第四百八十六話 謎の襲撃者 5
7452年8月12日
ダート平原内某所。
平原の南東部に聳えるラスター連峰の西の端だ。
平原内で一番近い人里であるダクリス村(既にロンベルト王国のグリード侯爵に占領されている)は北に七㎞程も離れており、次に近いギマリ要塞は北西一二㎞程の位置にある。
この場所は百年以上も前に放棄された、デーバス王国の開発村であった。
場所がダート平原の南端に近い事もあり、別に秘匿などされていないにも拘わらず、その所在がロンベルト王国側に漏れる事もなく、更に放棄されてから長い時間が経過しているため、デーバス王国側でも一般的には殆ど知られていない。
因みに放棄された理由はラスター連峰に近過ぎて、地面に大きな岩や石が数多く混じっていた事に加え、平原内とは多少植生の異なる樹々が多く、その根の張りようが余りにも強過ぎたために開墾には適さず、と判断された為である。
何にしてもこの地は当時の名のまま、在留者(?)にはサモリと呼ばれていた。
開発当時から残っている建物など一軒もなく、僅かに当時の建物の中でも一番頑丈に建てられていた建物の柱を利用して簡易的な天井を作り、壁は筵を張っただけの本当に簡素なものが一軒しかない。
馬も居るが、厩舎は更に簡素な造りで、壁すらもないものだ。
明らかに急造された建築物であり、おまけに手抜き感満載の小屋と呼ぶのも烏滸がましいくらいの建物しかない。
そこで暮らしているのはデーバス王国白凰騎士団に所属する第四独立警備小隊の面々である。
彼らは第三独立警備小隊が完全に壊滅して以降、レーンが所有する戦闘奴隷でも一番の古株且つ戦闘力を備えた人材になっていたものの、パールドラゴンのマティの世話には加わっていない。
その理由は幾つかある。
一番大きな理由は彼らを任せている女の性格に問題があった事だ。
女は、名をレマイユ・ケルザスロンという闇精人族で、今から二〇年前にエルレヘイの内部で殺人を犯して奴隷として売り払われた経歴の持ち主であった。
偶然に彼女の存在を知って、一〇年も前に彼女を購入したレーンは、奴隷商から彼女の経歴を聞かされた瞬間に割増料金を支払ってまで、再度になる強い奴隷教育を依頼した。
奴隷教育、特に精神教育は魔術が絡まない薬物を利用しただけの純然たる催眠技術だが、一月後には完全に奴隷としての教育を終えたという奴隷商の太鼓判と共にレーンの下へ納品された。
聞くところによると、彼女が殺人を犯したのは、当時の上司から無理やり肉体関係を迫られたからだという。
ダークエルフ達の暮らすライル王国では一夫多妻や一妻多夫制は一般的ではなく、それどころか法制度上も一夫一婦制となっており、不義密通はそれが発覚した時点で処罰の対象となる。
勿論、互いに婚前であるなら犯罪でもなんでもないが、その時上司は既に妻帯者であったのだ。
更に、上司とレマイユの折り合いがあまり良くなかった。
そしてある時、上司と二人きりでエルレヘイ周辺のパトロールに出る事になった。
行程は一泊二日である。
その夜に上司に迫られ、動転した拍子に殺してしまったのだ。
確かにライル王国でも強姦は犯罪であるものの、殺人はそれよりもずっと重大な犯罪であるのは当然である。
まして、戦士階級に所属していたレマイユであれば、殺さずとも抵抗して怪我を負わすなりして逃亡すればよかったし、その技術も充分にあると見做された。
ついでに、表向き人の良い顔で通っていた上司が、幾ら真っ白な髪を持つ美しい容姿のレマイユとは言え、直属の部下に対して強引に関係を迫ったという事はなかなかに信じられ難く、証拠も一切無かった。
その上、レマイユとその上司の折り合いが良くなかった事については多くの証言があった事もある。
こういった経緯でライル王国から追放(=奴隷としての売却)処分を受けてしまった。
彼女がまだ一六の時である。
その後、彼女は成金のドラ息子が率いる冒険者に売られてベンケリシュの迷宮で迷宮冒険者として働いていた。
何度か売り買いされて幾つかのパーティーを渡り歩いていたが、その際にレーンに購入されたのである。
因みに、ライル王国の戦士階級出身で、魔術や武術に長けていた彼女の価格は非常に高価で、今までにレーンが購入した何物にもその金額は抜かれていない。
奴隷冒険者として長年過ごしているうちに、レマイユはすっかりとスれてしまっていた。
暴飲暴食や荒淫は当然、舐められにくくするために蓮っ葉な喋り方を体得し、大抵の物事は暴力で解決するような性格になるまで僅か数年の時間しか必要としなかった。
奴隷教育で施されるのは自らの主人に対する忠誠と服従心を植え付けるのみである。
