第四百四十八話 ダート平原の覇者 11
7452年5月15日
アルが率いるロンベルト王国南方総軍第一戦隊と第二戦隊は、今まさにデーバス王国のチェイス子爵領の首都、ラコルーシに対する攻撃を始める寸前であった。
このチェイス子爵領はロンベルト側のランセル伯爵領の南西にある少し南北に広がった領土である。
ラコルーシの街はその南の方にある、人口一〇〇〇〇人程の街だ。
先月第一戦隊が平らげた、エーラース伯爵領の南に広がる土地だけは全ての村をいちいち攻撃、または調略していたが、ギマリ要塞から西については一部の例外はあるものの基本的にダート平原の南端近くを西進する形で侵攻していた。
ラコルーシは人口や面積・経済力などの規模、そして曲がりなりにもその周辺を治める大貴族領の首都であることから一部の例外となっているのだ。
ラコルーシの街を覆う防柵は例によって耕作地の内側、市街を防護するように敷設されており、その素材も木材だけでなく門柱など一部に石材も使われている多少頑丈なものだ。
耕作地の中ほどに陣を敷いているロンベルト軍からもその防柵の裏に彼らとは比較にならない規模ではあるものの、それなりの装備を身に着けた弓兵部隊の姿も見えている。
このラコルーシはここより北方のダート平原国境の村々に守備隊として駐屯する緑竜騎士団の訓練や休息、再編などを受け持っている街でもあるので、大体それなりの戦力が駐屯しているのだ。
それに加え、街の東からじわじわと攻め寄って来るアルらロンベルト軍の情報は二週間も前から街に齎されているため、ラコルーシに本部を置く緑竜騎士団のべドレース連隊は掻き集められるだけの戦力を掻き集めていた。
その数は、通常街に留まっている戦力の四倍、一二〇〇名にも上っている。
この他、チェイス子爵が持つ独自戦力であるチェイス子爵騎士団が約三〇〇に加え、町の住民から臨時で徴兵した戦力が二〇〇〇程あった。
そのせいで、北方の国境線にある村々を守る兵力は一ケ村当たり一個小隊程度という有り様にまで落ち込んでしまったが、子爵にしてみればラコルーシが陥落してしまえば元も子もないために当然と言えば当然である。
『アル、こちらミヅチ、感明送れ』
『ミヅチ、こちらアル、感明良し。そちらの感明数字の五。こちらの感明はどうか? 送れ』
『アル、ミヅチ、感明良し。数字の五』
『ミヅチ、アル、了解。二〇分後に攻撃を始める。送れ』
『アル、ミヅチ、了解。こちらの攻撃準備完了。送れ』
『ミヅチ、アル、了解。作戦通り攻撃開始せよ。送れ』
『アル、ミヅチ、了解。終わり』
手筈通りに戦闘準備が進んでいる事に満足したアルは、無線機を担がせていた従士の背に受話器を戻すと周囲に集まっていた正規部隊小隊長以上の幹部の顔を見回した。
「予定通り今から一〇分後に別働隊である西ダートの従士隊が街の西側からちょっかいを掛ける。その一〇分後に全力攻撃開始だ」
「「はっ!」」
「よし。解散!」
「「はっ!」」
部隊長達は持ち場である自分が指揮する部隊へと駆け出して行く。
この攻撃本隊は更に大きく四つに分けられる。
アルが直接指揮する中央本隊が第一戦隊の正規兵を中心とする約三〇〇だが、騎兵はほぼ全て他の部隊へ振り分けられており、僅かにアルの身辺を固めるリーグル伯爵騎士団の騎士のみが騎兵戦力として数えられるだけだ。
そして、第一戦隊副長が指揮する第一戦隊と第二戦隊の騎兵を中心に集められた右翼部隊が約六〇。
これは遊撃戦力として右翼部隊を名乗りつつも実質の予備兵力である。
対する左翼部隊は第二戦隊長が指揮を執っている五〇〇あまり。
構成しているのは全員が王国第二騎士団から選りすぐられた兵士であり、その戦闘力は高い。
