第四百三十八話 ダート平原の覇者 1
7452年4月11日
それは、まだ朝も早い時の事だった。
朝起きてすぐ、もうすっかり固くなったパンを水で腹に流し込み、親父やお袋と連れ立って家を出た。
俺の持ち主であるメイヨー様の持つ鎖帷子の手入れ、と言うか、大修繕を命じられていたからだ。
鎖帷子の手入れ自体はコツも糞もなく、単なる力仕事なので俺みたいに若くて力のある者が命じられることが多い。
今回のような大修繕でなければ、油に粉みたいに目の細かい砂を混ぜた専用の磨き油を使って布で磨くだけでいいんだが、本格的な修繕になると作業内容は全く異なる。
メイルを構成する鎖を一つ一つバラバラにほぐすのだ。
まずは斬られてしまったりして千切れたり形が変わったりして、もう使えなくなった鎖をより分ける。
次にまだ大丈夫な鎖と砂と混ぜ合わせた上で掻き回し続ける必要がある。
この作業は今までの手入れでは落としきれなかった細かな錆を落とし、磨くためだ。
勿論かなりの重労働なのでご主人さまの奴隷のうち、鎖帷子の手入れ法を教わっている者全員――全部で二〇人以上の大人が関わらなければならないほどに大変な仕事だ。
このフィヌト村では少し前に春蒔きの小麦を蒔き終わったばかりなので、農作業にも多少余裕のできるこの時期には、農奴は農作業以外にも多種多様な仕事を言いつけられることがままある。そのうちの一つがこの鎖帷子の手入れというだけのことだ。
ウチのお袋やロスールさんのおかみさんを始め、数人の手先が器用な者が専用のやっとこみたいな道具を使ってメイヨー様の鎖帷子をバラしていく。
バラされて小さな輪っかの出来損ないみたいになった鎖帷子の鎖は容器に入れられたまま俺のような若い衆の所まで運ばれてくる。
「まず最初は、そこの袋の砂を混ぜるんだ」
この作業の監督を命じられている親父からの指示でバラされた鎖の入ったバケツに少し荒い砂を入れる。
「鎖の五倍くらいが目安だぞ」
言われた通り、目分量で砂を容器に入れ、さぁ仕事だ。
砂の入ったバケツに棒を突っ込んでひたすら掻き回すだけなのだが。
この作業はとてもシンプルなもので、誰がやっても間違いようがない程単純だが、砂や小さな鎖が大きな抵抗になるので非常に辛い仕事でもある。
そうそうな事では怪我こそしないが、力の無い者にはひと掻きだって出来はしない。
「上手いもんだな……」
リズミカルに掻き回しているとメイヨー様のご長男であるハレル様が声を掛けてきた。
「あ、坊っちゃん。毎年やってますからね。慣れですよ」
俺はリズムを崩すことなく返事をする。
「それ、俺にもやらせてくれよ」
ハレル様はそう言うが、もう戦いの稽古に参加して数年経っているとはいえ、流石にまだ一二歳だと無理だろう。
「ははは。有り難いお申し出ですが、もう少しお体が大きくなられないと無理ですよ」
「ちぇっ、コールはいつもそれだな。獅人族だから俺なんかより大きくて力があるのは仕方ないけど、俺だってあと三年で成人だ。そうすれば……」
「うーん、申し訳ありませんが坊っちゃんは普人族ですからねぇ。成人しても……オーセルさんやラルターフさんのとこにも今年成人した男がおりますが、まだ彼らは呼べませんよ」
「うう……でも俺はやるんだ。自分の鎧くらい自分で手入れ出来るようになりたいし……」
「それは良いお考えです。でも今はまだ無理ですからね。たくさんお食べになられて大きくおなりになってください」
