第四百九十話 謎の襲撃者 9
7452年8月16日
「よし……」
レマイユはニンマリとした笑みを浮かべて呟く。
登ってきた朝日が彼女の顔に深い陰影を刻んだ。
多少の危険を犯してまだ真っ暗なうちに拠点であるサモリを出たのが功を奏したのだろう。
街道工事のロンベルト人共が到着するよりも先に工事現場に到着する事が出来た。
そして今、あと一時間と経たないうちに周囲数㎞に亘って効力を発揮するケンタウロス寄せの香を焚いたところだ。
これは“揮禅香”と呼ばれる特殊な香木を抹香に加工した上で粉末にした魔石を加えて作る、謂わば特殊な魔法の品とでも言うべきものだ。
人間には感知出来ない、ケンタウロスのみを誘うような特殊な香りを発すると言われている。
勿論、犬人族や狼人族の【超嗅覚】でも感知可能だが、大抵の者はこの香りを感知したところで“良い香り”とも“嫌な匂い”とも感じず、この香の香りを知らなければ“こういう香りの花や実があっても不思議ではない”としか思わない。
あくまでもケンタウロスの様な人馬族種のみを魅了する香りなのである。
この香自体は数十年前に調合レシピは完成していたが、その効果はあくまで副産物だった。
本来は別の目的があって開発されていた物なのだが、この副次効果がかなり有効に働くと認められたために量は多くないものの現在でも僅かながら生産が継続されている。
レマイユ自身、ほんの微量を焚いて効果を確かめて以来、本格的に使用するのは初めてだった。
彼女ら第四独立警備小隊の本来の任務の一つには、こういったある種の魔法の品の効能の確認も含まれていた。
尤も、大概はレーンが作成した正体不明・原料非公開・効能のみが予想されている薬品の実験台としての任務である(当然だが、レーンとしては現時点で人体に悪影響があると言われている材料は使用していない)。
表面が平らに近い石の上に適量だと思われる揮禅香を渦巻き状に整形して盛り、魔術で抹香の先端に火を点けている。
そしてそれを工事の予想進路から少しだけ外れた適当な木の洞に差し入れる。
「皆、行くよ」
近くで周辺警戒を担っていた手下達にそう声を掛けると、地面に降ろしていた背嚢を背負って歩き始めた。
「けへへ、これであの目障りなロンベルト人共も……」
「だね。その様子を見れないのは残念だけどさ」
「あれだけ焚いときゃあ、結構広く広がると思うしね」
「おう、何匹来んだろうな?」
「一〇〇は固いっしょ?」
「流石に一〇〇って事ぁねぇだろうが、少なくとも三〇は来んじゃね?」
「三〇かぁ。ベッティーもそんくらいだったし、一気に来てくれないと厳しくないか?」
「いんだよ、ちまちま来ても。ベッティー供を殺すのが目的じゃないしね」
「連続してケンタウロスが来る方が奴らもやばいと思ってくれんだろ」
「言われてみりゃそりゃそうか」
口々に好き勝手な事をほざく手下達を鎮めるでもなく、レマイユは先を目指す歩を緩めない。
「おっと、遅れっとまたレミさんにドヤされるぞ」
「んだな」
すぐに無駄口はなくなり、足音だけが現場から北東方向へと遠ざかっていった。
彼らの狙いは手下達の言う通り、工事人夫(や、それを装っていると見られている戦闘員)達を殲滅する事ではない。
あくまでもこの鉄道路線よりも(デーバス王国から見て)奥地にあるデナン要塞の防備状況の確認や、ギマリやキンケードなど近隣の拠点に配備されている防衛要員の規模の確認、そしてあわよくば他の拠点がキンケードやデナンのように要塞化されていないかの確認である。
それ自体が露見するのは望ましくはないが、偵察は当たり前の事なのでロンベルト側も予想していて然るべきだし、偵察行為自体がバレてしまったところで致命的とまでは言えない。
困るのは偵察に使用する道の露見である。
従って、どうしても工事中の街道(将来的に敷かれるであろう場所も含めて)を渡らねばならない以上、どこを渡ったのかは知られたくないし、こちらの規模を掴まれるのも避けたいところだった。
