第四百七十話 レンラク 3
7452年7月3日
今回は完全に日本語の手紙だ。
そらまぁ、デーバス王国の兵隊も伯爵だかの手紙を盗み読みなんてしないだろう。
されたところでどうせ読めはすまいと高をくくっていたのかもしれないが。
それに、そもそも普通の手紙ならラグダリオス語で書かれているから日本語にするだけでセキュリティーは数段跳ね上がっている。
えーっと……
――グリード侯爵閣下
拝啓
私はストールズ伯爵センレイド二世と申します。
日本での名は木内義男と申しまして、二四年前の事故でデーバス王国に生まれ変わった日本人です。
以前、閣下の部下であるニューマン閣下とバラディーク卿とお会いさせて頂く機会を得ましたので、私のことはお聞き及びかと存じます。
さて、今日文を認めさせていただいたのは他でもございません、閣下と面談の機会を得たいと考えたからです。
勿論、昨年閣下が我が国に対して宣戦を布告なされた事は重々承知してございます。
そして、閣下のお怒りについては、こちらも納得の行くものであると存じます。
しかしながら、我々デーバス王国は断じて閣下のご婚約者様を拐かしたりはしておりません。
本件について清廉潔白な身の上であると断ぜられます。
従って、本件についての閣下のお怒りについては心よりご同情差し上げるものの、その矛先については真犯人へと向けられるべきではないでしょうか。
過日には身に覚えのない事件の犯人であると指摘され、我々も青天の霹靂、動転して失言してしまった者も居るやもしれませんし、閣下のご使者に対して無礼を働いた者も居たのかもしれません。
ですが、どうか閣下の激情については一時のものであるとお納めくださらないでしょうか。
私共と手を取り合って真犯人の捜査とご婚約者様の捜索を行おうではありませんか。
(中略)
元は、いえ、故国の同じ日本人同士、無益な争いについては一時中断して、我々に話し合いの機会を頂ければ嬉しく思います。
末尾になりますが、閣下の御多幸と更なる躍進を願って。
敬具
ストールズ伯爵センレイド二世
木内義雄 拝――
昨日受け取った宮廷魔導師の女よりは大分マシに見えるが、言っている事自体は大した違いはない。
要するにちゃんと会って話し合いをしよう、という要求である。
確かこいつは御三家とも言われているストールズ公爵家の長子嫡男であり、目下のところデーバス王国の日本人たちの親玉とでも言うべき存在の筈だ。
親玉がこんな体たらくでいいのかね?
これだけでお里が知れる。
俺がこいつなら徹底的に俺の事をボロクソに言うわ。
例えば、碌な捜査もしなかった挙げ句、証拠の一つも提示せずにいちゃもんみたいに領土の割譲を要求し、ここだけはご丁寧に宣戦布告をしたものの、恥知らずにも攻め込んで来て無辜の民の生命財産を奪った悪魔だとかね。
で、こんだけ言われっ放しが悔しきゃ申し開きでもしてみろコノヤロウ、機会が欲しいならくれてやるぞバカヤロウって締める。
まぁ、日本人なんだろうね。普通の。
戦争とか野蛮なことは止そうよ、という、どうにも転生前の日本的な考えが透けて見える。
当然ながらその考えや価値観は全く悪いものではないし、このご時世ではむしろ貴重なものだろう。
だが、貴族として、為政者として、そして多くの人々を幸福へと導く者としては悪手以外の何者でもない。
俺だって何も好き好んで戦争なんざしたくはないが、為政者としては領土拡張・国力増強のタイミングや口実を見逃すほど愚かではないというだけの話だ。
いや、俺の“個人として”の力を承知していて、これは敵わない、と考えているのだろうか?
ここ暫くの戦闘でも俺も結構派手な魔術を何度も使ったし、ミヅチもだ。
だとしたら頷けなくもない……か?
俺にびびっていながらも何とか体面を取り繕い、これ以上の直接対決を避けるため……という目的であれば?
うーむ、どちらにしても決めつけるのは早計か。
元々よく知らない人だし、公爵の息子で伯爵ともなれば……。
こりゃミヅチだけじゃなくて他の奴にも意見を聞いてみるべきだろうな。
おっと、手紙に夢中になりすぎて客人を待たせ過ぎちまったな。
正式な契約をする前だし、まだ「お客様」だよ。
……っていねえし。
敷地の正門あたりで何やら話しているのが見える。
そう言えば着いたばかりだし、細かい話は明日にしようって言ったのは俺だった。
しかし、俺、そんな長い間読んでたのかね?
