第四百九十七話 謎の襲撃者 16
7452年8月17日
レンクヴィストに尋問した後、更に二人のガキを尋問し、ある程度の裏取りと調略を行う。
勿論、本気でレーンティア様を裏切って俺に従うようになどなる訳がないことは理解している。
そうする為には一度奴隷商会に預けての再教育は必須だし、そこまでまどろっこしく時間の掛かる事などやっていられない。
その後は勿論レンクヴィストと同様に彼らの牢を立ち上がって横になれる程度の物に変えてやった。
隣の牢まで多少の距離はあるが、充分に視認出来る距離でしかない。
未だ当初の立ち上がることすらままならない牢に閉じ込められたままの奴らからしたらどう見えるかね?
念の為、全員の様子自体は定期的に確認させているが、たった一日では腰の痛みなどを訴えて来る以外に特に大きな問題はなさそうだった。
当然、喉が渇いたとか腹が減ったとか、挙句の果てには折られた指や手足の痛みをなんとかしてくれという不満を訴える、手前の立場を理解していない要求をする奴もいたが、ガキなんだしそこは仕方あるまい。
死なない程度、たまにコップ一杯程度の水を牢のスリットから内部にぶちまけてやれば脱水症状になる程ではない。
尤も、脱水症状を呈したところですぐには死ぬことなどあり得ないので、そうなってから水を与えたって遅くはないのだ。
万が一、死んだら死んだで数もいるし別に惜しくはないしね。
また、監視役の騎士団員には、何を尋ねられても知らぬ存ぜぬで押し通すか黙殺しておけと命じていたのでこちら側の情報は一切漏れていない。
まぁ、虜囚とした大多数が成人前後の若い奴らばかりなので、妙な仏心を出して隠れて水や飯でも食わせてしまう奴でもいるかと思っていたが、そんな馬鹿は一人としていなかった。
これは、キンケード駐屯部隊の小隊長に訓示させていた事が奏功した。
――奴らはジョゼフとアドナだけでなく、ミラクトさんのチームを全員無惨に殺した奴らだ。デーバスの工作部隊だとも言うし、哀れみを誘うような言葉でこちらの籠絡を狙っている可能性も充分にある。一切の油断をするな。
あ、ミラクトさんのチームってのは惨殺された工事チームの事な。
それからジョゼフとアドナってのはその工事チームを護衛していた騎士団員で、要するにこの小隊長の部下であり、訓示を聞いている者たちにとっては同僚だ。
お偉い侯爵閣下がその立場通りに偉そうに宣うよりは、普段から怒鳴っている小隊長が「仲間の仇だ」と言った方が余程従い易いと言うものだろう。
まぁ、明日か明後日くらいだろうな、ガキ共が耐えられるのは。
この日の午後は明日のための仕込みに費やして暮れていった。
・・・・・・・・・
7452年8月18日
朝起きて、ミヅチとベン、エリーとランニングを済ませてからゆっくりと朝食を摂り、一休みしてから尋問の続きに掛かる。
初日から反抗的でムカつくジョルジュ・ジューダンは一番最後に回す。
「……」
ミヅチや護衛が傍に立つ中で、一枚の板をガキに手渡す。
そこにはわかり易い日本語で『おはよう。もうすぐとなりのやつをころす。』と書いている。
「……これは?」
板を渡されたガキはきょとんとして、少し混乱した顔で俺を見た。
折られた右手の人差し指と親指がものすごく腫れていてかなり痛そうだ。
それだけでも魔法で治癒させていない事がよく分かる。
あと、【鑑定】で見ても魔力が減っていないし。
バルドゥックなど大きな街にある治癒院で最高レベルとされている致命傷治癒でも一箇所の骨折から完全に痛みを取る(骨折自体は一回目で治癒する)には最低でも五回は連続使用しなければならない。
普通の魔術師ならまず無理であろうが、迷宮冒険者の魔術師であれば骨折くらいなら最短で一晩程度も集中を続ければ治癒の一回くらいは使える者もいる。
何しろ、迷宮などで怪我を負って地上に逃げ帰ったとしても治癒魔術の代価を払えないなんて事はままあるものだし、払えたところで完治には程遠い。
その際に自らが治癒系統の魔術が使えるのであれば何とか使えないものかと頑張る奴は多いし、一番下のランクである治癒なら、集中力さえ続くのなら一晩もあれば使える者はいなくはないって事ね。
二回目に使う場合は僅かではあるが痛みも軽減されているし、骨折自体は治っているのでより短い集中時間で使える事が多い。
まぁ、慣れもあるし、集中力が続かずに使えないという者の方がずっと多いが、“時間さえ幾らでも掛けられる”のなら自分自身の怪我を治癒魔術で治療出来るって奴はいなくはない。
そういうのはどちらかと言うと年を食った奴に多いが、それは長時間痛みを無視して魔術の構築に集中出来る精神力の問題だろう。
勿論、途中で骨折部分を触られたり、蹴られたり、棒などでで突かれたりして集中を邪魔されない事が最低条件ではあるが、今回、俺は監視にそういった邪魔はするな、と命じていた。
ちなみに治癒魔術用の呪文を唱えられるのであればハードルはグッと低くなる。
多量の出血を伴うような、恐怖心を喚起させるような、直ちに命に関わるような大怪我ならともかく、骨折程度ならラルファでも呪文を唱えてさっくりと治癒することが可能だ。
『読めるか?』
「え?」
どうやら日本語は習っていないようだ。
うーん。よくわからんな。
軍隊に所属させているなら秘密裏にレーンティア様と通信でもしている可能性があると思っていた。
その際に高度な情報をやり取りするのであれば日本語の、特に文書は最高に近い暗号となる。
だが、それを仕込んでいないというのは少し意外だ。
尤も、一から言語を仕込むってのは並大抵ではない。
余程言語能力に長けているなら別かもしれないが、普通なら最低でも数年はかかるだろうし、その言語をネイティブレベルで使いこなせる程度のお手本も必要になる。
レーンティア様とやらも宮廷魔導師という役職に就いているみたいだし、そこまで暇ではなかったと言うだけの話かもしれない。
「読めるか、と訊いたんだ」
「いえ、読めません」
嘘ではない。
「一緒に捕まった奴でこれが読めそうな奴はいるか?」
「……レミさ……レマイユさんなら読めるかも知れません」
嘘?