そのため、手強そうな者が複数混じっていると思われる工事人夫の集団と戦闘した上で殲滅なり撤退なりさせて押し通るのではなく、彼らの注意を他に向けさせる事を企図したのだ。
だらだらと五月雨式に寄って来るケンタウロスへの対処に忙殺されている隙に、こちらの通行の痕跡を掴まれる事なく街道を通過し、また帰還するのが目的であった。
何しろケンタウロスはたった一匹だとしても恐ろしい敵である。
ロンベルト人共には警備に騎兵もいるようだが、このダート平原に生い茂る森の中ではケンタウロス以上に機動力を発揮する事など、余程熟練した騎手でもない限りは無理だ。
それに、馬と同様に大きな体躯を誇り、上半身は人間同様に器用に武器を操る。
何しろ自ら皮を鞣すばかりか、それを使って立派な馬鎧まで作るし、武器だって金属製の物を含み自作しているとしか思えない。
そんな存在がそもそも弱い訳が無い。
一対一で戦ったとして、勝てる者は数少ない相当な手練れくらいのものだ。
更にケンタウロスはかなり複雑だと思われる独自の言語を使い、互いにコミュニケーションが取れる相手でもある。
その知能はオークやホブゴブリンといった亜人などよりも余程高いと思われる。
概して己の種族以外は外敵であると見なして問答無用で襲い掛かって来る事を除けば、いつかは人間と共生する可能性だってある程に優れた頭脳を持っていると考えられている。
それを考えるとケンタウロスは単なる魔物ではない。
非常に偏狭で頑固、強烈な差別意識を持つだけの人間と言えなくもない。
そんな存在が続々と迫って来るなど恐怖もそうだが、はっきり言って迷惑以外の何物でもない。
まして、それが重要そうな街道工事が行われている場所なら尚更だ。
当分の間、ロンベルト人共は急に発生したケンタウロス禍へ対応せざるを得なくなり、それに伴ってこちらへの注意は薄れるであろう。
……それもこれも、キンケードからギマリへ向かって一直線に伸ばされている街道が全ての根源だと言えなくもない。
何しろ、全くカーブするところがない街道は何キロメートルも先から見通すことが可能であり、昼間の横断は発見してくれと言っているようなものだ。
そして、夜のダート平原は昼間以上に危険過ぎるので、こんな森の深い場所など近寄りたくもなかった。
彼ら第四独立警備小隊の実力を以てしてもダート平原は、しかも夜ともなれば恐ろしい場所なのだ。
・・・・・・・・・
――ふむ。やはりこの時間だとまだ奴らは来ていないようだな。
いつも通り生命感知を使ったアルは肩の力を抜いた。
乗騎の手綱をベンに預け、首を鳴らし肩を回しながら今日最初に斬り倒す樹へと近づいていく。
その様子を眺める赤兵隊員達の瞳には尊敬の念が混じっていた。
彼らの中にも魔術が使える者はいるし、過去に出会った他の傭兵にも魔術師はいた。
それに、隊長であるベンディッツ男爵も強力な魔術師であるので魔術自体は何度も目にしていたし、今更珍しがるものでもない。
しかし、赤兵隊の雇用主であるグリード侯爵は彼らの知るどんな魔術師も裸足で逃げ出すような、隔絶した技量と魔力量を誇っていた。
「……っ!」
樹の幹の根本にしゃがみ込んで、幹に手を当てた瞬間、とも表現出来る程の僅かな時間でアルは立ち上がった。
この集中時間は何度見ても目を丸くする他はない。
赤兵隊で一番優れた魔術師であるベンディッツ男爵ですら得意にしている魔術への集中時間は一秒を切ることはないし、数回も使えば精神的な集中力はともかく魔力が足りなくなってしまう。
侯爵の側に付いていた二人の赤兵隊員が斬られた幹を押すとザザッと葉を鳴らして樹が倒れていく。
そして、その樹が引っ掛かった樹に向かって侯爵は歩き出した。
今度は先程とは反対の手の平を幹に当てたようだ。
侯爵はすぐに立ち上がって赤兵隊員に場所を譲る。
