第四百六十九話 赤兵隊 8
7452年7月2日
夜。
屋敷に帰り、風呂と晩飯を済ませたくつろぎの時間。
俺は先程読んだデーバス王国のゲグラン准爵からの手紙をミヅチに見せることにした。
「なにこれ?」
加減が難しかったので最初の一枚目なんかはところどころ焦げが激しい手紙を見てミヅチは眉根を寄せる。
「デーバス王国の宮廷魔導師からの手紙だ。ついさっき行政府に届けられた。焦げてるのはあぶり出しで裏面に本当の文面が書かれていたからだよ」
肩を竦め、ローテーブルに用意されている高級焼酎で喉を灼いた。
旨ぇ。
マリーが作ってくれたイカの塩辛に、つい箸が伸びる。
一ヶ月前に仕込んでおいたものらしいが、いい塩梅だ(※)。
こいつも旨ぇわ。
日本酒が欲しくなるが、麦焼酎にロムスの葉を漬けておいたやつは、あくまで料理に用いるための代用品だ。
香りは似ているが、元が蒸留酒だけに味は少し違う。
そもそも米使ってねぇし。
あ~、紙パックでもいいから日本酒があれば幾らでも払ってやるのに。
「大したことは書かれてないんだが、ま、両面とも読んでみてくれ」
硬めに作られた塩辛のため、ゲソ部分はちょっと歯応えが強めだ。
しかし、シトランという爽やかな香りのする柑橘の皮を混ぜてあるからか、噛むのも楽しく仕上がっており、これはこれで乙なもんだよ。
「……」
ミヅチは抱いていたアルソンを俺に押し付けると手紙に目を通し始めた。
まずは日本語が書かれているあぶり出しの方から目を通すか。
そらそうだよね。
「ういー」
アルソンは俺が何か食っていると見て口に手を伸ばしてくる。
もう乳歯が生え始めている(既に上下八本づつ生えている)が塩辛の味は流石にまだ早いだろう。
いや、小さな身の部分だったら食べるだろうか?
少しだけなら食べさせてもいいかもな。
ほれ。
小さなところを一切れだけ食べさせてみる。
「ぁやー」
あ、顔をしかめた。
流石に塩っぱすぎるか。
吐き出して口の横にひっついた塩辛をつまんで食う。
「おー、塩っぱかったねぇ」
そう言って小さな氷を作って舐めさせてやった。
「ちょっと。何食べさせたの、貴方?」
「塩辛。ちっさいやつ」
「アルソンにはまだ早いでしょうに……」
「食いたそうだったからさ。まぁすぐ吐き出したから俺が食った」
アルソンが生まれてからもう二〇か月。
流石に乳離れは済んでいて、数か月前からは離乳食に切り替えている。
今は色々な物を食べさせては美味そうに食っただの好きじゃなさそうだだのと言って喜んでいる時期だ。
やはり甘いものが好まれるようだが、俺もミヅチも生前を通して幼少期にあまり甘いものは食べさせて貰えなかった思い出もあるからか、週に一度までと決めている。
なお、昆布は甘いもののうちに入れていないので、おしゃぶり昆布だけは欲しがったらあげる事にしていた。
因みに西ダートで唯一、海岸を持つハッシュ村で採れる海藻類は昆布よりわかめの方が圧倒的に多いため、屋敷で食べている昆布は全てバルドゥックや王都産の、本来ラーメンの出汁に使うものだ。
昆布は海胆が食い散らかすので穴だらけのボロボロな奴が殆どという事もある。
今日も夕飯にめかぶの酢の物があったけど、アルソンには刺激が強かったらしく好まれなかったようだ。
「……」
アルソンをあやしながら、しばし焼酎とイカの塩辛のマリアージュを愉しむ。
旨いんだけど、なんつーか、こう、微妙に何かが足りない気もする。
尤も、それはイカ自体がそれなりに沖に出ないと獲れないスルメイカとかヤリイカではなく、沿岸で獲れるコウイカ(スミイカとも言うが)みたいな奴だからだろうか。
それだって碌な漁具もないから量は獲れないし、かなり高級な食材なんだけどね。
身が厚くてポクポクとした良い歯応えがある上に味は言うことないから刺し身のが旨いし、墨袋はパスタ料理なんかにも使えないこともないけれど、今のところそういう需要なんかゼロに近い。
切り身で焼いて食べるのが一般的な食べ方だね。勿体ねぇ。
今度時間が出来たら傘針でも作ってみようか?
