第四百五十一話 採用決定
7452年5月17日
朝。
ラコルーシの街。
宿舎として接収した領主、チェイス子爵の従士長であったなんとか准男爵の屋敷で簡単な朝食を終えた頃、急ぎの来客があった。
ん?
子爵の居城だったデハマ城?
たしかに俺の占領下にはあるけれど、ほんの昨日まで殺戮の現場だったのだ。
掃除だってまだ終わってないから臭ぇんだわ。
血はともかく、臓も……ンコとかな。
軍の司令部はともかくとして他に丁度良い建物がないならいざ知らず、上級貴族である侯爵閣下の寝所にはふさわしくないよね。
それはそうと来客だって?
急いで客間に向かう。
「ショーン?」
来客は兄貴の従士長のショーン・ティンバーだった。
「は。侯爵閣下にはご機嫌麗しく……」
今ではショーンもアラフォーになり、すっかり落ち着いた様子で作法通り丁寧に礼を述べる。
最近では毎年一度か二度は王城にコンドームを納めに行っているからそのあたりはしっかりしている。
そんじょそこらの貴族にも負けない上品な振る舞いを身に着けている優秀な従士長なのだ。
なお、彼はいずれ家族ごと俺の領地に移住してくれる事になっている。
「いいよ。俺相手には。座ってくれ」
「はぁ」
昔の通り純朴そうな笑みを浮かべながら座ってくれた。
ショーンの様子からは緊急でも悪い出来事でもない感じが伺える。
「で、一体どうしたんだ? 隊商は一緒なのか?」
本当ならべグリッツに寄った後で王都に向かう隊商を率いている頃の筈だ。
「それどころではございません!!」
「えっ?」
まさか、何か悪いことでもあったのか!?
親父かお袋が病気でもしたか?
「アル様、おめでとうございます! このラコルーシまで攻め上がっておられるとは!! 流石はアル様です。大したものです!」
「ん? そうか?」
ガキの頃、木槍を突き込んでは「腰が入っていない!」と払われた相手にこれだけ感激され、褒められるとは……嬉しいものだなぁ。
「そうですよ! この事はすぐにでもお屋形様や大旦那様にご報告すべきですよ!」
「おお。褒めてくれっかな?」
「それは当然ですよ。きっと誇りに思ってくださるでしょう!」
「そうか……でも今はやめとこう」
「なぜです?」
「いや、報告はこのダート平原を全て俺のものにしてからの方が良いと思ってな」
「なんと! では私と競争ですね」
「競争ってお前……」
「私は王都に向かう途中で寄らせていただいたのですよ」
「あ、そうだ、隊商だよな。バークッドの隊商は一緒じゃないのか?」
「バークッドの隊商はラムヨーク(エーラース伯爵領都)でミッケンスに任せて先に王都に向かわせていますのでご安心を……」
「じゃあお前は?」
ラムヨークでショーンは一人隊商から分かれ、単独で第四騎士団配下の補給部隊と一緒に占領地を辿って俺を追いかけてきたという。
「お屋形様よりお手紙をお預かりして参りました。アル様。こちらを……」
ショーンが懐から差し出してきたのは二通の手紙だ。
「兄貴から……?」
一通は兄貴からのもので、もう一通は聞いたことのないどこぞの男爵閣下かららしい。
当然、馬の骨男爵の手紙は後回しだ。
封を切ると大して長くもない手紙が一ま、いや白紙含めて二枚。
常々思うんだけど、この手紙に白紙の便箋つける習慣って地球でもいつの頃からなんだろうね?
紙が高価いから返信用の便箋として入れておくんだけど、こんな所でも兄貴に気を遣わせてしまう事に何だか申し訳なくなるんだよ。
まぁ兄貴も俺も、紙切れ一枚如きどうということもない程に金はあるんだけどさ。
王都や各地の商会や貴族とも時候の挨拶や商談を含めて大量に手紙のやり取りをしているから、白紙の便箋が貯まる貯まる。
いや、勿体ないからどっかで使うんだけどね。
当然ながら紙質もサイズもバラバラだから使い難いことこの上ないんだ。
兄貴からの手紙には、先月に変な一行がバークッドにやって来て、俺と会わせてくれと言ったとある。
眉を顰めながら読み進めると、その一行のリーダー(もう一通の手紙の主だった)は俺と同じ生まれ変わりだと主張して、俺に対する仕官を望んでいるという。
「……」
もう一通、転生(仮)男爵の手紙を開封しようとしてショーンを見る。
「何か?」
「いや。ショーンはこのベンディッツ男爵とやらとは会ったのか?」
「顔を見て少し挨拶した程度ですが」
「そうか。どういう印象だった?」
「……普人族で、年の頃はアル様と同じくらいかと。傭兵団を率いて……」
「は? 傭兵団!? そんなのを連れてバークッドに来たのか!?」
ウェブドス侯爵は一体何をしてるんだよ?
