第四百五十話 世は情け
7452年5月16日
夜。
この地は、今朝のうちにその所属をデーバス王国チェイス子爵領からロンベルト王国グリード侯爵領へと変えていた。
ラコルーシ。
それがこの土地を含む街の名だ。
街には市街地を取り囲むように防柵が張り巡らされていたが、その防柵には幾つもの破壊痕があり、今では見る影もない。
見る者が見れば、防柵の破壊に使われたのは手榴弾や擲弾筒など、小規模の榴弾によるものである可能性が高いと断ずるだろう。
魔法や魔術の存在を知らなければだが。
破壊された防柵の周囲にはまだ死体が転がっている場所もあるが、片付けが始まっている場所もあるようだ。
大量に残された血痕や人体の一部、そして漂う死臭が激しい戦闘があったことを主張している。
勿論、戦闘は防柵の破壊や突破、防衛など、防柵を巡ってその周辺で行われた様相を呈しており、それらについても確かに読み取れる。
が、もっと悲惨なのは街の中心から少し北側に偏心した場所に立つデハマ城だ。
この城は少し高い丘(と言っても他の場所から一〇mも高くはない)に築かれた小規模な平山城で、渦巻き状の曲輪を持っていた。
その途中に幾つもの城門が設えられているのが特徴である。
防壁が破られた際、ラコルーシにいたデーバス王国の正規兵はかなりの数の徴用兵を率いてラコルーシの街から打って出た。
しかし、攻撃側のロンベルト王国軍はそれを読んでいたかのように堅固な守備を発揮して迎え撃ち、結果ラコルーシの野戦軍を再び街へと退却せしめた。
その際にデーバス王国の正規兵は、その大半が指揮していた徴用兵を見捨ててこのデハマ城へと逃げ込んだのである。
勿論、街や防壁に残って少しでもロンベルト軍の侵攻を遅らせようと奇襲を敢行して抵抗した者もいないではない。
しかし、それがロンベルト軍の敵情把握を遅らせ、味方が城内に逃げ込む時間を作り出してしまう原因となってしまった。
ロンベルト軍が正確に事態を把握したのは正規軍の大半が城内に逃げ込んで城門を閉ざし、徹底抗戦を叫んでからの事だった。
その有り様にロンベルト軍を率いていたグリード侯爵は「ベルリのパターソン子爵は野戦でも敵わぬと見て、一当たりしただけで潔くすぐに降伏した。確かにパターソン子爵は一当たりしなければ降伏しなかったアホだったが、こいつらはあれ以下のクズだな。未だ城に籠もっている者は降伏してきても問答無用で全員殺せ」と断じた。
しかも何を思ったのか、城門を打ち破るのに魔術攻撃での援護は行わず、残り少なくなった火炎瓶と歩兵による力押しでの攻略を命じたのである。
グリード侯爵としてはこのような戦術を採っても、最終的に降伏すれば命は助かるという前例を作りたくはなかったのだ。
斯くして、デハマ城では街の防柵を上回る凄惨な戦闘が繰り広げられた。
不利な攻城戦とはいえ、多勢に無勢であり、侯爵本人こそ魔術での攻撃支援は行わなかったものの、他の者については好きにさせていた事もあってデハマ城は僅か一晩と持つ事もなく陥落した。
最外部の城門の上には為政者であったチェイス子爵やその家族、軍を率いていた主だった者の首が槍に刺されて晒され、城内に居た者は女子供まで一人残らず惨殺された。
その間、勿論街から逃げ出す住民や徴用兵は続出したが、侯爵は追う必要はないと命じ、逃げるに任せていた。
当然、デハマ城を含むラコルーシ攻略戦の顛末が彼らの口から尾ひれ付きで広まる事を目的としていたからに他ならない。
それはそうと、この時間になって漸くラコルーシの敗残兵狩りも完全に終わったと確認された。
取り敢えずは一晩ゆっくりと休み、戦闘で失われた体力と気力を回復させなくてはならない。
ロンベルト王国軍の倍給兵達は充てがわれた民家に分宿することになった。
「今晩はしっかり休むんだ。いいか? 休む以外の事をしたと発覚した場合、問答無用で死ぬことになるぞ?」
整列させた倍給兵達の点呼を終えた督戦隊の指揮官、アマリア・オルティスは声高に命じると、部下を伴ってその場を去っていく。
