第四百四十六話 ダート平原の覇者 9
7452年5月1日
朝。
パールキ村。
ギマリ要塞の西方、間に小規模な村を一つ挟んで一〇数kmに位置する人口一〇〇〇人程度の中規模の村である。
手ぐすねを引いて待ち構えていたパトロールは全てアルに難なく撃破されており、村では接近してくるロンベルト軍には未だ気が付いていない。
いや、隣のヴィジェッド村が陥とされた際に逃げてきた住民や兵士達によってロンベルト軍が攻撃を仕掛けて来る可能性が高い事は理解している。
が、その時期が掴めていない。
そして、今。
頼みの綱である目も潰されてしまった事にすら気付かないまま、パールキ村では一日の活動が始まっていた。
農奴は耕作地に出て、平民は訓練場で汗を流す。
這々の体で逃れて来た者達も、ロンベルト軍が中一日を置いただけで更に侵攻してくる可能性は低いと考え、精神と身体を休めている。
村に駐屯していた僅かな緑竜騎士団員達も数少ない人員の大半をパトロールに割いたばかりか、残る貴重な人員は伝令として周辺の村へと走らせていた。
そんな折。
西側の耕作地には街道や森から武装した者達が次々と滲み出し始める。
・・・・・・・・・
「被害は?」
「徴兵部隊が一〇〇のうち七五で、ヴィジェッドの領主一族は参戦させなかった当主を残して全滅しました。その他我々正規軍からは二。西ダートの従士隊から一の合計七八が確認されています」
アルの問いかけに第二戦隊長が部下達からの報告を纏めて答える。
「従士隊の被害がたった一人とは少ないな……」
思わず呟いたが、すぐに西ダートからの従士隊にはアル自身の妻であるミヅチやトリスなど魔術が得意な殺戮者のメンバーも多く所属していた事を思い出す。
――奴らがいたなら即死以外は助けられるか。
一人納得して頷く。
――念の為、次くらいまでは一緒に居てやってもいいけど、終わったらその足で第三要塞の追加工事を進めておくべきか。
「徴兵戦力はどのくらい得られそうか?」
「は。現時点でのご報告になりますが、四〇〇程度は行けるかと……」
「そうか。そのうち一〇〇は倍給兵に志願させろ」
「了解いたしました」
「あと、調査が確定し次第、最終的な数字――パールキ村に与えたダメージと得た戦力数を報告してくれ」
「はっ」
アルは司令部用として接収していた旧領主の館から出ると村の広場の隅で集合している徴兵部隊へと向かった。
そこでは、少し前、もっと東の地で展開されていたような光景があった。
当初の四分の一にまで打ち減らされた徴兵部隊の前で、エーラース騎士団に所属する小隊長が訓示を垂れている。
「碌な実戦経験すら無い者が多い中、貴様らはよく生き残った。これは、貴様ら個人個人の戦闘能力が優れていたからではない。指揮官である私の命令に能く従ったからだ!」
全部で二五人しか残らなかったからか、全員を横一列に並べての訓示だ。
流石に重傷者はいないようだ。
司令官の手を煩わすまでもないと処分されたのだろうか。
「よって、貴様ら全員を今日から倍給兵として取り立てることにする! 今夜から今までの倍、食えるぞ。羨ましいな! ……おい、喜べ!」
「「う、うわ~ぃ」」
ちっとも嬉しそうではない声にアルは苦笑を漏らす。
「ヴィジェッドに残している貴様らの縁者に対する配給量も倍になるからな!」
「「うおぉぉっ!」」
今度こそ大きな喜びの声が上がり、少しばかり弛んでいたアルの表情も消え去った。
「さて、喜ぶのはそこまでだ。もうすぐ新入りがやってくる。貴様らはその新入り共の先輩となるわけだ」
「「……」」
「まず最初にやる……やらねばならない事は一つ!」
「「……」」
「どちらが上か新入り共に叩き込め! 骨の髄まで貴様らの方が上だという事をわからせてやるんだ! いいな!?」
「「っ……」」
わからせる? どうやって?
