第四百八十七話 謎の襲撃者 6
7452年8月12日
昼。
キンケード村。
「00、こちら01、感送れ」
少しの空電ノイズの後に返答がある。
「01、こちら00、感明よし、こちらの感明はどうか? 送れ」
この声、誰だろう?
女性では無いようなのは判るが、くぐもっていて誰が応答しているのかまでは分かり辛い。
が、向こうの電池の消耗は抑えたいのでどうでもいい事は尋ねない。
「00、こちら01、感良し。五。送れ」
「01、こちら00、了解。送れ」
「00、こちら01、これよりキンケードを発つ、終わり」
「01、こちら00、了解。終わり」
キンケード村を取り囲むように作ってある土壁のうち、西側の天辺にアンテナを立てた事が功を奏したのだろうか、多少くぐもってはいるが充分に実用的な通信が行えた。
受話器をしまい、側に控えていたバースにアンテナとケーブルの回収のため、顎をしゃくる。
かなり前から無線機について話していた事と、使っている場面を何度か見せていた事もあって、バースは無表情でアンテナ線を無線機から引っこ抜くと、小型のドラム式ケーブルリールを使って巻き取りながら階段を登っていった。
ベンは無線機を担ぐと駐屯部隊から割り当てられた建物に向かって歩き出す。
俺は大荷物を背負ったベンの後ろ姿を見ながら、移動速度を合わせるため少しゆっくり目に付いて行く。
……やはり魔物の可能性は低いだろうな。
昨日行った現地調査の結果を脳内で反芻しながら考える。
三〇人弱もの人数を、一人も逃さずに全員殺すなど、それこそ人間には、いや、人間だとしても魔術師でもなければまず不可能だ。
最低でもベル程度の魔力量や、それなりの魔法の技能レベルは必要になるだろうが、魔術師ならタイミング(?)次第で可能ではある。
要するに、俺の必殺技、生き埋めを使えば可能だよって事ね。
魔術師本人の他に何人かいれば、氷ではなく地魔法だけだとしても腰くらいまで一気に埋めちまえば、三〇人程度の人数であれば誰一人として取り逃がすことなく始末する事は出来る。
尤も、俺はともかくとして、ミヅチも知らない強力な魔物がダート平原の中を彷徨いている、という可能性も捨て難いため、断定はしないし、出来ない。
そうでなくとも魔物が魔法を使った、というセンもあるし。
いやだって、バルドゥックの迷宮でだってオーガメイジを始め、コボルドや……何つったっけ? そうそう、インプなんかはガンガン魔術を使ってきた。
オーガメイジみたいに弾頭を飛ばすような攻撃魔術だけじゃない奴だって多かったしな。
それを考えると、やはり襲撃者は魔物ではなく人間であって欲しいところだ。
昨日の現地調査では魔術が使用された痕跡は発見出来なかったが、それはイコールで魔術の使用が否定された訳ではない。
ある程度の範囲に散らばった複数の目標を相手に対して攻撃する魔術はよく知られている物だけでも幾つかある。
ファイアーボール、アイスコーン、チェインライトニング、キルクラウド、などなど、この他にも逃走を阻んだり、拘束したりする魔術は数多くある。
そういった魔術が使われたのであれば、何種類かは使用後に痕跡が残るのだ。
例えばファイアーボールなら飛び散った高温の岩塊による焦げ跡、例えばアイスコーンなら薄刃に刻まれた樹木などだ。
しかし、調査ではそういった魔術が使用された痕跡は何一つ発見されていない。
保存されていた死体の傷口も調べたが、やはり魔物に食い荒らされていた部分以外は何らかの刃物による切り傷や刺し傷などだった。
逃げ出せない程の大人数で一気に襲われた可能性が一番高いが、それこそ大人数が移動してきたのであれば多種多様、色々な痕跡を残す。
足跡などその最たるものだし、人数が多ければ用便の跡だって絶対に残るのだ。
雨でも降っていない限り、丁寧に調べれば葉や木の幹についた小便の匂いは二日以上残るし、埋めたとしてもよほど丁寧に埋めたのでもない限りは大便の痕跡はかなり発見しやすい。
現場付近にはそういった物の痕跡は全く見付けられなかった。
そうなると大人数での襲撃の可能性は激減する。
襲撃者の正体が何にしても誰にしても、まずは襲撃者であったと目される存在を撃滅しない限り線路工事の再開はあり得ない。
ギマリ要塞は重要拠点だし、鉄道路線については出来る限り早く開通させたいのは本音なのだ。