まぁ、手紙は一〇枚くらいあったからそれなりに時間は掛かったとは思うけど……。
重要そうな手紙に夢中になってしまったから「明日にしよう」という俺の言葉を幸いにさっさと退出してくれたんだろうな。
・・・・・・・・・
騎士団を辞したバスコは敷地外で待機している赤兵隊の下へ帰ると早速金のない若い独身者を中心に五〇名を分けた。
彼らには勝手な振る舞いと横柄な態度を取らないように厳しく言い渡す。
が、食費は格安(一食あたり僅か一〇〇Zという価格はたとえ食事内容が粗末なものであったとしても安価であると言わざるを得ない)、宿泊費は無償と来れば若く脳筋揃いの傭兵と言えども大人しく過ごそうという気にはなる。
争いになるかと思うくらいに人気が集中したのも無理はないだろう。
何せ、一日三食食べても僅か三〇〇Zしかかからないのだから。
そして残った七四名(ほぼ全員が不満そうなのはある意味で当然だろう)を率いて指定された場所へ近付くに連れ、バスコの目は大きく見開かれていく。
勿論、感心ではなく感動すら覚えたためである。
前世で見たことのある団地(建物の造作はもっとのっぺりとしたもので、飾り気など無きに等しいものではあったが)のような建物が連なっているのを目にすればそうなるであろう。
――流石にもうプラスチックを実用化しているだけはある。俺の目に狂いはなかった!
団地のような建物群に近付くに連れ、確信とともに表情が緩んでいくのを自覚する。
「あの四角い建物は何かしら?」
タニアの言葉にジースはうーんと唸り声を上げるだけだ。
「あれは、集合住宅だな。大きな街にある大きな宿では珍しくなかったろう?」
そう言うバスコに対し、タニアもジースも懐疑的な目を向ける。
確かに集合住宅形式の宿はそれなりの規模の街では珍しくないが……。
「はぁ? あれはどう見ても石造りだぞ?」
「そんな贅沢な宿が一部屋一〇〇〇Zの訳ないでしょ?」
「いや、指定された場所はあそこの筈だし……」
改めて価格を言われたことでバスコも少し自信をなくす。
粗末な木造の集合住宅でも宿泊費は一泊あたり最低一五〇〇Zはする。
面積が広い家族用ならもっと高いし、ましてや石造りである。
相場を考えればいかにも安すぎるのは確かで、これには裏があるとすら思えてしまう。
団地の外れには行政府から遣わされたという係員が既に待機しており、二・三確認が行われただけで一棟丸々を赤兵隊に使って良いとの事であった。
同時に単身者用のワンルームでもトイレが有り、シャワー設備も備えられているばかりか、無駄遣いしないなら水も汲んでくる必要がないと聞き歓声が上がる。
間取りや部屋数も充分なものであり、少し余るくらいだった。
バスコ自身はアルに対する遠慮もあり、最上階の端にある単身者用の部屋に陣取ることを早々に決めた。
また、家族の人数の多い家庭から一階の広い部屋に入れる事も決定した。
「これが『水道』というものだ。ここを捻っている間、水が出続ける。決して無駄遣いするなよ」
「ここは厠だ。こうして座って使う。用を足したらここをこうして、あ、その前にこの桶の水で尻の汚れは洗うべきだな。尻を綺麗にしたらこのハンドルをこうして……水で流すんだ。どうだ、清潔なもんだろう?」
「シャワーは……なるほどな。この『ホース』という筒の根本のこれを回せば水が出るはずだ。少しだけ出してみるぞ……な? 反対側に回せば止まる……な?」
この日は各家庭に対して設備の使用法を説明するだけで夜になってしまった。
が、バスコとしては心から満足の行く日になった事は言うまでもない。
・・・・・・・・・
夕刻。
第二回エムイー訓練のために騎士団に教官として来て貰っているトリスとロリックを呼んでいつものドリングルへ向かう。
別にラルファやベル、ヒーロスコルといったエムイーの訓練学生たちを呼んでも良かった(訓練期間中の飲酒や外出について、来月まで制限はない)のだが、今学生たちに余計な事を考えさせたくもなかったので、日本語が読める転生者でも教官にしか声を掛けていない。