いや、嘘ではない?
なんか微妙な反応だ。
吐息に付いている色が薄い。
嘘ならもっと真っ黒だし、嘘ではないなら透明なままだ。
灰色っぽい。
発言内容に自信がなく、結果的に嘘かもしれない、と自覚しているとこういう反応になる。
分かり易い例を挙げると、釣りで自分の竿に魚が掛かったとする。
だが、釣り上げるどころか魚体を確認する前に魚が針から外れ、要するにバラしてしまった。
そういう時に何と言うか。
「結構引いたよ。イスズミじゃないかな?」
「デカかった。大鮃だったかも知れない」
「青物、それもあの走りはヒラマサだったわ」
「あの三段締めは良型の真鯛だったよ」
下に行く程、知識や釣りの経験がないと言えないし、それと共に確信は深まるが、誰かを謀る意図はない。
いや、自慢の為に嘘を言ったのであれば吐息は真っ黒になるが、正直に自分の予想を交えて言うのであれば嘘とまでは言えないし、一〇〇%確信があっての言葉でもない予想なので嘘でもある。
そういう事だ。
しかし、ふーん、あの闇精人族が日本語を読めるかも知れない?
ねーな。
ま、後で確認くらいしても損はないけど。
その後、残りのガキ全員とケルザスロンにも確認したが、結局日本語を読める者はいなかった。
一昨日からサモリとやらに調査に向かわせた赤兵隊も今日あたり戻って来る頃だ。
・・・・・・・・・
予想通り、昼過ぎにベンディッツに率いられた赤兵隊が戻ってきた。
道案内をさせた二人の女の子も連れている。
食事や水分は最小限に与えていただけのようで多少の衰弱は見られていた。
骨折している指はグローブみたいに腫れ上がっているので、彼女らも相当な痛みを堪え続けているようだ。
サモリという拠点を調査して分かった事は、幾つかある。
サモリはその場所を知らなければ偶然に辿り着くしかない場所だった。
距離は大して離れていない。
碌な道もないところを歩いて、昼間なら慣れていない者でも片道四時間は掛からないだろうとの事なので、大体五~八㎞程度だと思われる。
このあたり、陸自の普通科部隊や、リーグル伯爵騎士団とは異なり、歩数を数えていた奴が居なかったのでひょっとしたら誤差はもっと大きいかも知れないけどね。
サモリまで以前に拓かれたであろう道はとっくの昔に植物類に覆われており、そうと知っていたとしても他の場所と見分けは付きそうになかったという。
また、彼らはサモリへの出入りの際は、そういった古い道を再利用する事はせずに獣道のような非常に目立たない、単に草が軽く踏み分けられている程度の道とも呼べないような道を使っていた。
そして、彼らがそのサモリに駐屯し始めて確実に一年以上が経っていたであろうこと。
ケルザスロン以下の全員が二年くらい前からサモリに居たと言っているので証言と合致している。
拠点内にある建物はどれもこれもまともな形で残っているものは一棟もなく、朽ちた柱や家の残骸にカモフラージュした布や筵を掛けて住んでいた。
驚いたことに、ゴム引き布まで使っていて、居心地はそう悪いものではなかったらしい。
また、各種食器や調理用具も一揃え用意されており、まだ腐りかけただけの魔物が解体されている途中で干されていたとも言う。
水は小さな井戸がまだ生きていて、実際に使用もされていたようだが、水魔法の使い手も多いので困る事はないと思われた。
トイレも少し離れたところに川が流れており、残されていた衣服も充分な数とは言えないもののきちんと洗濯されて清潔な物が揃っていた。
そして、デーバスの白鳳騎士団から発されていたという命令書もしっかりと回収がなされていたが、その他には回収する価値のあるような文書類は発見されておらず、道案内のガキに訊ねても「必要なくなった物は羊皮紙なら表面を削って白紙保管を行っていた」との事で情報らしい情報は得られなかった。
回収してきた物と言えば、貯め込んであった魔石類が一番価値がある物で、他には予備用だと思われる刀槍類が人数分よりも少し多目にあったくらいだ。
品質はどれもこれも一般的な物ばかりで、業物だとか名剣のような物は一つもなかった。
他にも得られた情報はあるが、重要ではない。
ベンディッツの報告を聞き、回収してきた刀槍類は赤兵隊の戦利品として構わない(ちゃんと手入れはされていたので売れば数百万Zにはなる)旨を伝え、魔石だけは多種を固めた物だけでなく、単一の物も少なくはなかったので調査のために一時預かりとした。
「それと、奴らに話していないだろうな?」
「そりゃ勿論です」
ベンディッツは肩を竦めて答えた。
ならいい。
ん?
