第五百五話 偵察命令
7452年8月22日
『俺ぇ!?』
アレクに見つめられたバーンズが驚いたように声を上げる。
バーンズとしてはアレクやセルの考えを理解も出来るし、何だったら納得も行く。
しかし、容認はし難いところだ。
何しろグリード侯爵の戦力調査ともなれば、確実に侯爵の勢力圏内へ足を踏み入れねばならないし、その場合の危険は常に付き纏うだろうからだ。
そして、時間制限自体は設定されない可能性は高いだろうが、大凡の目安として一ケ月、乃至、どんなに引っ張っても二ケ月以内には情報を持ち帰る必要がある。
それも出来るだけ精度の高い情報をだ。
更に付け加えるならば、ある程度精度の高い情報が調査された、という事を勘付かれてはならない。
当然、先方側もこちら側が情報収集のために人員を送り込んでいる事は考えているだろうし、それはこちらも一緒だ。
だが、どの程度の情報を得られているかまでは双方共に想像でしか判断が出来ないのだ。
新たに引き直された国境――とは言いたくはないが、奪われた領土の境界線、つまりダート平原の周囲と言うのがより正しい表現かもしれない――付近に配置されている防衛部隊の総数やその配置状況程度の情報を得た事がせいぜいで、こちら側の調査員がその結果に満足して帰っていった、と思って貰う必要がある。
勿論、グリード侯爵に奪われた街や村を一つ二つ奪還する程度であれば、そういった情報があれば、ある意味で充分ではある。
しかしながら、今、故国にはそんな余裕はない。
仮に、グリード侯爵軍の配置に都合の良い穴を見つけたとしよう。
必死になって国中から戦力を抽出しなくても、緑竜騎士団の残存部隊を纏めるだけで一箇所や二箇所くらいは取り戻せるかもしれない。
だが、そんな事をすれば怒り狂ったグリード侯爵は必ずや別地域からの再侵攻を行ってくるのは自明である。
そして、またぞろ数ケ月前に行われた、殆ど一方的な侵略戦の拡大再生産になるのは目に見えている。
デーバス王国の中核軍である四騎士団に戦力的な余裕がない以上、侯爵軍への迎撃は諸侯それぞれが抱える郷士騎士団のみで行わざるを得なくなる。
とは言え、郷士騎士団はそもそもの数も多くはないし、四騎士団と比較しても練度はともかく装備でも劣る。
そうなれば、侯爵軍は無人の野を駆ける餓狼の如くその勢力圏を拡大していくだけであろう。
今何故そうしていないのかと問われれば、“開戦前に唱えた戦争目的を達した事で一応満足しているから”としか答えられないが、それとても現状を踏まえた上での希望的観測でしかない事はデーバス王国中枢の人間達全員の共通認識であった。
要するに、グリード侯爵が再び前進して来れそうなのか、そもそも再侵攻する戦力的な余裕があるのか、ないのか。
あるのであればそれまでにどの程度の時間的な余裕があるのか?
それを知る材料としてグリード侯爵が抱える全戦力の概要を知りたいのだ。
デーバス王国とて間抜け揃いではない。
従って、開戦前の状況くらいは数ケ月~一年遅れという多少古い情報ではあるが把握はしていた。
ダート平原の北側に並ぶ四伯爵領はそれぞれ各街や村の人口に応じて従士隊として一〇名~数十名程度の戦力は居る。
これはデーバス王国でもだいたい同じだが、地域の治安維持やダート平原内をパトロールして魔物を間引いたりするのに必要な戦力であり、防衛戦闘はともかくとして基本的に外征に使って良い戦力ではない。
その他、伯爵領の郷士騎士団としてそれぞれ三〇〇~四〇〇名前後の戦力を有していた。
だがこちらも基本的には領内の紛争解決や配下の街や村が反乱を企てないように睨みを効かせるための戦力という側面が強い。
まぁ、外征に使う“事も”可能なのでそういう意味では従士隊とは性格は全く異なるが、どちらかと言うと防衛戦闘時に使う予備兵力としての性格の方が強いだろう。
そして、これが本命ではあるが、ロンベルト王国の中央戦力である騎士団からは第二騎士団から三個大隊約四〇〇〇名、第三騎士団からは四個中隊約一〇〇〇名、第四騎士団からは六個中隊約一〇〇〇名がバラけて駐屯していた。
ここにダート平原南部で虜囚となった奴隷兵が加わっている筈だ。
知りたいのは、生き残っている奴隷兵の数と、ロンベルト王国とて全くの無傷という訳はないのだろうから、被害を与えられた数である。
その調査が叶えば、多少の治安低下を覚悟してでも喫緊に戦力を整えなければならないのか、多少の余裕はあるのかが判るからだ。
『すまんが、他に適任者がいない』
バーンズが日本語で答えたからか、セルも日本語に切り替えて申し訳無さそうな顔で言った。
『他の親衛隊員じゃ駄目なのかよ?』
確かに隠密偵察が主目的ならば白凰騎士団や郷士騎士団から引き抜いてきた、いわゆる普通の騎士にはあまり向かない任務ではある。
しかし、だからと言ってなぜ自分が、という気持ちになってしまうのは無理もないところだ。
