第四百五十四話 十倍兵
7452年5月21日
夕方。
ダート平原の南端にほど近い村。
コルバトン。
「ふぅ……」
トリスは軽い溜め息を吐いて愛用している炎の剣という銘の長剣を鞘に戻した。
今日の昼過ぎから開始された攻略戦に搦め手(迂回部隊)の一部として参加し抜刀こそしたが、敵目掛けて振っても突いてもいない。
畢竟、コマンド・ワードを唱えてもいないので刀身に炎を纏わせることもなかった。
従って、波のようにうねる刀身は相変わらず鈍く光ったまま全く汚れておらず、作戦開始前に点検した時の状態そのままだった。
失った戦力は大手(主攻部隊)の突撃兵部隊と奴隷兵部隊で合わせて二〇人程と、当初の想定よりもかなり少なく済んでいる。
直接見たことはないので聞いた話でしかないが、最初に敵陣に突っ込む事が多い突撃兵部隊も、その後詰めとして突撃兵部隊が開けた傷口を斬り拓く奴隷兵部隊も常に激しい戦闘を行っているという。
「今日は楽だったな」
「ああ」
彼の傍では同僚であるロリックとビンスも肩の力を抜いて言葉を交わしている。
彼らの言う通り、コルバトン村の西側――搦め手である彼らが攻撃を担当した方向――には僅か二〇程度の戦力が防柵の門の守備をしていただけだった。
ゼノムが率いているウィードの従士隊が第三戦隊へと抜けているとは言え、ミヅチやトリスばかりか、旧黒黄玉など優れた魔術師を擁する搦め手の戦力に抗するなど、防柵という防御施設があってもたった二〇人程度の戦力では一瞬で崩されてしまうのも道理と言える。
「それというのも……」
「敵がアホ過ぎた」
トリスとしてもその言葉には首肯せざるを得ない。
迂回部隊の数が主攻部隊の何十分の一だとしても六〇以上はあるのだ。
同数とは言わずともせめて三分の二、いや、半数程度は防衛戦力として置いておくべきだったろう。
何しろ、トリス達が従士らと共に門に到着した頃にはまだ立っている敵兵は半数程度しか残っておらず、その半数にしても小さな火傷や切り傷を負ってどう見ても普段通りの実力を発揮出来そうだった者など片手で余る程だったのだから。
勢いに任せて防柵の破孔を突き破り、まだ立っていた一人二人を仕留めたところで残りの防衛部隊はあっさりと降伏してきた。
「この規模の村だと主攻の東側に戦力を固めるしかなったのかもしれないな……」
剣帯とともに魔剣をテーブルに乗せ、トリスは呟くような声で言う。
「……ん。確かに」
その声が耳に入ったのか、ロリックが頷いた。
「難しいところだな」
ビンスもトリス同様に愛用の長剣の点検を終えて鞘に戻しながら言う。
彼としては、貧弱な戦力でありながらも何とか抵抗しようと知恵を振り絞り、勝ち目の薄い賭けに乗らざるを得なかったコルバトン村の領主に同情したところもある。
尤も、コルバトン村で最強と二番手の魔術師は搦め手が攻めていた西門の守備に回されていたのだが。
彼らは一度も攻撃魔術を放つことすらなく、突撃前に放たれたミヅチのファイアーボールで死の淵を彷徨ってしまった事が防衛部隊の士気を挫いた主因だった。
防衛部隊にしてみれば、たった一発で防柵を破壊されてしまうなど思っていなかった。
まして、何もしないうちから最強の魔術師まで倒されるなど想像の埒外であったのだ。
あっけにとられているうちにロンベルト軍は眼の前に迫り、防柵に作られた破孔から居留地内へと入られてしまう。
そしてその傍に居た者はあっという間に槍に、剣に貫かれてしまった。
周囲を見回してもまだ立っている者は半数にも満たず、負傷している者ばかり。
即座に降参するという判断は、敵の毒気を抜き、出鼻を挫くという意味でも英断であったのかもしれない。
と、その時。
「入るわよ」
ノックもせずに家屋の戸を開けてキムが入ってきた。
「どうした?」
ロリックが尋ねるとキムは少しだけ肩を竦める。
「例のあいつ、また手柄を立てたんだって。督戦隊の隊長が侯爵閣下を呼びに行ったそうよ」
その言葉にそこに居た全員が興味をそそられた。
九倍兵となっていた奴隷兵がまた手柄を立てたということは、十倍兵になるということだ。
その兵士の噂自体は少し前から彼ら従士隊にまで広まっており、奴隷兵の中には彼の事を英雄視する者まで出ているという。