残された倍給兵達はやっと気を抜くことが出来るようになったからか、その場にへたり込む者や、私語を交わす者達が続出した。
数人残っている監視の督戦隊員達も疲れているからか、それとも気の毒に思っているからか、特に注意もせずに篝火の傍に集まると無駄話を始めている。
もう暫くは見て見ぬ振りをしてくれるつもりなのだろう。
「ふぅ~~っ!」
大きな溜め息を吐いて、コールは地面に座り込んだ。
実はあまりにも疲れ過ぎていて、少し休まないと一歩も動けそうになかったのである。
どうにか篝火の明かりが届いている地面は、コールには固く、そして冷たく感じられた。
「今回もどうにか……」
「無事に終えることが出来たな……」
座り込んだコールの傍に同じ伍長であるコールの父親、ヨームと友人のフーディーが足を引き摺るように集まってきて腰を下ろした。
二人の瞳にはコールと同様に、虚無感に溢れる他、僅かに戦闘の興奮が混じっている。
「親父、フーディー……怪我はないか?」
コールの問いかけに二人は「ああ」と短い答えを返したのみだ。
「手下は? 俺んとこはミレーナが殺られちまった……。怪我人は……」
そう言うと思い出したように少しだけ慌てて周囲を見回す。
彼の後ろには四人の男が未だ興奮冷めやらぬ、というギラついた目をしながら座っている。
「……おい、怪我はあるか?」
四人の男達はそろって唾を飲み込んで首を横に振る。
彼らのうち三人はこの前の戦闘――ベルリ攻略戦からコールに預けられた倍給兵達であり、今回戦死したミレーナと共にその戦いから生き残ってきた者達だ。
もう既にコールに付き従っていれば生き残れる、と学んだ者達でもある。
今回生き残った男もミレーナのように調子に乗らず、この三人のように少しだけ謙虚に、そして臆病に振る舞ってくれれば、更に経験を積むことで生き残る確率を上げる事が出来るだろう。
コールはそう考えるがあまり利口でない彼には上手く言語化出来なかった。
「そうか。怪我人はいない。親父んとこは?」
地面に寝かせてある槍の柄を握ったり離したりして弄びながらコールは言った。
彼の槍は最初の戦闘時に嬲り殺しにされたデーバス兵から奪ったごく普通の槍のままだが、今の彼にとって最高の相棒であり、戦友となっている。
「俺のとこは誰も死ななかった。だけど、ファレゾが右足を怪我した。まぁ、傷は骨にまで及んでいなかったみたいだし、回収はされたから命は助かるだろう」
「俺んとこはジェスの野郎と新人のマーシュリーが殺られたよ。怪我人はいない」
ヨームとフーディーは、乾き始めた雑巾を更に絞るような声で返す。
三人のうち誰一人として明るい表情をした者はいない。
全員が死んだ魚のような、濁った目つきになっている。
もういい加減に理解しているが、今回の戦闘で一番槍を決めたフーディー、デハマ城の最初の城門を破る際に大活躍したヨーム、そして恐らくは一番数多く敵兵を仕留めたコールの三人には今回も一人扶持が加算されることだろう。
今回は(コール基準で)かなり激しい戦いが長時間に亘って繰り広げられた事だし、他にも手柄を立てた者は多いはずだ。
毎回のように扶持が加算されている彼らは倍給兵どころか強制徴兵された奴隷兵達の英雄であり、見習うべき手本だとされている。
しかしながら、彼らの精神は戦闘を重ねる毎に着実に擦り減っていた。
それを本当の意味で理解しているのはこの三人を除けば数少ない複数扶持のベテラン(?)倍給兵のみである。
今までの人生で碌に戦闘訓練を受けた経験など無い者ばかりが複数扶持になっている。
倍給兵に組み込まれた中でも経験者や訓練済みとも言える各地の領主を始めとするその家族や元正規兵達は、その大半が徴兵されてから最初の戦闘で戦死している。
今では僅かに五人が三倍兵として、一〇人弱が倍給兵として生き残っているのみだ。
コールの持ち主であったメイヨーはフィヌト村での戦いで壮烈な戦死を遂げたと言うし、その奥方でフィヌト村領主であったファート士爵の娘も少し前の戦いで命を落としていた。
ファート士爵自身も今日の戦いで戦死を遂げているのだが、彼らはまだその事実を知る立場にない。
