第四百八十三話 彼は彼で必死なんだよ
7452年8月5日
「ちょ……待ってよ……」
ぜえぜえと大きく息を吐きながらエムイー訓練を受ける戦闘奴隷が泣き言を言った。
彼女と相棒を組んでいるリンビーもほぼ半べそ状態だが、泣き言は漏らしていない。
それ以前に彼女が運ぶはずの荷物のうち、弾薬だとされている五㎏もの重量がある金属製の箱もリンビーが肩代わりして運んでいるのだ。
――くそ。こいつ、死なねぇかな……。
日に日に自らの相棒に対して殺意をつのらせるリンビーだが、それが精神的な不健康さを表していることもまた承知していた。
リンビーのご主人様も言っていた。
――不満に思ったり、今の立場が不遇だと嘆くのは仕方がないことだ。人間だからな。だが、それを表には顕すな。内心でどう思おうと我慢して笑みを浮かべろ。希望のある言葉を言え。その顔や態度、言動が周囲を元気付ける事になる。
そうだ。
辛い時こそ笑い、相棒を元気付けなければならない。
冷静に考えても彼女はリンビーだけでなく、訓練学生隊全員の足を引っ張っている。
しかしながら、彼女が倒れて行動不能になってしまったら今回の訓練目標の達成は更に困難に、いや、達成など覚束ないものになってしまうだろう。
彼女も一人の戦力であり、隊にとって欠かすことの出来ない存在なのだ。
そもそも足を引っ張っていると思われるのは彼女一人ではない。
マールと相棒を組んでいる男性の若手騎士だって彼女並みに足を引っ張っている。
しかし、マールは彼に対して不満な顔など一切見せずに努めて明るく話すようにしているのが分かる。
ときに発破をかけて元気付け、ときにあともう少しで目標地点に到達するので休めると常に声を掛けている。
ここは、下手でもマールの真似をしなければならない時だろう。
「頑張って、エムイー・ミレーヌ。辛いならもう少し私が運ぼうか?」
リンビーは意識して明るい声を出し、相棒を振り返った。
ミレーヌ・エマソンという名のゼノムに仕える戦闘奴隷はそんなリンビーの顔を今にも死にそうな表情で見たが、一度だけぎゅっと目を瞑ると頭を振ってリンビーを見返した。
「ごめん、弱音を吐いちゃった。しんどいのは皆一緒なのに……」
そう言って真っ直ぐにリンビーの目を見返すと編み上げの戦闘靴に包まれた足を踏み出す。
相変わらず力の籠もっていない一歩だったが、そのストライドは今までよりも僅かに広くなっていた。
・・・・・・・・・
7452年8月8日
「ぶえ~、ちかれた~!」
「ホント、私なんかまた足の肉刺剥けちゃったよ……」
小休止時にラルとグィネの二人がブツブツと不平を零している。
が、誰もその発言を咎める者はいない。
と言うより、教官を含めて誰もが化け物でも見るかのような視線を送っていた。
何しろ彼女らは普人族と山人族の女性に割り当てられている一人約三〇㎏になる重量の荷物を背負っていたのは当然として、ライフルを模した木銃に加えて、ブンタイシエンカキと呼ばれる七㎏を超える長物やその弾薬だとされる通常の弾薬箱よりも二回りほど大きな金属製の箱まで肩から提げっ放しだったのだ。
当然ながらブンタイシエンカキは動作などしない単なる木と金属の塊のウェイトである。
彼女らに匹敵するほどの荷を運んでいるのは騎士団長の警護隊長であるズールーの他は僅かな人数だけで、それでも軽口を叩ける程に余裕があるのはズールーだけだ。
「ったくさ~、治癒魔法禁止って考えたの、一体どこのバカよ?」
「本当、剥けたとこ痛いし、マジで殺してやりたい」
ラルとグィネは相変わらず不平を口にしているが、そこにいる全員の気持ちを代弁しているとも言えた。
「あんたら、元気ね……」