そして、グリード侯爵は殺戮者の面々にだけ十倍兵となる程に手柄を立てた突撃部隊員に対する報酬について相談をしていたのだ。
その際には結論は出ず、皆が適当に並べ立てたアイデアを聞くだけにとどめていたのだが……。
勿論、グリード侯爵やその奥方、ファイアフリード男爵を含め殺戮者の誰一人としてここまで早い時期に十倍兵になる者など居るわけがない、という気持ちだったので焦って決める必要もないと考えていたためだ。
何しろ、彼はここまでに参加した戦闘全てに於いて手柄を上げた事になるのだから。
手柄とは勿論、一番槍、重要な局面での活躍、仕留めた敵兵の数――キルスコアトップスリーのどれかだ。
このうち一つでも達成は難しい上に幸運に恵まれて生還しなければ栄誉を受け取ることは出来ない。
それを一〇回も連続で成し遂げる者などそうそう居ないと考えるのは無理もないだろう。
「それは見に行かなくちゃな」
「ああ。そう言えば獅人族らしいが、俺は顔も見たことないし、この際に拝んどくか」
「閣下が褒美をどうするのか知りたいしな」
三人の男は再び剣帯を身につけるとキムと一緒に突撃部隊が集まっているという広場へ向かった。
・・・・・・・・・
広場には突撃部隊が整列したまま座り込んでいる。
督戦隊の隊長が戻ってくるまで休んでいて良いと言われたためだ。
「……コールやフーディーはまたお手柄か」
「ヨームももういい歳なのに一番槍決めてたし、ホントあの三人は凄ぇよな」
「コールの奴はこれで十倍、ヨームとフーディーも八倍兵になんのか」
ぼそぼそと小声だが近くに座る者と話す者も多い。
――……上げたくて手柄を上げた訳じゃねぇのになぁ。
最前列の中央近くに座るコールは漏れ聞こえてくる話し声に眉根を寄せた。
彼にしてみれば自分が預かっている手下達を危険に晒したくはないがため、自身に出来ることを全力で行っていただけだ。
戦に出て、場数を踏むことで初めて知り、理解できたことも多い。
「十倍かぁ……いつも腹一杯食える上に酒まで……」
「毎日酒が飲めるって堪んねえだろうだな」
「全くだ。戦は嫌だけど、まともなモン食わしてくれるのはいいよな」
「俺、五年前まで徴兵でガルドゥール伯爵の騎士団に居たんだけど、飯は今とは比べもんになんねぇほど酷かったぜ……」
他の奴隷兵の声はコールの耳を素通りしてくばかりだった。
――だけど、これでフィヌトのおっ母も、妹も、その周りの人達も充分に食えるようになるのは良いこった。
勿論、コールも自分が今回もまた一人扶持が加算される手柄を立てた事は理解している。
敵兵を三人倒し、その数全てが手柄として認められるのならキルスコアで二番手だ。
因みに一番手は四人である。
「違ぇねぇ。俺っちは一〇年くらい前にやはり徴兵でパターソン子爵騎士団に居たがよ。酒なんて月に一回出れば御の字だったぜ。しかも水で薄めたんじゃねぇかってくらい薄いエールよ」
「あー、あたいはこれが初めての軍だけど、似たような話は聞いたことあるよ。珍しくスープに肉が混じってると思ったら少し腐ってたとかね」
「在庫処分かよ」
「そうだろうな」
コールはぼーっと前を見ている。
顔も見たことのない者達がいつの間にか視界に入っていた。
さっきまで戦闘があったというのに、全員身ぎれいな格好をしているということは、きっと自分達奴隷兵を矢面に立たせ、安全圏に引っ込んでいたロンベルト兵だろう。
少し前まではその理不尽さに腹を立てていた事もあったのを思い出し、今はもう何の感慨も浮かばなくなった己がおかしくなってコールは薄い笑みを浮かべた。
何となく、自分が指さされ、注目を受けているらしい事も理解したが、最近ではかなり注目を集める立場になってきている事もまた理解しているのでいちいち気にしてはいない。
「俺も手柄上げてぇなぁ……」
「ああ、そしたらワインだって飲めるしな」
「酒が貰えるのは羨ましいよねぇ……」
愚痴を零していた突撃兵達だが、やっかみも混じり始めたようだ。
ふと左右に目をやると、父親のヨームもフーディーもコールと同様にぼーっと前を見つめている。
彼らの目には腕を組んだりして談笑しているロンベルト兵はどう映っているのだろうか?