今度は先程のような葉鳴りの他に、バキバキという派手に木が折れる音も立った。
先程斬られた樹が寄り掛かっているので完全には斬っていないからだろう。
このように、連続して四~五本の樹を斬ると侯爵は少し休憩する。
その間に斬り倒した樹の枝打ちを行い、斬られた枝や幹は線路の邪魔にならないような位置に除けられるのだ。
この分なら今日もかなりのペースで工事を進める事が出来ると思われる。
本来、木樵でも人夫でもない赤兵隊の隊員達だが、面白いように進む開削工事が少し楽しくなっていた。
尤も、一人当たりにすれば僅かな額ではあるがその日に進んだ距離に応じてボーナスを出すと侯爵が宣言してくれた事も大きな理由ではあったのだが。
そして……。
「ケンタウロスだっ!」
誰かの叫び声に多くがそちらを振り向く。
が、アルは馬留杭に繋がれたウラヌスへと駆け出し、ミヅチは馬上で弓に矢を番えた。
バースは幾つかに分けて武器をプールしていた箱に駆け出し、ベンとエリーもそれぞれ別の箱に飛び付いて箱を倒す。横に細長い箱からは何本かの剣や槍がざらっと零れ落ちた。
ミヅチの護衛を担っていた二人のダークエルフはそれぞれ腰の後ろに差していた大ぶりのナイフを抜きながら玉竜に跨ったミヅチの方へ全速力で駆け出している。
彼らは揃ってケンタウロス(だと思われる魔物)の数や現れた方向の確認など後回しに行動を始めていた。
アルもミヅチも騎乗戦技術は知れているが、相手がケンタウロスだと耳にしては徒歩だと不利なため妥当なところだろう。
戦うにしても逃走するにしても、乗騎があるのとないのとでは大違いであるからだ。
「くそっ! こいつ!?」
最初に声を張り上げた男がなにか叫んでいるようだが、最早誰も聞いていない。
とにかく武装を調えて駆けつけなければ始まらない。
「ブヒヒッ」
まるで馬が嘶くような声を張り上げているのはケンタウロスだろうか?
まだ少し距離はありそうだが、指呼の間でしかないだろう。
「今行くぞっ!!」
近くに箱があったからか、いち早く自分の長剣を右手にバースが駆けている。
逃げ出してきた傭兵とすれ違いながら、バースは鞘を払うとそのまま落とした。
すぐにバースの目には街道に沿うようにしてゆっくりと走るケンタウロスが入る。
「ん?」
不思議な事に、ケンタウロスも少し慌てているようだった。
その顔には不意にこちらと出会った事で焦りのような表情も浮かんでいるし、腰(?)のあたりに装備していた槍のような物を構えようとしていながらも焦りからか取り落としそうな様子も窺える。
――剣も提げてやがる。槍も使っているし……となると工事チームを襲ったのはケンタウロスだった?
直感的にそう思いながらもバースは少し用心深くなって走る速度を落とした。
ケンタウロスとの戦いは騎乗した騎士との戦いに似ていると考え、何人かで当たるべきだと彼の脳裏に閃くものがあったからだ。
だとすると皆……少なくとも数人くらいが追い付いてから囲んだ方が良い。
「イグッ、ドネリ・カン・デミオン!」
バースの知らない言葉らしきものを叫びながらケンタウロスは槍を構えた。
――あいつの技倆がどんなものかは知らないが、あのまま突っ込んでいたら少しばかり面倒なことになっていたかも知れない。
何しろ、ケンタウロスは人間の上半身は当然、馬の上半身部分にも革鎧を身に着けているように見える。
長剣一本で勝負を挑むのは危険だ。
頭のネジが二~三本飛んででも居ない限りはそんな奴など居はしないだろうと思われた。
又は、狙って鎧の隙間を貫ける程に剣の腕に自信があるか、その両方かだ。
バースとて、剣の腕前にはそれなりの自信もあるし、槍による攻撃を躱せる程度の体捌きについても己を信じられる。
しかし、他に手がないならいざ知らず、焦っている程度の相手に不利を承知で突っ込む程無謀ではないというだけだ。
五m程の距離を置き、バースは足を止める。
敵は槍を構えたまま加速して突っ込んできた。