それから暫く三人はボソボソと会話を続けていたが、流石にもういい頃合いと見たのか、監視の兵が彼らのようにあちこちに座り込んでいる倍給兵達に声を掛けて回り始めた。
「明日明後日は休暇だとよ。しかも倍給兵には専用の慰安所も作られるんだとさ。羨ましいねぇ」
もうすっかり顔馴染みとなった督戦隊員の喋る言葉が耳を素通りする。
「行くか……」
ヨームの言葉に三人は震える足を叱咤して立ち上がる。
彼らに合わせて手下達もどうにか立ち上がった。
ここから少し慣れた民家の一つがコール達に割り当てられた宿舎だ。
そこにはまだ人が住んだままだという。
「じゃあな」
別方向へと向かいながら言うフーディーに盾を掴んだままの左手を上げて応え、コールは宿舎へと歩いた。
・・・・・・・・・
「ひっ……!」
彼らに割り当てられた民家は土間の他に小さな部屋が三つあるだけの掘っ立て小屋よりは幾分マシ、という建物だった。
その戸を開けて土間に足を踏み入れたコール等五人を見て、家の住人の普人族の家族が震えている。
夫婦の他、子供が四人と老人が一人の七人家族らしい。
「休むだけで何もしやしない。安心しろ」
低い声で唸るようにコールは声を掛けた。
彼にしても、一歩間違えば自分達が彼らと同じ運命を辿っていた事についてはよく理解しているのだ。
勿論、コールにはこのラコルーシの街が故郷のフィヌト村よりは大分西にあるはずだ、という以上の知識はない。
農奴にとっての地理情報など、普段暮らしている村の周囲数百mからせいぜい一㎞以内にある目立つものと、周囲の村の名とそのおおよその方角の他は、街道の先にある筈の一番近い街の名くらいしかない。
あとはせいぜい、その地を治める貴族領の首都の名を知っていれば上等な部類なのである。
それ以外の地理など知っている方がおかしいとも言える。
彼にとっての世界とは、つい先月までそれだけだった。
僅かひと月で世界は大分広がったが、コールがそれについてグリード侯爵に感謝することは一生無いであろう。
土間から部屋へと続く上がり框の高さは優に三〇㎝を超え、床はそこから更に三〇㎝程高い場所にある。
床に畳でも敷いてあれば日本の古い家の造りとあまり変わらない。
暖房や冷房のない時代なのでこういう高い床をした造りの家は珍しくはないが、奴隷が暮らす家としてみるとかなり豪華とも言える。
ラコルーシの街は相当に裕福だったのだろう。
土間の隅に持っていた槍を立て掛けるとコールは無造作に盾もその傍に立て掛けた。
勿論、八倍兵であるコールにはナイフも支給されているから槍を手放したとは言っても完全な丸腰にはならない。
そして、上がり框に腰を降ろし支給されたばかりの革ブーツ(勿論鹵獲品である)を脱ごうかと考えて止めた。
溜め息を吐きながら両膝に手を当てて立ち上がると革ブーツのまま室内に上がり込んだ。
彼の所作を見た手下達も同じように室内に上がり込む。
「何か食いも……残ってる訳はないか」
室内はまるで台風でも通り過ぎたかのように荒れている。
数少ない物入れは全て検め済みのようで、蓋がずれたままの櫃や、ひっくり返された櫃どころか、床下収納の蓋さえも破壊されて開けられており、もう既に奪える物はほぼ残っていないとひと目でわかる有り様だったのだ。
――ロンベルト軍は仕事が早いねぇ。奪える物と言ったら奴らが着ているボロの他にはおばはんの貞操くらいしかないと来た。
そして、倍給兵を始めとする奴隷兵達には略奪や乱暴狼藉は厳禁とされている。
この軍規を破って処刑された奴隷兵や正規兵はもう何十人にも上っている。
ちなみに正規兵に対しては金品を含む略奪のみが許可されているが、それも厳格に地区と時間を各部隊に割り振った上での話で、現在住民が着用している衣類は略奪の対象外とされていた。
正直なところ、コールら奴隷兵の大部分は略奪しようとか、したいなどという気持ちは持っていない。
怯える住人は基本的にコールら奴隷兵と同じ立場の者であるし、下手したら翌日には彼らも奴隷兵として部隊に組み込まれるのだ。
顔を覚えられて、戦闘の最中に後ろから復讐されるなど真っ平ゴメンだった。