と思ってしまうのも無理もないだろう。
普通、傭兵団が出身地以外の領内を好き勝手にうろつく事はない。
と言うか、できない。
ある領地に入ろうとすると、領境にある関所で足止めされるのが当たり前だからだ。
勿論、兵力に任せて力尽くで押し通ることは可能だろうが、そんな事をすればその領内だけでなく国内全てにおいてお尋ね者一直線なのでやるバカはいない。
仮にその領地を通り過ぎることだけが目的だとしても、領主が認めなければ何百人(傭兵団と名乗るからには普通はそれくらいの規模になる)もの武装した他領の者を領内には入れたくはない。
尤も大抵の場合はその傭兵団が仕事を請けたために移動する事が目的なので、仕事を依頼した側の領主なり何なりが通行証となるような依頼書や書類を用意しているので大事に発展することは少ないが、半島にあるウェブドス侯爵領を通り過ぎるとかあり得ない。
ジンダル半島内で内乱でも起こっているならそういう事もあるかもしれないが、内乱なんかないし。
なお、特に用もなく移動するだけが目的の越境は越境先の領主なり代官なりに多目の通行税を献上した上で、許可を得なければならないし、そういったケースではその地の騎士団から数名の監視が付くことになる。
尤も、割増通行税もせいぜい二倍程度と高が知れているし、監視なんか良くて傭兵団一〇〇人あたり四~五人で、酷けりゃせいぜい二人ってとこだ。
「あ、いえ、村に来たのはそのベンディッツ男爵の他は男が一人に女二人の合計四人だけです。傭兵団はスカーレット・ソルジャー・コーという名で、兵士の家族を含めた全数は一〇〇程度だそうです。それで、今はドランに駐屯していると聞いています」
「なんだ、そうか。それにしても全数で一〇〇って少ないな」
仮にその半数が兵士だとしても正規の騎士団の一個小隊に相当する戦力だ。
兄貴のいるバークッド村ならともかく、正規兵が駐屯していない奥地にある普通の村一個蹂躙する程度ならやってやれないことはないが。
バークッドだって兄貴がいなきゃ純粋な防衛力は他の村と大差ない。
あ、ゼットとベッキーは勿論別な。
満足に戦えるのなんて引退した従士まで総動員したって三〇人もいりゃ御の字ってとこだろう。
しっかし、全数で一〇〇かよ。
そんだけの頭数でコーとか笑っちゃうわ。
でもそれしかいないのなら幾つかの小集団に別れて商家や隊商を装った上で、多少時間や日付をずらせば正規の手続きで越境は可能な気がする。
まぁ、どっかの国で正規に発行された商会の免状は必須だけど。
「そうですね。村に来た時は従士連中で取り囲んだそうですが、飄々として恐れた様子も見せなかったと聞いています。私もありゃかなりの死線を越えてきた面構えだと思いました」
「そりゃ傭兵団を率いてるならそうだろうよ。他には?」
「ん~、男爵閣下が村にいらして二日後には出ちゃいましたからねぇ……」
「……」
「あ、そういえば、アル様のように髪と目は黒かったですね」
「そうか……」
手紙の封を切った。
多少予想はしていたが日本語か。
まぁ、俺でも日本語で書くだろうな。
――拝啓
アレイン・グリード候爵様
自分の名前がカタカナで書かれてるって新鮮だな……。
……カワサキ タケオって散々書いたし読んだけど、こっちの名は初めてな気がする。
それにしても侯爵の字を間違えている上に様付けはいただけんな。
お里が知れるってもんだぜ。
だけどこの時点で採用は決定だ。
――私はバクルニー王国にて男爵に叙せられておりますバスコ・ベンディッツと申します。
以前の名は類家義人と申し、れっきとした日本人でした。
候爵様が開発なされたというゴム製品をぐうぜん知る機会があり、非常に感心すると共にこれだけ多品種、かつ高品質な製品の量産体制を整えられた事に感服いたしました。
これだけの品々を開発するには相当なご苦労があったかと存じます。
ああ、これだよ。
ゴム製品について、今まで転生者で正面から褒めてくれたのはマリーだけだ。
だーれも、ふーんとかへーってなもんで感心はしてくれたが、頑張ったね、偉かったね、ありがとうなんて言ってくれなかった。
勿論、誰かに褒められる為に開発した訳ではない。
むしろ、利己的な、家族や自分の利益を念頭に置いて開発したものである。
しかしながら、オースの歴史において重要な一歩を示したのは確かだと思うし、その評価はそう間違ったものでもないだろう。
尤も「元々知っていた事物をなんとか再現しただけ」と言われたらそうだと頷く以外ないが、それにしたって試行錯誤に伴って相応の失敗もしたし手間も時間もかけた。
結構苦労はしたのだ。
その大部分は兄貴に帰属するだろうとか突っ込まないでくれ。
そこはわかってるんだし、それならそれでもいいんだけどね。
一歩目よ、一歩目。
ところで、名字は“るいけ”と読むんだろうが、名前の方は“よしと”なのか“よしひと”なのかどっちだろう?