性格の矯正などはそもそも無理な相談だ。
粗暴な迷宮冒険者の中で過ごすうちに醸成された性格や、物事に対する好悪の情までは直しようがない。
そんな中で唯一、周囲に対してレマイユが明らかにしていなかったのが魔力量である。
人並みの魔術師よりは多い程度の魔力量であると誤魔化し続けていた。
これは、初めて奴隷として売られた際に行われた奴隷教育が少し半端な物であった事に加えて、ライル王国で行われた魔法教育の際に教えられた「魔力量は己の生命線であり、絶対に誰にも気取られるな」という言葉を固く信じていたからに他ならない。
喩え主人と言えども「魔力の限界を知られてしまえば万が一の際に主人を助けられなくなる可能性がある」と己の心を欺瞞する事で魔力量を尋ねられても彼女自身が認識している量よりもかなり少なく申告していた。
未だそれが役立った事こそないが、彼女は常に主人に対して体を張って護衛役をもこなしていた。
その程度には奴隷教育は効果を発揮していたのだ。
奴隷商から軽傷治癒という、多少なりとも高度な治癒魔術に加えて幾つかの魔術が使える戦闘奴隷が売りに出された事を耳にしたレーンとしては、最初からそれなりの魔術を学んでいる奴隷に大きな興味を持った。
何しろ、それまでレーンは全く魔術が使えない子供の奴隷しか買った事がなく(※作注:ジーンやジェリックはレーンの父親がレーンの家庭教師とするために購入した奴隷です)、レーンとしては己やゲグラン家と関係のない所で魔術を修めた者と深い接触をした経験がない上、奴隷としてはかなり珍しいダークエルフという種族であったために、単純な興味を惹かれた事も大きい。
更に、当時のレーンはベンケリシュの迷宮へ挑戦するところであり、迷宮の知識があって信用のおける戦闘奴隷を探していたという直接的な事情もあった。
相当に高価ではあったが、王宮に銀杯として仕える宮廷魔術師であるゲクラン家はそこそこに裕福である事も幸いしたし、王子や公子から幾ばくかの援助金すら引き出す事に成功していた。
再度の奴隷教育によってほぼ完全な主人への服従心を植え付けられた事で、少なくとも「今まで魔力量を隠し続けていた」事とその理由、そして「自分が認識している魔力量」についてレーンに尋ねられるまま喋っていた。
僅かな期間で乱暴な性格は直らないと看破したレーンは、レマイユにはある程度自由に奴隷教育を任せる事にした。
そうした上で、最終的にレーン仕込みの奴隷と、レマイユ仕込みの奴隷でどれほど魔術の技量差が起きるのか、という実験の意味もあったのだ。
そんな折に、運良く王国の王子や公子と知己を得ていた事もあって、レーンは国内でも昔の資料を当たれるような者しか知らない土地の情報を得られたのだ。
そして、第三独立警備小隊を白鳳騎士団に押し込むと同時にレマイユと彼女に預けた奴隷達も第四独立警備小隊としてサモリに駐屯させていたのだ。
なお、当然ながらダート平原に対するグリード侯爵の侵攻を知った時点で彼女らには撤退命令が発せられていたのだが、その伝令はサモリに向かう途中で魔物に襲われて落命していた。
しかし、彼女らに対する伝令はもう一組送られていたのである。
それは制度上、彼女らが所属してた白鳳騎士団からのものであった。
第四独立警備小隊は基本的にゲグラン家が所有する私兵でもあるが、有事には騎士団にも直接命令権があるし、それに逆らう事は持ち主であるレーンに対して命令不服従の罪が及ぶ事でもある。
レマイユ達はそういった事については第四独立警備小隊として白凰騎士団に組み入れられた時点で叩き込まれていた。
勿論、奴隷としての教育ではなく、普通に知識として教え込まれただけで、それはレーン自身も認めていたし、彼らにも「有事の際には騎士団から命令が下ることもある。その場合はその命令に従うこと」としっかりと命じられてもいた。
何しろ彼らの少し先輩である第三独立警備小隊の面々はその命令に従って(作注:この時に命令を出したのは現地部隊である緑竜騎士団です)タンクール村で行われた戦闘に介入せざるを得なかったのだから。
敵の勢力圏近くに潜んでいる奴隷兵集団。
しかもそれなりの魔術も修めていると思しき集団ではあるが如何せん少人数だ。
いつまでも帰って来ないレマイユ達や伝令に業を煮やしたレーンは調査のために冒険者を雇って伝令として送り出した。
それが到着したのはつい先月の事であったが、レマイユ率いる第四独立警備小隊は既に白鳳騎士団から正式な命令を受けた後であった。
――敵情を探り、報告せよ。
そう命令を発した白鳳騎士団も本来ゲグラン家の私兵である第四独立警備小隊にあまり無茶はさせられない。