キンケードの出入り口に着くとミヅチ以下、全員が既に必要装備に身を固めて待っていた。
俺のウラヌスもエリーに手綱を取られてぶしゅっと息を吐いている。
バースがアンテナとリールを持って追いついてきた。
ウラヌスの鐙に足をかけ、一息に騎乗の人となると出発の号令を掛けた。
・・・・・・・・・
「レミさん……」
隣で茂みに隠れたままジョエルが囁いた。
その声には無反応でレマイユは観察を続ける。
――この前の奴らといい、ロンベルト人は何としてもギマリまで街道を通す気なんだろう。
ダート平原は密林と呼ばれる程ではないが、その植生は一般的な森林よりは濃い。
勿論のこと、樹木が深く生い茂る場所だけでなく、まばらにしか生えていない場所も多いし、樹木など殆ど生えていない場所だってある。
そういった全てを勘案して「深い森」と評されている場所だ。
身を隠す事の出来る灌木や茂みなど至る所にある。
「レミさんってば……」
ジョエルの年齢は一六。
普通に言って成人の年齢は超えているが、所詮はまだ一六の小僧である。
魔術の技倆はそこそこ上等な部類だが、それ以外は忍耐心も含めて年相応でしかない。
まして、レマイユに率いられたここ数年はダート平原に巣食う魔物を何十、何百と倒してきている。
多少、増長したところがあるのも無理はない。
「うるさいよ、黙ってな」
ぶっきらぼうに答えながら、レマイユは何か作業をしているらしい一団に対する観察の目を緩めはしない。
監視対象のロンベルト人の集団までの距離はおよそ一〇〇m。
これだけ距離が離れていると背格好くらいしかわからない。
勿論、普通の声で会話したところで、あそこまで声が届く事はないだろうが、対象の人夫達に兎人族が含まれているかも知れないとの用心が声のトーンを抑えていた。
覚え違いかもしれないが、彼らが作業をしている場所は先日ロンベルト人の集団を襲った場所からかなり離れている。
記憶が確かならちょっと見ない間の僅か数日で一五〇mは工事が進んでいる。
今は切り倒したらしい樹木の枝打ちをしているところだ。
彼らを発見したのは、今から一時間程前。
手下達を二人一組で編成し直して、四組を周辺の偵察に送り出した。
そして、偵察からまだ一組が帰ってきていない。
戦闘やそれに類するような行動を起こされていないことから、ロンベルト人達に気付かれた訳ではない。
ロンベルト人の人夫達は監視役らしい騎兵が二人いる他は二四人の人夫の合計二六人で構成されている。
が、人夫のうち多くの者は革鎧を着込んで武器まで携えている事がわかった。
明らかにただの人夫ではない。
そんな折、最後の偵察組が戻ってきた。
「レミさん、奴らの騎兵の一人ですが、レミさんと同じ闇精人族っぽいっす」
囁くようなトッドの報告をレマイユは俄には信じられず、思わずトッドへと顔を向けてしまう。
ダークエルフはエルレヘイを含むライル王国からの出奔が認められていない訳では無い。
行商などの護衛で地上の国々を見聞したことでエルレヘイを捨てる者自体は非常に数少ないが居ない事もないし、一位戦士階級が請ける暗殺の仕事においては必要とあらば何カ月も、殊によったら年単位で地上で生活する事すらある。
また、本当に少数ではあるが、ライルの周辺各国には国の出先機関だってあるし、そこでは市井に身を窶しながらも、依頼の受領や情報収集の為に働く者だっている。
しかしながら、そういった者達はおしなべてある程度年齢を重ねた者達である事が多く、基本的にダークエルフはエルレヘイで生まれて育つ。
従って、国外で大人のダークエルフを見掛けたのであればほぼ確実にライルで戦士として働いた経験のある者だと考えても良い。
当然ながら奉仕階級で凶悪な犯罪に手を染めた事で国から奴隷として売られた者も居ないではないだろうが、少なくともレマイユの記憶には見当たらない。
つまり、本当にダークエルフなのであればレマイユと同様に、ライル王国で戦士階級であったという可能性が高いのだ。
――ちっ、相手に同族が居るとなりゃ厄介だね……。でも念の為に確認するか。
報告を受けたレマイユが眉間に深いシワを刻みながら立ち上がりかけた時。
「でもそいつ、肌の色がレミさんとは少し違ってたっすよ」
トッドと組んで偵察に行っていたキエラが囁くような声で言った。
ひょっとしてダークエルフではないのか?
