第四百五十五話 カズラン攻略 1
7452年5月22日
昼。
ダート平原の中西部、デル・ダート地方で三番目に規模の大きな街、カズラン。
その市街地を取り囲む防壁を遠目にグリード侯爵は唇を歪めた。
「進め」
侯爵の命令は伝令によって即座に伝達され、市街地の南側からロンベルト王国軍はゆっくりと前進を始めた。
進軍速度は子供が歩くくらい、時速に直すと二㎞強と言ったところだろうか。
ロンベルト軍の編成は、相変わらず奴隷兵による突撃部隊約三〇〇が前面に鋒矢のように三角形に固まっており、その後方に突撃部隊の督戦隊が薄く広がっている。
そして、第二陣としてやはり奴隷兵からなる攻略本隊が約二六〇〇。
突撃部隊とは二〇m程の距離を空けて少しだけ台形がかった横陣で続いている。
この部隊は人数も多く、重厚そうな布陣だが二〇〇~三〇〇人で構成されている中隊に二~三人くらいの割合で督戦隊員が混じって部隊の指揮を任されていた。
尤も、突撃部隊にしろ、攻略本隊にしろ督戦隊員は進撃と停止命令くらいしか出さないので、要するに猟犬に対する嗾け役と言っても過言ではない。
その攻略本隊の右方には騎兵からなる五〇~六〇程度の遊撃部隊が随伴しており、左方には三〇〇程度の装備の良い歩兵部隊もいた。これらの部隊は奴隷兵ではないロンベルト王国の正規軍である。
全軍の総大将であるグリード侯爵本人は彼ら攻略本隊の後方に控えているが、侯爵の周囲には伝令や護衛も含めて僅か三〇名程度の人数しかいない。
進撃し始めた突撃兵部隊を確認し、グリード侯爵は側に控えていた通信兵に手を伸ばす。
通信兵が背負っていた無線機の受話器を取ると送信スイッチを押した。
『ミヅチ、アル、感送れ』
『アル、こちらミヅチ、感明良し。こちらの感明はどうか? 送れ』
侯爵が受話器に話しかけるとすぐに応答があった。
『ミヅチ、アル、感良し。五。送れ』
『アル、ミヅチ、了解。送れ』
侯爵はもう面倒になってしまったのか、かなり省略した話し方になっている。
『ミヅチ、アル、当方前進開始。送れ』
『アル、ミヅチ、了解。所定通り攻撃開始する。終わり』
会話を終えたグリード侯爵は受話器を通信兵に返すとカズランの市街へ視線を送る。
突撃部隊だけでなく、もう攻略本隊の奴隷兵も前の方は前進を始めたようだ。
侯爵は愛馬の手綱を握ったまま前進の順番を待っている。
今いる耕作地南端から市街地めがけて南北に突っ切る街道だが、半分くらいまで進んだ時点で高台を魔術で建てて指揮所にする予定なのだ。
市街を取り囲む防壁を破壊するには侯爵の使う攻撃魔術が必要だし、戦況全体を見渡せる場所の確保も絶対に必要なためだ。
・・・・・・・・・
その頃、カズランの街の東の森には、西ダートの従士隊から分派した部隊が潜んでいた。
この付近に務めていたカズラン方の物見は三〇分程前に仕留められ、死体は見えない場所へ隠されている。
また、死体から剥ぎ取られた鎧などは二名の従士が着込み、街から見てもまだ無事に見えている筈であった。
この分遣隊を指揮するのはガルヘ村を治めるカロスタラン士爵である。
濃緑の陣羽織の下には魔法の鎖帷子を着込み、魔剣、炎の剣を携えた精人族の美丈夫だ。
此度の戦において分遣隊は従士隊を率いているグリード侯爵の奥方の指揮をも外れ、独立した部隊として行動を行っていた。
「まだ動かないか?」
カロスタラン士爵は隣の木陰から単眼鏡で本隊の方向を観察していたファルエルガーズ士爵に尋ねた。
その右手は腰に提げられた物入れの中に入っている。
恐らくは小型の時計の魔道具に触れているのだろう。
「今動いた」
返答の声は低く、小さかったが不思議とよく通っていた。
ファルエルガーズ士爵が装着しているのは西ダートの従士隊の標準品となりつつある真っ黒な鎧である。
一見すると金属鎧に見えるが、実際は非常に硬質に作られた樹脂、エボナイトというゴムの一種を装甲に採用したゴム・プロテクターだ。
防御力こそ金属鎧には敵わないが、その重量は比較にならない程軽く整備性も良い。
「そうか。ならばもう……」
カロスタラン士爵は物入れに入れていた右手を引き抜くと左腰に提げた魔剣の柄を握り、すっと流れるように引き抜いた。
その刀身は緩やかに波打っていて、得体の知れない迫力を醸し出す。
相対する者は恐ろしさから身を竦ませてしまうのだ、などと囁かれもしていた。