彼女らの隣で地面に腰を下ろしていたベルが少しだけ羨ましそうに呟いた。
「アホは頭の中まで筋肉なんでしょ……」
ベルと相棒を組んでいるヒスが顔を歪めながら吐き捨てるように言うが、その口調はどこか楽しそうだ。
「あと五分で見張りの交代よ」
この日の戦闘隊長を拝命しているカームが宣言すると次の見張りの当番であるルッツとヘンリーは嫌そうな表情を浮かべながらも木銃を引き寄せた。
「おいちちち……誰か包帯余ってねぇ?」
戦闘靴から片足を抜いたサンノが周囲に尋ねるが、色よい返事は帰ってこない。
「そこまで剥けたら皮を切っちまったほうが良くないか?」
派手にズル剥けたサンノの踵へ気の毒そうに目をやりながらメックが言う。
「確かに」
「そうですよ」
デンダーとカリムもメックに同意した。
「ちっ、あんまりやりたくなかったけど仕方ねぇか……」
サンノは胸に固定していたナイフシースからナイフを抜くとズル剥けた踵の皮を慎重に持ち上げてそっと切り始める。
ふやけてベロベロになった皮膚を切り落とすとピンク色の筋肉が目に入る。
とても痛そうだ。
そして、切り離した足の皮膚に未練たらたらの視線を送るが、意を決したように投げ捨てた。
それを目にした全員が「あれ、食いたかったんだろうな」と思ったが何も言わなかった。
今朝早くにべグリッツを発ってからとっくに昼を過ぎた今まで何も口にしてはおらず、水すら飲んでいない。
夏の日差しが照りつける時期だが、森の中なので直射日光には殆ど晒されていないのが救いと言えば救いだが、もうそろそろ限界も近い。
「全員、水を飲んで。但し、蓋二杯までよ」
訓練参加にあたって学生達に支給されている水筒はゴム製の一リットル入る水筒だ。
つい先日、騎士団に正式採用されたもので、その形状は口金部分を除いて単なる直方体をしている。
口金と蓋のみはエボナイト製でネジが切ってあり、蓋は小さなコップ状で五〇mlほどの容積がある。
蓋は脱落防止のために水筒本体とは短い紐で結ばれている。
内容量が減ってきたらその分ゴム製の本体を押し潰すことで体積を減らすことも可能な優れモノであった。
「うまい……」
一杯目を味わうようにゆっくりと飲んだケビンが呟いた。
その隣ではチョーゼルという訓練学生が一気に二杯を飲み干している。
めいめいが許可された蓋二杯分の水を飲む中、ズールーだけは一杯に留めていた。
獅人族の男性に割り当てられている荷物の重量は五〇㎏もある。
それに加えて当然のように木銃と、モーターと呼ばれる特別な荷物もズールーは運んでいた。
長さ一m近い太い筒状の部品に加えて、固定用の金属部品も合わせるとその重量は優に一〇㎏を超える大荷物だ。
こちらもラルファ達が運んでいるブンタイシエンカキ同様に只のウェイト以上の何者でもないが、時にもっと重い荷物を背負って黙々と迷宮を歩いていたラリーの姿を思い出すことでズールーは耐えていた。
――訓練と言えど何が起こるかわからん以上、耐えられるなら耐えるさ。
教官の忠告に従い、長くて邪魔になりがちな槍や長剣、両手剣は携帯せず、訓練学生全員は白兵戦用武器として歩兵用の剣とナイフのみを携帯している。
今まで行われていたエムイー訓練には参加していないものの、観察できる範囲でしっかりと観察をしていたズールーとしては、訓練参加が言い渡された瞬間から必要以上の水分補給を行わないように自らを戒めていた。
帰還してくる学生を観察するだけで得られる情報は案外多いのである。
勿論、脱水症状で倒れてしまったら元も子もないのでそのあたりは慎重に見極めている。
そうしているうちに見張りの交代時間になった。
ルッツとヘンリーが休息地から離れていき、代わりに今まで見張りに立っていたミースとビルサインが戻って来る。
