第五百九話 物見遊山(偵察) 3
7452年9月23日
デバッケンまで行かずとも、道中にあるダスモーグの街でも馬が売れそうな事にヘクサーは少し驚いた。
他の村々と同様の、しかし多少は堅固そうに作られている市街地を覆う防柵に囲まれた面積は、確かに村よりも大きな面積なのだろう。
そして、隣の東ダート地方(エーラース伯爵領)でみたミューゼ城はともかく、首都であるラムヨーク以来初めて見たそれなりの規模で住民が居そうな街であった。
防柵は門や基部に一部石造りの部分はあるが、大部分は木材で作られており、その構造は遠目にしている分にはデーバスの街を囲うそれと大きくは異ならないようだ。
その市街を更に覆うように切り拓かれた耕作地は、そこを通っている己の目から見てもあちこちが歪な形状をしたまま野放図に伸ばされた、強いて言うなら円状に近い形をしているのだろうが、碌に拡張計画など立てられていない事もまたよく分かる。
とは言え、
――農奴達はよく働いて……あれは平民か貴族か? デーバスでもここまでは……。
と、少しだけ感心していた。
耕作地の外縁では平民や低位の貴族らしき者に率いられた農奴達が素朴な歌を歌いながら力を合わせて木を伐採し、根を掘り出している。
別の一団は伐採された樹木から枝を払い、橇のような台車に乗せて市街の方へと運んでいた。
作業を監督する者だけでなく、作業者である農奴達全員がどことなく明るい雰囲気を纏っているのは気のせいだけではないだろう。
――活気があるな。いい領地だ。
ある程度、デーバス王国の、それも王領を中心にあちこちを彷徨き回っていただけあって、ヘクサーには良い領地の特徴を捉える“目”が備わっている。
その“目”によればこのダスモーグという土地は更に発展を迎えて活気溢れる良い土地に見えたのだ。
尤も、ダスモーグという土地は、その開闢以来現在に至るまで一度も戦火による洗礼を浴びた事はなく、それどころかこの中部ダート地方(ドレスラー伯爵領)の交通の要所として発展してきた、ある意味で領内でもかなり重要な位置を占めている土地なのだ。
で、ある以上、活気がない方がどうかしていると言うものではあるが……。
――四、五……九。少なくとも馬が十八頭に牛が九頭、か。大したものだな。
耕作地の外周で開墾に従事させている牛馬が合計八頭も見えるだけでなく、畑を耕す為に犁を引いている牛馬が一九頭。
面積当たりの頭数はデーバス王国では王都周辺の耕作地でもなければ、まず見かけることがない。
尤も、王都であるランドグリーズには常設である白鳳騎士団(最精鋭且つ最強の名に恥じず常設の騎士団でも軍馬の使用率は高い)の本隊が駐屯しているため、その大半は軍馬であるので、農耕用としてこれだけの規模で牛馬を使役する街はデーバス王国ではゼロと言っても過言ではないだろう。
――ラムヨークや他の村でも似たようなものだった……。という事はこのくらいが、少なくともグリード侯爵の領土では当たり前なのか。農業の省力化や畜産業はロンベルトの方が進んではいるようだが……。
耕作面積当たりの牛馬の数は、デーバス王国でも最先端のランドグリーズ周辺の倍程度だろうか?
元々の数自体がそう多くはないので誤差の範囲と言えなくもないが、田舎の街や村など、多少規模が大きくとも農業の全てを人力で賄っている土地など珍しくはない。
それを考えると、意図的な牛馬の増産や下賜(かどうかまでは現時点では何とも言い難いが)がなければ無理な数だという事は解る。
――この分なら、確かに馬の処分も可能かもしれないな。
果たしてヘクサーの乗騎は処分を免れた。
その理由は、馬を処分可能な店や騎士団を尋ねるよりも先に馬車鉄道の駅を見ておこうと思った単なるヘクサーの好奇心が発端だった。
――馬まで運べる車両があるとは、こりゃ完全にお見逸れしていたな。
東はラムヨーク、西はべグリッツを超えたゾンディールまでを運行する、“ダート中央線”には一日僅か一便のみだが家畜運搬車が接続されているというのだ。
しかもその料金は人と同じである。
その任務もあって多少金に余裕のあるヘクサーに取ってみれば、移動した先でも馬という機動力を維持し続けられる意味は大きく感じられた。
最悪でも馬に乗って逃げるという選択肢が残される魅力には勝てなかったのだ。
・・・・・・・・・
「お館様、つい今しがたダスモーグ駅より連絡が。想定六だとの由にございます。如何致しましょう?」
家令からそう報告を受けたレッド・アンダーセン女爵は執務室で書類にサインをしながら顔を上げた。
想定六とは、特に通達もない状況で新規に牛馬などの大型動物が搭載される切符が売れた事を指す暗号である。