と、そこに足早に一人の歩兵が駆け寄ってきて一席ぶっている隊長に耳打ちする。
どうやらパールキ村の住人や投降してきた数少ないデーバス兵について取りまとめが終わったという報告だったらしい。
「よし、新入り共を連れて来るからそれまで全員その場で休んでよし! あ、私はロンベルト王国エーラース伯爵騎士団、第一小隊長のアーナルド・ユールだ! よく覚えておけ! わかったら返事をしろ!」
「「はい!」」
アルは一つ肩を竦めてその場を離れた。
――ケツアナド緩とか名前で笑わせるのずるいって。二度と忘れらんなくなったじゃねぇか。
彼とは先のミューゼ城での防衛戦で一緒に戦った間柄であるが、その時はこんなどうでもいい事には気付かずにいた。
――おっと、緊張感が薄れてるのか? 引き締めないとな。
「お、いたいた」
アルが目指す先には遥々西ダートから遠征してきた従士隊が屯していた。
「あ、アルさん!」
いち早くアルの接近に気付いたトリスが声を上げる。
「おう、皆、お疲れさん」
それに対し、気さくに返答しながらアルは従士隊の中に入っていく。
中には一人の男が胸の上に手を組んだ格好で寝かせられていた。
腹部から大きな出血があったらしく、傷口から下半身は血で汚れている。
「……彼か」
唯一の戦死者は。
後半部分を飲み込む。
――殺戮者のメンバーじゃなくて良かっ……嫌なこと考えるね、俺ぁ。
僅かに顔を歪ませたアルにロリックが進み出てきた。
「ラッツ・ピートスといいます。よく働いてくれました」
「そうか。丁重に葬ってやれ。あと、ピートスはラッド村の従士か?」
「ええ。そうです……気のいい奴でした」
「……言っても詮無いことかも知れんが、戦争だ。気を落とすな」
そう言ってロリックの肩を叩く。
「はい。わかっています」
ロリックはしっかりとした表情でアルの顔を見返した。
「ならいい。ミヅチは?」
「奥様は中で今日の詳報を纏められております」
アルが指揮する南方総軍では、戦闘があった後には必ず戦闘詳報の提出を小隊長以上の部隊指揮官に義務付けている。
これは同じ戦闘でもその位置や立場、戦場によって見方が変わるからだ。
戦闘全体の推移を把握し、反省点や改善点を掴むのは上級指揮官の大切な仕事でもある。
「そうか。では各従士隊の代表者は来てくれ」
今回の侵攻において、アルは子飼いの領主にしか従士隊の派遣を求めていなかった。
これは、他の村や街を治める領主達を信頼していないのではなく、子飼いの領主達に戦争での実戦経験を積ませたかったからだ。
既存の領主達は多かれ少なかれ戦争時の実戦経験がある事もあるし、そういった領主達には今更な事だと考え、それなら各々が管理する土地をしっかりと護り発展させて欲しいと思っただけの事である。
少し離れた建物に入ると、アルは付いて来た全員の顔を見回した。
ガルへ村のトリス。
ラッド村のロリック。
ミドーラ村のビンス。
そして、ベージュ村からは従士長のキムだ。
全員がエムイー徽章を持っている。
「どうだった?」
鎧を着たまま椅子に腰を下ろし、アルは尋ねた。
「「どうって……」」
俄には返答し難かったようで、次々に座りながらも全員が苦笑を浮かべる。
「今回、君等は別働隊として耕作地を大回りして西口の方から攻め入ったんだろ?」
「「はい」」
「で、どうだった?」
四人はお互いの顔を伺う。
そして、最年長だからだろうか、すぐに意を決したような顔をしてビンスが口を開く。
「やはり我々が普段行っている戦闘とは一味違いましたね」
「そうか。どこがどう違った?」
「まず、戦闘に入るまで、入ってからも従士達の士気を保つのに普段以上に気を遣いました」
「ふむ……」
アルはニヤリと薄笑いを浮かべながら頷いた。
彼らが普段行っていたのは迷宮内やダート平原に巣食う魔物を相手とした戦闘である。
個体としての戦闘力自体は兵士を上回ることなど珍しくもない、危険な相手も多い。
そして、相手の種族によってはそこそこに高度な連携や、稚拙ながらもいっぱしに作戦まで立てている様子も見受けられる事すらある。
勿論、そのような魔物は互いに人間と遜色ないレベルで高度なコミュニケーションを取っている事も珍しくない。
ケンタウロスやラミアなど、馬や獅子の下半身はともかく、上半身(首から上)はほぼ人間そのままと言えるし、ゴブリンやオークなども亜人であり、その姿形は人と大差はない。
感情表現も豊かで、死を感じたら恐怖し泣き叫ぶし、喜ぶ時には思い切り笑う。
近しい者が死ねば悲しみ、敵を前にすれば猛ってくる。
そういう意味では人間と何ら変わらない存在だと言うこともできる。
が、魔物は魔物だ。
どこまで行っても所詮は魔物。
何度となく行われた飼い慣らしの試みは期間の長短こそあれど尽く失敗し、人間とは相容れない存在である事は過去の歴史が証明している。
村を護り、土地を護る従士であれば、そういう存在が相手なら余程相手が強大でない限り、そう簡単に士気を落とすことはない。
たとえ親兄弟が斃れようと、己を奮い立たせて槍を、剣を執る。
命乞いをするような相手だとしても、それを振り下ろす事に躊躇はしない。
何故なら、見逃してしまえば、他の誰かが魔物の犠牲になってしまうかも知れないからだ。
しかし、戦争は違う。
敵とは言え、同じ人間同士なのだ。
多少の違いはあれど、ほぼ同じ言語を解し、姿形もほぼ一緒。
