた家畜運搬車の天井に登っていた鉄道警備員がぎょっとした顔をしたが、すぐに真剣な顔付きになったのを確認し、サージは軽く頷いてやると再び腕を組んで前を見つめた。
因みにこの腕の布は緊急事態発生時には鉄道保安監よりも上位の指揮権を持つ者であるという識別符で、場合によっては運行ダイヤの変更や道中での駐停車すら可能な最上位権利者として振る舞うことも可能である。
・・・・・・・・・・
ネルはヘクサーの視界に入らないように注意しながら、最後尾の貨物運搬車から何とか貨車に移乗する事が出来た。
身を落ち着けた場所は勿論先程まで座っていた貨物の隙間だ。
そっと前方を窺うがヘクサーはこちらに気が付いている様子はない。
サージの方は予め話していた上に貨物運搬車の柵や金網を伝ってくる際にネルの姿を認めていたので問題はない。
他の乗客も鉄道護衛官が騒いでいない以上、特に騒ぎを起こすような事態にはならなかった。
――さぁて、馬は使えないし、どうするのかな?
ネルはサージの合流で少しリラックスしたのか、貨物の間で片膝を立てながらヘクサーの捕獲について考え始めた。
尤も、捕獲というのはある意味で“最終手段の一つ”であることもまた理解している。
――とは言え、ねぇ……。
ネルは現在の生活や待遇に不満がある訳ではない。
そもそも、バルドゥックで治療院を開き、そこそこ楽に生活できればそれで良かった程度なのだから。
現在の収入にはまぁ満足しているし、ダスモーグの街で生活するなら充分に高給取りの範疇でもある。
主人であるアンダーセン女爵にも不満はないし、そもそも満足な資金が貯まるまで危険な迷宮冒険者を続ける覚悟さえもあった。
このまま主人の主人であるグリード侯爵の傘下に居られるのなら土地持ちの貴族の目すらある。
尤も、その為にはある程度の軍功が必要だろうという事くらいは想像がついている。
その部分が不満といえば不満だ。
――まぁ、戦争でもグリード侯爵の側に居ればそう簡単に死にそうもないからね。
何しろ、侯爵の魔術はそれこそ規格外であり、些か残酷な戦術を取ってはいたが、それも味方の戦力を大事にしているからこそである、という理解もある。
逆にデーバス王国軍が少し気の毒になったくらいだ。
先の戦争でも一つ手柄を立てていたが、流石にあの程度の手柄では貴族として叙されるには値しないことも理解はしている。
今こそ目立つ手柄の立て時だろう。
勿論、新たな転生者を入手出来た程度ではまだ足りない事も理解しているが、今回の相手は敵国の中枢近くにいると思われる人物だ。
それを勧誘、または始末できれば大きな加点となるであろう。
――貴族ってのは無理にしても報奨金が貰えるかも知れないしね。
それを考慮すると今回の件で最上の結末はあの男を取り込み靡かせる事だ。
だが、ネルとしてはもう一つの可能性を忘れた訳では無い。
――グリード侯爵以上の人がデーバスにいるとは思えないけど……もしも同等くらいの人がいるなら。
いつか思ったことのある「一人が陣営を移れば転生者の勢力比が変わるかも知れない」という事を忘れたことはなかった。
――その上で今よりも高待遇なら……。
それを考えると、最初にグリード侯爵が提案してくれた報酬は破格だった。
あの後は非常に後悔をしたものだ。
何しろサージが驚いていたくらいの報酬だったのだから。
当に分不相応の欲を掻いてはバチが当たるということだ。
バチこそ当たっていないと思われるが、あの時あの提案を受け入れていたらと寝しなに何度思い返したか数え切れない。
ラーメン屋の経営やロンベルティアの商会員に対する教育を頑張っていたサージは、たまにちょろっと戦闘奴隷の集団を引き連れてバルドゥックの迷宮に入る程度で命の危険など殆ど無い。
彼がどの程度の報酬を受け取っているのかはわからないが、今の自分(アンダーセン女爵の従士且つ女爵騎士団の騎士の俸給)よりは多くても不思議ではない。
しかしながら、当時の、そして今の自分に彼ほどの働きが出来たとは思えなかった。
――でも、自分で言うのもなんだけど、そこらの貴族なんかより転生者が役に立つのは本当のこと。だって、私はあの人自身の口から月に二〇〇万払ってもいいと言わせたんだから。
ネルとしては自分にそこまでの価値があるとは思っていなかったが、冒険者として、戦闘者としての実力が上がっていることは確かだし、こと初見の相手に引けを取ることはまずないという自負もある。
唯一初見にも拘わらず彼女に抗せたのはミヅチ唯一人である。
それだってネルの【時計】の概要を予め耳にしていたからだ。
それは裏を返せば初見だろうと【時計】について一度でも知られてしまったら抗せる者は居る、という証左ではあるのだが。
とにかく、ネルとしてはグリード侯爵よりも不利であろうデーバス王国の人達がどの程度なのかを知りたかったし、その上で彼らの力がグリード侯爵を上回らないまでも近いところ程度に位置している事を確認出来、今よりも高待遇を期待出来るのならデーバス王国側へ寝返る事も視野に入れていた。
とは言え、デーバス王国の連中がどれ程高い力を持っていようとも、今この場では何の助けになることはない。
――ポイントを稼げる時には、多少目減りしようとも確実に稼がなきゃね。
だからこそ、偶然にサージに出会えた奇貨は活用せねばならなかった。
つまり、このデーバスの転生者との出会いを利用してグリード侯爵やアンダーセン女爵を裏切るつもりはない。
だが、デーバス王国の所属だからとて、貴重な転生者を問答無用で殺すつもりなど毛頭ないし、グリード侯爵も余程の事でもない限り殺させたり、それを容認する事も無いであろうと考えていた。
・・・・・・・・・
ヘクサーは先程停車していたバルコーイ駅で二人の転生者を認識していた。
一人はちびの女であり、もう一人は駅ですれ違った筈の列車に乗っていた乗客の一人だ。
ちびの女は当初監視かと思って用心していたが、それはどうやら取り越し苦労だったようでバルコーイ駅で下車して行った。
もう一人の方はすれ違った列車に乗っていたのだから楽観的に考えればそのまま離れていった可能性もある。
――しかし、流石にそれは楽観的に過ぎるか?