「わかったよ」
そうこうしているうちに親父に声を掛けられて俺の分の作業は終わる。
次は混ぜた鎖と砂をもう一度分け直す。
これは砂だけを通す大きさの目のザルを使えばそう難しくはない。
ザラザラとザルで鎖を濾し取っているうちにハレル様は奥様に呼ばれて母屋に入って行ってしまった。
これから昼ごろまでお館様の練兵場で訓練だろう。
分けられた鎖は、かなりの部分、錆も取れているのがわかる。
今度はもっと細かな砂で磨くのだ。
使っていた砂をまた袋に戻し、親父の指示で細かい砂が詰まった袋を倉庫まで取りに行く。
これら、鎖帷子の手入れ用の砂は、もう何年も掛けてこのガーコフ家に仕えている奴隷たちが一粒一粒手でより分けたものなので、たとえ僅かな量とはいえ無駄にはできない。
足りなくなったらまた俺達、ガーコフ家の奴隷が手でより分けなければならないのだから。
細かい砂と鎖を混ぜ、また棒で掻き回す作業が始まる。
正直な所、一段と抵抗が増えるこの作業が一番辛い。
新規農地の開墾の方がまだ楽に感じるくらいだ。
まぁ、開墾の作業中は鎖帷子の手入れが懐かしくなるんだが。
それはそうと、今は目の前にある仕事を片付けるのが先だろう。
この鎖帷子の手入れについては明日明後日くらいには終わらせなければならない。
それは勿論、メイヨー様の出陣が予定されている訳ではなく、単に農作業の都合に追われているだけの事なのだが。
「じゃあ俺達は訓練に行くが、ヨーム、後は頼んだぞ」
メイヨー様はご領主であるお館様の娘である奥様と、そしてご長男のハレル様を伴って従士の戦闘訓練に向かわれてしまった。
メイヨー様の奴隷頭である親父はその信頼に応えるように丁寧に頭を下げて見送っている。
そう言えば、メイヨー様は次代の奴隷頭候補である俺についても「お前もいい年になっているし、近いうちに嫁を見繕ってやろう」と仰っしゃって下さった。
何とも仕え甲斐のあるご主人さまだ。
今、このフィヌト村には王国の緑竜騎士団の部隊に加え、所属がよくわからない傭兵らしい部隊も駐屯してロンベルト王国に対して睨みを利かせている。
北にあったミューゼには今ロンベルト王国の城が築かれているようで、このフィヌトよりも西にある村々に対して荷を通すのを邪魔しているという。
全く以て太ぇ野郎共だが、ロンベルトの兵隊達の実力はかなり高いらしい。
なんでも、少し前に王都から派遣された騎士団の攻撃を跳ね返しただけでなく、こちらが一人倒す間に向こうはこちらの兵隊を一〇人も倒したという。
その話を聞いた時には、流石にそれは無茶苦茶だろう、と思ったが、倒されてしまったこちら側の兵隊の大部分はロンベルトの魔術師によるものらしい。
もの凄い炎や聞いたことも無い程の煙毒を放って来たという。
俺も火魔法は使えるが、技能のレベルは一だし、比較になどならない。
が、僅かでも魔法をかじっているからこそ言えることもある。
もの凄い炎とか、畑を覆える程の煙毒とか、どんなに優れた魔術師でも無理な相談だ。
それこそ話に聞くドラゴンのような存在でもない限り、人の身でそんな事ができる魔術師なんて居るわけがない。
要するに、王都の都会モンの軟弱な騎士団が、失敗した事を取り繕おうと嘘八百を並べ立てているだけのことだ。
戦は昔からフィヌトや近辺に居てくださる緑竜騎士団や、お館さまやご主人さまらの精鋭にお任せしておけば失敗などする筈もないのにな。
……よし、こんなもんでいいかな?
