第四百六十一話 帰還 2
7452年5月29日
デーバス王国の王城ガムロイ。
その一角にある親衛隊詰め所の奥の部屋。
基本的に上級親衛隊員が使っている部屋にはアレキサンダー王子を筆頭にデーバス王国内で働く生まれ変わりが集まっていた。
凱旋式典やパーティーなど自由に会話できない場所はともかく、このように何でも話せる場所で顔を合わせるのは王子らの帰還以来初めてのことだ。
『じゃあ、まずアレク。向こうでの話を聞かせてくれ』
そう口火を切ったのはセンレイド・ストールズ伯爵。
王国の生まれ変わりが集まって話し合いを行う際には、このように全体の進行役をすることが多い。
王国三公爵家の序列第二位、ストールズ公爵家の長子長男であり、次期公爵が内定している。
もういい年なのに独身でいるのは愛人である精人族の女性に入れ込んでいるからとも、幼少時から心酔し、仕えているアレキサンダー王子よりも先に結婚する訳には行かないからだとも言われているが、勿論正式な婚約者はいる。
『向こうでの話と言ってもな……何から話したもんか』
答えるのはアレキサンダー・ベルグリッド王子。
このデーバス王国の王家、王国三公爵家の序列第一位、ベルグリッド公爵家の長子長男であり、次代の国王と目されている王太子だ。ストールズ伯爵同様にほぼ名目でしかないが本人が侯爵位も持っている。
『順を追って話すにしても、基本的には報告通りだしね……』
眉根を寄せて言うのはレーンティア・ゲグラン准爵。
王宮魔術師でも優秀な銀杯の称号を持つゲグラン男爵家の長子長女であり、彼女自身も王宮魔導師の称号を授与される程に卓越した魔術の腕を誇っている。
現時点で独身である事に特に理由はないが、婚約者は疎か交際相手すらいない。
『いや、それぞれの戦闘がどう推移したとか、そういうのじゃなくてだな、今回の遠征で皆が思ったことや感じたことを聞かせて欲しいんだ。謂わば、報告書に書いてないとか書けなかったことだな』
僅かに肩を竦め、口髭や顎髭を撫でながら話すのは、ズヘンティス・ヘリオサイド准爵。
田舎の士爵家の出だが、実力で白凰騎士団の五〇〇人長という地位にまで登った山人族だ。
当然ながら王子や公子の後押しもあったが、戦場で手柄を立てた実績に加えて高い個人戦闘力は疑いようもない。
彼も独身を貫いてはいるが、ドワーフの女よりは普人族や精人族の方が魅力的に感じると公言しており、数年前からは見合い話すら来なくなってしまった。
『……うん。俺はまだ本物の戦場に出た事も無いし、鉄砲とか大砲を使ったのだって今回の遠征が初めてだったんだろ? そういうの使った戦場の空気感、ってやつも聞かせて欲しい』
少し遠慮がちに言ったのはヴァルデマール・ナバスカス。
ダート平原の南端にくっつくようにしてある田舎の村の農奴出身だが、合流してきた時点で既に婚姻しており複数の子供もいた。
王都に来てからは村で畑を耕していた頃とは比較にならない程に豊かな生活を営める収入を得られていることもあり、妻からはもっと働け、出世しろと言われるようになっているのが悩みのタネ、というごく普通の家庭人でもある。
『そういう事か。なら話してやんよ。鉄砲はなぁ、ありゃあ最強の飛び道具だわ。プレートメールでも着てなきゃ一〇〇m以上離れてたって当たりさえすりゃ敵は無力化する。っつーても槍や剣での突きみたいなもんだから、急所にでも当たらない限りは死なない。傷も剣や槍より小さいしな。当たったのが手足くらいなら、まぁ、その戦いで死ななかったら生き延びれるな。でも……』
腕を組み、少し自慢気に話し出すのはミューネイル・サグアル。
王家であるベルグリッド公爵家に直接仕えている昔から諜報を生業とする従士家の跡取りでもある。
同時に白鳳騎士団の一〇人長でもあり、地下迷宮はともかく戦場での実戦経験は豊富である。
私生活は奔放な感があるものの、其の実は娼館には付き合い程度でたまに顔を出す程度で殆ど行かず、どちらかと言うと下級貴族や平民の市井の女性と浮き名を流す方が多い。
また、観劇や音楽など芸術方面にも理解のある、独身貴族という言葉の似合う優男でもあった。
