第四百六十話 帰還 1
7452年5月23日
デーバス王国。
王城ガムロイの正門を走り抜ける騎馬が一騎。
軍馬を操るのは以前白鳳騎士団に所属していた事もある優秀な騎士で、現在は青虎騎士団へ転団している男だった。
本来であれば彼の任地はここより遥か東、カンビット王国との前線に任じられている筈である。
彼は、彼らが指揮官と仰ぎ、そして何より主と掲げる王子殿下の帰還を報じる先触れであった。
王子であるアレキサンダー・ベルグリッドは二年ほど前に行われたダート平原の青竜討伐失敗の煽りを受けて父親である国王によって、三年以内の大手柄か、東部戦線をカリードの街まで押し上げねば帰参してはならない、と命じられていた。
尤も、この命自体は命じられた王子はともかく命じる方の国王としても苦渋であったのは言うまでもない。
王国を牛耳っているのは王族となっているベルグリッド公爵家だけではないのだ。
そして、討伐の失敗に伴って、予想外に多くの血が流されただけではなく、伝家の魔法の武器や防具などを自身の子弟や縁戚などに渡して参戦させた貴族も多かったためだ。
子弟が戦いに斃れてしまったのはある意味で仕方がない。
むしろ伝説になるほどの強大な魔物、ドラゴンに挑んでの戦死でもあるので諦めがつく部分すらある。
しかし、もう二度と手に入れられそうもない魔法の武具類の喪失は、財産的な価値は置いておいても貴族家の威信にも係わる大失態と言える。
貴族家の恨みつらみが青竜討伐を主導した者達に向かうのは自然なことでもあったのだ。
青竜討伐に大きく絡まなかったストールズ公爵家はいいとして、討伐部隊を指揮していた者はダンテス公爵家に連なる伯爵であった。
彼は作戦失敗の責任を取らされる形で指揮下の部隊共々東部戦線の、しかも最前線に赴かされ、余程のことでもない限り一生冷や飯食いを押し付けられた格好であった。
そして、作戦の立案と補給を行っていた王子だけ責任を免れるというのはダンテス公爵としても、責任の押し付けどころを探す貴族家にとっても我慢ならない事は閣僚であれば誰でも理解できた。
王子としても当初こそ責任回避に腐心したものの、最終的に自身も責任を取る形で引責をアピールする方を選択せざるを得なかった。
尤も、前線への赴任や帰還の条件などについては全てアレキサンダー王子自身が国王に予め根回しして、謂わば“命じさせた”ものなので親子間の確執によるものではないし、確執となるものでもなかった。
王子自身、三年以内の大手柄はともかく戦線の押し上げについてかなりの自信があったからだし、それを父親に認めさせる根拠も示していたからでもある。
結果として、戦線は無事に昨年の一〇月前にはカリードの占領という形で押し上げられていた。
もう長い間、膠着と言うよりもじわじわと負け続けていた東部戦線だが、アレキサンダー王子が投入した新兵器、銃と大砲の活躍によって劇的な勢いで進撃――奪還が行われたためだ。
占領したカリードはかなり規模の大きな街であり、南方諸国との沿岸航路の一大中継地としての役目も果たしているため、今までは直接の交易が難しかった南方にある土地とも直接交易が可能となったのである。
その為、デーバス王国でカリードの占領維持が国策の中でも一番大切な事業として躍り出るのは自明の理であり、王子の帰還に伴う代替部隊もしっかりとした訓練を行った精鋭部隊である必要があった。
勿論、王子の帰還がここまで延び延びとなった原因は他にもある。
ダンテス公爵が陰日向なく動き回って帰還を遅らせる工作をしていたためだ。
公爵の長女が王子に嫁ぐことは決まっていたが、公爵としては王子の妹である王女に長男が婿入りする事も決まっているので、なんとかして王子を廃嫡し、次代の玉座は王女の婿となった己の長男に継がせたかったのだ。
とは言え、今まで誰も出来なかった戦線の押し上げとカリードの奪還という大手柄は誤魔化しようがない。
ここまで帰還を遅らせられたのは僥倖とも言えたが、交代部隊の編成や訓練は必要なものだし、嫌がらせ以上に大して意味のない行為とも言えるだろう。
とにかく先触れの伝令により、王子はあと一週間内外で王都に到着することが告げられた。
一緒に運んでいる大砲(要修理または廃棄品)に余計な傷をつけないよう、慎重に慎重を重ねていたこともあるので、その進みは非常に遅いものだが王子やそれに付き従って二年も王都から離れていた者達にとっては非常に栄誉ある凱旋だ。
彼らにしてみれば青竜討伐の失敗も、ダンテス公爵家こそが手柄欲しさに指揮官や討伐部隊を無理やり捩じ込んできた為だ、と考えているからだ。
――討伐も最初から全て王子殿下と我々に任せていれば失敗などしなかったのに。それをあのダンテスの野郎が横から嘴を突っ込んできて殿下や我々の作戦を奪ったばかりか、補給や移動中の編成みたいな地味なところばかり押し付けやがって!