ん~、カンナ針を作るならどうやって食っても最高なアオリ狙いの餌木(※海老に似せて作った日本古来のルアー)を作るのもいいな。
いやいや、釣果を考えればヤエン仕掛けに敵うものはない。
まずはヤエンか。
餌木もヤエンも、両方とも俺の得意な釣り方だったし、特に釣り針やヤエンなんて針金の有効な使い道だろう。
は?
鉄条網?
そんな野蛮なものより釣具の方が大切だわ。
『なんこれ? 舐めてんね』
全部読んだらしいミヅチが憤慨したように手紙をローテーブルに放り投げ、完全な水割りと化してしまった大喝采のグラスに手を伸ばした。
『だよな。彼女たちも相当苦労をしたんだろうということは想像に難くないけど……』
ミヅチが日本語で言ったので俺も日本語で返す。
『うん。でもそんなの日本人の転生者なら誰だって、多かれ少なかれ経験していることでしょう? 取り立てて言う必要はないはずよ』
『ああ』
『それでも言うって事は……』
『うん。自分たちを特別視しているんだろうな。ここまで苦労している者は少ないんだ、と言いたいんだろう。俺もお前も、それなりに苦労はして来た。だけど、クローやトールだって沢山苦労はして来たんだ。それこそ、貴族として生まれ変われた俺なんかより大変だったと言えなくもない』
『そうよね。まずは生きるため、成長するためそれ自体が大変だったはずよ』
そうだ。
ゴム作りなんて食うや食わずだったら絶対にしていなかったと断言できる。
無煙火薬の開発や丈夫な鍛造の剣の制作も、全て生活に余裕があったから出来たことだ。
なんかね。
あれなんだよ。
裕福な家に生まれたからと言ってそれを鼻にかける感じっつーの?
お前らより高度な苦労をしてんだよ、と言わんばかりに感じられるんだよ。
本当は違うのかもしれないけれど、そう感じられてしまうんだからしょうがない。
ってか、誰か別の奴に読ませてないんかね?
『デーバスの奴らって、奴隷出身者もいたと聞いてるんだけどな』
『うん。えーっと、矮人族の男性と精人族の女性が奴隷出身だったと……』
『あとは軍で出世してる山人族の男と、公爵家の跡継ぎという普人族の男……』
『そして、この手紙を書いたらしい宮廷魔導師の女性。この人もヒュームなんだよね?』
『そうだ』
タンクール村攻略戦で捕らえた魔法使いの奴隷を殺す前にクローの固有技能である【誘惑】を使って取れた情報だと、レーンティア・ゲグランという奴はヒュームの女性だった。
『……五人のうち三人が貴族出身ねぇ』
『二人だな。ドワーフの男は平民だったみたいだけど、デーバスの軍隊でそれなりの立場にまで出世出来ているんだし、平民とはいえ、経済的には恵まれていたのかもしれないな』
『と言うことは、奴隷に生まれたという二人も転生者の貴族が持ち主だったという可能性もあるわね。自分の奴隷に転生者がいたのなら援助くらいするでしょうし』
『ああ、そうかも。そういう視点はなかったな』
『だってこれ、本当に底辺に生まれついた人に見せたら、皆いい気持ちにはならないと思うし』
そう言うとミヅチも塩辛を食べた。
幸せそうに綻ぶ顔が見れてなによりだ。
『あと、デーバスの転生者は他に最低一人、場合によっては二人いる可能性がある』