これら三部隊の前面に広く展開しているのが四月以降、ダート平原南部で現地徴用された元デーバス王国民と兵士からなる徴兵部隊三六〇〇である。
こちらはエーラース伯爵騎士団の第一小隊長であるアーナルド・ユールが督戦指揮官に任命されているが、部隊行動として満足なのは前進することと止まる事くらいで、他は出来なくはないがかなりもっさりとした動きになってしまう。
最後に徴兵部隊の更に前面に固まって配置されている三五〇名程が斬り込み隊である。
上記と同じく現地徴用された元デーバス王国民や貴族、平民なども高い割合で混じっている事もあって、もう少しマシな動きも可能だ。
この突撃兵――倍給兵を追い立てるのはエーラース伯爵騎士団の第二小隊長のアマリア・オルティスが指揮する督戦部隊である。
彼女はこの侵略戦の当初より最前線に張り付いて倍給兵部隊を指揮し続けていた剛毅さも併せ持つ貴重な前線指揮官だ。
第一戦隊、及び全隊の指揮官であるアルが騎乗する場所からは一番遠く、ごちゃごちゃと立つ徴兵をすり抜ける必要もあったため、彼女が一番最後に持ち場に戻る事になった。
最初に突撃を敢行する役目を仰せつかっているために、特別に支給された超小型の時計の魔道具に触れる。
西ダートの従士隊が攻撃を開始するまでもう碌に時間が残っていない。
全隊の先頭で彼女の乗騎の手綱を持っていた従士に早口で「待たせたな」と礼を述べ、オルティス小隊長は馬上の人となった。
「聞け! 倍給兵ども!」
怒鳴りすぎて掠れつつある声だが、よく通った。
「この街を陥したら、また一休みだ! よく働いた者にも報奨が出る!」
斬り込み隊で唯一騎乗した獅人族の女性指揮官は獰猛そうな笑顔で大声を張り上げる。
「貴様ら! よく働けよ!? グリード侯爵閣下の剣として、お褒め頂くためにも私に恥を掻かせるな! いいな!?」
「「……」」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、オルティス小隊長は馬上用の短槍を握った右手を、勢いよく天に突き上げる。
「槍を右手に! 盾を左手に!」
左腕にはロンベルト騎士お得意の逆三角形の盾が装着され、その手は盾の内側にあるハンドルが握られている。
「「右手に槍を! 左手に盾を!」」
斬り込み隊には補給品や鹵獲した武器や防具が優先的に配備されている事もあって、全員が金属製の穂先を持つ槍に加えて革鎧以上の防具に身を固め、大きさや形状こそまちまちだが盾も行き渡っていた。
それをオルティス小隊長に倣って天へ突き上げながら大声で返事をするのだ。
両手の盾と短槍を突き上げながら足だけで乗騎を操って街の方へ向き直った、丁度その時。
……ドオオォォォォン!!
あまり大きな音ではないが、確かに遠くで何かが爆発したような音が彼女の耳に届いた。
それと同時に柵の内側にいる弓兵を始めとする敵兵が浮足立つのがわかる。
「始まったか……」
あれは別働隊である侯爵の妻が指揮する西ダートの従士隊の攻撃だろう。
第二戦隊に合流してからオルティス小隊長も侯爵本人だけでなく、その妻もがとんでもなく優れた魔術師であることを知っている。
侯爵程ではないものの、たったの一発で防柵を破壊できるファイアーボールなど普通の魔術師に叶う技ではないのだ。
短槍を乗騎の右脇に設えてある鞘に戻すと、その手を腰の時計に伸ばす。
あと九分五〇秒で攻撃開始だ。
唇を舐め、兜の位置を直す。
大きく深呼吸をして心を落ち着ける。
――四分の一進んで減速。斬り込み隊の先頭が私より四〇~五〇m先を進むように位置調整……。
突撃開始後の手順を脳内で確認する。
今までも何度となく繰り返してきた行動だが、どうしたって怖い。
まして、今回はそれなりの弓兵を抱えている街だ。
当然、今までに攻略してきた街や村でも飛び道具は使われていた。