いずれはそういう事も頻繁に起こり得る状況になる事は予想されているが、現時点で――民間用だけでなく軍馬を含めても一〇〇頭もいない土地で新たな牛馬が突然に搭載対象となる例は僅少である。
つまり、別の土地から来た牛馬がダスモーグから馬車鉄道を利用し始めるというサインなのだ。
それ自体は犯罪でもなんでもないし、商人の移動などその可能性は無視出来ない大きさではあるが、不自然である事は確かであった。
「そう。いつの切符だったの?」
そして形の良い眉を顰めながら問う。
「明日の一〇時発、ゾンディール行きの列車です」
定期運行され、ダスモーグを通る家畜運搬車は通常、朝五時に東のラムヨークを発ち、途中で何回かの停車を経た後にこのダスモーグに到着する。
そして今日の一八時には中西部ダート地方(ランセル伯爵領)の首都であるバライズに到着するダイヤとなっていた。
普段は家畜を搭載する事など滅多にないので、家畜運搬車には何らかの鉱石類や糸や布、皮革などといった交易品が積載されている事が多い。
「監視は?」
「明日の駅詰め当番の騎士団員から一名を付けるそうです」
滅多に無い事ではあるが稀にはある。
そのため、アンダーセン女爵は監視を付けられる事に満足し、職務に戻った。
尤も、監視とは言え、それは馬車鉄道で二時間もかからない隣街のバルコーイまでの事だ。
・・・・・・・・・
ヘクサーはデーバス王国の一般の街と比較しても大して変わりのないダスモーグの街を、一夜の宿を求めて手綱を曳いていた。
そして馬房を備えた一軒の宿屋に宿を取ると、改めてこの街を治める領主の家を訪ねるべく宿を後にする。
縫い針はともかく、麻布の在庫は結構減っていたので可能であればこの街で全て売り切った上で、何らかの換金し易そうな商品を仕入れるつもりだった。
勿論、嵩張らず、且つ高価な物が望ましいが、そのようなものなど多少規模が大きくとも僻地とも言えるこの街になど転がってはいない。
尤も、このダスモーグに長居するつもりなど最初からないし、怪しまれない程度に適当な商品が見付かりさえすればいいので、仕入れに対してじっくりと選別して時間を浪費するような愚を犯す気などサラサラなかった。
宿から領主の館までの間には、規模は小さいものの商店街もあり、店先を冷やかしながら仕入れの目星をつけていく。
明日の午前中に出るという列車は二時間足らず、お昼頃には隣街に着いてしまうらしい。
駅で訪ねたところによると、街道を馬車で行ったら丸一日とまでは行かないものの、到着には早くて六~七時間はかかるという。
ヘクサーは馬にもそれほどの重量物を乗せるつもりはないのでもう少し早く着けるだろうが、それでも騎乗する必要も、手綱を曳いてやる必要もなく、座ったまま高速に移動可能な事はとても無視できる要素ではない。
「縫い針と麻布は要りませんか?」
領主の館は流石に街を治めているだけあって少し大きめだった。
用があるなら裏口に回れと門を固める衛兵に言われたので裏門を警護する衛兵に尋ねたのだが、衛兵は面倒臭そうな顔一つせずにメイド長を呼んでくれた。
応対してくれたメイド長は数本の縫い針と僅かばかりの麻布を購入してくれたが、この量は別の地域から来た行商人に対する義理以外の何物でもない。
僅か五万Z。
粗利益は六割程度だろうか。
大体において、護衛を含めて隊商を構成する人数一人当たりへのお義理の買い物額である。
勿論、欲しかった品や有用な品でもあればそれ以上の額を購入する事はあるし、そういったケースは珍しくないどころか、かなり多い。
何故なら、商人が有用でない物をわざわざ仕入れて、ある程度の危険を承知で旅をしてまで運ぶ意味がないからだ。
そういう意味では縫い針や麻布は大抵の場合、どういった街や村でも需要のある品だった。
勿論、ある程度高度な金属加工技術を必要とする縫い針はともかく、麻布を生産している街はある(村の規模で紡績から製布まで行える土地はまず存在しない)ので、そういった街の情報について収集を怠る事は出来ない。
この中部ダート地方では紡績や製布を行っている業者は首都であるデバッケンのみにしかいないらしいので、デバッケンに行くまでには麻布を売り切っておきたかった。
デバッケンではより高価な綿布を混ぜて仕入れれば良いだろう。
体積を取らない縫い針はともかく、麻布はまだ八㎏も残っている。
持って歩くのも楽ではない量なのでさっさと処分したいところである。
メイド長に麻布を買ってくれそうな平民の家を紹介して貰うと、さっさと領主の館を後にした。