勿論、ノブフォムから以前報告があった、兄弟だと思われる奴らだ。
その片割れがこの五人に含まれているかも知れないので、最低一人という表現をした。
『そうね。でもノブフォムさんが聞いたのって平民の家みたいなところなんでしょ? しかも両方男性。だとすると、公爵家生まれの人と兄弟っていうのは考えづらいわ』
『うん。怪しいのは平民出身のドワーフと奴隷出身のノームだけど……』
『白凰騎士団で五百人長だというドワーフが平民みたいな家に住んでるとは……』
『考えにくいな。とは言え、馬も飼っているようなそれなりの屋敷だったらしいから、そこに住んでいるのは奴隷出身のノームで、兄弟だった男が……』
『ノブフォムさん、その家に住んでいたのはヒュームっぽかったって言ってなかったっけ? あと、一人は引きこもりで……』
『ああそっか。とすると、ヒュームは公爵家の跡継ぎしか残んねぇな。こりゃ五人と兄弟は違う奴らだな……七人か』
『結構いるね』
肩を竦めて言うミヅチに頷きながら焼酎を飲んだ。
・・・・・・・・・
7452年7月3日
昼。
飯を食ったあと、行政府にミヅチを残して騎士団の本部へと足を運ぶ。
そして各種の決済を終えたので稽古でもしようか、と考えた時。
当番従士のノックがあった。
なんでも来訪者が来たとの事だ。
誰だ? 一体?
と思ったら、ベンディッツという男爵の一行だという。
あいつだ。
手紙で俺に仕官を望んで来た奴だよ。
確か赤兵隊とかいう、コーとか言ってるくせに大した人数もいない中規模な傭兵団を率いているとの事だった筈で……。
団長執務室の窓から広場を見下ろしたが、それっぽい集団は見当たらなかった。
が、敷地の外に集団がいる。
馬車は三輌……馬はもっと多くいるようだが、塀に阻まれて全容はわからない。
集団は塀の外、騎士団の敷地の前を横切る道にごちゃっとしているようで、あの様子だと何割かは塀の陰に隠れているみたいだ。
ふむ。
勝手に入らなかったのか、それとも門番に止められたのか。
揉めている様子もなく、集団は道に沿って伸びており、最後尾らしい辺りの者も前に詰めるような動きを見せていないことから勝手に入ろうとはしなかったようだ。
それだけ判れば今は充分だ。
とにかく行ってみようか……。
……。
…………。
本部建屋の入口を守る衛兵に左右を固められながら、三人の男女が入口前の地面に跪いていた。
「面をあげよ」
そう命じると三人は顔を上げた。
真ん中の俺と同年代のヒュームの男が転生者のベンディッツ男爵だろう。
顔つきからして。
先方も俺の顔を見て何かを確信したような表情になった。
彼の左右には、五〇絡みだと思われるヒュームのおっさんと、俺と同年代――若いヒュームの女がいる。
彼らに衛兵の一人が近づいていく。
もうとっくにステータスは確認されているだろうが、俺の眼の前で改めて確認するのは普通の行為だ。
俺は自ら確認できるほど近づいていないし。
ましてや上級貴族だからね。
俺の手紙や通行証を持っていようがどこの馬の骨とも分からん奴を濫りに団長閣下に接近させるなど衛兵にあるまじき行為だからだ。
その間に俺はざっと【鑑定】しつつ嘘看破の魔術を……【固有技能:未来視】だと!?