服も着れば食べるものも同じ、ただ概念的に引かれた境界線の向こう側に住んでいるか、こちら側に生まれたかの違いしかない。
同じように畑を耕し、同じように武器を振るい、同じように家族を、友人を愛する人間だ。
勿論、恨みなんかある訳も無いし、そもそも近所なのだから何代か遡れば血が繋がっている者すらいる可能性すら少なくない。
まして、相手が侵攻してくる防衛戦ならまだしも、今回はこちらから侵攻しているのだ。
そういう事に気を払わない者も一定数いることは確かだが、人の心理として抵抗を感じる者もまた一定数はいる。
当然、トリスやロリック、更に言えばアル自身においてすら抵抗が無い訳ではない。
そんな時、どうやって士気を保つか。
これは現代地球においても、軍事組織において切り離すことの出来ない命題だ。
「「防衛戦に」」
アルとビンスは同時に同じセリフを口にした。
唯一の解だろう。
屁理屈でもなんでも、無理矢理にこねくって防衛戦にしてしまえば良いのである。
「ミヅチさんが、戦闘前に皆に話してくれました。この戦いはダート平原を我々側に統一する為の戦いだけど、なぜそうなるのか、それが必要なのか考えてほしい、と」
少し恥ずかしげな様子で、頭を掻きながらトリスが言った。
「今までみたいに放っておけば毎年毎年、デーバスは攻めてくる。そりゃ毎回撃退を続けられるならその頻度は下がるかも知れないけれど、奴らは絶対に諦めない。なぜなら、ダート平原は良い土地だから」
背筋を伸ばし、真剣な顔でキムが続ける。
「ならば、南半分もロンベルトのものにしてしまえばいい。同国内なら戦は起こらない。皆もミューゼやギマリ、カーダン、セルヴォンヌにアルさんが僅か一昼夜で要塞を築いた事は聞いている筈だと。ダート平原の南の端にそういった要塞を築けばデーバスもおいそれとは侵攻して来れなくなる筈だ、と……」
ロリックは全て理解出来ているというような納得顔で話す。
なお、同国内だろうと戦は起こる時には起こる。
極論を言えば、争いは隣人とだって、家族とだって起こるのだ。
が、発生頻度は比較するまでもなく圧倒的な低下を見せるであろうし、その規模も小さなものになるだろう。
「……でも、ちゃんと欲を刺激するような事も仰られていました。えーと、貴族になりたければ、土地が欲しいなら、しっかりとやるべき事をやれ、名を上げろ。その良い機会でもあるぞ、と」
再びビンスが話を受け取って締めた。
「そうか」
アルはフッと笑みを浮かべて頷く。
「お陰で尻込みをする奴は殆どいませんでした。でも、実際に村に突入すると……その、色々ありましてね」
きまりの悪そうな表情でトリスが言う。
「トリスは子供を庇う母親を説得しようとして、怪我しちゃったもんね」
くすりと笑いながらキムが告げ口をした。
「は?」
アルは少しだけ驚いてトリスを見る。
「すぐにミヅチさんに治療して貰ったので大した問題にはなりませんでしたが……」
聞けば、トリスが従士を一人だけ伴ってある家に突入した際、その家の住人の説得に手間取り、隠れていた若い男に横腹を刺されてしまったという。
怪我は大怪我で、トリスはその場で倒れてしまった。
若い男は即座に従士によって殺され、その従士が大声で助けを呼んだことですぐにミヅチが駆けつけてきた。
ミヅチの治癒魔術で何とか回復したが……。
「ちょっと待て! トリス、お前、精人族の鎖帷子を貫通されたのか!?」
アルは驚愕の表情を浮かべて叫ぶように尋ねた。
「ええ。やられたのはコイツです」
そう言ってトリスは一本の剣をテーブルに乗せた。
鍔に飾りが殆ど無い、ごくシンプルな形状からして鎧通しのようだ。
【必殺の剣】
【ビーチ材・青銅・鉄】
【状態:良好】
【生成日:17/10/7214】
【価値:1】
【耐久値:14350】
【性能:110-140】
【効果:金属による防御性能無視(金属以外の防御性能は魔法的な物も含め通常通り適用される)】
【効果:弱毒(対毒判定による抵抗不可)】
これは後でミヅチの戦闘詳報によって判明する情報だが、この魔剣を使用していた若い男はパールキ村の領主の次男で、母親はその男の姉で領主の長女だったという。
彼女の上に長子長男がいたので従士に嫁いでいたとの事だ。
それはともかく、この剣はかなりの年代物である。
そして、紛うことなき貴重な魔法の武器。
ついでに抵抗不可の毒まで持つという、当に必殺の剣であった。
刺突に特化した細い刃は長さ一mあまりもあり、根本でも幅は一㎝強くらいしかない。
刃の断面は分厚いひし形で、一応の刃付けはされているようだが、これで斬り付けたとしても鎧を装備しているなら細い金属棒で殴られたのと大して変わりはないと思われる。
――確かにトリスには油断もあったのだろう。しかし、とても貴重な財宝だからと地面にでも埋めて隠されていたら絶対に入手は出来なかった。
「魔剣だな……それも結構強力な」
アルの言葉に全員が「さもありなん」と頷いた。
「我々の中には刺突剣や鎧通しを使っている者はいません。どうします? 売ります?」
トリスの言葉にアルは頷きながら考えるが、売るのはよろしく無い気もしている。
「考えさせて、いや、誰か使いたいって奴いねぇの?」
その言葉に殺戮者は顔を見合わせるが誰一人として答える者は居なかった。