数少ない例外が貴族や平民など支配階級から奴隷兵に落とされた者くらいであり、そういう立場であって、且つ戦場で行われる非道を知る、またはそれが当然だと思っている者が略奪や乱暴狼藉を働く事すらロンベルト軍は計算に入れていたのである。
処刑は必ず衆人環視の中、大声で罪状を叫ばれると同時に被告人以外の全てを同一人物が兼ねる即決裁判が行われた。
判決は強制徴兵した元デーバスの貴族や平民、兵士は言うに及ばず、軍規違反を犯したのであれば味方であるロンベルト兵に対しても一切の容赦なく下されている。
奴隷兵はともかく、ロンベルト兵は戦死者よりも処刑されて死んだ数の方が多いのではないかという噂すらまことしやかに囁かれていた。
流石にそのような事は無いのだが、コール達も顔を知っているロンベルトの兵士が処刑される所を見るに及び、その部分ではロンベルト軍を信頼しても良い、と思うようにはなっている。
ドヤドヤと室内に入ったコール達は住人についてはそもそも最初から居なかったかのように気にせずその場に寝転がり始める。
ただし、コールは一番新入りの男にだけは「武器は持ったままでいろ」と命じるのを忘れてはいない。
そうこうしているうちに荷車の音が近付いて来るのが聞こえてきた。
「おい」
鎧も脱がず腕枕で床に寝転がったまま、コールは手近に寝転んでいる男に命令をする。
「はい」
命じられた男はそれだけで内容を理解できたのか、すぐに立ち上がると土間に飛び降りて戸を開けて外に出た。
明日には主月が完全な新月となる晩だが、副月の方はちょうど下弦の時期であり、篝火も焚かれている事から外は真っ暗闇ではない。
ゴロゴロという荷車の音はもうすぐ近くにまで寄っていたようだ。
「突撃部隊、コール組だ! コール伍長以下、バズ、トッド、ベザイス、ケンクスの五人」
「あ? なんだ、ミレーナは死んだのか?」
「ああ」
「そりゃ残念だったな。コールは八倍、他は倍だよな?」
「ああ」
「じゃあほれ、まずは食い物だ。今日はパンだとよ。一人扶持でこいつが一個だ。コールは三人前でいいんだったよな?」
そこまで耳にしたところでコールはがばと立ち上がり、外へ出た。
「すまんな、親父っさん。今日は全部飯にしてくれ」
「なんだ、酒抜きでいいのか? まあ構わん。好きにしろ……ほれ、十六個だ。落とすなよ?」
パンを受け取ったコールとケンクスは両手に抱えながら家に入る。
すぐに床にパンを置くと、住人に声を掛ける。
「何か丼か鍋のようなものはあるか? 綺麗なやつだ」
一家の主人らしい成人した男が震える手で床に散らばっていた木製の丼を全部で七つ、掻き集めて差し出した。
また、一番年上らしい男の子が端の欠けた鋳鉄の鍋を差し出した。
この大きさなら充分だろう。
そう考えてコールは礼も言わずに鍋を受け取るとすぐに外へ出た。
パンを運ぶ荷車の後にはスープや三倍兵以上の酒類を配給する荷車が付いている。
そして鍋一杯、お玉で十六掬い分のスープを受け取ると慎重な足取りで家に戻った。
「そんなに食うんですかい?」
そう声を掛けてくる手下を無視してコールは奥の部屋で固まっている家族にパンを七つ、分け与えた。
「次はいつになるかわからんからな。大切に食え」
コールとしては自分の分から七つを分けたつもりだ。
普段は他人の三倍量の食事を摂るコールだが、元々は朝と昼、一日二食で暮らしていたのだ。
今晩くらい一人分の量にしたところで大したことはない。
スープも丼で掬って七つそのまま家族の前に置いてやる。
すると、彼の手下達も互いに目配せをして、パンを一つずつ家族の前に置き始めたではないか。
「お前ら……」
コールは唖然として喉に言葉を詰まらせた。
「いいんですよ。俺等だって……」
「そうそう。一食くらいこうしたってバチは当たらんでしょ」
「ガキは沢山食わなきゃな」
「あの子は俺の息子と同じくらいだし」
――畜生! 死なせたくねぇ。こいつらを死なせたくはねぇ!
喉まで出かかった言葉を飲み込んで、コールはナイフを抜くと、もう既に固くなった黒パンに切り込みを入れた。