――それで討伐が成功すりゃまだいいが、失敗した挙げ句にその責任まで殿下に押し付けるとは無礼な! その証拠に殿下や我々が東部戦線に赴いたら、階級も上のダンテス五百人長だって殿下に頭を垂れ従った。そして快進撃だ。どうだ、見たか!
これが掛け値のない彼らの本音である。
少しでも早く先触れを送って歓迎の準備を整えておけ、と主張するのも無理からぬものがあるだろう。
・・・・・・・・・
7452年5月28日
先触れによって齎された到着日より一日早くアレキサンダー王子率いる元白凰騎士団――青虎騎士団の一個中隊に親衛隊の一個小隊がランドグリーズに凱旋した。
彼らの凱旋については五日も前に予め前触れが報告していた事もあり、パレードに加えて凱旋式典まで用意された、誰もが満足の行くものである。
王子と一緒に凱旋した騎士団員のうち、かなりの数が従者に木と鉄で出来た見慣れない棒を担がせている。
あれだけ使用し、王都にも幾度も報告を送っているのでアレキサンダー王子ももう隠そうとはせずに肚を決めたのだ。
「アレキサンダー・ベルグリッドよ。此度の功績、比類無き抜群のものである。よってそなたを軍部大臣に叙する」
現在の軍部大臣は国王の弟、王子の叔父であるトルシャー・ベルグリッド侯爵である。
彼の年齢は五〇を超えており、いい加減勇退しても良い頃合いだ。
更に言えば、王子は元々軍部副大臣の経験者であり、将来国王として正式に即位するまでは軍部大臣か宰相の職に就くことが理想の道程であるとされている。
まだ若く、戦場に出る可能性(今回のような無茶な戦線押し上げではなく、勝ち戦が確定しているような戦場であることは当然であるが)があるうちは軍部大臣。
ある程度の年齢となり色々な経験を積んでからは宰相となり、国王を補佐して国政を切り盛りするのである。
勿論、現軍部大臣のトルシャー・ベルグリッド侯爵はこの人事案については両手を上げて賛成した。
可愛い甥である第一王子に席を譲るのは本懐とも言えたし、何しろここ数十年のデーバス王国の悲願とも言える旧ラゾッド侯爵領を領都であるカリードまで奪還を果たすという大手柄なのだ。
そして、最近頻度が増した痛風の発作による苦痛は「もう引退してゆっくりと過ごしたい」と思わせるに充分なものであった。
武勲の巨大さを考慮すれば、国王の弟、彼の兄であるランナル・ベルグリッド侯爵が座る宰相の椅子でも充分な報奨であろう。
しかし、ダンテス公爵や多くの貴族達が抱える心情を慮って、今回は軍部大臣で我慢してやろう、というくらいの心持ちでいた。
まだ若いアレキサンダー王子であるし、今回これだけ軍事的な才を見せたのだからまだまだ武勲を立てる機会は巡ってくるであろう。
宰相位はそれからでも遅くはない。
大体、今宰相にしてしまえば元々決まっていた事とは言え、最長でも一〇年内外で即位させると知らしめるようなものだ。
西部戦線――ロンベルト王国のグリード侯爵との戦争――が思わしくないところにそういった事情を諸国に晒すのは躊躇われるところであった。
「……私のような若輩者に勿体ないお言葉、身に余る光栄です。軍部大臣の大任、謹んでお受け致します」
典礼用の精緻な彫刻が施された金属鎧に身を包み、アレクサンダー王子が父親である国王の前で膝を折り、臣下の礼を取る。
――あんなに小さかったアレクが……立派になりおって。
王子にその座を追われる立場となりながらもトルシャー・ベルグリッド侯爵はその目を嬉しそうに輝かせている。
今日は痛風の具合も良く、あまり痛まない事もあって機嫌が良い。
これでも若い頃は戦場を駆け回り、東部戦線でも西部戦線でも必死になって戦った。
第三王子という立場であったこともあり、「俺はいつ死んでもおかしくはないから」と妻も娶らず、この年までずっと独身を貫いてきた。
そうしていつの間にか白凰騎士団長となり、兄の治世下で軍部大臣にもなった。