しかし、あそこまでの数はいなかった。
せいぜい二〇~三〇というところで、そもそも命中率など高くはないから余程運が悪くない限りは当たるまいと高をくくっていたくらいだ。
しかし。
――ありゃ一〇〇はいるんじゃないか? それに騎兵は目立つしね……。
もう一度、兜へと手を伸ばす。
頭の上に空いている二つの穴。
そこから半円形をした耳が半分ほど外に出ている。
ライオスである以上、仕方のないことだが、どうしたって弱点だ。
とは言え、斬り込み隊の奴隷兵は満足に兜すら行き渡っていない。
手柄を立てた順、サイズの合う順に、数少ない鹵獲品の兜を支給しているだけで、半数以上は兜を被っていない。
――それに比べたら遥かにマシか。
兜の前面に跳ね上げていた面頬を下ろす。
彼女の面頬は、特に下方の視界が狭くなるのを嫌って頑丈な鉄の棒を縦に並べた感じのデザインを採用している。
高い位置で戦う騎乗戦闘は勿論、馬を降りての白兵戦闘でも足元が見えるこのタイプの面頬を選択するのは当然の事だった。
吐く息が内部に籠もらず、呼吸に全く影響がない事も重要なポイントだ。
再び遠くから爆発音が聞こえた。
今度は落ち着き始めた倍給兵にもしっかりと聞こえたようで、喜んで雄叫びを上げるものも出る。
突撃する防柵まで四〇〇m強もあるのに、今度こそ防柵の内部で騒ぎが起こり、右往左往する様が見える。
――よし! これで多少なりとも西側に向かってくれれば……。
あそこに並ぶ一割でも街の反対側に行ってくれれば大分違う筈だ。
更にもう一発。
爆発音が届いた。
聞いていた作戦だと、もうファイアーボールは打ち止めになる。
これからは……。
「「おおっ」」
斬り込み隊からどよめきが起こる。
街の反対側。
すごく遠くだが、確かに黒煙が上がったのが見えたからだ。
あれが使われたということは、西ダートの従士隊は最低でも防柵まで五〇m以内にまで近づいているという事だ。
カエンビンは地上で普通に投げたら二〇~三〇m先に投げられれば上出来の重量がある。
肩の強い者でも五〇mがせいぜいで、それだって狙った場所に投げるなどという芸当などまず無理な武器だ。
クロスボウで発射する改良タイプ(カエンビン二型)もあるにはあるが、瓶自体が小型化されているために焼夷能力は手投げのカエンビンとは比較にならない。
その威力は彼女自身、昨年末に行われたミューゼ城の防衛戦で嫌と言うほど知っている。
再び腰の時計に手をやって時刻を確かめるが先程からまだ一分と経っていない。
もう一度、オルティス小隊長は面頬を上げ、後ろを振り向いた。
彼女のすぐ後ろには、既に八倍兵となっているフィヌト村出身の古参の奴隷兵が槍と盾を手に何か叫んでいた。
彼ら南東部ダート出身の奴隷兵達はギマリ要塞で再訓練を受けた際に三倍兵以上は手下とでも言うべき五人の倍給兵の長となっている。
当初こそ数少なかった三倍兵は今はもう五〇人近くになっており、彼らの士気は常に高い。
それに釣られて彼らに鼓舞される倍給兵も高い士気を維持しており、真っすぐ進んで防御施設を突破するだけなら、もうロンベルトの正規兵をすら上回る突破力があるかもしれない。
――最初はそんなに上手く行く訳ないと思っていたのにね……侯爵閣下は恐ろしいお方だ。
ダート平原の最東端から始まった侵略戦争は順調も順調、当初予定されていた計画をすら上回る圧倒的な速度でダート平原を侵している。
――あの計画すら本音では無理だと思っていたのに……。
八倍兵から視線をずらすと六倍兵となっている彼の父親が目に入った。
彼も何事か叫んで手下を盛り上げている。
そして、その近くでは同じく六倍兵となっている男が目に入る。
彼ら三人はゾウイッシュ村攻略の直後、三人とも大怪我を負ったところを侯爵閣下に救われている。
