第四百五十二話 躾
7452年5月18日
朝。
ラコルーシの街。
ミヅチや西ダートの皆とランニングしてから朝食を摂り、正規兵の訓練に顔を出そうとした。
と言うのは真っ赤な嘘で、昨日ショーンと一緒に到着した補給部隊が大量の決済書類も運んで来ていたため、まだ暗いうちからシコシコと事務作業に追われていたのだ。
お陰で今から一人でランニングだよ。
走らなくても流石に腹は減るので、軽くパンらしきものを一切れだけ腹に入れはしたが、それだけで足りる筈もなく。
食ったのはライ麦だけで作られている不味い軍の標準品のパンどころか屋敷の台所の棚に放り込んであった下働きの奴隷用のパンらしかったのでライ麦の他にオーツ麦まで混じっている本気で硬い上にボソボソとしたクッソ不味いパンだった。
ギベルティもいないし、挟む物も無かったから美味くなりようもない。
不味過ぎて一切れしか食う気が起きなかった、というのが本当のところだ。
屋敷の前に歩哨として立たせていた騎士団の従士に言いつけてもう少しマシな物を食っておくべきだった。
それか、無理にでも皆と居たがるミヅチと一緒に寝ていたらあんなクソ不味いパンを食う羽目にならなかったのにな。
まぁ、ミヅチは西ダートの従士隊を率いているから自分だけ良い宿舎に泊まりたくはなかったのだろうし、俺としても今更藁ベッドで寝たくはなかったのでそこは仕方がない。
俺と一緒の屋敷に泊まったとて誰憚ることもないが、奴にしてみれば俺が西ダートに封ぜられて以来、従士隊として初めての実戦である以上一体感の醸成は必要だと考えていた。
それを主張されてしまえば渋々ながら受け入れざるを得なかった。
それはそうと今まで特に気にしていなかったので置いていなかったが、南方総軍司令官且つリーグル伯爵騎士団長且つ侯爵閣下であらせられる人物には専任の従卒とでも言うべき従士が必要なのではないだろうか?
陸自なら駐屯地司令なんかに付く副官付きってやつな。
ところで正規兵の訓練だが、今日は街の西側にある荒れた耕作地で行うと聞いているので本当ならそっちの視察もしたいのだが、ランニングをサボるのは駄目だ。
因みに奴隷兵共は同じ場所で明日一日陣形や方向転換の訓練漬けだというのでこちらも短時間でも一度くらい視察をしておく必要があるだろう。
さて、【冥越鱗】を装着するには時間も手間もかかるから今日もウェイトを背負って走るとするか。
こういう時のトレーニング用にと用意してある丈夫な革のリュックサックに砂をパンパンに詰めたウェイトを背負う。
重いがこのくらいの負荷は必要だ。
宿舎にしている屋敷から出ると俺の警護隊であるリーグル伯爵騎士団の騎士たちがすぐに寄ってきて周囲を固めようとした。
そういえばこいつらは食事もランニングも済ませていた筈だ。
「私の方はいいから訓練に参加しに行け」
「は。ですが……」
「昨日も言ったろ? もう敵も残ってはいないし警護はいらん」
「しかし……」
「潜んでいた敵兵は全て狩り出したという報告だったが、そなたは嘘だ、と主張するのか?」
朝から碌でもないモンをちょっとしか食ってないからか、自覚できるほどに機嫌が悪い。
思い切り走って汗を流し、ちったぁまともなモンを食えば収まんだろ。
「いえ、そんな……」
普段なら絶対に言わないような完全なるいちゃもんだが、だからこそ俺の虫の居所が限りなく悪い事は伝わったようだ。
「命令だ。行け」
「わかりました」
爪楊枝代わりに使われるラグネ草の茎を咥えながら歩き出す。
これ、微妙にスースーした清涼感がある上に太さと硬さが丁度良いんだよ。
茎を残して葉を毟るのがちょっと面倒だけど。
ここからデハマ城の脇を通って南に向かい、広場を通り過ぎて更に南に向かえば南の正門に着く。
そこから防柵の外に出て市街地の周囲を回るように走れば誰の邪魔もしないし、周囲の見通しだって悪くないから警護だ何だのの心配もない。
こんな街中から走って街頭に立つ警備を慌てさせても嫌だし、街の様子も窺いたいから少しゆっくり目に歩いて行くことにする。
すぐにデハマ城前の広場に到着した。
普段はもっと人通りも多く、露天商が広げる屋台店がひしめいていると聞いていたが、営業している露店は一〇もあるかどうかというところで、人通りもまばらだった。
ま、すぐ傍に建つ城で激しい戦闘もあったし、そも街自体が占領されたばっかだし、これもしゃあないだろう。
全く活気を感じさせない広場を縦断し、南の正門へと向かう。
と、脇道の奥に数人が固まっているところを見つけた。