べグリッツに着くと二人には先に店に行っていて貰い、俺は昨日来た手紙を取りに一度屋敷に戻る。
その途中で行政府に寄ってミヅチにも声を掛けた。
二通の手紙を持ってドリングルへと行くと、トリスとロリックは酒も飲まずに待っていてくれた。
「おまたせしました」
ミヅチの声に二人は揃って立ち上がり、挨拶してくる。
「エールでいいか? エール四つくれ」
碌に返事も聞かないままビールを頼む。
季節柄キンキンに冷えた生ビールが飲みたくなることもあるが、西ダートのエールだってそう捨てたもんじゃない。
「あと『刺盛り』六人前お願い。ウニは別で四人前ね」
ミヅチも肴を頼んだ。
最近ではこのドリングルも俺の好みを理解しているようで、少し珍しい魚が入荷した際に俺達が入店したら煮魚とか焼き魚用だと考えずに刺し身で供してくれることも多い。
「頼んでもいいすか?」
そう言うトリスとロリックに鷹揚に頷いてやるときゅうりの漬物と新メニューの焼き餃子を頼んでいた。
餃子はこの前ギベルティが教えてやったらしい。
『で、今日二人に来て貰ったのはこれを読んで欲しかったからだ』
ジョッキに入ったエールが四つ運ばれてきたタイミングで二人に手紙を見せた。
時系列に沿って――と言う程ではないが、まずは宮廷魔導師のゲグラン准爵からのものだ。
俺もミヅチも勢いよくエールを喉に流し込み、口の周りに付いてしまった泡を拭う。
どっしりとした濃い味に優しい香りがいい。
惜しむらくは、もう少し――せめて日本で飲めるエールの半分くらいまでには――炭酸が強まってくれれば言うことはない。
そうこうしているうちにきゅうりの漬物が来た。
ぬか漬けではなく、単なる一夜漬けだが、これはこれで歯ごたえもあるし美味い。
その証拠に、俺たちのような転生者以外の客からもかなり注文の多いメニューだし、最近では真似ている店もどんどん増えている。
トリスは箸も使わずに一切れづつ手で摘んで食べ、指をしゃぶっている。
まぁ、そっちのが旨く感じられるよな。
俺やミヅチ、ロリックは箸を使うが。
『なんですか、この言い草は?』
『アホなんですかね?』
二人の意見は俺やミヅチとあまり変わらないようだった。
『だよな。で、次はこれだ。さっき騎士団に届けられた』
ストールズ伯爵から来た手紙を見せる。
ミヅチはジョッキを持ったまま席を立って、トリスたちの後ろに回った。
「ウニです!」
ウェイトレスの娘が海胆の刺し身を持ってきた。
板海苔はないが、テーブルにはちゃんと煎酒も小皿もある。
一枚拝借して煎酒をそっと注ぐ。
「これこれ」
夢中になって手紙に目を通す三人を尻目に、自分の分の海胆殻に箸を突っ込んでオレンジ色をした卵巣を一切れ摘む。
おうふ。
思わず目を閉じてしまう程の旨さよ。
暫しの間舌の上で転がして味と香りを愉しんだ後、噛んで飲み込む。
鼻から息を出しながらゆっくりとジョッキに手を伸ばす。
そうしているうちに焼き餃子も出てきた。
こいつは酢と胡椒でいただく。
熱。
旨。
当然ながらゼラチンで固めた肉汁など使われていない。
使われている豚肉だって脂肪分の少ない肩ロースか、安い足肉を挽いたものの筈だが、西ダートで育てられた豚肉は一味違う。
まぁ、贔屓目だとは思うが、地元贔屓になってしまうのは仕方のないことだと思う。
このドリングルの親父が高級品を生産しているイミュレークの牧場から仕入れているとは考え難いので、この餃子の味は豚肉の力ではなく純粋に親父の努力の賜物だろう。
『うーん……』
『これ、貴方の事を恐れているんじゃない?』
『ああ、そうとも取れますね……』
『しかし、向こうもそれぞれ勝手に手紙書いてるんですかね?』
『一日しか違わずに来ているからそうとしか思えないけど、どうなんだろう?』
やはりこれらの手紙から感じられることは似たりよったりか……。
うーん。
向こうさんもそのくらいの事は分かってる筈だと思うが。
ってことは……分かって、いや、わざとこういう事を書いてる?
ひょっとして明日も来るのか?