以前の第三独立警備小隊の場合とは状況が全く異なるからだ。
タンクール村における戦闘の際はタンクール村は攻撃を受けている最中であり、充分な援護も受けられたが、今回はそういう訳でもなかった。
そもそもその命令が発せられたのはラスター連峰以北の十ケ村が陥落して以降、それなりに時間が経過した後の事であり、レーン自身、伝令を派遣したのが六月の終わり頃であった。
騎士団から正式な命令が発せられて、軍事行動に組み込まれてしまえば如何なレーンやゲグラン家と言えどもそれを覆すような命令は出すことは出来ない。
レマイユ達第四独立警備小隊もロンベルト軍の侵攻が行われている事とデーバス王国側が不利に陥っている事は掴んでいたが、その時点でレーンや騎士団から何の命令も届いていなかった事もあって、普段通り拠点であるサモリ近辺で魔物狩りを継続していた。
本来、騎士団から第四独立警備小隊に対して発せられていた命令は「サモリ周辺の監視」である。
勿論、これは表向き、白鳳騎士団に所属する一部隊であるために発せられていた物であり、本当に表向き以外の何物でもなかったのだが、近所であったギマリに数年前に要塞が築かれてしまった事もあって、ある意味で敵情を探る最後の頼みという立ち位置になってしまった。
ギマリに要塞が築かれた時点で、命令は「ギマリ要塞の監視」に更新され、別の近所であるダクリス村やヴィジェッド村に駐屯させた偵察部隊同様に、騎士団からは結構重要な情報源として期待されていた。
その後、先月の終わり頃に再度白鳳騎士団より命令が届いた。
――敵情を探り、報告せよ。また、可能ならギマリよりも奥地に潜入し、キンケードやデナン、タンクールの情報も探ること。
第四独立警備小隊としては従わざるを得なかったのである。
・・・・・・・・・
「さぁ、お前ら。今度はデナンの方へ行くよ」
「「へい!」」
レマイユは迷宮冒険者時代には考え難い高待遇について感謝はしているし、恩も感じてはいるが別にレーンに対して心酔している訳では無い。
が、奴隷教育のお陰もあって、主人に対して一般的な奴隷が持つ程度の忠誠心や服従心はある。
命じられた事は忠実にこなそうとするし、自分の行動の結果として主人に対して迷惑を掛ける事も忌避するという、奴隷として当たり前の気持ちは持っているし、それに違和感も抱いてはいない。
レーンに命じられれば、部下として、また手下として配された年若い奴隷に自分が知る限りの魔術教育も施すし、剣や槍、弓といった武器の使い方だって仕込むに吝かではない。
更に言えば、ライル王国で戦士階級として補されていた実力は確かであり、特に魔物退治には何度も手柄を上げていて、月間の魔石獲得額でベストスリーに入り、些少ながら追加の報奨金も得た事すらある程だ。
レーンが言う「魔物を殺しまくれば強くなる筈だからやれ」という言葉に疑問は感じても、それに反するような気持ちはないし、邪魔をする気も邪魔になる気も毛頭ない。
ただ粛々と命令を実行するのみだ。
「一五分後に出るよ、皆、装備の確認をしな!」
「「へい!」」
そして一五分後、レマイユに率いられた一二名の第四独立警備小隊はサモリから進発した。
「レミさん、今日はどのルートで行くんで?」
手下達の中でも年長であるゾーリーが尋ねてきた。
「ん~、少し前にやった奴らがどうなっているか、ロンベルト人の事後処理も確かめておきたいからね。地点ギーからカイを回って行く事にしようか」
「わかりやした! ところで次の補給はまだっすかね? いい加減魔物の肉には飽き飽きなもんで……」
「ん~……確かにここんとこ遅れがちだな。まぁ、お国も尻に火がついてんのかもな。でも、レーンティア様はあたいらの事はお忘れじゃない筈だよ。直に来るさ」
「そっすね。あー、鶏が食いてぇなぁ」
「全くだね。いつか送って頂いた若鶏ってのは本当に美味かったねぇ」
「ええ。廃鶏とは比べモンになりませんでした。柔らかくって肉汁たっぷりで……じゅるり」
「そう言えば子豚も美味かったねぇ……オラ、お前ぇら、ダラダラ歩ってんじゃないよ!」
何度言っても直らない喋り方はレーンも匙を投げて久しく、もうとっくに諦めていた。
■アレクやセルが直接レマイユを購入しなかった理由としては、彼らのような身分の高すぎる者が下賤な迷宮冒険者の戦闘奴隷を所有する事は憚られるからです。
また、当時彼らに合流していたミュールもただの平民であり、王家の従士ではありません(従士はあくまでもミュールの父親であるボンダール・サグアルです)から奴隷の所有は不自然なためです。