小休止はあと一〇分で終わってしまう。
・・・・・・・・・
7452年8月9日
デーバス王国、王都ランドグリーズ。
その中心街から少し外れた高級住宅地にダンテス公爵の王都別邸はある。
建築技術の粋を集めた華麗で豪奢な建物で、庭園も十分な広さがあり隅々までしっかりと手入れが行き届いている。
その談話室で、ダンテス公爵は一人の男と会話をしていた。
緑竜騎士団の団長、ヴァルヘ伯爵だ。
伯爵は嘗て白凰騎士団の副団長を務めていたこともある老練な武人であり、その経験と高い統率力はなかなかに得難い才能とも言える。
とは言え、先の敗戦により責任を問われる寸前でもあった。
「公爵閣下、そうは仰いますが我々が同様な作戦を採る事は無理な相談ですな」
「何故だね?」
自分よりも一回り近く年上の武人に対し、ダンテス公爵は不満そうな態度を隠そうともせずに訊ねた。
「理由は三つあります。一つはまず初戦でもどこでもよろしいが、戦闘可能な捕虜を大量に得て村か街を占領しなければいけないことです」
「ほう。だが、それはグリード侯爵の軍も同様ではなかったのかね?」
敵が出来た事であるなら自分達にも出来ない道理はなかろうとばかりに公爵が言う。
「然り。彼らは最初に奇襲を掛けるという形でやってのけました」
「ならば我々も……」
「奇襲というのはこちらの攻撃を気取られてはなりません。そういう意味で、既に充分こちらの攻撃を警戒しているであろうダート平原の各拠点に対する奇襲の成功率など微々たるものでしかありますまい」
その説明については軍事にはそれほど明るくない公爵も頷かざるを得ない。
しかし、それなら何故こちらはむざむざと敵の奇襲を許してしまったのか、という疑問が残る。
何より、この春に奇襲を受けるよりも大分前からグリード侯爵はデーバス王国に対して最後通牒を突きつけている。
宣戦布告とはこれから戦争を始めるという宣言だが、同時に戦争を避けるための条件の通知でも可である。
グリード侯爵は昨年、拐われた婚約者を無事に返し、ダート平原全域の割譲を迫ってきた。
その要求を飲まないと戦争を開始する、という言葉であり、要するに宣戦布告と同一である。
そのような状況下にも拘わらず、敵の奇襲に対する警戒を怠っていたのではないか、と公爵は言いたいのだ。
尤も、今更そこを糾弾したところで何の解決にもならないことは理解しているし、それは別に査問会が開かれる予定でもある。
そしてこの場で伯爵と喧嘩をしたい訳でもないので言及はしなかった。
「……」
公爵は顔を歪めたが特に何も口にはせず先を促した。
「そもそも奇襲が綺麗に決まったところで充分な捕虜は得られないでしょう」
それも分からんでもない。
報告によれば、宮廷魔術師もかくや、という程の高度な攻撃魔術を連発され、初戦のフィヌト村はあっという間に降伏してしまった。
降伏しなければ奴隷はともかく、貴族階級や平民にも多大な戦死者を出してしまった可能性は非常に高いと思われた以上、降伏それ自体は責められないだろう。
グリード侯爵と同等の戦果を上げるためには彼と同等かそれ以上の魔術師が必要になる。
王国の金杯と言われたロボトニー伯爵が居ればその任に耐えられた可能性はあるが、今残っている銀杯と呼ばれている宮廷魔術師を全員掻き集めでもしない限りはそれだけの戦力には届くまい。
要するに無い物ねだりに近い、と伯爵は言っているのだ。
「……」
公爵としても黙って次を促すくらいしか出来なかった。
「次に、我が緑竜騎士団の編成が問題です」
緑竜騎士団は白凰騎士団、青虎騎士団、黒狼騎士団と並ぶデーバス王国の常備軍である。
その編成の何が問題だというのか?