レマイユは再び腰を落とし詳しく聞く事にした。
「どんなふうに?」
肌の色の濃さはダークエルフにとっての美醜の基準の一つである。
黒に近い紫色をした肌をしている事、併せて髪の色は薄ければ薄い程、美しいとされている。
総白髪と見紛う程の銀髪であれば言う事はない。
レマイユも肌の色はかなり濃い方だが、そこまで黒に近い肌をしている者は然程多くはない。
多くの者はそこまで濃い肌は持っていないのだ。
因みに髪の色は、光が当たれば僅かに緑が残っている事が判る程度の銀髪であり、ダークエルフの基準なら超美人である。
なお、顔自体の造作は十人並み(エルフなので他種族、特にヒュームと比較すればかなり美人ではある)であるが、そういった部分に頓着するダークエルフの民は多くない。
だからこそ、レマイユは強烈なセクハラの対象となってしまったのだとも言えた。
「もっと薄い色でした。五〇mくらい離れた場所から見ただけなので顔しか見えませんでしたが、青紫っぽい感じですかね? 兜を被っていたので髪の色まではよくわかりませんでした」
「そうです。でも、あれは普人族や普通の亜人ではちょっと見たことがない色でした。きっとデュロウですよ」
五〇mも離れていても、そこそこ視力の良い者なら肌の色くらいは見分けがつくだろう。
しかし、青紫というのはダークエルフと言うには少し解せない程に薄い色だ。
個々人の表現の問題もあるのかも知れないが、レマイユの常識で言うならちょっと居ない程に薄い色だ。
これで髪の色が濃ければその者の人生に同情するだろう。
ある意味で怖いもの見たさに近い興味を覚え、レマイユはやはり自らの目で確認する事にした。
ダークエルフでないのならそれでよし。
先日のようにある程度纏まり、下馬したところで下半身を氷漬けにしてやれば楽に殲滅が叶うだろう。
万が一、ダークエルフなのであれば用心が必要だ。
ひょっとしたら戦士階級の出身ではないのかも知れないが、騎乗もしていると言うしその可能性は低い。
己程ではないかも知れないが、魔術の技倆はそれなりの物である可能性が高い。
ダークエルフは一人らしいから反撃を受けるにしても埋めてからの第一目標に指定しておけばこちらの位置さえ隠していられるならまず安全に始末出来る。
万が一発見されたとしても固まってさえ居なければ犠牲は一人だけで済む。
そして、レマイユとしてはその一人になるつもりなど毛頭なかった。
とにかく、あの人夫達の最大戦力と目されるダークエルフさえ排除出来るのなら後は多少取り逃がした所で大きな問題はない。
もう既に一度は人夫達を襲って全滅させている以上、取り逃がしは構わない。
レマイユは再び立ち上がろうとした。
「あ、あとそいつの他に二人、デュロウっぽい奴も居たっす」
――それを早く言え!
思わずトッドとキエラを睨みつけてしまう。
怒鳴らないだけ自制したとも言える。
それ程に重要な情報であった。
「あと二人?」
流石に三人ものダークエルフがエルレヘイを離れた場所にいて、且つ一箇所に固まっているというのは不自然に過ぎる。
獲得階級の行商であればまた話は別だが、どう見てもあれは行商中とは言い難い。
それにロンベルト人と一緒に居る?
