第五百十一話 物見遊山(偵察) 5
7452年9月24日
中西部ダート地方(ドレスラー伯爵領)の首都、デバッケン。
その大通りの中程にその店はあった。
麺屋グリード四号店。
このデバッケン支店は王都の総本店、二号店、べグリッツのダート本店、バライズの三号店に次ぐ五番目の店である。
この地で営業を開始して今日で丁度一週間。
今は従業員らしい大人や子供達が店内で統括責任者を前に一列に並んでいる。
「よし、開店だ」
「「はい!!」」
バストラルの命で出入り口が開け放たれて暖簾が掛けられる。
それと同時に店内に充満していた独特の臭気が開放された出入り口や窓から溢れ出し、相当に近寄らなければ嗅ぎ取れなかった独特の臭い、いや、匂いが通りに流れた。
開店を待っていたらしい数人の客が店内に足を踏み入れると……。
「「ヘラッシェー!!」」
それぞれ持ち場へ就いていた店員達が、一斉に明るい声で歓待の言葉を発する。
一般の商店を含み、飲食店でもこのように店に出ている店員が明るい声で客を歓待する店はロンベルト王国では極少数である。
勿論、この麺屋グリードはその極少数派の領袖とも言える、元祖の流れを正統的に汲む店であった。
「へい、こちらラーメン、ラーメンにノリ追加、ラーメンにキクラゲ追加ですね。畏まりました」
「へい、ラーメン二丁にバルドゥッキー二本ですね。畏まりゃしたぁ!」
「へい、ラーメンにアジタマ追加、ラーメンに玉ねぎとノリ追加ですね。畏まりました」
次々に注文を取り、カウンターの奥の厨房へ注文が通される。
厨房からも威勢よく注文が繰り返され、調理が始まった。
そして客足もそろそろ落ち着いた午前七時ころ。
この時間になれば流石に朝食を求める者も激減する時間だ。
貴族も平民も農奴も、もうとっくに今日の仕事を始めている者の方が多数派であろう。
これから昼時(だいたい午前一〇時前後から午後二時くらい。仕事によって結構変わる)迄の数時間は店で働く者が朝食を摂ったり、午後や夕方の仕込みをする時間でもある。
勿論暖簾を下げたりはしないが、世の多くの飲食店ではある意味で気を抜く事が出来る時刻でもある。
バストラルはバックヤードも含めて店内の全てを見回ると店を出た。
彼の後には店員達が並んでいる。
そこで振り返るとバストラルは、
「じゃあ、後はしっかりな、デバウス。お前がこの四号店の店長なんだからな」
そう言って少し年上の男の肩を叩いた。
肩を叩かれたデバウスは、四年前に外国の大使館からグリード侯爵が上級貴族である伯爵として叙された際に贈答品として贈られた奴隷の一人である。
この時、グリード伯爵(当時)は合計三人の成人した奴隷を贈られていたのだが、彼らは揃ってラーメン屋で働く奴隷の中では年長者であった。
三人は四年近くになる総本店での修行を積み、読み書き計算は当然、グリード商会の経営方針や麺屋グリードの営業姿勢、年少者の管理などについて“合格”のお墨付きをバストラルから得たことによって、商会内では“手代”、グリード侯爵家の奴隷としては“小頭”の職位と地位を得ていた。
バストラルはこの三人をそれぞれバライズの三号店、このデバッケンの四号店、そして来月から開店する予定のラムヨークの五号店の店長に任命している。
領主への挨拶を始め、店舗の購入や改装工事、食材の仕入先への交渉や仕入れの難しい土地での営業の場合には運送の手配、燃料でもある魔石の安定供給先となりそうな冒険者や軍(場所によってはパトロールなどで魔物を倒す事も多い)への交渉など、ある程度高度な仕事は現時点では全てバストラルにしか出来ない。
バストラルとしては少なくとも店長連中には、少しでも早く成長して貰う必要がある。
だが、それにはまだ多少の時間が必要であることもまた理解していた。
――あせっても仕方ないよな。何せあいつらだってまだ二十代ばかりなんだし。
三人の店長が贈られた時の年齢は揃って二十代の半ばであり、うち一人が今年の年末に三十の大台に乗るという若年である。
彼としては前世の己の年齢とその頃の能力を冷静に鑑みてなお、当時の己にすら及ばない能力であろう三人が少し気の毒になった。
同時に、どんな者でもそれなりに社会の常識や、必要とされる知識、他人との関わり方を「強制的」にでも教え込んでくれた日本という国家の力を思い知る。