『もうわかってるとは思うが、プレートメールを貫けるほど高威力なのはせいぜい五〇m。それだって装甲に直角に当たった場合だ。まともに狙いがつけられるのもそのくらいだな。それ以上距離があると狙ってもまず当たらん。銃の癖を理解していて、相当に腕の良い射手で一〇〇m先の人間に当てられるかどうかってとこだ。まぁ、クロスボウや強弓の倍ぐらいの威力がある、更に狙いやすいクロスボウって感じだな。連続射撃も慣れりゃ三〇秒くらいで次弾が放てるし、それなりの人数さえ居れば一〇倍の戦力がいてもそう簡単には近づけないのは確かだと思う。ミュールが言う通り今のところ最強の飛び道具ってのは本当だ』
頬を掻きながらミュールの後を継いで発言したのはヘクサー・バーンズ。
彼も田舎の農奴の出身だが、官職は上級親衛隊員のみの冒険者を本職とする男だ。
最近では地図作成という名の冒険には出掛けずに、王宮魔導師のレーンの護衛を担っている事が多い。
色々な部分において潔癖症とも称されることの多いレーンの護衛となることが多いからか、女の影は全くと言って良いほどないものの、稀にツェットやミュールと娼館に繰り出すこともあるので完全な朴念仁ではない。
『なるほど、まぁそうでしょうね。で、大砲の方は? 今回使い物にならなくなっちゃったってのは聞いたけど……』
口をつけていた桃水のカップをテーブルに置きながら言うのはクリスティーナ・ハニガン准爵。
デーバス王国の西の端にある士爵家出身の造船技術者である。
造船やある程度の航海術を知っており、それらの知識を活かす形でもう既に外洋航海が可能だと思われる船すら就役させている。
現在は過去から伝わっている外洋に生息する巨大な魔物への対抗策を模索中であり、その鍵はレーンが育てているドラゴンと艦載型の大砲にあると主張している。
『昨日見たわ。確かにアレク達が言っていた通り、火薬を入れるところが内側からひび割れかけてた。入れた火薬が多過ぎたのかも知れないわね』
困ったような顔で言うのはアラケール・カリフロリス。
ストールズ公爵領の農奴出身のエルフだが、ただでさえ整った美人揃いのエルフでも微妙に左右非対称な顔をしている事もあって一際美しい容貌である事に加えてエルフには珍しい肉感的なプロポーションを備えてもいる。
それもあるからか、ストールズ伯爵の愛人という位置に収まっているが、今では親衛隊の事務作業の全てを切り盛りし、他組織との折衝もこなす、ある意味で親衛隊にとって最重要とも言えるポジションを占めるまでになっていた。
『それなんだけど、砲身を急に冷やしちゃったからかも知れないの。現地でアレクやミュールには報告済みなんだけどね。今度からそういう事も含めて設計するべきだって話になってるわ』
『ああ。大砲を使ったのはカリードの攻略戦なんだけど、俺もミュールも初弾以外は部隊全体や敵の動きへの対応になってしまったから気が付かなかった。そばにいたレーンやヘックスにはヒビが入ったと思われる音が聞こえたらしいんだが……』
レーンの言葉をアレクが補完する。
『まさかヒビが入ったとは思わなかったんだ。初めて聞いた音だし、わかんねぇよ。わかったところであの場で射撃中止なんか言い出せる雰囲気じゃなかったしさ』
少し焦り気味の表情でヘックスが言った。
『で、大砲の威力の方なんだけど、どうだったんだ? こっちじゃテスト射撃だけだし、威力は十分だと……』
大砲の設計を含め、製造や運用に対する責任を負っていたセルだけに、瑕疵があったと言われたその顔は真剣そのものだ。
『うむ。初めての実戦にしては充分だと思う。二門でそれぞれ一〇発ずつ発射したが、それだけでカリードの城門が破壊できた』
『観戦に来てた副団長閣下を始め、部下やダンテス閣下までもが目ん玉おっぴろげて大口開けてたくらいだからな。勿論、アレ以上に強力に出来るのなら言うことはないがな。でも現時点であの威力は申し分ない。このガムロイの城門だって吹き飛ばせると思うぜ』
アレクとミュールとしてはあの威力であれば設計・運用の瑕疵など小さなものだという認識らしい。
確かに大量に揃え、曲射で城壁を越えて榴弾を撃ち込んだり出来るのが理想なのだろうが、流石にこの時点でそこまで求めるのは無理だという認識もあるようだ。