いつかのコールのように、きれいな服を着て、高価そうなゴム底の革ブーツを履き、鞘付きの長剣を提げた彼らに対し、怒りを感じているのだろうか。
それとも、今のコールと同様にもう何も感じなくなっているのか?
二人共何の感情も読み取れない茫漠とした表情を浮かべている。
その様子は目こそ開いているものの、半分眠っているのではないかと思うほどだ。
そこに督戦隊の隊長であるオルティスが戻ってきた。
驚いたことにグリード侯爵や警護の騎士まで引き連れていた。
コール達倍給兵は一斉に口を噤むとその場に立ち上がり、体の右脇に穂先を上にして槍を立てた。
「よし貴様ら、恒例の殊勲表彰だ!」
いつもなら“お楽しみ会”などと少し下品な表現をしている隊長だが、今回は侯爵が居るために多少は畏まっているのだろう。
「まず一番槍! ヨーム・ワイドス! 一歩前へ!」
「はっ!」
コールの右隣に立っていたヨームが一歩前へ出ると右脇に立てていた槍を体の前に立てた。
「貴様はこれで八倍兵だな。今回もよく頑張ってくれた!」
「はっ! 有り難くありますっ!」
ヨームは背筋を伸ばし、大声で返答する。
「次、門の脇の破孔を後続が到着するまで死守した者共! フーディー・サコスの隊全員! 一歩前へ!」
「「はっ!!」」
コールの左隣に立っていたフーディーは後ろに並んでいた五人を引き連れる形でヨームの脇に横列を作って並んだ。
「フーディー・サコス。貴様も八倍兵だ。私も鼻が高い!」
「はっ! 有り難くありますっ!」
フーディーは少し嬉しそうに答えた。
きっと彼の手下全員が三倍兵として出世できたからだろう。
手下達も毎日の食事で多目に酒が貰えることに加え、故郷の村に残された家族への配給も増えるであろう事に喜びを隠せないようだ。
「次、敵兵撃破四人! ザール・グリー! 一歩前へ!」
「はっ!」
どこからか狼人族らしい男が進み出てきた。
「貴様は四倍兵か。ヨームやフーディーを追い抜いてやれ! いいな!」
「はっ! 今まで以上に励みます!」
ザール・グリーは怒鳴るように返事をした。
「次、敵兵撃破三人! コール・ワイドス! 一歩前へ!」
「はっ!」
コールも進み出て列に並んだ。
そしてもう一人、キルスコア三でコールに並ぶ手柄を立てた男が呼ばれ、コールの隣に進み出る。
「よし、前に出た者以外は座れ!」
倍給兵達が一斉に座った音がする。
「今立っている者は部隊の殊勲者だ! 全員が今日より一人扶持追加だ! そして、今回始めて三倍兵になる者は伍長に昇進。手下を五人つけてやるから可愛がってやれ!」
「「はいっ!」」
コールと同じく立った者のうちからヨームとフーディーを除く全員が返事をした。
手下が総入れ替えになる事になったフーディーは苦い顔をしているだろうか。
見てみたかったがこの場でよそ見は出来ない。
「それとコール・ワイドス! 更に一歩前へ!」
「はっ!」
後はいつも通りの注意や宿舎の割当ての発表かと思っていたコールは意外な呼び出しに声が上ずってしまったのを自覚した。
「貴様はこれで十倍兵となった。ついては全軍の指揮を執られているグリード侯爵閣下よりお褒めの言葉がある! 心して拝聴するように!」
「はっ!」
お褒めの言葉などという、食えもしない物などいらない。
とは言えず、オルティス隊長の隣に進み出てきた侯爵閣下の方へ身体全体で向き直る。
と、侯爵閣下は隊長の隣で足を止めず、コールから一歩離れる程度の場所まで近寄ってきたではないか。
「……っ」
突然のことに緊張から息を詰まらせるものの、目を白黒させながらも姿勢を崩さないだけで精一杯だった。
「凄いな、お前」
つい先日、侯爵閣下とはラコルーシの街の路地で遭ったばかりだ。
