第四百四十九話 決定打
7452年5月16日
王都ロンベルティア。
そこにある大通りの一つベイル通りの中程にあるグリード商会。
その本拠の前に三台の馬車が並んでいる。
長年商会で中核事業の一つである加工食品メーカーとしての側面に加えて商会全体の経理の監査や、その仕組みを商会の番頭や手代に指導してきたバストラル夫妻が商会オーナーであるグリード侯爵が治める本拠地である西ダートへと移住するための車列であった。
夫妻とともに西ダートへ移住するのは、まだ乳幼児である夫妻の娘と息子、そして合計三〇名を超える数の奴隷達である。
「ジムさん、シューファさん。今後のこと、くれぐれも宜しくお願いします」
サージは見送りに出ていた現在の番頭、ジム・デュボアとその妻で手代のシューファ・デュボアに頭を下げた。
「ああ、サージさんのご指導は解りやすくて本当に助かりました。これからはアル様の下でそのお力を発揮して下さい」
「「お任せ下さい!」」
ジムの言葉に二人は元気よく答えた。
キャシーは両手にまだ小さなマイコとジュンジを抱えている。
ジムは二人の赤ん坊の頭を撫でながら目尻にしわを浮かべていた。
人種どころか種族すら異なれど、赤ん坊は誰から見ても愛らしいものだ。
「キャシーもありがとうね。でも二人共、本当にお屋形様の隊商と一緒じゃなくていいの?」
シューファの言葉にサージとキャシーは少しはにかみながら苦笑いする。
「……これでも私はアルさんと一緒にバルドゥックの一三層まで到達した数少ない迷宮冒険者の一人なんですがねぇ」
「はは。そうだったな」
「たまに迷宮に行っているくらいだから普段はあんまりそう感じないのよね。失礼かもしれないけど、サージさんは、その、他の迷宮冒険者みたいにあまり荒っぽくないし」
「歌も楽器も上手だしな」
「ええ。とても文化的な方よね」
デュボア夫妻が言うように、サージの演奏テクニックやキャシーの歌唱、そして作る曲はそれまでのロンベルティアに無いような表現でかなり前から王都の文化人達の口に上っている。
居酒屋は言うに及ばず、高級なレストランでもバストラル夫妻のリサイタルが行われるとあらば、席は一瞬で全席予約されてしまう程の人気振りだった。
最近では王立劇場からも出演依頼があるという。
「では、そろそろ……」
そう言って二人は先頭の馬車の御者台へと向かい始める。
「あ、あの……!」
「サージさん、キャシーさん」
その側で待っていた二人の若者が揃って頭を下げた。
「おう。二人共、しっかりやれよ!」
サージは最近身長が追いついてきたジョン・クレインとテリー・ホワイツという侯爵の奴隷小頭の頭に手を置く。
彼らはバストラル夫妻の後を継いで、それぞれ食品加工場の工場長と小売(ラーメン屋)店長への正式な就任が内定していた。
勿論、第二工場、第二支店が開かれても当面の間は彼らがそのトップを兼任することになるだろう。
「「はい!! キャシーさん共々お気をつけて行ってらっしゃいませ!!」」
両手を背で組んだまま声を揃えて同時に頭を下げる二人に、サージとキャシーは小さな笑みを浮かべただけで何も応えずに御者台へと乗り込んだ。
後ろを振り返ると、二輌目、三輌目、の馬車は荷物が満載されている。
それぞれに年若い御者が乗り込み始めており、サージらが乗る馬車の周囲にも若い奴隷が数人付き始めた。
「よし、行くぞ。出発!」
全ての準備が整っていることを確認し、サージは高らかに声を上げる。
・・・・・・・・・
バークッド村。
村への滞在を許されていたバスコ・ベンディッツは連日暇そうに過ごしていた。
普段は監視の手間を省くためか、そも興味があるからか、領主の館の脇の広場の隅に陣取ったまま静かに従士達の稽古を眺めている。
遠慮でもしているのか従士達の稽古には参加していない。
尤も、たまにある領主のパトロールの際など、大半の主力従士も抜けて、稽古場に空きが目立つと残っている従士達に断った上で剣や槍の稽古に精を出す事もある。
当然その内容は特別なものではない。
騒ぎを起こすでもなく、村の者に因縁を付け、金品を巻き上げるなど無体に振る舞う様子もなかった事から、今までは村を治めるグリード士爵も特に何も言わずに村に滞在するだけの一介の客分としてしか扱っていなかった。
領主を含む村民からの評価は、行儀が良く、礼を弁えた物静かな男だが、男性が入浴を許される日には隅の方で遠慮しつつも日に何度も湯に浸かり誰よりも多く風呂を愉しむという妙な性癖が目立つ程度だと思われている。