公爵には俄に理解できない言葉だった。
「緑竜騎士団は構成人員の八割が徴兵戦力です。特に任地であるダート平原やその周辺地域から集めた徴兵が主体と言っても過言ではないでしょう」
それは公爵も承知している。四騎士団は全て、多かれ少なかれ徴兵した兵士を戦力として組み込んでおり、大多数は徴兵戦力が主体であった。
そして、緑竜騎士団だけが突出して徴兵戦力の割合が高いとは言えない。
また、長らく国境線の解釈を巡ってちまちまと小競り合いが続いていたロンベルト王国ではなく、つい先日まで大きく領土を削り取られていたカンビット王国の軍隊も徴兵と職業軍人の割合は似たりよったりである。
第一、そのロンベルト王国とて、百年近くも勝ったり負けたりが続いていた相手である。
軍の練度がロンベルト王国の軍隊と比較して低いというのは、もうずっと以前から語り尽くされており、それを補うための大量徴兵でもあった。
徴兵しておけば、いざという時に予備役とも言えるそれなりに軍隊経験のある兵士を速やかに揃えられるという利点だってあるのだ。
要するに、何を今更、というのが公爵の本音である。
「僅か二~三年で軍務を離れる者が大半で、教育が行き届きません。これはすなわち、魔術攻撃に対する練度不足にも繋がっているのです」
伯爵が言いたいのは、そもそも受ける機会の少ない魔術攻撃に対する訓練不足と、恐怖心の克服が出来ていないと言うことであろうか?
公爵には分からなかったが、取り敢えずはそう考えることにした。
「そして、三つ目。指揮官の質の問題です。正直に申し上げさせて頂くならば、私が前線に居たのであれば、その場くらいは勝利を収められたかもしれないと思ってはいます。ああ、勿論、グリード侯爵自らが指揮していた相手以外ならば、という意味ですが」
その言葉が決して伯爵の強がりではないだろうということは顔を見れば判る。
伯爵とて若い頃から何度となく実戦をくぐり抜けてきた戦場の勇者でもあるのだ。
「そうかも知れぬな……」
だとしてももう遅い。
しかしながら、公爵としてはあれだけのボロ負けを喫しておきながらも未だに完敗だったと言わない伯爵に対して頼もしさすら感じていた。
「……勝つためには、一つでも拠点となるような場所を取り戻すには何が要る?」
テッポーやタイホーが必要になるだろうというのは公爵にも予想できる。
しかし、それを自身が言いたくはなかった。
可能なら、王太子自らが「奪われた土地を奪還する一助とするため、是非にこれらの武器をお役立て頂きたい」と言って欲しいところだ。
「聡明な閣下にはお解り頂けるでしょうが、戦力を増強可能な優れた武器でしょうな。勿論それらを使いこなすための充分な訓練期間も必要でしょう」
うん。伯爵の気持ちとして復讐戦に及び腰ではないというのは重要だ。
そして、悔しいと言えば悔しいが、今後の戦場を変えるとすら言われている王太子陣営が開発、運用している高性能な武器が必要なのは共通理解であるという事も認識した。
あとは、指揮官たるヴァルヘ伯爵本人や彼を補佐するようなダンテス閥の人間をどう焚き付け、王太子陣営に交渉させるかである。
■今回で今年ラストの更新です。
次回は年明け1/5になる予定です。
今年はコミカライズのスタートなど本作にとって大きな進捗のあった年でした。
(正直な話、意外過ぎて未だに掲載されているコミカライズ版を見ては頬をつねっています)
これも普段から本作を応援してくださっている読者諸氏のお陰です。大変お世話になりました。
来年もどうかよろしくお願い申し上げます。
それでは良いお年をお迎えください。
■コミカライズの連載が始まっています。
11/14(木)にWebコミックサイト「チャンピオンクロス」で第一話が公開されています(毎月第二木曜日に更新なので現在は第二話まで掲載されています)ので、是非ともお気に入り登録やいいねをお願いします。
私も含め、本作に携わって頂いておられる全員のモチベーションアップになるかと存じます。
■本作をカクヨムでも連載し始めました(当面は毎日連載です)。
「小説家になろう」版とは少し異なっていますので是非お読み頂けますと幸いです。
ついでに評価やご感想も頂けますと嬉しいです。