いや、固まっているとは言え大した数でもないし、見回りの兵士だっているから別にそんな集団は珍しくはないのだが――珍しいのはその集団が放っていた雰囲気だ。
これは以前暮らしていた懐かしいバルドゥックの路地裏の雰囲気に近い。
要するに、荒事が起こる寸前の風船がパンパンに膨らんだような、緊張感を孕んだアレだ。
今、この状況のラコルーシでこういう雰囲気を醸せるのはゴロツキみたいなケチな犯罪者ではない。
気が立った俺の兵隊くらいなもんだろう。
って事は、訓練をサボって遊んでる奴か、街頭警備に任じている奴、という事になる。
そして、街頭警備の兵隊に絡む“自殺志願者”などそうそう居るとは思えないので、こりゃ前者だろう。
仮に後者だとしてもそれはそれで問題だと言える。
……サボってる兵隊に喝を入れるのなんざ俺の仕事ではないが、兵隊に絡む輩かもしれないから見過ごす訳にもいかない。
サボってるなら軍規違反だし。
死刑にする程じゃないが、戦場掃除……は終わっちまったか。
まぁ、俺のランニングに付き合わせるなり何か適当な罰を与え、反省を促してやらねばなるまいよ。
それ以前にどこか鬱憤の溜まっている俺の感情が多少はスッキリするかもしれないし。
っつーか、それだって俺だけに許される立派な理由だ。
良くない事だとは理解っちゃいるが、誰しもそういう時はあるってもん……。
「俺は貴族だぞ! その俺の言う事が聞けないってのか!?」
「そうだ、この奴隷風情が!」
お?
兵隊じゃないんか?
急につまらなくなった。
奴隷が貴族の言う事を聞いていないらしいが、そんなのどんな理由があろうと一〇〇%奴隷の方が悪いに決まってるわ。
たとえ俺の持ち物であろうが奴隷は貴族の命令を拒むことは出来ないのだ。
路地の入口で一度は止めてしまった足を再び動かそうとした時。
「もう貴族じゃないでしょう? 俺もあんた方も同じ奴隷兵じゃないですか」
は?
「き、貴様!」
「俺はミル・ダート地方を治めるパターソン家の長男だぞ!」
「そうだ、子爵家なんだぞ!」
ほう。
この前降伏してきたアホ子爵家の生き残りか。
そういや当主だったパターソン子爵はこのラコルーシの街を巡る戦闘で戦死したと報告があったな。
重たいリュックサックを背負いながらゆっくりと路地に入っていく。
どうやら一人の奴隷兵を四人が取り囲んでいるようだ。
そして、取り囲んでいるのは全員が士爵や准爵といった貴族階級にある者らで、【鑑定】による家名情報だとベルリで戦って降伏してきた者たちだという事がわかった。
そして落ち着いて見てみれば囲まれているのはあの九倍兵になった獅人族の兄ちゃんじゃねぇか。
こりゃ面白そうだ。
どことなく物足りなかった気持ちが僅かに高揚した。
うむ。
こいつらは「元」貴族だな。
何せ、まだ命名の儀を済ませていないだけで俺の奴隷兵――貴族なので倍給兵部隊に配属されている筈だ――なのだから。
なお、貴族か奴隷かなぞ命名の儀が済んでいるかどうかは関係ない。
罪を犯し、奴隷階級に落とされる判決を受けた瞬間に扱いは犯罪貴族から犯罪奴隷になるし、虜囚ではなく軍に「戦闘奴隷」として採用されてしまえばステータスにどういう表記がされていようとその者は「奴隷」なのだ。
「別に無理を言うつもりはない。次の戦闘で少し手柄を分けてくれりゃそれでいいのよ」
「そうだ。お前、九倍兵なんだってな。相当出来るんだろうが、若様より上ってのはいただけねぇだろうよ?」
ニヤニヤ笑いが止まらねぇ。
「それとこれとは一緒にならんでしょう? 手柄が欲しけりゃしっかり戦えば良いのではありませんか?」
ライオスは彼を取り囲んでいるのが全員頭一つ低い普人族で余裕があるからか落ち着いた受け答えだ。
「お前、ライオスだからって有利だと思うなよ? 若様は当然、我らもパターソン子爵家にお仕えする貴族で、騎士だっているのだぞ?」
若様(笑)の取り巻きの一人がドスを利かせた声で言う。
でかいライオス相手にびびったり腰が引けたりした様子もないから荒事には慣れている感じだ。
まぁ、四人で一人を囲んでりゃそうなるか。
「本来ならお前の方から申し出て来て然るべき話なんだぞ」
別の取り巻きがアホなことを言った。
この時点で貴族たり得ない下衆な発言を聞き続けた事に少し不愉快になる。
とは言え、所詮は外国の貴族だし、こういう奴らだって居る、という事か。
ロンベルトの貴族がこのような誇りの欠片も感じさせない発言をしたならば、絶対に周囲がそれを許しはしない。
