第五百四話 指名
7452年8月22日
「さあ、アルソン様。旦那様と奥様を起こしてあげて下さいまし」
寝室の外から女中のテフラコリンの声がした。
俺もミヅチも朝の日課の為にとっくに着替えを済ませていだが一瞬でベッドに飛び込んだ。
すぐに寝室の扉の取っ手が音を立て、扉が開く。
「ぱやぁ~! おっき!」
それと同時に辿々しい足取りでアルソンが寝室に入ってきた。
当然だが、もう既に窓のカーテンは開け放つどころか窓自体も全開なので寝室の中は暗くはない。
夏とはいえ太陽が顔を出したくらいの時刻なので、窓は開けていた方が風も通るし涼しいのだ。
当然女中もそれを判っているからアルソンを寝室に入れている。
屋敷の外から見りゃ一発だしな。
だから、俺たちは今まで一度も本当の意味で息子に起こされた事はない。
「おっき!」
ベッドの端を叩きながら俺達を起こそうと大きな声を張り上げた。
正直言って声がデカい。
まだ二歳にもなっていないのにこのデカさ。
将来多くの兵を統べるに足る人物ということか。
んな訳ゃねぇけど。
「起きたよ~!」
そう言いながら急にベッドから手を伸ばしてアルソンを抱き上げて頬ずりをする。
「や~!」
髭を剃っていない起き抜けだったからか、僅かに伸び始めた朝の無精髭を痛がられた。
だが、そんな我が子も可愛いのだ。
「痛かったねぇ、アルソン。ほら、こっちおいで」
「まあ~」
ミヅチに呼ばれたアルソンは母親の方が良いとばかりに、全力で俺の腕から逃れようと身を捩る。
くそ。
そういえば俺もアルソンくらいの時はゴツゴツした体で無精髭が痛い親父よりも母親の方が良かった。
それを思い出し、納得と諦観が入り混じった妙な気持ちになる。
同時に、何週間もべグリッツから離れていた事も思い出して少し憂鬱になる。
最低でも今日一日は俺もミヅチも大量の事務仕事に追われる事が確定しているのだからして、憂鬱にならない方がどうかしているだろう。
じゃあ後はゴムプロテクターを着けてひとっ走りしてきますかね。
・・・・・・・・・
昼。
行政府でミヅチと二人、昼飯すら抜いて事務処理に追われていたらバルソン准爵がやってきた。
何事かと思ったら一昨日言いつけておいたケルザスロンに対する尋問の報告書だった。
尋問によって得られた情報で新規のものは無く、判っていた事の再確認にしかならなかった。
だが、これが重要なのだ。
何度か尋問を繰り返して、供述を記録して突き合わせる。
尋問は最低でも五回やる。
勿論、尋問担当者は可能な限り別人を用意した方が良いのは言うまでもないが、多少時間を開けられるのであれば同一人物でもまぁ問題はない。
そうして矛盾した答えが無いかどうか、一つ一つチェックをしないと完全にゲロったと判断は出来ないからだ。
これは尋問に限らず、何らかの情報を得る場合にそれが正しいかどうか精査する方法の初歩だ。
今回は最初の尋問からあまり日を開けていなかった事もあって、大して変わりはないだろうと思っていたのでこの結果自体には何も思うことはない。
「奴は牢にでも放り込んでおけ」
「は。第二監房で宜しいでしょうか?」
第一監房は石油タン……もとい、石油貯蔵庫になっちまってるしな。
「ああ。だが、独房に入れて監視は絶やすな」
「勿論です。ところで本日は騎士団の方へはいらっしゃいますか?」
騎士団でも多少の事務仕事は溜まっている。
だが。
「この有り様を見てよく言えるな……」
俺もミヅチも書類に塗れているのだ。
今回は全く予定のない出兵だった事もあり、出る時だって急に決まったから碌に指示しておく暇すらなかったからねぇ。
「いえ、エムイー訓練は一応明日の夜から第八想定が開始されますから……」
あー、視察ね。
勿論、エムイー訓練が行われていて、今はその総仕上げ段階にあるのは認識している。
訓練視察のスケジュールだってそもそも俺の予定に組み込まれていたし、特に今月はそれをかなりぶっ千切っていたという自覚もある。
だけどまぁ、いいっしょ、ラストの第九想定で。
「脱落しそうな程やばい奴が多いのか?」
体力的にヤバそうな奴が三人程いるとは聞いているが……。
想定訓練期間におけるそれなりの割合を他のメンバーに負んぶに抱っこじゃない限り、皆と行動を共に出来、想定された目的達成時に役立つ動きが出来ていたなら脱落はない。
具体的には想定訓練時間を一〇〇と仮定した場合に八五以上、誰かの助けを借りずに独力で行動出来ていたのなら、他に失点がないのであればギリギリ合格になる。
当然、失点があればその時間は九〇以上とか九五以上とかどんどん厳しくなってゆく。
なお、想定訓練全九想定の合計時間は三〇〇時間だ。
従ってそのうちの一五%、四五時間迄は誰かに負んぶに抱っこでも大丈夫なのだが、もう四〇時間も誰かのヘルプを受けている奴がいるという。
「誰だ?」
「本当にギリギリなのはミレーヌ・エマソンというファイアフリード男爵閣下の戦闘奴隷です」
……あー、あの子か。
「これまでの彼女の様子から見て、明日からの第八想定と最後の第九想定では、援助時間は合計五時間ではとても足りないと思われます」
「そうか。他には?」
あとはウチの若手騎士が二人だった。
「……仕方ないな。基準に満たないと判定されたらすぐに訓練から外してやれ。エムイー訓練は毎年やるつもりだからこの先も本人にやる気があるのなら再チャレンジすればいい」
「……わかりました」
バルソンは少し俯いて唇を噛んだ。
まぁ、教官としてずっと一緒に過ごしていたんだし、たったの一人だって脱落者を出したくはなかったのだろう。
気持ちは解る。
だけど、エムイーは資格であり立場ではない。
資格取得には厳然とした基準が設けられており、それを超えない限り資格を与える訳には行かないのだ。
「ところで、他の皆はどうなの?」
少し暗い雰囲気なったからか、ミヅチが口を挟んできた。
「は。現時点では団長閣下の戦闘奴隷のダディノ・ズールーが総合点でトップです……」
ほう?