まぁ、どっちでもいいけどさ。
人の名なんだし、間違えて覚えたくはないよ。
――今、候爵様はご領地を拡大され、兵力ならびに各種人員も不足しているのではないかと存じます。
もしよろしければ私を候爵様のご配下に加えていただけないものかと思いまして、こうして手紙を書かせていただきました。
私も元は日本人(例の事故には三八才の時にあいました)ですので、普通のオースの人々より行政や科学知識は多く持っていると存じます。
加えて、戦場において多数の人間を束ねる指揮官としての実戦経験も積んでいます。
残念ながら商才には恵まれてはおりませんので、軍事方面のお力ぞえが中心となってしまうでしょうが、それでも候爵様の良き理解者、相談役としての勤めは果たせるものと自負しております。
なるほどね。
自分の得手不得手くらいは理解していると評せばいいのだろうか。
――私は現在スカーレット・ソルジャー・コー(日本語なら赤兵隊とでも言いましょうか)という、よう兵団を所有・指揮しております。
このよう兵団は私を含めて兵力七一名、その他三三名という世帯であり、兵力数として大したものではございませんが、全員がきびしい実戦をくぐり抜けた歴戦の勇士であります。
び力ではありますが、必ずや候爵様のお力になれるものと確信しております。
以上、何卒よろしくお願い申し上げます。
敬具
何となく感じていたが、漢字が書けないのは仕方ないにしても……世帯ではなく所帯だろ。
両方とも“しょたい”とも読めるけどさ。
こりゃ間違えて覚えてたんだろうな……。
……ってなんで俺が校正してんねん。
「っふぅ~……」
「……」
「ショーン」
「はい」
「このベンディッツという男爵は呼べばすぐに来るのか?」
「それは、恐らく」
「では呼んで……いや、傭兵団はドランに駐屯していると言ったな?」
「ええ」
「……時間の無駄か」
「は?」
「いや、なんでもない。後で支度金を用意させるからそれをベンディッツ男爵に渡して、傭兵団共々べグリッツへ向かうように伝えてくれないか?」
「え? あ、はい。わかりました」
「あ、ごめん。お前はバークッドの隊商に合流しなきゃだもんな」
「いえ、アル様のご命令に……」
「いいんだよ。どうかバークッドの仕事の方を優先してくれ。手紙はこっちで届けさせるから気にすんな」
「はい。わかりました。では……」
そう言って立ち上がろうとするショーンを呼び止めた。
「そう焦んなよ。少しくらいバークッドの話を聞かせてくれてもバチは当たんないだろ?」
「確かにそうですね」
「お茶、おかわり飲むか?」
「よろしいので?」
「勿論だ、遠慮なんかしないでくれ」
その後しばらく懐かしい故郷の話に耳を傾けた。
親父やお袋はまだまだ息災なようで、重畳なことだ。
兄貴……ゼットもベッキーも第一騎士団を受けさせんのかよ……俺んとこ、そんなに駄目かね?
そらまぁ、第一騎士団と比べられたらなぁ……。
残念だが諦め……いや、この戦でダート平原の平定、いや統一を成し遂げたら気持ちは変わるだろうか?