すれ違った列車に乗っていた転生者の方はともかくとして、バルコーイ駅で新たに乗ってきた者もいる。
一人は自分の向かい側に並ぶ座席の一番後ろに座っている若い山人族の男で手荷物に小さな袋と、担げるように背負い紐を取り付けた函を貨車に積んでいた。
服装は一般的な行商人が着ていそうな薄手の革鎧だがその下に覗くシャツやズボンはこざっぱりとしたもののようで、上等とは言えないまでも安物ではない。
今は革袋の水筒から何かを飲んでいるところだがその様子に不審な点は見当たらない。
もう一人は自分の右後ろの座席に腰掛けた濃紺の髪の猫人族らしき男だ。
彼も現時点まで特に怪しそうな素振りやこちらへの注視はしていないが、かなり鍛えられた体をしているのは一目瞭然である。
が、少なくとも上半身には防具の類は着用しておらず、結構上等そうな衣服を纏っている。
――どちらかがあのちび女と監視を交代した可能性があるよな。
別に根拠があっての考えではないが、一度監視という言葉を意識してしまうとどうしてもその気持ちを拭うことは出来ない。
――こちらを日本人の生まれ変わりと認識していたのであれば、監視でないのなら声を掛けて来ないというのはおかしい。つまり、監視だった可能性が高い、ということか?
そうだとしても何故今になって? という気持ちはある。
ヘクサーがデーバス王国の者だと気付いていなければ監視の必要性は低いが、気付いていたのならこうして監視にとどめるだけで何も手を出して来ないのも不自然ではある。
――くそ。狙いがわからねぇ……。
やはり考え過ぎなのかも知れない。
――だけど、立て続けに生まれ変わりとニアミスするなんて、それも二人だぞ?
幾ら何でも低確率過ぎる。
堂々巡りの考えに頭を悩ませている間に列車はハフスト駅に到着し、出発。そして目的地であるデバッケン駅に近付いていた。
この駅も比較的規模が大きいようで、遠くからでも既に停車しているすれ違いの列車や駅弁の売り子が見えた。
――下手に動かん方がいいか……。
無事にやり過ごせるのならその方が良い。
さっさと馬に乗って退散すべきだ。
デバッケンというのはこの領土の首都であり、そこそこ人口も多い大きな街だというから可能な限り早く人混みに紛れてしまいたい。
列車が停車した。
ヘクサーは客車後部のタラップを使うのももどかしく、そのまま降りようとしたがその肩に手が掛けられた。
びくりとしてそちらを見やる。
「切符の確認が先だよ」
そう言ったキャットピープルの男の腕には黄色くて細長い布が巻かれていた。
■コミカライズの連載が始まっています。
現在、Webコミックサイト「チャンピオンクロス」で第一〇話①まで公開されています(毎月第二木曜日に更新です)ので、是非ともお気に入り登録やいいねをお願いします。
私も含め、本作に携わって頂いておられる全員のモチベーションアップになるかと存じます。
■本作をカクヨムでも連載し始めました(当面は毎日連載です)。
「小説家になろう」版とは少し異なっていますので是非お読み頂けますと幸いです。
ついでに評価やご感想も頂けますと嬉しいです。
■また、コミックス1巻の販売が始まっております。
全国の書店や大手通販サイトでお取り扱いされておりますので、この機会にご購入いただけますと関係者一同凄く温かい気持ちになれますのでどうかご購入の程、宜しくお願いいたします。