俺を含むこちらの素性だよ。
俺は今回、自分の事を"閣下”としか呼ばせていない。
ミヅチの事も“奥様”としか呼ばせていない。
勿論、ガキ共やケルザスロンに対して名乗ってもいないしバースや赤兵隊の者たちにも"侯爵閣下”とも“グリード閣下“とも呼ばせていない。
ベンとエリーは“ご主人様”だ。
“閣下”だけなら俺を特定する事はまず無理だ。
軍隊の指揮官なら貴族位を持っている者は珍しくないし、デーバス王国なら尚更だ。
それに、大貴族である侯爵がこんな辺境に僅かな手勢を引き連れただけでやって来たばかりか、自ら魔術を行使して戦闘を行うなどデーバス王国は疎かロンベルト王国でもあまりに常識外れな行為でもある。
せいぜい、グリード侯爵軍の小隊長か、良くて中隊長クラスだと考えるのが関の山だろう。
俺がダークエルフであるミヅチを妻にしている事が知られている可能性もあるが、それだけで俺をグリード侯爵であると特定するのは困難だろう。
そもそも俺がダークエルフを妻にしている事など、二年も人里離れたサモリという僻地に引き篭もって魔物狩りを続けていた奴らが知っているとは思えない。
たまに来るというデーバスの白鳳騎士団やレーンティア様の使いだってわざわざそんな情報を伝えるよりも余程重要な情報なんか山程あるだろうし、基本的に食料や嗜好品などの補給がメインだったらしいからね。
確かにダークエルフは珍しいが、こいつらだってケルザスロンという立派なダークエルフが居るんだしね。
それに、俺の事をグリード侯爵本人だ、と推測したとしても大きな害はない。本当の事だし。
だいたい、尋問してよく解ったが、所詮は碌に教育も受けていない子供と冒険者崩れだ。
レーンティア様とやらも魔術や戦闘法を教え込んで、ある程度の成長をさせた後で世の仕組みなどの常識を詰め込むつもりだったようだ。
何しろこいつらを買ったのは魔力量から推測しても年齢が一桁の頃の筈で、そんな年齢で読み書きと初歩の計算を教え込んだだけでも大した教育を施したと言える。
対人スキルなどの世渡りに必要な会話術や態度の表し方、感情を隠す有効性など、そういった方面の教育については不十分なままだった、としか思えない。
だからこその小部隊単独でのダート平原の駐屯だったのだろう。
そうでなければレーンティア様に対する過度な信仰を、少なくとも部外者に見せるような真似を糺す者くらいは居ないとおかしい。
そこから考えられる事は幾つかあるが、ちょっとこいつらが可哀想になるよね。
レーンティア様とやらも酷い事すんなぁ。
ミヅチやその護衛たちに聞いた所、ダークエルフはそもそも女王陛下であるリルスに対する異常な程の信仰や忠誠心を持つ者は珍しくないというから、ケルザスロンも不思議には思わなかったのかも知れない。
それに、戦士階級でも二位以上や獲得階級など他国の者と触れ合う可能性のある者は例え女王陛下をバカにされたとしても過度な反応はしないように教育されているとも言う。
ケルザスロンは三位戦士として領内のパトロールや魔物狩りをメインの仕事にしていて、その後に奴隷冒険者をやっていた時期もあると言うけれど、他国の女王をわざわざその国の出身者の前でディスる奴なんかいないだろうし、そもそも他国の統治者なんかベンケリシュ、だっけ? 迷宮のある稼ぎ場から移動する事のない迷宮冒険者風情が興味を持つとも思えないし、荒っぽい迷宮冒険者に喧嘩を吹っ掛ける一般人やチンピラなんかもっといない。
まぁ、ケルザスロンだけはダークエルフの戦士階級出身という事で逃がすつもりはない。
■治癒魔術と痛みの関係ですが、第二部第百三十一話のあとがきに簡単な説明があります。ご興味があればどうぞ。