勿論、産業スパイを疑われないよう、監視の従士が居ようが居まいがゴム製品の製造工場には絶対に近寄らないよう、気を遣っている。
バスコにしてみれば、普段は出来るだけ領主一族に気を遣わせることの無いよう、屋外に居場所を求め続けるのも無為無職である己の分を弁えた行動のつもりでもあった。
何しろ、寝床は領主の家の一室に加え、領主一族とは時間がずらされているものの上げ膳据え膳で三食が供されるという、バークッドに宿泊する者にしてみればこれ以上無い程の待遇である。
ただ一つ、自制が利かなかったのは入浴くらいのもので、入浴施設を耳にして以降、どうしても我慢できなかった。
尤も、思ってもいなかった程の高待遇だったので、半分くらいは温泉宿で湯治気分でもあった。
今日も朝から領主が主力の従士達を引き連れて村の周囲のパトロールに出掛けている。
バスコも汗を流して稽古に打ち込んでいた。
しかしながら、今日の風呂は女性の日だ。
グリード閣下らがお戻りになられたら井戸をお借りして水でも浴びて汗を流すか。
そう思って夕闇が迫る中、木剣を振り続ける。
だが、パトロール隊の帰りが遅い。
いつもならもうとっくに帰って、食事まで終えている時刻である。
バスコとしてはバークッド村で長く過ごしてきた訳でもないために、こういうこともあるだろう、と然程不思議には思っておらず木槍を握って形稽古に没頭している。
が、母屋から領主の第一夫人(今のところ一人しか居ないが)が完全武装で姿を現したことで異常事態を悟った。
冷静に考えてみれば、空の様子から見て日没まであと一時間もあるまい。
稽古場にやってきた第一夫人は僅かに残っている若手の従士や従士家の子弟に対し、捜索隊を組織するので各員装備を整えてもう一度集合せよ、と命じた。
金銭も払わずに何週間も滞在させて貰っているバスコは声の上げどころだ。
「奥方様。私も捜索隊にお加え下さいませ」
折り目正しく頭を下げて頼むバスコに、第一夫人は参加の許可を与えた。
急ぎ自室まで向かい、装備に身を包む。
数少ない赤兵隊の騎兵戦力でもあるバスコだが、このバークッド村には革鎧装備でやってきている。
革鎧は基本的に胴部分の他は物によって肩部や腰部のアーマーがある程度という事もあり、鎧と名の付く装備では最速で準備を整えられる。
慣れた手つきで革鎧を着込み、横腹部分のベルトを締める。
バスコの革鎧は肩当てはあるが、騎乗時に邪魔になりやすい草摺はない。
その分速く着装が可能になる。
部屋の隅に立てかけていた槍を手にして鞘を払う。
業物の槍は嘗てバスコの兄が使用していた物で、この槍を盗んだ上に裏切って消えた傭兵を殺して奪い返した物だ。
さっと穂先に視線を走らせ、異常の有無を確認する。
そして、母屋を出て訓練場へと向かった。
訓練場には既に若手を中心に十数名もの従士やその子弟が集合を果たしていた。
勿論、バスコは全員の顔も、名も知っている。
集まっている従士の中には領主の双子の息子と娘も含めてそれ以下の年齢の子供は混じっていない。
当然村に居るには居るが、彼らにはまだ実戦は早いと第一夫人が許可しなかったのであろう。
と、息子の方が第一夫人に声を掛けた。
「母上、俺とベッキーが……」
「何度言ったら解るの? 俺って言うな! 馬鹿!!」
スパンと頬を叩かれ、ゼットは言い直す。
「あ、私と妹が参加できないのに、アル、アイラードが参加しているのは納得いきません!」
「私も兄と同じ意見です! アルは私達よりも年下です。参加させて下さい!」
その言葉に一人の少年が居心地の悪そうな顔になる。
バスコもその少年がアイラードという名で、トーバスという従士家の後継ぎである事は知っている。
年齢も未だ未成年の一三歳であり、バスコが見た限りだと剣も槍もその年齢にしては優れていると評せるだろうが、格別に優れているとまでは言えない。
が。
「えっ!?」
アイラードが肩に掛けている得物の形に気が付いた瞬間。
顎が外れる程の衝撃を受けた。
良く手入れされていると思われる穂先に金属光沢があることとその幅、全体の長さから槍に分類されるのであろう。
尤も、全長自体は両手持ちの大剣か、せいぜい両手持ちの剣程度しかないので、槍と考えれば相当に短い。
しかし、柄の形状は。
生前に知っていた自動小銃にしか見えない。
――あ、あれは? 銃だと!? 今まで影も形も無かったのに、ここに来て銃!? ってことは銃剣か?