一体あんな場所に何の用事があったのか、たった一人で大きくて重そうなリュックサックを背負っていた理由も解らなかった。
理不尽な理由で袋叩きにされそうな自分を見ていたあの時は、その瞳に面白そうな色を湛えていた。
しかし、今眼の前に立ち、少し下から見上げる視線には感心したような感情が混じっている。
「はっ、ありがとうございます!」
鯱張って斜め上を見上げながらコールは答えた。
「そう緊張するな、と言っても無駄だろうな。まぁいい。お前、軍人としてもう少し色々なことを学んでみたくはないか?」
「は、は?」
突然の申し出に、コールは大きな声で返事をしなければならない事も忘れて言葉を詰まらせてしまう。
「部隊の指揮や戦術について学んでみないか、と聞いているんだ。勉強すれば、お前の下についた者たちをもっと有効に使うことも出来るだろうし、死なせないで済むようになるかもしれないぞ?」
「……っ」
その言葉に思わず息を呑む。
手下達、あの気の良い者共を死なせないで済むのであれば、生き延びさせる事が叶うのなら……!
「は、はいっ!」
今度こそ、訓練規範通りに大きな声で返事をすることが出来た。
「そうか」
グリード侯爵はニヤリとした笑みを浮かべると、コールの肩を叩き、督戦隊長の隣まで戻っていった。
そして、隊長に何事か耳打ちをする。
高価そうな黒染めの金属鎧に身を固めた護衛の騎士達の奥に、興味深そうな顔をしたロンベルト兵の姿が見えた。
「者共! よく聞け! たった今、コール・ワイドスは突撃兵部隊……わが部隊で初めて十倍兵となった! 勇士を讃えよ!」
「「うおおぉっ!!」」
オルティス隊長は珍しく歓声が収まるまで待って言葉を継ぐ。
「そして、我らがグリード侯爵閣下も勇士の誕生を殊の外お喜びになられた! 聞け! コール・ワイドス伍長には明日より二週間の休暇が与えられる! また、報奨金として二五万Zの金子の他、今後支配下に置かれた地に住む奴隷の中より本人が気に入った女を一人、無条件で娶る事を許す! 加えて、より上級の指揮官を目指すため、リーグル伯爵騎士団への入団を許す事となった!」
ぽかんとするコールや奴隷兵達だったが、隊長が続けて「今までコール・ワイドス伍長に従っていた者達は八倍兵となったフーディー・サコス伍長の下に付ける! いいな!?」と宣言する頃になってやっとどれ程の報奨なのか実感出来るようになった。
侵略されると共に強制的に奴隷兵として徴用されたとしても、手柄を立てることが出来たのならロンベルト軍の正規兵、しかも指揮官クラスである騎士となる道が開けた事が理解できたのである。
身分こそ奴隷のままだが、騎士として叙任されれば平民にだってなれるかもしれないのだ。
一部始終を見ていたトリス達は一様に「おいおい、これはちょっとやりすぎじゃねぇの?」という感想を持ったが、すぐにぶら下げる人参は魅力的な方がやる気が出る事に思い至って感心した。
尤も、十倍兵に届きそうな者はあと二人しかおらず、その次に手柄を立てている者でも今日四倍兵となった者が一人だけしかいないという事実を思い出した事もある。
大して広くもない広場は歓声に包まれた。
……グリード侯爵の思惑としては新設する下士官コースの訓練従士とするつもりだったのだが、下士官コースの構想自体騎士団の内部でも発表されていなかった。
勿論、侯爵としては下士官コースで優秀な成績を取れた上で本人が希望すれば騎士コースの訓練従士として編入を認めるに吝かではないし、騎士コースへの異動を希望せずに実戦部隊に戻ったとしても更に手柄を立てるようであれば強制的に騎士コースの訓練従士にするつもりでもあった。