そんな彼にとって、アレクサンダー王子は息子のような存在だったのだ。
王子が剣を扱えるような年齢になれば配下の騎士で一番の手練れを家庭教師に送り、白凰騎士団の従士として入団した時には、もう団長から軍部大臣になっていたというのに元団長としての影響力を駆使して兄である国王陛下と宰相閣下を怒らせた事もある。
そして王子が軍部副大臣として己の脇に座る事が決まった際には行きつけの高級レストランと高級娼館で奢りまくって散財した。
――顔の造作は……薄いが悪くない。あの凛々しげな顔を見ろ。まさにこれからのデーバス王国を背負って立つ気概に溢れておるわ! ……あつつ。
急に襲ってきた右足親指の痛みに思わず顔を顰めそうになるのを堪えつつ、トルシャーは新調したばかりの金属鎧の中で身じろぎをした。
――この鎧も作っておいて良かったわい。何せ、アレクの晴れ舞台に間に合ったのだからな。次に身につけるのは宰相になる時か……。
と、その時、彼の後ろから一人の騎士がそっと近づいてきて耳打ちをする。
――なっ!? ラクストに続いてカズランまで攻撃を受けているだと!?
思わず目を見開く侯爵だが、驚愕の叫びどころか一言すら漏らさなかった自分を褒めてやりたい。
ここ数日、西部戦線からは次々と負け戦の報が齎されていたが、そのどれもが耳を疑うものばかりだ。
もしも全てが真実ならグリード侯爵の進撃速度は異常すぎる事になる。
それに対し、トルシャーは「グリード侯爵が組織した侵攻部隊は一つ二つではなく、もっと多い。更に部隊一つあたりの戦力は二〇〇〇を超えていてもおかしくはない」と考えていた。
勿論、負け戦の報告が齎されるかなり前からダート地方にはグリード侯爵の本拠地のすぐ南に接する西部を中心に防衛兼侵攻部隊を送り込んでいる。
そして、その部隊には早馬での命令が送られており、今日あたり到着している筈だ。
――何にしてもダート平原のど真ん中をあれだけ攻めて来ているのなら本拠地を守る戦力は手薄になっているだろうさ。グリード侯爵……少しは身を切られる辛さを味わうんだな。
そう思って謹厳な表情を保った。
しかし、丁度その頃。
西部の要であるボンダイの街はグリード侯爵の侵攻部隊と激しい戦闘に突入していた。
・・・・・・・・・
同日の昼過ぎ。
王城ガムロイの親衛隊詰め所の会議室に姿を現したのは宮廷魔導師のレーンと彼女の護衛である冒険者のバーンズ、そして親衛隊の実働部隊を預かっているザンバ・ボークスの三人だけであった。
アレクと彼に付き従って東部戦線に赴いていたミュールは顔すら出せない程に忙しいのであろう。
親衛隊長のセルと白凰騎士団で五百人長に任ぜられているツェットもいない。
「持ち帰りました大砲は格納庫へ運び込みました。アレキサンダー殿下とサグアル十人長が仰るには、このまま使うのは怖くてできないそうです」
「そうですか。報告ありがとうございます。ボークスさんもお疲れでしょうし、今日はもうご自宅にお戻りになって家族に無事な姿を見せてあげてください」
「わかりました。他の親衛隊員も帰宅させても?」
「ええ、勿論です」
「では、失礼させていただきます」
ボークスはアル子に対して丁寧に頭を下げると会議室から退出していった。
転生者は全員、上級親衛隊員なので上役に当たるためだ。
ましてアル子は彼の主筋であるセルの愛人である。
内縁の妻と言ってもいい。
「皆、お疲れ様。なにか飲む?」
アル子の傍に座っていたクリスが明るい声で言う。
「桃水ある?」
「あ、俺は冷えたものなら何でも」
レーンとバーンズの言葉にクリスは、はいはいと頷いて会議室の外に控えていた従士に要求された飲み物に加えてアル子と自分の分のお茶も持ってくるように命じると席に戻った。
『それで、報告が幾つかあるんだけど……』
アル子はクリスが会議室の扉をしっかりと閉めた事を確認して話しだす。
『ああ、なんでもロンベルトのグリード侯爵ってのが攻めて来てるんだって?』