バケツの中にはキラキラとした輝きを取り戻した鎖が見えている。
この様子なら磨きは終わったと見做しても良い筈だ。
親父に手のひらに盛った砂まみれの鎖を見せると「いいだろう」と言われたのでザルで梳くことにする。
最初の砂よりずっとキメの細かい砂なので、ザルさえあれば簡単に鎖だけをより分けられる。
より分けた鎖をお袋達が作業している方へ持っていく時。
畑の方が騒がしくなった。
俺は、この日のことを一生忘れることは出来ないだろう。
・・・・・・・・・
昼。
あっという間にフィヌト村はグリード侯爵が直接指揮する六〇〇名余りの部隊によって攻め落とされ、降伏していた。
今回は珍しく地魔法による壁は使わず、奇襲とは言え、ある意味で正面から攻め入っての占領となっている。
アルに率いられた攻略部隊はフィヌト村の北側から現れると、まずアルに直率された合計八騎の騎兵が居留地へと突撃し始めた。
既に耕作地に出て畑仕事を行っていた奴隷たちには目もくれずに進む騎兵に続いて、残りの攻略部隊も一直線に居留地に向かって進撃を開始している。
喚声も上げず、全速力で騎馬を走らせ、ある程度接近したところでアルは居留地を囲む防柵にファイアーボールを放った。
標準よりも大幅に威力を高められたファイアーボールはたった一発で防柵を破壊し、飛び散った燃える岩塊で更に近くにあった建物に火をつける。
その後も接近しながら何度もファイアーボールを放ち、北側の防柵が幅五〇mに渡ってボロボロになった頃、アル達リーグル伯爵騎士団の騎兵隊が居留地に入り込む。
このあたりで、漸く村に駐屯していた緑竜騎士団や傭兵達が襲撃を受けたことを把握するが、もう既に騎兵が村に入り込んでいるのだ。
勿論、緑竜騎士団や傭兵達も無抵抗で座視していた訳では無い。
しかし、夜明けから二時間あまり。
周辺をパトロールさせていた者達からも連絡がない以上、戦闘に対する備えなど何一つ行ってはいなかった。
当然だが、パトロール部隊はアルが単身で先行し、全て始末していたのである。
攻略部隊がフィヌト村の耕作地に現れてから、僅か五分後には歩兵を中心とする本隊も居留地内に突入していた。
大規模な元素魔法こそ使わなかったものの、ファイアーボールやライトニングボルト、アイスコーンと言った結構派手な攻撃魔術を連発されてしまえば、たかが四〇〇人程度の防衛部隊などひとたまりもない。
まして、碌に準備すら整えていなかったのだから尚更である。
防衛部隊としては態勢を立て直す以前に、防衛態勢すら満足に整えて居なかった以上、文句の一つも言いたいところではあったが詮無き事でもある。
抵抗出来た者も僅かな人数であり、あっという間に討ち取られてしまう。
大多数は組織的な抵抗など出来る訳もなく、抵抗する素振りを見せた者から胸を貫かれ、腹に剣が突き立てられる。
それを目の当たりにして、戦意を喪失して逃走を図ろうとする者や、降伏の意思を示す者が続出した。
更に、アルに従っていた騎兵達や部隊を指揮する隊長格が大声で投降を呼び掛け続けただけでなく、「逃げる者は追うな! 抵抗する者だけ始末しろ!」と、ことある毎に叫んだ事も短時間での占領に貢献したのかもしれない。
そんな中、ご主人さまの鎖帷子の手入れを行っていたコールは父親から「戦えない者を纏めて逃げろ! ザラバンまでこの事を伝えるんだ!」と命じられたために取るものも取りあえず、一〇名程の農奴を率いてフィヌト村から逃げ出す事に成功していた。
・・・・・・・・・
7452年4月13日
フィヌトから逃走出来た者は結構多く、この日までに一〇〇名以上の村民がザラバン村に逃げ込んでいた。
フィヌト村の人口は六〇〇名程度であり、駐屯していた防衛部隊も四〇〇名だった事を考慮すると、結構な率で取り逃している。
ザラバン村はフィヌトから西に一〇㎞と離れていないが、ダート平原という土地柄だけにフィヌトから逃げ出してもまだ辿り着いていない者もいるかも知れない。
「今は村の防備を固め、敵襲に備える時だ」
ザラバンに駐屯していた緑竜騎士団の隊長は、フィヌトを治めていたファート士爵に辛抱強く繰り返す。