――俺がどうこう出来るような問題じゃ、ないよな。
そのような事を考えながらここ二週間程を暮らしていた宿に足を向ける。
今日はこれから宿で荷物を纏め、一〇時発の列車に乗って五号店が予定されているラムヨーク(東ダート地方、エーラース伯爵領都)に移動するのだ。
夕方にはラムヨークに到着出来るであろう。
道の途中、もう一度店を振り返ると、新たな客が店に入るところだった。
口元に小さな笑みを浮かべ、バストラルは改めて宿を目指す。
宿で荷物を纏め、領主代官であるドレスラー伯代であるヘムリン伯爵にデバッケンを辞去する挨拶をしなくてはならない。
正装、という程ではないが着替える必要もあるのだ。
・・・・・・・・・
中西部ダート地方(ドレスラー伯爵領)第二の街、ダスモーグ。
そのダスモーグ駅でネルは慎重に顔を隠しながら最後尾の家畜運搬車に近付いていく。
家畜運搬車の後部の檻が開かれ、今来たばかりの乗客が所有する馬が列車警備員の先導でスロープを上がっていく。
「ほーい、ほーい」
馬の手綱を曳く警備員はどこかで馬を扱った経験があるのだろうか、かなり慣れた手つきと掛け声で全く馬を嫌がらせる事なく家畜運搬車の馬房に収めてしまった。
作業の監督をするかのように振る舞いながらネルは馬の持ち主である乗客に対して、そっと兜の目庇の下から視線を向ける。
先客に対して軽く挨拶をしながら客席に座り、物珍しそうに中央座席の下部に設えてある物入れや肘掛けを見回し、何事か隣に座る乗客に話し掛けていた。
そのうちに肘掛けの先端近くに内蔵されている小型の灰皿に気が付いたらしい。
一瞬だけ鋭くなった目つきをネルは見逃さなかった。
――あの顔、どこかで……?
なんとなく見覚えのある顔貌に、記憶を浚うようにして思い出そうとするが思い当たらない。
だが、確かにいつか、どこかで見たという気持ちは消せない。
ひょっとしたら前世で顔を合わせた人なのかも知れない。
彼女が生まれ変わってから知り合った人の中にも前世での知り合いというのは居た。
尤もそれは、彼女の一方的な知己ではあるが。
しかし、前世で近しい関係にあった人同士、という者だって居た。
あまり親しくはなかった同級生、という可能性も無くはない。
――こんな事を考えちゃうなんてねぇ。
少し呆れたように息を吐くと同時に眉尻が下がるのを自覚した。
ネルと同様に日本人の顔が混じったような容貌だが、結構整っている。
はっきり言ってかなり好みの顔つきだ。
但し、その体つきや耳の形からいって種族はネルとは異なる普人族のようだ。
背はあまり高い方では無いようだが、体つきはそこそこがっしりとしている。
もしもあの男が前世での関係者なら……。
ちょっとだけ甘い夢に浸りながらネルは二等護衛官の階級章を付けた、恐らくはこの列車の警備隊長に声を掛けた。
「ちょっといいですか?」
「なんだい?」
「この列車の護衛責任者は貴方?」
「ああ、そうだが」
「私はアンダーセン女爵騎士団の騎士ノブフォムです」
「ああ、こりゃご丁寧に。私は二等護衛官のケベックです」
「わかっているとは思いますが、このダスモーグ駅から乗車したあの人、想定六の対象ですが」
「ああ」
「バルコーイ駅まで私が監視の任につくことになっております。道中よろしくお願いします」
「ああ。わかった」
「それで、お願いなんですが、あまり顔を見られたくはないんです。ですので私は客車ではなく、貨車か家畜運搬車に乗る事を許可頂けませんか?」
「そうか。荷物を崩さなきゃどこに座ってても構わんよ」
「ありがとうございます。では、あの辺りに居る事にしますね」
ネルは客車の後部に接続された貨車の端に腰を落ち着けることにした。
監視対象の男は四列ある座席の中央部に座るので彼の背中側の位置である。
また、何が入っているかは不明だが木箱の陰に隠れやすい場所だ。
床には腰を下ろせるスペースもあるようなので悪くない。
本来なら監視対象の横にでも座って世間話でもしながら情報収集を行う必要があるのだが、相手が転生者らしい上にどこか見覚えのある顔付きをしていたのでそれは躊躇われたからだ。
――さて、あとどのくらいで出発かしら?