――うおっ! こりゃ怖いな。
そう感じながらもバースは軽く膝を曲げて爪先立ちになると腰を落として後ろに剣を引いた。
「バースさんっ!」
「いやあああっ!」
バースから少し離れた左右を槍を構えたままベンとエリーが走ってゆく。
流石にケンタウロスが軍馬よりも高機動を誇るとは言え、この距離で目標を変える事は出来ないだろう。
せいぜい手に持った槍を振り、近寄らせない事に徹するか、多少の手傷を負おうとも当初の目的通り、正面に立ち塞がるバースを倒してこの場を駆け抜けるかしか選択肢はない。
そして、このケンタウロスは後者を選択した。
――へっ、ケダモノの癖して思い切りはいいな。
「サズヤァァッ!!」
何事かを叫びながらバースに向かって走り寄ってくる。
ベンもエリーもケンタウロスに槍を突き出すが、僅かに遅く穂先は届いていない。
「ふんっ!」
気合いの籠もった声とともにバースは長剣を振り上げて槍を逸らし、ほぼ同時に自らは右に飛んで体当たりを躱す。
その直後、ケンタウロスの人間部分の脇腹にミヅチが放った矢が突き刺さり、反対側の肩部にはアルの攻撃魔術であるフレイムジャベリンミサイルが命中した。
「ギオオオッ!!」
ケンタウロスは苦痛に塗れた絶叫を放つ。
そして、ダメ押しとばかりにケンタウロスの下半身、馬部分の臀部に投げ矢が二本突き刺さった。
その直後、押っ取り刀で駆けつけた赤兵隊に囲まれ、馬部分の脚を集中的に狙われて地に倒れた。
「ふん。魔物の癖に中々良い装備をしているじゃないか」
ウラヌスの背に揺られて現れたアルは、動きを止め、立つことも出来ずに息も絶え絶えとなっているケンタウロスを馬上から見下した。
確かに使っていた槍の穂先は金属製で、手入れもされているようだし、装備している革鎧もしっかりと油脂を塗り込んで磨かれている。
「ちょっとぉ~、なにあれ?」
赤兵隊に所属する女傭兵の一人が手にした槍先でケンタウロスの馬部分の股間に屹立するものを指しながら嗤う。
生殖器だと思われる器官が肥大化している。
見た目は雄馬のそれと同じように見える。
尤も、傭兵達は戦闘などで興奮状態に置かれた男性がしばしば勃起することを知悉していた。
恐らくはそれと同様の現象であろう。
顔の造作などを見るとまだ若いように見えるが、魔物の見た目など当てにはならない。
アルは「一端に恐怖を感じて種の保存本能を働かせたというところか?」と一人眉根を寄せていたが、傍に立つベンディッツ男爵に「どう思う?」と尋ねるに留めた。
「ひょっとすると、工事チームを襲ったのはケンタウロスだったのかも知れませんね……」
ベンディッツ男爵はまだ鞘に収められたままケンタウロスの左腰に提がっている剣を見ながら答える。
その意見を耳にしたバースは、
「俺もそう思うな。今回はこいつ一匹だったけど、何匹かで襲われて、いきなり護衛の騎士が襲撃を受けてしまったら工事チームなんか全滅させられてもおかしくない」
と続けた。
二人の言葉を聞いたアルとミヅチは少しばかり難しい顔で互いを見合ったが、すぐに視線をケンタウロスに戻すと「そうかもな。誰か楽にしてやれ」と言って馬首を巡らしかける。
だが、
「また来たぞっ!」
すぐにそう叫ぶと森へと右手を向け、攻撃魔術を放った。
■コミカライズの連載が始まっています。
昨年の11/14(木)にWebコミックサイト「チャンピオンクロス」で第一話が公開されています(毎月第二木曜日に更新なので現在は第四話まで掲載されています)ので、是非ともお気に入り登録やいいねをお願いします。
私も含め、本作に携わって頂いておられる全員のモチベーションアップになるかと存じます。
■本作をカクヨムでも連載し始めました(当面は毎日連載です)。
「小説家になろう」版とは少し異なっていますので是非お読み頂けますと幸いです。
ついでに評価やご感想も頂けますと嬉しいです。