「あっ、なっ、は!?」
言葉にならないうめき声が上がってしまうのも無理も無いことだろう。
その様子を訝しげに見た第一夫人が声を掛ける。
「ベンディッツ閣下、どうかなされましたか?」
「あ、あ? いえ、その、あれは? いや、ちょっと彼に話を聞かせて……」
そんな折に屋敷の外から声が上がった。
「お屋形様がお戻りになられました!」
バスコの周囲は一気に喧騒に包まれ、アイラードと話をするどころではなくなってしまった。
戻ってきた領主の話によると、そろそろ帰ろうかという時になってブンド鳥という滅法高級な食肉鳥を見かけた事が原因であったようだ。
その鳥は肉が非常に美味であることから超高級な食材としても知られているが、併せてその美しい青い羽も装飾品としてかなりの値が付くという。
しかも見かけられたのは通常よりもかなり大きく立派な個体であり、辺境の村にしてみればこれを見逃すという手はない。
早速領主自身の魔術によって狩ろうとされたものの、あまりに大きな体だったからか魔法の矢に胴を貫かれたにも拘わらず、一発では墜落せずにヨロヨロしながらもすぐに射程外に飛び去ってしまった。
それを追っていて帰りが遅れてしまったのだという。
狩られたブンド鳥は、確かに見事な羽根を持つ美しくて大きな鳥だった。
領主も今回の得物は羽根はともかく、肉についてはパトロールに参加した者達全員に分けると宣言した。
あの大きさならパトロール隊全員で分けても一人頭五〇〇gは保証できる量だろう。
直接魔術を使った領主だけはその倍以上となるのは必定だ。
これにはパトロール隊の従士は言うに及ばず、緊急で集められた者ばかりか第一夫人もホクホク顔になる。
大騒ぎの中、バスコの頭だけは冷えており、その視線は自動小銃を模した槍に注がれたままだ。
――これは……ゴム製品なんて生易しいもんじゃない。あれは木製らしいけど、銃剣なら自動小銃を象る意味なんか……。
バスコも昔の戦争を題材にした映画くらい観たことはある。
その中には(あったのかも知れないが)あのようにピストル型のグリップ持ち、且つ機関部の下に大きな弾倉を持つ現代の自動小銃のような形状をした銃などはない。
第二次世界大戦や第一次世界大戦、日露戦争を題材にした映画では日本軍も独軍も、米軍ですら木製のストックを持った長大なライフル銃に銃剣を取り付けている事など珍しくもなかった。
と言うより、一斉突撃なんかをする際には必ずと言っても良い程銃剣は取り付けられていた、と思う。
勿論そのデザインは各国バラバラだが、あのように長さのある、最早ナイフとは呼べない物だってあった筈だし、実際記憶に残っている銃剣はあのくらいの長さ――ひょっとしたらあれよりも長いものだった。
――火縄銃やライフル銃じゃない……バババッて撃てる自動小銃……だと?