その様子を窺っていた他の村の従士長や従士達も一斉に剣を抜き、槍を持ち上げた。
身を低くしたたま一〇分あまりが経つ。
「閣下が高台を作られた」
未だ単眼鏡を覗いて主攻の様子を窺っていたファルエルガーズ士爵の言葉に、誰もが唾を呑む。
「そろそろか……」
誰が呟いたのか。
その声が耳に入るか入らぬかという時。
遥か遠くから爆発音が響いてきた。
「征くぞ!」
トルケリス・カロスタラン士爵の号令に、灌木に身を潜めていた従士隊全員が立ち上がる。
ある者は長剣と盾を。
ある者は槍を。
そしてある者は得物は腰にしたまま、液体の入ったガラス瓶を手にしていた。
「「うおおぉっ!!」」
口々に喚声を上げながら、従士隊はカズランの市街を囲む防壁へと走る。
但し、一直線に向かうのではなく、多少左側にずれながらだ。
万が一、こちらの方面に敵が大量の弓兵を配していた場合には東側からの攻撃を諦め、森まで一時退避して再度の攻撃機会を窺う必要があるからだ。
因みにカロスタラン士爵ら西ダートの従士隊に任せられた任務は基本的に攻略戦の囮部隊であり、あわよくば火炎瓶を防壁にぶつける事でダメージを与えられたら儲けもの、というものである。
人数も少ないし、どう考えても部隊としての危険度は今回の作戦中で一・二を争うであろう。
だが、心配していた弓兵は殆ど配されてはいなかったようだ。
防壁にはところどころ柵の部分も残されており、そこが銃眼の役目を果たしてもいる。
もしも弓兵が配されていたのならその奥に並ぶところが見えなければならないからである。
カロスタラン士爵は心の中でだけほっと息を吐くと部隊の進行方向を少し右方へと修正した。
と、その時。
従士隊が目指す東門が開かれた。
その奥には何騎かの騎馬が並んでおり、一斉に飛び出してくる。
歩兵に対して騎馬はほぼ天敵とも言える存在である。
軍馬による突進・突破力は非常に高く、歩兵が横隊で三列も並んでいても僅か一騎の騎兵による突撃を受けるだけで突破される事すら珍しくはないのだ。
例えるなら五列横隊で並ぶ人垣に、加速した大排気量のバイクが突っ込むようなものである。
軍馬の体重は平均して一トンを超えるし、比較的軽量な革製の馬鎧でもその重量は優に一〇〇㎏を超える。
しかも突撃時の最高時速は時速換算で四〇㎞を超える事すらある。
それだけの質量を持つ物体が突っ込んできたら……。
軍馬の突進を受けた歩兵は最前列から三列くらいまでは文字通り跳ね飛ばされるのは必至だ。
そこで止まってしまったとしても、大抵の軍馬は再度走ることが可能なのだ。
それが数騎も横隊を組んで突っ込んで来るのである。
そもそも、騎兵の突進を受けようとパイクなどの対騎兵用の長柄武器を構えたところで余程の手練れでもない限りはまずふっ飛ばされるのが落ちとなる。
とは言え、まともな歩兵部隊であれば三列横隊などという貧相な陣しか敷けないという事は少ない。
千単位、万単位の軍勢であれば横隊の列はもっと多い。
例えば今回、グリード侯爵が率いているロンベルト軍は主攻である奴隷兵部隊でも三〇人横隊を一〇列揃えた方陣を一〇近くも揃えている。
突撃兵部隊ですらその縦深は一五列にも及んでいるのだ。
そこに軍馬で突っ込んだとしても勢いが削がれて停止したところに長柄武器を叩き込まれて落馬してしまうか、軍馬の馬鎧の隙間を狙われて馬自体を傷つけられてしまい、結局は討ち取られてしまうことになる。
従って、騎兵突撃は敵の陣形を崩した後で行うのが普通である。
又は、今回のように相手の人数が少なく、しっかりとした防御陣形を築けそうにない場合だ。
こういった場合、歩兵側が取れる戦術はかなり限定される。
基本的に背を向けて逃げるのは必ず追いつかれるので下策とされている。
そうなると敵騎兵の狙いを分散させ、例え突進を受けたとしても被害を限定させるためにバラバラに散るしかない。
「散開!」
カロスタラン士爵は素早く判断を下し、従士隊を散らせた。
まだ従士隊と敵騎兵とは数百mも距離がある。
「各個に自由反撃!」
続く言葉で従士隊に緊張が走る。
この命令はここで退かずに敵の騎馬隊を殲滅するなり突破するなりして当初の目的を完遂するとの意思が込められているからである。
部隊の被害は必至。
今まで従士隊はたったの一人しか戦死者を出していない。
今度こそ、大きな被害を被ってしまうのであろうか?