兄貴の気を惹くためにも踏ん張りどころだろう。
・・・・・・・・・
バークッドには支度金を持たせた伝令を四人送ることにした。
別に数十人程度の戦力に苦慮している訳でないので急いで行く必要はない。
そよ風の蹄鉄を装備させたリーグル伯爵騎士団の人員ではなく、第二騎士団の従士を一人、ギマリからデバッケン(ドレスラー伯爵領都)に向かわせ、ヘムリン伯爵とドレスラー伯爵騎士団に対する命令書も持参させている。
それでも二週間もありゃバークッドには着けるさ。
さて、隊商に合流するショーンが便乗する部隊を見繕ってやらにゃあ、と思って物資を集積しているデハマ城に行ってみた。
すると絶賛掃除の真っ只中で、乾いた血と臓物に塗れた死体が運び出されている。
臭っさ。
ある程度慣れたが、死臭ってのは本当に臭い。
死体について糞袋と表現される事が多いのも頷けるわ。
大抵の死体は腹を刺されたり切り裂かれたりしていなくても死後硬直が終わると大も小も出てくるし。
いや、まだ屍肉が腐ってはいないから、これは死臭ではなくて腹からはみ出したうんこの臭いなんだけどさ。
なんつーか、前世にカサゴを束釣り(※作者注:一度の釣行で百匹以上釣ること)した時に美紀と並んで捌きまくった時の臭いに似ている。
カサゴは刺し身や煮付けで食うと最高に美味だが肉食な上に何でも食う悪食なので、その腸に詰まっているうんこは人間のうんこそっくりの臭いなんだよ。
勿論、百匹以上とはいえ、魚だし、量はたかが知れてるから水を流しながら内臓抜いてりゃ大した事ないんだけどね。
「おい、ギマリからデバッケン方面に戻る部隊はあるか?」
適当な騎士に尋ねると今日の昼頃に出発する予定の部隊があるという。
「じゃあ彼を同行させてやってくれ。彼は私の故郷の村の従士長だ。丁重な対応を心掛けさせろ」
ショーンと別れ、市街戦の掃除は済んでいるか見て回ろうとしたら、城の前の広場で倍給兵たちが集合していた。
どうやらこの戦いの報奨の発表があるらしい。
興味を覚えたので見てみることにしたら、なんと、いつぞやの倍給兵は今回も手柄を立て、九倍兵となるという。
次、もしも奴が手柄を立てるなら十倍だ。
奴は確か最古参な筈で、今も生き残ってるのか。
こりゃあ本格的に何か考えてやらないとな。
休暇をやるのは当然として、どうしようか?
個人装備……はキリがないし、やはり金が良いだろうか?
昇進、と言っても流石にまだ部隊の指揮は出来ないだろうし、そもそも督戦隊の管理下じゃなきゃ怖いよ。
こんなに早く十倍になる奴が出てくるなんて完全に計算外だったからなぁ。
うーん、どうしよっか?
とかなんとか考えながら歩いていたら市街地の外れ、ぶっ壊れた防柵の辺りに到着した。
そこで働いていたのは西ダートの従士隊とアンダーセンが率いているダスモーグの従士隊だった。
この場所の掃除はもうそろそろ終わりそうで、最後の一人の死体をカームの村の従士たちが手足を持って持ち上げたところだ。
警護として同行していたカムリ准爵以下四名がぱっと散り、物陰や死体の山を検め始める。
従士隊の指揮を執っていたミヅチの後頭部を見ていたら重要なことを思い出した。
「トリス。貴方のガルへ村はビンスのミドーラ村と一緒に柵の向こう、あっちの方を見て来て。それからゼノムさん。従士の方に危なそうな瓦礫を退けさせて下さい。あとロリック。ラッド村は柵の向こうのそっち側を見に行って」
こちらに背を向けたままミヅチは矢継ぎ早に指示をしている。
と、
「おはよう。どうしたの?」
と言いながら振り向いた。
「おはよう。すまんがちょっとみんなを集めてくれるか? もう一七日だし」
「あ、そっか……ごめん、皆、ちょっと集まって!」
ミヅチの命にぞろぞろと従士隊が集まってきた。
俺を見て跪こうとするのを制し、
「あー、ラミレ……もとい、ランスーン、クミール、サミュエルガーの三人はすぐに帰り支度をするように。来月から今季のエムイー訓練が始まるから急いでべグリッツへ向かってくれ。今すぐ東門の方に行けばギマリからダスモーグへ向かう補給部隊に便乗できるはずだ」
と伝えた。
他の訓練学生は今回の従士隊には参加していないので、今抜けるのはこの三人だけだ。
勿論、トリスを始め、ロリック、ビンス、キムなど既にエムイー徽章を手にしている者もいるが、当座の座学と体力錬成訓練の指導役ならべグリッツにもいるから彼らは来月中旬までは使うつもりでいる。
宿舎に荷物を取りに駆け出していく三人を見送って整列している従士隊に向き直る。
「ガルヘ村とラッド村の皆には戦力低下となるが勘弁して欲しい。また、ベージュ村の従士隊は引き続き、ビオスコル、君が指揮してくれ」
「はい」
キムの返事に頷き、仕事の手を止めさせたことを詫びるとその場を後にした。