あの時、侯爵閣下に出来れば助けてやってほしいと言いたくとも言えなかったのは彼女だが、その気持ちを汲んでくれたのか、侯爵閣下は如何にも大量の魔力を食いそうな高度な治癒魔術を使ってまで命を救ったのだ。
尤も、そうでなければ倍給兵部隊は字義通り全滅していたので救われたのはオルティス小隊長も一緒だ。
救ってくれなければ次のケリール村を陥とす戦いの際には、また戦闘経験ゼロの倍給兵部隊を率いなければならない羽目になっていた。
戦場を経験し、報酬が増えた倍給兵が部隊に居るのと居ないのとで、部隊全体の士気が全く異なる事は彼女が想像していた以上だった。
「ほっ……」
再び市街へと目をやったオルティスは安堵の溜め息を吐いた。
黒煙の数が更に増え、防柵の陰に隠れている敵兵が明らかに浮足立っているところが目に入ったからだ。
――閣下は敵の弓箭について、第一射だけはなんとかすると仰って下さったけれど……。
恐らくは侯爵閣下お得意の魔術を使うのであろうが……。
彼女自身、多少の魔術の心得はあるものの、飛んでくる矢に対抗出来る魔術など、盾という魔術くらいしか聞いたことはない。
そのシールドにしても、普通は術者の手の届く空間に対して掛ける魔術であり、移動など出来はしない(勿論アルにも不可能である)。
――考えても分かる訳がないことは考えない……だったわね。
アルが言っていた台詞を思い出し、再び面頬を下ろした。
…………。
……。
そして、遂に攻撃開始時刻が目前に迫る。
敵陣の混乱は増しているようで、心なしか防柵の裏の敵兵もその数を減らしたように見えた。
オルティスは一度だけ振り返って叫ぶ。
「よぉーし! いつも通りの仕事だ! 女房やガキにひもじい思いをさせたくなくば、戦え! 殺せ! 己の道を斬り拓くんだ! グリード侯爵に栄光あれ!!」
「「うおおっ!!!」」
地鳴りのような声を上げ、倍給兵達は走った。
・・・・・・・・・
「行ったか。なら……」
斬り込みの倍給兵部隊が突撃を開始した。
敵にはそれなりの弓兵の存在も確認されていたため、今朝の作戦確認の際にも最初の弓矢は大部分防いでやると大見得を切った手前、何もしない訳には行かない。
「……っ!」
まずは防柵を破壊すべく斬り込み隊の頭を超えてファイアーボールを三発。
狙うは比較的敵兵の少なそうな場所だ。
ドン! ドン! ドン!
無誘導で放ったので連射する。
これで三箇所に大穴が空いただろう。
続いて風魔法最大の攻撃魔術、 超乱気流塊の魔術のために精神集中だ。
あんまり使ってないから右手も伸ばす。
「……ぐっ!」
勿論、今更俺が敵兵を倒しても仕方ないので、敵が陣を張っている防柵の少し手前辺りが目標だ。
その辺りに奥行き五m、高さ三〇m、幅三〇〇m程度で魔術を掛けた。
その壁状の空間に対し、瞬間的に途轍もない量の空気が発生し、結果として乱気流が生起される。
発生する空気の方向は特に指定しなければ指定範囲内の各所からランダムになるが、予め持続時間(今回は倍給兵がそこまで走っていく時間を考慮して一分間だ)と発生の方向を指定してやることでランダムでありながらある程度の規則性を持たせることが叶う。
見た感じ、指定範囲内の地面に派手な土埃が立ったようにしか見えないが、その上空では高密度且つこちら側以外のあらゆる方向に対して竜巻並みの強風が荒れ狂っているのだ。
当然、そんな空間を矢が通る訳が無い。
突撃を開始した倍給兵部隊が弓矢の射程に入る頃には魔術の持続が失われるが、斬り込み隊はもう目と鼻の先にまで近づいている。
「者共、行けっ!! 突撃だっ!」
奴隷兵に対し、突撃を命じる声が聞こえた。
もう少しだけ待ってこっちも動かすとするか。