バーンズは十代の前半から冒険者としてベルグリッド公爵領のあちこちをさまよい歩き、不完全ながらもそれなりの地図を作成し続けている。
更には迷宮冒険者として他のメンバーの主導的立場でベンケリシュの迷宮に何度となく挑んだ経験もある。
地図作成で植生の想像や地形の想像はかなり熟練しているし、迷宮内での活動で隠密偵察の心得もある。
何より、普段から冒険者と付き合っている事もあって、冒険者との距離はこの中では一番近いのは確かな事実である。
『適任者がいないんだ……』
アレクも申し訳無さそうな顔になっている。
『……ミュールも一緒に行かせるから、な?』
『ああ。一応ロンベルト王国のベレンツ准爵ってのに成りすますことは出来るからさ』
ミュールは仕方がないとでも言うように肩を竦めている。
因みにべレンツ准爵は数年前に捕虜にしたロンベルト軍の騎士で、その後は戦闘奴隷としてカンビット王国との前線に投入され、戦死が確認されている。
【偽装】の触媒としての髪の毛はまだ数十本は確保されていた。
『……ちっ、マジなんかよ』
バーンズとしてはここまで外堀を埋められているのならこれ以上粘ってもひっくり返らないだろうし、そもそも隠密偵察なら自分以外に親衛隊内部で適任者はいないという考え自体は妥当なものとして受け入れることは出来る。
『あー、ミュールはわざわざ付いて来なくてもいい。ステータスを見られるような事はしないし、そうなったら一人だけ見られて終わりにゃあならんだろうしな。それから同行する冒険者には糸目はつけないでくれ。どうせならベンケリシュの大穴か腹ペコ狩人くらい引っ張って来て欲しいもんだな』
バーンズは首を振りながら言うが、後半はベンケリシュでもトップを争うような冒険者集団なので無理筋の話だ。
『希望には出来るだけ沿うつもりだけど、本当にミュールは同行させなくてもいいのか?』
『こう見えてミュールはかなりやる奴だぞ?』
『こう見えてって何だよ、失礼な奴らだな』
アレクやセルが言う通り、ミュールは白凰騎士団内でも白兵戦技はかなり上位に位置しており、その腕前は荒事に慣れている冒険者のバーンズでも敵わない。
この中で正面からミュールを打ち負かせるのはツェットを除けば魔術を使うレーンか、固有技能を使用したアレクくらいだろう。
当然、バーンズの固有技能、【技能無効化】の効果範囲内であれば文句なくツェットが最強である。
つまり、純粋な白兵戦闘力ではツェットはこの中で最強なのだが、流石に白鳳騎士団の五百人長を隠密偵察には行かせられない。
よしんば、本人の希望に加えてアレクの推薦があったとしても白凰騎士団が許可する道理はなかった。
『とにかく、身軽にしておきたいからな。ミュールはミュールにしか出来ない事をやって貰った方がいいだろ? 偵察は俺に任しとけ』
ここでどういう方法で偵察をするのか、などと愚かな質問をして時間を無駄遣いする者は誰一人としていなかった。
・・・・・・・・・・
7452年8月26日
べグリッツ。
リーグル伯爵騎士団の大会議室。
アルは会議室に居るエムイー訓練の教官連中に一席ぶっているとこであった。
「既に二人、第八想定でエリミネートされているからな。これ以上、脱落者を出すのは許さんぞ」
そう言うアルにバリュート士爵以下の教官達は深刻な表情になる。
あと一人、脱落寸前で残っている若手騎士の顔を全員が思い浮かべていた。
その騎士は名をサムラン・ドリストンという、正騎士の叙任から一年くらいしか経っていない虎人族の若者である。
教官全員の見立てでは、今日から始まる最終想定の後半の何処かで脱落するのが確実視されていた。
勿論、そうならないように出来るだけの事はしてやるつもりではあるが、体力だけは誤魔化しようがない事もまた真実である。
そして、彼の体力は休日もあったので幾分回復しているとは言え、完全な状態には程遠い。
この四夜五日の最終想定の途中で尽きてしまうだろう。
そうなるともう、精神力で乗り越えさせるしかない。
幸い、深刻な怪我を負ってしまった訳では無いのが救いだ。
現時点では体力の問題を除けば五体満足と言っても良い。
「では、安全に留意しつつ結果を出してくれ。頼むな?」
「「はい!」」
騎士団長に命じられた以上、やるしかない。
今回のエムイー訓練は当初二四名の訓練学生でスタートしたが、先週行われた第八想定で遂に二名が脱落してしまった。
確かにこれ以上の脱落者を出す訳には行かない。
教官としての能力が足りないとか言われて再訓練を命じられでもしたらたまったものではないからだ。
尤も、流石にそのような事はないだろうと思われたが、何を言ってくるか分からないのが騎士団長なのである。
それだけは全員がよく理解していた。
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