『うーん、そのへんの解決には大砲自体の再設計を別にすれば、あとは材質をもっと硬い金属にするか粘り強い金属にするしか無いな……』
セルの言葉に全員が沈黙を返す。
誰一人として碌な考えを持っていないからだ。
『運用をもっと楽にするには後装にしなきゃならんが、尾栓の問題もある。火薬の爆発に耐えるようにするには使用材質の硬度を上げるか、多少なりとも弾性のある粘り強い金属を使う必要がある。具体的には今の青銅と錬鉄じゃなくて鋼鉄だな。粘り強いってのは可塑性がなきゃ意味ないからこれはもうすっぱり諦める』
『鋼鉄か……どうやって作るんだよ?』
セルの言葉にミュールだけが反応した。
『高炉が要るんだけど、そこまで耐熱性の高い煉瓦なんか量産できないし、そうなるとタングステンとか少し面倒な金属で作るしか無い。それだって必要な形にするためには高い温度で熱する必要があるから、鶏がさきか卵がさきかって問題になっちまうんだよ』
肩を竦めて言うセルに全員が難しい顔になる。
『でも、元々ヨーロッパで作られていた大砲って青銅製のものなんでしょう?』
『確かにそうだけど……』
ヴァルの言葉にセルは頷いた。
『……俺だってそこまで詳しいわけじゃないから、今の設計でギリギリなんだ……あ、薬室の材質だけ変えるって手もあるか。今製造中の物は仕方ないとして、次からはもう少し考えてみるよ』
『『おお』』
何か良いアイデアらしきものを思いついた様相のセルに多くの感心の声が上がる。
『じゃあ、大砲の件はセルに任せるとして、次は鉄砲だな』
『そっちも俺が管轄じゃねぇか……』
ミュールの言葉にセルは少しげんなりとした顔で答えた。
『仕方ないだろう? この中で銃を扱った事があるのってお前だけなんだし。とにかく、求めるのは更に使いやすく、安全性を高めたほうが良いってことだ』
『訓練でちょっと拳銃撃ったことしかねぇよ。そんなのに大砲作らすなっての……』
アレクの発言にセルは顰め面でぼやく。
『射撃練習時の事故が八件もあったのは無視できないだろ』
『『八件も!?』』
ミュールの言葉にセルを始めとする王都残留組は目を剥いた。
彼ら自身や白凰騎士団員に行わせた射撃訓練では事故は一件も発生していなかったのだ。
『ああ。そのうち指をふっとばされて騎士や兵士として再起不能になったのが五件もある。もっと安全に使えるようにするのは急務だ。これは発射速度だの命中率だのよりも優先事項だと思うな』
眉間にシワを寄せ、難しい顔をしながら続けるミュールの言葉には全員が頷かざるを得ない。
クロスボウよりも威力があり、どんな強弓よりも命中率が高く射程が長いとは言え、実戦運用時に事故が続発してしまえば何の意味もないのだ。
『指を吹き飛ばされた方は火薬の分量をミスってたんだ。あとは火皿に乗せる火薬量だな。そっちは顔や手に軽い火傷を負ったくらいだけど、一人は片目を失明してる』
『……』
溜め息交じりに言うヘックスに嫌な絵を想像してしまった者も数名いるようで、少し静かになった。
『それなぁ……先込め銃だからってのもでかい。こっちも後装式に出来りゃ弾と発射薬を一体化させることで安全性は格段に高められるんだけど、大きな問題があるしなぁ……』
またも嫌な顔で言うセルに全員が頷くことで返答した。
薬莢を使った銃弾を作るには工作精度が重要になるし、薬莢でなくとも一発分の発射薬を燃えやすい紙などで包み、弾丸と発射薬それぞれ一発ずつセットで運用する事も考えられていた。
しかしながら、そのような紙は存在せず、あったところでそのコストは目を覆わんばかりだろう。
ましてや金属製の薬莢など、それを製造する装置もなければ材料すら満足な確保は難しい。
そもそも発射薬の他に撃発用の火薬も開発する必要が出てくるし、発射薬自体燃焼速度の早い黒色火薬は薬莢式銃弾の発射薬としては向いていない。
『そうなると事故については、もう訓練を繰り返し行うと同時に安全な運用について口うるさく注意するしか無いだろ』
ヘックスの言葉に全員が頷かざるを得なかった。
『すまんがもう少しで会議に出なきゃならん。レーン。君が確保したドラゴンについて教えてくれ』
正式に閣僚の一員となったアレクは今まで以上に忙しいのだ。
『いいわ。まず名前は昔飼ってた犬から貰ってマティにした』