どうにかこうにか、ある程度値引きをして売り切ったときにはもうすっかり日が暮れそうな時刻であった。
当然ながら、行商をしながらもヘクサーはこのダスモーグが抱える騎士団の戦力を探ることにも余念はない。
遠目なので正確とまでは言えないだろうが、騎士団の常設戦力は二〇人から三〇人というところだろう。
また、機動戦力である軍馬は合計五頭は確認出来たが、それとは別に荷車を曳く駄馬も数頭見掛けている。
街の規模と比較すれば、どちらかと言うと少ない戦力ではあるが、この街を治めるアンダーセンという女爵は僅か二~三年程前に、それまでこの地を治めていた男爵の代わりに王領から赴任してきた者だと言うから、未だ戦力を整えている途上なのだと思われた。
――しかし、どういった理由で王領から赴任して来たのかな? グリード侯爵が侯爵となって北ダート全域を支配下に入れたのが昨年だというから、それよりも前には来ていた事になるが……。
これ以上の情報を行商先で仕入れるのは難しい。
酒を扱い、食事も供するような店で駄弁りながら仕入れる必要があるが、そういった行為についてヘクサーは苦手ではない。
・・・・・・・・・
夜。
領主の館。
定時連絡の為にアンダーセン女爵は無線室に入った。
今日は少しだけ仕事が押してしまった事もあって、いつもより僅かに遅れての入室である。
無線機のスイッチを入れると耳に当てたスピーカーからは丁度お隣のエーラース伯爵騎士団長がべグリッツのリーグル騎士団へ報告を行っている最中だった。
内容は「異常なし」である。
彼らの前にはミューゼ城からの定時連絡も行われている筈なので、本当に異常はないのであろう。
無線機はまだそれほど多くの数が揃っていない。
また、周波数も現時点では固定のものが一つだけなので電源を入れてしまえば、受信可能な交信内容は全て聞くことが可能だ。
アンダーセンとしては彼女の屋敷にこの貴重な無線機が配備されて以降、かならず定時連絡の時刻には無線機の交信内容を全て聞く事にしている。
毎日の定時報告はグリード侯爵が持つ各郷士騎士団を始めに、前線の要所で駐屯する王国騎士団の各部隊から順次行われ、最後に極僅かに置かれた街や村からの報告という順番だ。
これらの報告は全てべグリッツのリーグル伯爵騎士団本部に対して行われ、翌朝にグリード侯爵に対して纏めて報告される。
勿論、敵襲や謀反など緊急性のあるものは定時報告まで待たれる事はない。
その為にリーグル伯爵騎士団に設置されている無線機は常に電源が入れられ、専用の待機人員も配されている。
異常なしが連呼される無線は、ついに女爵の報告の番になった。
「〇〇、こちら三二、感度良好。定時報告始めます。どうぞ」
「三二、こちら〇〇、感良し、数字の五。定時報告、どうぞ」
「〇〇、こちら三二、ダスモーグ駅にて想定六が一件、どうぞ」
「三二、こちら〇〇、ダスモーグ駅にて想定六が一件、了解。どうぞ」
「〇〇、こちら三二、発生時刻は午前一〇時から一一時、どうぞ」
「三二、こちら〇〇、了解。発生時刻は午前一〇時から一一時、どうぞ」
「〇〇、こちら三二、対象は明日一〇時ダスモーグ発、ゾンディール行きの便に乗車する模様、どうぞ」
「三二、こちら〇〇、了解。対象は明日一〇時ダスモーグ発、ゾンディール行きの便に乗車する、どうぞ」
「〇〇、こちら三二、その際に馬を一頭同乗させる模様、どうぞ」
「三二、こちら〇〇、了解。対象は馬を一頭同乗させる、どうぞ」
「〇〇、こちら三二、購入された切符はダスモーグからデバッケン、どうぞ」
「三二、こちら〇〇、ダスモーグからデバッケン、了解。どうぞ」
「〇〇、こちら三二、対象の情報、氏名、ヘクサー・バーンズ、男性、普人族、年齢二四、どうぞ」
「三二、こちら〇〇、対象の氏名はヘクサー・バーンズ、男性、普人族、年齢二四歳、了解。どうぞ」
「〇〇、こちら三二、リーンフライト伯爵領発行の二号二種、ベントロー商会所属行商部員、どうぞ」
「三二、こちら〇〇、リーンフライト伯爵領発行の二号二種、ベントロー商会所属行商部員、了解。どうぞ」
「〇〇、こちら三二、対象に確認できる同行者なし、おわり」
「三二、こちら〇〇、了解。対象は馬以外の同行者なし、おわり」
馬車鉄道網が敷かれている北ダート地方では、こういう事は稀にある。
そして、過去に発生した想定六のケースでは、その全てがヘクサーと同様に牛馬を持つにも拘わらず移動速度を重視した者か、物珍しさから一度くらいは使ってみようとした者のみであった。
■コミカライズの連載が始まっています。
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