単に白兵武器の槍として考えるならリーチがある方が有利だろう。
あれを作った人間がその程度の事を考えられない道理はない。
――ってことは、わざとあんな形に作ったってことか……。
なお、領主の鶴の一声で、パトロール隊のメンバーと捜索隊に参加しようとした者に限って、今夜に限って風呂を九時以降(碌に明かりのないバークッド村においては十分に深夜である)に男湯にすると宣言された。
単に領主本人が風呂に浸かりたかっただけなのだが、バスコにとって嬉しい事でもあった。
・・・・・・・・・
九時になった。
バスコもブンド鳥のローストのご相伴に与っており、生まれ変わってから初めてとでも言うべき本物の高級食材にありつけたことに満足していた。
――っかぁー、ありゃ本当に美味かったなぁ。
部屋に籠もり、月明かりを頼りに革鎧を磨いていたバスコは物音に気がついた。
夕食は一時間以上前に終わっており、双子は勿論、隠居している先代夫婦などもとっくに寝静まっている時刻だ。
――グリード閣下が風呂に行くのかな? なら俺も……。
下着に毛の生えた程度の、寝間着に使っている簡素な衣服には既に着替え済みだ。
バスコだって捜索隊に参加することになっていたのだから、風呂に入る権利はあるだろう。
ぬるくなっていたとしてもあのシステムならすぐに熱い湯を張って貰えるのも嬉しいところだ。
ちびた石鹸も忘れずにペラペラの手拭いに包む。
借りているゴムサンダルに足を通し、外に出ると予想通り領主が洗面器を片手にこちらも軽装のまま少し先を歩いている。
早足で追いつくと声を掛けた。
「今日はまだ月が明るくていいですね」
「ああ、ベンディッツ閣下。確かにまだ十分に明るくて足元も問題ありませんね」
これでもバスコは一人で行動しないよう、無人かもしれない深夜には風呂には入った事はない。
「あら。お屋形様にベンディッツ閣下。お風呂ですか?」
風呂から戻る途中の従士の奥方連中とすれ違う。
「ああ。温度はどうだ?」
「少しぬるくなっていますね」
「今日の当番は?」
「エリザです。ファーレンのとこの」
当番とは風呂当番の事であり、火魔法と水魔法の双方が二レベル以上で使える者に限定されている。
魔術の技能レベルによって領主家から手当も支払われるので、村でも人気のある仕事だ。
当然二レベルは最低限であり、どうしても他に人が居ない場合に限られる。
大抵は双方三レベルになってから当番として務めることが出来るとされている。
そういった場合でも最初にお湯を張り、給湯用の湯船に熱湯を溜めるのは領主一族が中心とならざるを得ないのだが。
「そうか。じゃあ少しお湯出さないとな」
「では、お屋形様。おやすみなさいまし」
「ああ、お休み」
「おやすみなさい」
それから数分で湯殿に到着した。
給湯タンクの側に作られた椅子に腰掛けているのは二〇代半ばの女性で、彼女がファーレンさんのところのエリザだろう。
種族は精人族のようで、バスコ基準でかなりの美人だが、確か農奴の筈だ。
美しい異性だろうが奴隷に裸を見られても何とも思わなくなって何年にもなる。
第一、エリザももの凄く眠そうで、領主に挨拶するだけで精一杯な感じでもある。
領主と一緒にバスコもぱっぱと服を脱いで洗い場へと移動し、共用とされている手桶で湯船からお湯を汲むと跳ねないように気を遣いながら体に掛けた。
確かに少しぬるめだが、文句を言う程ではない。
大きめのどんぶり一杯程度の少量とはいえ、一〇分おきに沸騰するくらいの熱湯を継ぎ足していたからだろう。
体を洗って稽古の汗と垢を流し、湯船に身を任せた。
領主はバスコよりも少し早く湯に浸かっている。
今夜はいつもとは違って、湯船の隅ではなく、領主に手の届くくらいまで近寄った。
勿論、話をするためだ。
領主がどう思うか、考えるかは不明なため、小声で話した方がいいかも知れない。
「グリード閣下。あのブンド鳥は素晴らしい味でした。大層な物を頂いてしまい……」
「ああ、そんなに畏まらないでください。流石に毎年とは行きませんが、稀には手に入るんで。それに、肉はさっさと食べないと悪くなっちゃいますしね」
領主は両手にお湯を汲み顔を洗うように汗を流す。
村の女性陣の大半が浸かっているにも拘わらず、この時間でも澄んだままなのは、きちんと体を洗ってからでないと湯に浸かる習慣がないからであろう。
暫しの時間が経つが、未だ湯殿に近づいてくる者は感じられない。
「ところで閣下。今日、捜索隊に参加しようとしたところ、トーバスさんのところのアイラード君が変わった槍を持っているのに気が付きましてね」
「ああ、あれですか。あれは昔弟が作って自分でも使っていたものですよ……」
――やはり! これこそ決定打というべきものだな! ゴム製品だけならコンドームやゴムボートの栓なんかはまだ偶然と言い張ることも可能だが、銃だけはそうもいかんだろ。
「……あいつはあれを使うとめっぽう強くてね。村を出る時にアイラードに渡していたのは知っていましたが……」
「?」
「……私もアイラードがあの槍を使っているのは今日始めて知ったんです」
「え? ご存じなかったのですか?」
「ええ。今までの稽古でもあいつがアレを使っているのは見たことがなかった……初の実戦出動で使おうとするなんて……隠れて稽古してたのか? 何にしてもアレを使えるならいい勝負も出来そうだ」
どことなく嬉しそうに領主は言った。