『結構やられちゃってるのよね?』
バーンズとレーンが答える。
この様子だとある程度はもう既に耳にしているようだ。
一足先にドラゴンの様子見と飼育の為にカルネリまで戻っていたレーンはともかく、ずっとアレクの部隊に帯同していたバーンズも知っていると言う事は軍部を中心に結構な噂になっているようだ。
『ま、ね。でも悪い話ばかりじゃないわ。まず、鉄砲なんだけど、今までの年八〇丁からもう少し増やせそうになったわ』
『おお! そりゃ凄い』
『それは朗報ね。でも弾と火薬は?』
『そっちの増産も心配ないわ。一丁あたりの数なら今までと大差ない数の供給の目処も付いてる』
バーンズとレーンの表情が明るくなる。
彼らは東部戦線で猛威を振るった鉄砲に対する信頼感が増しているのだ。
現実に寡兵で大軍を打ち破り、破竹の快進撃を行ったこともあって彼らと同じ転生者に率いられている軍が侵攻してきたと聞いても“何するものぞ”という気持ちが勝るのも無理はない。
『次は私から報告するわ。建造中の二隻だけど、すごく順調でね。両方とも今年中に進水出来ると思うわ』
『それも凄ぇな!』
『年末くらいだっけ?』
『そうね』
今建造している二隻は先に就役しているフジ号よりもかなり大きな船で、搭載数は船首側に二門と少ないながらも先進的な回転式砲座を備える予定でもある。
尤も、大砲の製造はともかくその運用については鉄砲の比ではないくらいに難しい事が判明した事もあり、艤装までに新型大砲を設計し直すべきだと言うのがクリスの見解でもあった。
『セルがアレク達は今日は駄目だろうって言ってたから、晩御飯どうする?』
『あ~、私。夜はダーリンス宮殿のパーティーに出ないと』
『あ、レーンさんは確かに……バーンズは大丈夫?』
『おう。俺はそんなのとは無縁だし問題ない。クリスは?』
『ごめん。私もアレク肝いりの造船部門の長だしね。パーティーには出席しないと』
『あらら、そりゃ大変だ。ま、そしたら俺はアル子ちゃんと二人きりになっちまうし流石にまずいか』
『う~、そうかも』
『そう言えば、ヴァルは?』
『パーティーの警備に決まってるっしょ?』
『俺達も警備にいかないで大丈夫か? 上級とは言え一応親衛隊員なんだし』
『それは大丈夫。じゃあ私は大人しく部屋でセルが顔出してくれるのを待つとするわ』
『ん。なら俺ぁ一人で行くわ。いい加減にベヨンデのエールが恋しいし』
・・・・・・・・・
フィヌト村。
村の耕作地を覆う土壁を見上げ、コールは大きな溜め息を吐いた。
二週間の休暇が与えられたことで漸く一昨日になって村に顔を出したところ、コールは村でも英雄として扱われていた。
連絡の問題もあって、彼がフィヌト村に到着した際にはまだ九倍兵という情報しかなかったが、彼と共にフィヌトまで同行していた伝令兵によって十倍兵となった事が伝えられ、それに伴って妹への配給も通常の十倍与えられる事を知った。
正直なところ、村に残してきた母親と妹に対してきっちりと配給が増やされているか心配でもあった。
しかし、母親と妹に確認してみたところ、数日のズレはあったものの倍給兵となって以降、彼女らへの配給量はちゃんと増やされていた事が聞けた事には意外さを禁じ得なかった。
「親父は元気だよ。親父も俺が十倍兵になったタイミングで八倍兵になってたし、場合によっちゃ、今頃は俺みたいに休暇を貰えて村に向かってるかもな」
そう伝えたら母親は号泣し、妹は喜んだ。
そんな彼女らの様子を見て、コールもただの奴隷兵ではなく正式にロンベルト軍の騎士団に入れると言ってしまった。
「コール……あんた、聞かなかったけど何人も殺したんだろ?」
「そりゃあ、な」
「そんなのもうやめておくれよ」
「それは……無理だよ」
「でも……」
「どうしょうもねぇんだよ。でも母ちゃんやテュカが無事に暮らせるなら、俺は……」
「あんた……」