「うおおぉっ!!」
従士隊に命じた直後、カロスタラン士爵は鬨の声を上げながら先頭を駆けてくる騎兵に向かって走り出した。
騎兵はカロスタラン士爵を猪武者と見て取ったのか、構えている槍と軍馬を士爵へと指向した。
そして、従士隊と騎馬隊との距離が一〇〇mを切った時。
『戦の神よ、鋭い矢にて我を助力せられませい! 対価として魔力を捧げん!』
カロスタラン士爵は走りつつ呪文を唱えた。
前に突き出した、魔剣を握ったままの右拳から短いが太い石の矢が放たれる。
視認性の低い石の矢はそのまま先頭を走る騎兵の胸部に命中し、騎兵を乗騎から叩き落とすことに成功した。
もんどり打つように落馬してしまった騎兵は助からないだろう。
「「おおっ!」」
呪文を唱えての攻撃魔術の行使を初めて目の当たりにする者も多く、従士隊は士気を高揚させる。
対して、騎馬隊には何が起こったのか理解できた者は一人としていなかった。
そこが明暗を分ける事になった。
「「伏兵か!?」」
「「弩だ!!」
味方への警告や用心を呼びかける掛け声としては真っ当なものだ。
しかし、どうしても行き足を鈍らせてしまう。
何しろ、弓兵や弩といった飛び道具は騎兵にとって天敵なのだから。
耕作地を突き進む騎兵達は周囲を警戒せざるを得なくなり、畑の合い間合い間に生えている灌木や木の陰に注意を払う必要が出てくる。
そうなると、多少なりとも速度を落とす必要もある。
敵が歩兵だけで編成されているように見えているからと調子に乗って突撃しているところを狙い撃たれでもしたら先程の騎士の二の舞いになってしまうからだ。
カロスタラン士爵は魔力の節約を考え、もう攻撃魔術を使うことは考えていない。
逆三角形の盾に正中線を隠し、魔剣を引っさげながら再び先頭を走る騎馬に向かって走る。
そして、一騎と一人が交錯する寸前、士爵は急激に進路を右に変え、騎馬からみて左側に遷移するべく動く。
通常、槍は右手で保持をする関係上、騎兵は自身より左側に位置する相手への攻撃は非常に難しくなる。
しかし、剣を武器としている歩兵とて右手に武器を携え、左手には盾を構えているのが常だ。
走りながら盾を構えている以上、歩兵であるカロスタラン士爵にしてみれば左側への攻撃は非常に難しい。
それを見た騎兵は、あっさりとカロスタラン士爵を狙うことを諦め、丁度良さそうな位置にいる別の従士に狙いを定めた。
「エメロン!」
呪文を唱えつつ、士爵は再び進路を左へとずらしながら魔剣を振り上げる。
「うおっ!?」
士爵の持つ魔剣は残像を引きつつも勢いよく炎を噴きながら天を指す。
急な炎の出現に、訓練を受けている筈の軍馬も驚いて棹立ちになってしまった。
その後肢を叩き斬り、返す刀で騎兵の兜と鎧の間にある隙間を突く。
「レツ・ゲル・フォブル・パーサ・エイク・タ・デジン!」
ゲクドー士爵の唱えたエアカッターがその側を走っていた騎士に命中した。
「ふん、やるなぁ」
ファルエルガーズ士爵はニヤリとした笑みを浮かべながらも適当な騎兵へ向かった。
しかし、敵の騎兵隊はまだ一〇騎も残っている。