こいつら、貴族階級(“元”だが)が四人も揃っていながら……。
戦地での臨時採用だけに奴隷商を通してないのが原因だな、こりゃ。
そんな悠長なことやってらんないし、仕方ないけどさ。
「残念ながら恩でもありゃ別ですが、そういった方々は皆亡くなってしまいました。あんた方にそんな義理はありませんね」
九倍兵のライオスは落ち着いた声で言う。
と、奴らがたむろってる場所から五m程離れた場所に着いた。
俺の接近に気が付いたのか、一斉に俺を見た感じがする。
重いリュックサックを背負っている俺は視線を落としたままなのでそんな気がしただけだ。
「なんだ、お前?」
取り巻きの一人が俺に対して凄む。
ゆっくりとリュックサックを降ろしてその上に腰掛けて足を組んだ。
五人とも俺の顔を見ても持ち主だとは気が付いていない様子だ。
「貴族という声が聞こえたのでね」
肩を竦め、両手を広げて言う。
「さぁ、続けてくれ」
どうにも漏れてしまう笑みを我慢できないままに言った。
「見世物ではない」
「怪我しないうちに出てけ」
俺がニヤニヤとした笑いを浮かべながらも落ち着いているからか、四人も声を荒らげることなく言って来る。
「見世物だろ?」
本気で噴き出す寸前の痙攣を我慢しつつ言う。
俺だって徒に戦力を減らしたくはない。
今なら引き返せるぞ。
見世物なら身分詐称だって見逃してやることも可能なのだから。
そう忠告してやりたいが、それじゃあ面白くな……じゃなくて貴族としての俺の道徳心が許さない。
「何っ!?」
「貴様!」
流石に取り巻きの何人かが凄んでくる。
「一人を四人で囲むのがデーバスのお貴族様のやり方なのか? しかも戦果を譲れと迫るのはいただけないな」
くつくつと笑いながら足を組み換えた。
「貴様に関係な……あ!」
「おい、ちょっと待て!」
流石にもう気が付かれたようだ。
ランニング用にあまり上等とは言えない服を着ていたからか、たった一人ででかいリュックサックを背負っていた事が原因だったのかもしれないが、今まで気付かれなかった理由なんざどうでもいい。
正直言って若様と取り巻き三人はともかく、ライオスの兄ちゃんだけは俺の顔を見た瞬間に気付いてほしかったところだ。
何せ仲間の命と左腕の恩人なんだし。
まぁ、あん時ぁ背中を蹴っ飛ばした上に碌に会話も交していないから無理もないかもしれない。
でも、親玉の顔くらいしっかり覚えておいて欲しいもんだよね?
「そなたら、そのまま動くな」
静かに宣言をする。
もう笑いを堪える必要はないが、引っ込んじゃったよ。
「全員その場に跪け」
そう命じたがライオスの兄ちゃん以外は立ったまま顔を見合わせている。
「グリード侯爵と言ったな。こんな場所にたった一人で来るとは……」
「今こそ……!」
「ここで会ったが……!」
「父上や皆の仇を取らせて貰う! 行くぞ!」
あーあ。
ラコルーシを攻める時も散々魔術を見せてやったと思うんだが。
はい。氷漬け。
「そなた。確か、ワイドスと言ったな? すぐに警邏の兵士を呼んで参れ」
当然、【鑑定】で見ただけだ。
奴隷兵の名前なんかいちいち覚えてる訳がない。
「は、はい。あの……」
九倍兵は目を丸くしながらも何か言いたそうだ。
「ん?」
そうだよ。俺は奴隷兵の名まで覚えている慈悲深い司令官兼お貴族様なのだ。
せいぜい感極まって広めてくれ。
「父を救っていただき有難うございました。それに私の腕も治療して……」
「ああ、我が軍の兵士なのだし当然の事をしたまでだ。気にするな」
「でも、今まで御礼も言えておりませんでしたので」
「そうか。礼は受け取っておく。しかし、いつもいつも助けられるとは限らんぞ。それは忘れるなよ」
「それは、もう」
「では行け」
コール・ワイドスという九倍兵はおっかなびっくりと言った様子で氷を乗り越えると大通りに向かって走っていった。
「さて、そなたら四人には偽報告教唆と命令違反並びに反逆に加えて身分詐称の容疑……じゃない、罪で裁きが待っているぞ。楽しみにしておけ」
・・・・・・・・・
7452年5月20日
ラコルーシの街から西に七~八㎞。
やはりダート平原内ギリギリに拓かれたラクストの街に対し攻撃を行おうとした。
まぁ、この街は「ダート平原内」とは言っても南半分は平原を構成する森からはみ出しているんだけどね。
と、市街地を囲む防柵から一人、白旗を掲げてこちらへと進んでくる人影が見えた。
調略を行うまでもなく降伏か。
利口だな。
これからずっとこうだと有り難いのだが、そうも行かないだろう。