ほへー、なんか凄そうなの来たぞ。
三人のステータスを検めた衛兵が俺を見て頷いた。
「名乗れ」
鷹揚な態度を心掛けながら命じる。
「はっ。お許しを得て名乗らせていただきます。私はベンディッツ男爵バスコと申します。傭兵団、赤兵隊の隊長でございます。突然の来訪にも拘わらず、ご面談頂きまして誠に有り難く存じます。また、私の右の男は副隊長のジース・カノーグで、左側の女は副官のタニア・カノーグにございます……」
まだ名乗ってもおらず、ましてここの騎士団長とも言ってはいないが、バスコは俺が最上位者だと見抜いている。
まぁ、偉そうに「面をあげよ」とか言ってるし、それ以前に東洋人の血が混じったっぽい顔つきは誤魔化しようがないからすぐに想像がつくだろうけど。
別人だとからかってもいいが、時間を無駄にするのも躊躇われる。
「そうか。私がグリード侯爵アレインだ。遠路ご苦労であったな」
バークッドに滞在していたベンディッツ男爵が俺からの手紙を受け取り、傭兵団の本隊を駐屯させていたドランに向かい、それを引き連れてべグリッツまで到着するのに約一ヶ月というところか。
見たところ徒歩も多いようだし、馬車にも女子供が乗っていた。
妥当なところだろう。
「は。侯爵閣下にはご機嫌麗しく……此度は私めの我儘をお聞き入れ下さるとの由、大変に有り難く存じます」
「うむ。挨拶はこのくらいでよかろう。三人とも、立て」
そう言って立ち上がるのを見ながら、傍に控えていた当番従士に「兵舎はどのくらい空いている?」と尋ねる。
答えは「五〇名程度なら恐らく大丈夫」という物だった。
「そなたの団は総員で何名だったか?」
なんか手紙に書いてあった気もするが一〇〇人くらいという程度しか覚えてない。
「は。私を含め一〇四名にございます」
「うち、戦闘員は?」
「私を含め七一名にございます」
足んねぇ。
まぁ、この前建てたばかりでまだ入居者を募集する前の団地も一棟あるから大丈夫だろうけど。
二八戸も入居可能だし、多分大丈夫な筈。
「戦闘員のうち独身者は、この敷地内に有る兵舎での宿泊を許す。当面の間だがな」
「ははっ。ありがとうございます」
「また家族のいるものは何名だ? 家族数でも良い」
「……」
ベンディッツ男爵の隣の女がボソリと小声で答えを伝えたように見える。
が、確信はない。
「一五家族で、うち四家族は双方とも戦闘員です」
ふーん、結構……まぁいいや。
「家族持ちは別の宿に案内する。宿泊費は一戸あたり一晩一〇〇〇Zだ。まだ新築で誰も入居していないから綺麗なものだぞ。兵舎は食事代以外は無料でいいが、今は五〇人くらいしか入れないということだから金がありそうな兵士は宿を使うように言ってくれ」
「ははっ」
「家族持ちを中心に宿を希望する者を集めておいてくれ」
後は傭兵団の団長としても団内の調整や実務的な話が必要な筈だ。
『では、貴方との話は明日にでも……』
そう言ったところで今日も俺宛の手紙が届けられたようだ。
俺の所在が騎士団なのか行政府なのかはっきりしなくて大変だ、という話を小耳にしたために、この前帰ってから騎士団に居るときは団長旗を、行政府に居るときは侯爵旗を掲げさせるようにしていたのだ。
まぁ、図案は同じで色が違うだけなんだけどね。
それでもこうしてちゃんと役に立っているんだから無駄じゃないさ。
しかし、誰からだろう?
……ストールズ伯爵センレイド二世?
誰だっけ?
……あ! デーバスの人か!? また?
※作中に出てきたコウイカの塩辛ですが、乾燥は天気が良い日に陰干ししてやれば充分です。
また、一ヶ月くらい前に仕込んでおいたとありますが、製造してから密閉できる瓶にでも入れて、植物性ではなく動物性のオイルを丁寧にかけてやれば空気とは接触しませんので大丈夫です。
ラードなど動物性のオイルは冷えると固まるので、熟成途中でかき混ぜたり食べる時でも簡単に分離可能です。
氷冷蔵庫しかないオースでも、これなら問題ありません。
なおアニサキスは(居たのなら)きちんと目で見て取り除かなければいけません。
コウイカにはまずいないとは思いますけど。