『犬って』
『昔って生まれ変わる前?』
『いえ、生まれ変わった後ね』
名前ごときに食いつく者達を苦々しげな表情で見やるアレクだが、我慢して口は挟まない。
『今はカルネリの街外れで奴隷達に面倒を見させているけど、まぁ、頭いいわね。ラグダリオス語だけじゃなく、日本語も難しい言葉以外ならもう覚えちゃったわ』
『ほう?』
アレクが感心した顔になった。
『あと、魔法にも興味があるみたいね。来月になったらまたカルネリに行って教えてあげるつもりなんだけど、いいかしら?』
『使えるのか!?』
少しばかり興奮したような声があがる。
『それはわかんない。でもドラゴンなら、って思ってるだけ』
『う……大丈夫なの?』
こんどは心配気な声があちこちからあがった。
『マティは頭いいし、私達にすごく懐いてるから大丈夫だと思うわ。それに……』
『それに?』
『効率的に餌をとれるようになるのは大切なことだもの』
『むう……そんなに食うのか?』
『うん。かなり食べる。大きさはもう体長四mを超えたみたい。餌は主に海の魚が主体だけど、この前はイルカっぽい海獣も食べてるって報告があったわ』
『ええー、もう四mなの?』
『早くねぇ?』
『それだけ沢山食べてるってことよ』
『それにしても……まぁ心配しても始まらんか』
アレクの全てを諦めたような声で、全員が微妙な顔つきをしながらも口を閉じる。
『じゃあクリス、船についての現状を教えてくれ』
『うん。二隻とも建造はすごく順調に進んでるわ。今の調子なら一一月か一二月には進水できるようになると思う』
『そうか! それは良いな。フジはどうだ?』
『フジの訓練も順調よ。外洋は魔物が怖いからまだ沿岸だけだけど今の乗組員ならもう大抵のことは任せられるわね』
『今建造中の乗組員の教育は?』
『ああ、それもフジで教育した最初の乗組員でやってる。基本的には元々漁業をしてた若い人を中心に採用してるから全員船には慣れてる人ばかりだし、覚えは良いみたい。騎士団に徴兵された人でも漁民を中心に志願者を募ってるんだけど、歩兵よりも給金をかなり高く設定してくれたから人は少し多いくらいのペースで集まってるわ』
『そうか……む、そろそろ行ってくる。セル、ヴァル。行くぞ』
『『ああ』』
今日の会議では王国の西部戦線――ロンベルト王国のグリード侯爵によって攻撃を受けている地域についての今後の防衛及び反撃の方針を定めるものである。
アレクとしてはやられっぱなしで少しも良いところの無い緑竜騎士団などさっさと交代させるべきだと感じていた。
しかし、代替兵力がないのが問題である。
精鋭の白凰騎士団は昨年末のミューゼ城攻略戦で大打撃を受けてしまった事で再建中だし、黒狼騎士団はその大半が青竜討伐の失敗を受けて解体され青虎騎士団に組み込まれて東部戦線に張り付けられている。
王都に残存していた元黒狼騎士団の部隊もアレクとの入れ替わりに東部戦線に送られたばかりだ。
軍部大臣とは言え、このような状況下では濫りに緑竜騎士団を動かす、と言う訳には行かないのだ。
・・・・・・・・・
フィヌト村。
コールが村に着いた三日後には父親のヨームと親友であるフーディーも休暇で村に帰っていた。
そして今日、その二人がコールに続いてべグリッツへ向かう日であった。
「あんた……」
「おっ父……」
妻と娘に抱きつかれたヨームは二人の体をしっかりと抱き返すと、無言のまま足元の雑嚢を背負ってミューゼに向かうロンベルト軍の分隊に合流する。
「フーディー。しっかりとね」
「うん。おっ母も元気でな」
「体に気をつけるんだよ」
「ああ。わかってる。出世して楽させてやるからよ」
「出世なんかいいよ。無事でいておくれ」
「……自分自身や皆を怪我させたり死なないようにする訓練だ。しばらくは訓練らしいから、どうやったって死なないよ」
「それならいいけど……次はいつ顔を見せてくれんだい?」
「わかんねぇ。けど顔出せるようになったら必ず来るからよ。じゃあな」
フーディーも雑嚢を背負うと一両の荷馬車を囲んで待っている分隊へと走り寄っていく。
「ああ、戦の神様、どうか……」
北にあるミューゼ城を目指す彼らの背中を家族はいつまでも見送っていた。