馬車鉄道は早発は絶対にしないし、まだ運行本数も少ないからか事故の発生も今のところゼロなので遅延も殆どない。
鉄道路線の見回りもこまめに行われており、万が一の線路の破損などにも常に目を光らせているので保安上の問題が発生するとすれば強力な魔物の出現くらいのものだが、現時点でそういった事例は皆無だ。
従って、ダイヤはかなり正確に運行されている。
・・・・・・・・・
ヘクサーは内心でかなり驚くと同時に感心してもいた。
断面が凸型をした中央に二列並ぶ座席下の物入れや各座席にまで設えられている肘掛け。
そしてその肘掛けに内蔵されている灰皿としか思えないもの。
八席四列に並ぶ客車は壁や屋根こそ無いものの、転落防止の手すりはきちんと備わっているし、座席の大きさも小さ過ぎる事もなく、座り心地はともかくとして隣に干渉しない十分な広さは確保されている。
これなら大柄な体躯を誇る獅人族や虎人族も戦闘用の鎧を身に着けたまま座れるだろう。
――やはり軍の輸送も考えての事か。
今朝早く、それこそ夜明け前にラムヨークから乗り込んで来たという数名の供を連れた商人と和やかに挨拶を交わしながら自分が買った席につく。
惜しむらくは立ち乗りが全く考慮されていない車両であろうということだろうか?
だが、安全に立っていられない程に揺れるのかも知れない。
揺れは線路上を進むので一般的な馬車程ではないだろうが、それでもヘクサーが思うよりずっと短い鉄軌なので接続部ではそれなりに揺れると思われる以上、仕方がないのかも……。
そろそろ発車する時間の筈だ。
前世では海外旅行なんぞ南の島などの鉄道がない観光地にしか行ったことはないから碌に知識はないが、海外では列車の遅延など当然だとされていたという。
しかも数時間から半日遅れるなどで済めば良い方で、突然の運休なども珍しくはないとも聞いていた。
――大丈夫だろうな?
しかし、ヘクサーの心配は取り越し苦労のようで、鉄道の御者?運転士?や駅員、護衛の乗組員までもがテキパキと働き、貨物の積み下ろしや、ヘクサーの愛馬の積載まであっという間に終わらせてしまった。
線路脇に貨物の積み下ろし用の小型のクレーンまで備わっているのには恐れ入る。
ヘクサーが見る限りもう既に貨物などの積み下ろしは完全に終えているにも拘らず、発車予定時刻までまだ多少の余裕さえあるようだ。
――弁当代わりにサンドイッチでも買っておけば良かったかな?
切符を買ったデバッケンに到着するのはだいたい四時間後の午後二時少し前の予定だ。
まだ我慢出来ないほど腹は空いていないが、そう思って腹を撫でると隣の商人が教えてくれた。
このダート中央線の各駅では食事時になると客席に座ったまま食べられる軽食が販売されるという。
――駅弁かよ。それならいいか。
一般的な飲食店で食べるよりも多少割高ではあるらしいが、そんなもの日本で売られていた駅弁も同じであるので全く気にならない。
と、その時。
――は?