「次点は我がリーグル伯爵騎士団の従士のラルファ・ファイアフリードですが、その差は僅かなものです」
「そうか」
意識して謹厳な表情を取り繕わねば唇の端が上がりそうになる。
野郎、しっかり頑張ってんな。
――ご冗談を。安い買い物だったと証明してみせますよ。
ズールーを買ったばかりの頃、奴が言っていた言葉を思い出した。
「三番目はカロスタラン士爵閣下の奥様のベルナデッド・カロスタラン様で、ほぼ同じ得点で我が騎士団の騎士フィオレンツォ・ヒーロスコルと従士のグリネール・アクダム、そしてファイアフリード男爵閣下の従士ケビン・ファイアスターター、閣下の戦闘奴隷のヘンリー・オコンネル、メイスン・ガルハシュと続いています」
その結果自体には結構満足だが、我がリーグル伯爵騎士団の者はラルファ、ヒーロスコル、グィネしか上位に食い込めてねーのかよ……って、結局は元冒険者ばっかじゃんか。
ウチの騎士団は上位に食い込むどころか、ドベ2とドベ3かよ、だらしねぇな。
・・・・・・・・・
デーバス王国の王城ガムロイ。
その一角にある親衛隊詰め所の奥の部屋。
アレクの招集により傘下の転生者の大部分が集まっていた。
「……という訳で、我々親衛隊にグリード侯爵の戦力について調査を命じられた」
苦虫を噛み潰したような顔で言うアレクに全員が二の句を継げなかった。
なるほど戦争中であるグリード侯爵の戦力調査は必要だろう。
だが、何故それを親衛隊が?
という疑問は残る。
そもそも親衛隊は王族を守護するというお題目で設立された軍である。
小なりとは言え、その権限や独立性は常設の騎士団と同等なのだ。
「ダンテス公爵の横槍だよ……」
セルが盛大に顔を歪めて吐き捨てるように言った。
「……勿論、そんな事に割ける人員など居ないと、俺もアレクも声を揃えて主張したさ。だけど、皆も知っての通り白鳳騎士団は半壊して再建中、黒狼騎士団は例のブルードラゴン事件の折に壊滅している。緑竜騎士団もグリード侯爵軍の攻撃でボロボロだし、青虎騎士団はカンビット王国との前線から外せないと言われちゃな」
言われてみれば確かに王家の四騎士団は満身創痍と言ってもいい。
アレク達が東部戦線から引き揚げて来た以上、青虎騎士団も人員や装備の面で今の前線を押し上げるどころか維持するので精一杯と言えるだろう。
「レーン、確認なんだが……」
アレクの言葉にレーンが反応した。
「ダート平原に駐屯させている私の戦闘奴隷が一部隊残っているけど、白凰騎士団から偵察の命令を受領して作戦行動中の筈よ。私が新たに命令できる立場じゃない事は貴方も知っているでしょう?」
能面のような表情でレーンが答えた。
「だよな。だけど、マティの件で引き揚げさせた部隊が……」
「確かに居るわよ。でもマティの面倒を見させてるのよ? マティからの信頼も得ているし、動かす訳には行かないでしょ? それに、言っておきますけど、彼らは大部分がまだ成人前の子供ばっかりよ。もう一部隊くらい作れる程度の人数は買ってあるけど、まだ魔法の訓練中の、本当に子供ばかりなの。私は当てにしないで欲しいわ。そもそもあの子達は私の戦闘奴隷であって、親衛隊の隊員でもなんでもないのよ?」
「ぐ、確かに……」
言葉に詰まるアレクを見て、セルが口を開く。
「今回与えられた任務はグリード侯爵の戦力調査だ。強行偵察じゃないし、諜報部員が得意とする浸透でもない。ただの隠密偵察だ」
全員黙ったままセルに注目する。
「正直言って俺の手駒はもう全部出してる。今回の命令において当然ながら警備体制に多少穴が空く事は納得させている。ザンバは親衛隊の実務の要だし出す訳にはいかないが、若手の隊員から数人なら割けない事もない」
親衛隊から一人も出さない、という訳には行かないだろうが、それでも親衛隊員には偵察を含む斥候任務の経験は疎かそういった教育すら受けた者は少ない。
「傭兵……か冒険者を雇うしかないと思う。勿論指揮官として親衛隊から一人は出すつもりだが」
如何にも残念だと言うようにセルが言った。
アレクとセルの間ではこれ以外にないという結論があったのだろう。
アレクもその表情に強烈に不本意そうな色を滲ませながらも頷いた。
そして、
「指揮官をどうするか、というのが問題だ」
と言いながらバーンズを見た。
彼も親衛隊の隊員ではあるが、その前にそれなりに経験のある冒険者でもあるからだ。
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私も含め、本作に携わって頂いておられる全員のモチベーションアップになるかと存じます。
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「小説家になろう」版とは少し異なっていますので是非お読み頂けますと幸いです。
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