ファート士爵は家族を伴って昨日のうちにこのザラバンまで逃げ延びてきたのだが、開口一番、ザラバンを治めているギルソン士爵と緑竜騎士団の隊長にフィヌトの奪還を訴えたのだ。
しかし、ギルソン士爵と緑竜騎士団の隊長は共に「それ程の戦力なら奪還は難しい」と考え、更に西にあるケリール村と南西にあるゾウイッシュ村に伝令を送り、ザラバン村としては戦闘に備えて防備を固める動きをしていた。
フィヌトから逃れてきたコールも、木の棒の先を削って尖らせただけの粗末な槍を渡されて居留地の東側――フィヌト村のある方角に配されていた。
彼としてはこのような粗末な槍を持たされて防備に付けられるくらいなら、何も持たずにザラバンの耕作地からも出て物見として働きたかったが、成人したライオスの体格もあって、戦闘要員とされていた。
――親父やお袋はどうなったんだろう? ご主人さまも心配だ……。
今すぐにでもフィヌト村に取って返し、様子を探りたい。
しかし、コールには同じご主人さまに仕えている戦えない者達がいる。
軽々しい行動は出来ない。
――お館さまが村を取り戻すために動いてくれているらしいが……。
フィヌト村を治めているファート士爵が懸命に声を掛けているのだ。
もうすぐにでも緑竜騎士団を中心としたフィヌト村奪還の部隊が編成されるだろう。
コール自身、碌に戦闘訓練すら受けた経験はないが、大柄な体躯に俊敏さをも兼ね揃えた立派なライオスの青年である。
まともな武器さえくれるのであれば、戦場でそこらの兵隊並みには働けるつもりだ。
とは言え、この槍も金属部品こそ使われていないが、敵を殴る分には充分に頑丈そうだし、鎧を着ていない相手を突いたなら、殺せるかはともかく大怪我くらいは固いだろう。
――重くない分、これで正解かも知れないな。
突きはともかく、上から振り下ろす、水平に振り回す、程度なら戦闘訓練など受けなくてもやれそうだ。
先が尖らせてある事に拘らず、素直に振り回すだけでも相手にとっては脅威だろう。
と、その時。
コールが見据えていた東の耕作地の端に馬に乗った人影が現れた。
――あれは……?
すわ、敵襲か、と浮足立つコールの隣で同様に耕作地の監視をしていた緑竜騎士団の兵が、
「ありゃ味方だ。ディーム卿って騎士だよ」
と言ってくれたので落ち着きを取り戻した。
「おかしいな……一人か?」
誰が言ったかわからない続く言葉に全員がディーム卿に注目する。
ディーム卿は何か叫びながら馬を飛ばし、こちらへと駆けて来ている。
だんだんと聞こえるようになった。
「……襲! 敵襲!」
必死に叫ぶ様子に、兵の一人が居留地内部にある駐屯地へと駆け出した。
報告に向かったのだろう。
コールを始めその場に居た全員で協力して防柵の門を開ける。
耕作地に出ていた農奴は勿論、ディーム卿を迎え入れなければならないからだ。
畑で農作業をしていた農奴も、もう既に農具を放り出し、こちらに向かって走り出している。
そして、彼らの後ろ、街道を中心にダート平原に生い茂る森からも滲むように敵が姿を表し始めた。
耕作地に足を踏み入れた敵は全員が小走りに駆けて来ているが、その速度は大して早くはない。
「畜生! ダイスはやられちまった! ロンベルトの奴ら、とんでもねぇ真似をしやがった!」
門から駆け込んできたディーム卿が叫ぶ。
「フィヌトに駐屯していた騎士団の兵隊や村のモンを取り込んでやがる!」
続く言葉に、コールを始めとする門に手を掛けていた者達がぎょっとした。
「早く! もっと早く走れ!」
そうこうしているうちに農奴の最後の一人が無事に駆け込み終わり、しっかりと門が閉じられる。
その頃には、敵兵は先頭に立つ者の顔が見えるところまで接近していた。
――あ、あれは……?
フィヌトに駐屯していた、見慣れた顔の緑竜騎士団員に混じり……。
「お、親父?」
これ以上無い程にコールの目が見開かれる。
見間違えようのない、無表情のままコールが持つそれと大して変わらない、長い棒を握る父親の姿が目に入ったのだ。