全く予想していなかった出来事に思わず身動ぎをしてしまった。
脳天から肛門のあたりまで背筋を貫くような、ぞわぞわとする悪寒じみた……。
――この感覚。生まれ変わりが固有技能を使った時の……?
恐る恐る感じられる位置を窺ってみると、どうやら客車の後部、家畜運搬車との間に接続されている貨車の端っこあたりに居るらしい。
しかし、搭載されている貨物が邪魔になっているのか姿は確認できない。
――か、顔くらい確認しておきたいが……。
「あの、すみませんが、馬の様子を見る時間はありますか?」
客車下部の点検をして回っていた駅員らしき女に声を掛けた。
「あと少しで発車しますので急いで下さいね」
返事もせずにヘクサーは客車から降りると家畜運搬車へと歩いた。
――あいつか……。
貨車の後端からブラブラとぶらつかせている両足が見えた。
――は? 鎧? それにあの足、山人族か小人族、矮人族か?
ぶらぶらと動く足は膝から下しか見えない。
が、黒く染められた金属製らしい脛当ては高級品だろうし、履いている靴は珍しい編み上げのブーツのようだ。
爪先から足の甲にかけても踏まれることを警戒してか黒染めの金属装甲らしい板が装備されている。
体は貨物の間にあるようで、顔を確認するには位置が悪い。
「よーしよし、落ち着いているな」
ヘクサーに気が付いたのか、檻の中から顔を近づけてきた愛馬をあやすように家畜運搬車へと近づく。
檻の隙間から懐に持っていた岩塩の塊を取り出して舐めさせる。
そっと窺ってみると、例の者は既に片膝を貨物車の上に立て、兜の目庇に右手を掛けて顔を隠すようにしてこちらを観察している事が見て取れた。
頭の中で警鐘が鳴る。
どうしたものか。
相手はこちらを、自分の存在を知っているのだろうか?
偶然?
監視?
いつから?
だとしても何故?
今から用を思い出したとか言って乗車しないのも不自然に過ぎる。
第一、愛馬を降ろすにはそれなりの時間も掛かるだろうし、発車時刻に間に合うかどうか……あと少しで発車すると聞いたばかりだ。
間に合いはしないだろう。
馬という高額な財産は惜しいといえば惜しいが、別に捨てても構いはしない。
しかし、真っ昼間の駅から発車直前に逃げ出すなど怪しすぎる。
ここは客車に戻るべきか?
監視されているかどうか、いたかどうか、確信はない。
それに奴の格好からして冒険者とは思えない。
相応の金がなければあのような金属鎧など贖えはしない。
そこまで金に余裕のある冒険者など居る訳はない。
騎士団か、それに準ずるような軍事組織の構成員だろう。
ひょっとして、発車直前に客車から降りたことを怪しまれただけかも知れない。
いや、あの感覚は間違えようがない。
あいつは、俺と同じ生まれ変わりだ!
おまけにロンベルトの軍に所属している可能性が高い。
どうする?
ここで逃げて逃げきれるか?
馬もなしに。
相手は騎士団か軍組織だぞ?
人数も多い筈だし……。
それとも、流石にデーバスの出身とまではバレていないだろうし、デバッケンまで行くか?
その間にどうこうされるとは考えにくい。
何しろ、捕縛対象であるならとっくにそうなっていなければおかしいのだから。
もしここで逃げ果せたとして、魔物のうろつくダート平原のど真ん中だ。
このダスモーグの街から外に出てしまえば……。
――ええい、ままよ。相手が一人ならなんとかなる、出来る可能性はある。こんな街なかで、多数の援護が駆けつけて来かねない場所で逃げるなんて愚の骨頂だ。デバッケンに行くしか無いだろ。場合によっては気が付かれないように途中で飛び降り……気が付かれないなんて絶対無理だろ。くそ。
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