であれば、これは何かの任務である可能性が高い。
瞬間的にそう考えたレマイユはもう一度腰を落とす。
「そいつらの格好は?」
絶対に聞こえる訳はないのに、更に声を小さくしてレマイユは尋ねた。
「二人共革鎧っぽいのを着てたっすよ」
「あと武器も持ってたみたいっすね。剣っぽいのを提げてたっす」
革鎧や剣はライルの戦士に限らず、どちらも一般的な装備だが、なんらかの作業をしている以上、邪魔にしかなるまい。
「他に武装していた者はいたか?」
「大部分が武装してた感じっす」
「でもこの前みたいに生き埋めにしちゃえば楽勝っすよ」
正に考えの足りない阿呆な事を言う二人にレマイユは苛ついた。
あれは人夫ではない。
今でこそ何らかの作業に没頭しているようだが、大部分が武装しているなど人夫としてはおかし過ぎる。
その作業も先日殲滅した人夫達の遺体回収ではないであろうことはとっくに理解している。
遠すぎて確実だと断定は出来ないが、どうも倒した木の枝を払っているようにしか見えない。
レマイユは脳裏で警鐘が派手に打ち鳴らされるのを感じた。
「今日はこのまま奴らの偵察を続けるよ。持ち場に戻りな」
三人もの同族が居るらしい以上、今襲いかかるのは得策ではない。
少なくとも彼らが何をしているのか、どんな目的を持っているのか確かめてからでも遅くはないのだから。
・・・・・・・・・
囲まれているな。
アルは脳内に展開される生命感知を情報源に、兜の目庇の奥から用心深く周囲を見渡す。
彼から一番近い場所に感じられる方向を見る時のみ、そのスイープ速度は少しゆっくりとしたものになる。
相手に隙があり、僅かでも姿を認められたら【鑑定】してやるつもりなのだ。
少し前から自分達を半包囲するように囲む生命体を感知していたが、中々一箇所に纏まってくれない。
ダート平原に棲むモンスターかも知れないが、アル達に付かず離れず一定の距離を保ち続けていることと、たまに特定の一箇所に合流しては戻っていることを見るに、モンスターではなくこちらを窺っている人間である可能性が非常に高いと思われた。
――こんな動きをしているのは、こちらを観察している人間でしかあり得ないだろ。
九割方人間であろう、特にデーバスの偵察部隊か何かであろうとアタリをつけてはいるものの、未知のモンスターかも知れないという可能性は拭いきれない。
――くそ、中々尻尾を出しやがらねぇな。
こちらを半包囲してる者共はかなり用心しているらしく、アルの【鑑定】でも捉えきれていない。
――こりゃ根比べになるか? 面倒臭ぇな。
時刻はそろそろ一五時になろうかという頃合いである。
日が長い時期ではあるが、キンケードまで徒歩で戻らなければならない事を考慮すれば、この場所に居られるのも良いところであと二時間というところだろう。
アルとしても流石にダート平原のド真ん中で野営しようとは思っていない。
――奴らがデーバスの物見だとして、引く時間が判れば拠点までの距離を割り出せるかも知れないな。
おおよその距離が判った所で方向が不明な以上、あまり大きな意味があるとは言えないがどの辺りまでデーバスの斥候部隊が進出しているのかの判断は出来る。
――流石にキンケードみたいにギマリ要塞よりも手前に拠点を作る筈はないだろう。
ある程度の方角は絞り込めるが、それでもダート平原は広大である。
――ん? 一斉に移動を始める、のか?
慌ててもう一度生命感知の魔術を使うが、やはりほぼ一斉に動き始めたようだ。
ご丁寧に一箇所に集合するのではなく、全てそのまま遠ざかるような動きをしている。
多少なりとも知能のあるモンスターであればこちらの様子を窺う事くらいはするかも知れないが、この動きは明らかに追跡を用心している。
かなりの高確率でモンスターではなく人間であろう。
――どうする? 一人二人でもとっ捕まえて拠点の場所を吐かせるか?
しかし、そうなったらすぐに偵察拠点など放棄されてしまう事は自明である。
残っている連中は拠点を移すだけの話だ。
そして、工事人夫達の安全は脅かされたままという結果に繋がる。
――チャンスを待つしかないか。こりゃある程度の長期戦も覚悟すべきかもな。
兜の下で苦い表情をしながらアルは舌打ちを禁じ得なかった。




