第四百二十八話 コミュニケーション能力
7452年1月11日
昼になり、簡単な昼食を摂ったあとで行政府から騎士団本部へと向かう。
今日はミヅチは朝から騎士団本部へ行っているから移動は俺一人だ。
ウラヌスの背に乗って行政府から広場へと足を踏み出すと、昨日までの喧騒が幻だったかのように閑散としている。
尤も、まだ片付けが終わっていない露店や、べグリッツに留まったままの隊商なんかもまだ二割くらいは残っているので話し声などそれなりの喧騒はある。
が、客はもういないので人口密度は俺の感覚的に一〇〇分の一以下だ。
残っている商人も馬車を並べ、荷物や人員の点検をしている者たちばかり。
あと小一時間もしたらこの広場もちょっとした屋台が端に並ぶだけの通常営業に戻るだろう。
広場を出て通りに向かう。
北、駅へと伸びる大通りから途中で右に曲がり、騎士団の本部へ。
街並みはすぐにまばらになり、あっという間に小麦畑だ。
この時期、秋播きの小麦は力強くその芽を伸ばしている。
このべグリッツはダート平原にくっついているような位置だからか、土質も近いらしく、もう少し離れたゾンディールなどより少し育ちが良い気がする。
俺の思い込みかも知れないけど、言うなれば地元贔屓に近い感覚かもね。
騎士団の本部棟前の広場にはいつか使った簡易な檻があった。
もう既に用意は終わっているようだ。
さて。
ウラヌスを従士に預けるとミヅチに加えてバリュート以下の幹部五人を呼ぶ。
そして、また一人ひとりに仔犬を与える。
「その仔犬共はそなたらの相棒であり大切な部下だ。名前を付け、今日から寝食を共にして可愛がってやれ」
微妙な顔をする六人に言うと踵を返し、本部棟に向かった。
「くっそ……可愛いなぁ、こいつ」
「ああ……」
「おお。ウチのクーパーもこんな頃があったな……」
「でも……」
恨めしそうな声が聞こえてくるのを無視して玄関をくぐる。
聞いた話でしか知らないが、一度目より二度目。
二度目より三度目。
経験を積めば積むほど精神的に来るそうだ。
それもあって、最初の一回目で試練を乗り越えて欲しかったんだがな。
・・・・・・・・・
7452年1月20日
「おーし。次は頭を洗うぞ」
風呂場で息子の頭に薄めた石鹸水を撫でるように付けてやる。
そして、後頭部からミヅチがそっと両耳を塞いだのを確認して優しく頭を洗う。
生まれたばかり――生後四カ月くらいまでは、俺が片手の親指と小指だけで両耳を塞いでやれたのだが、赤ん坊の成長速度ってのは結構早いんだ。
あっという間に片手じゃ届かなくなっちまったよ。
「気持ち良さそうね」
「ああ」
アルソンは耳が塞がれていて音が変に聞こえることが楽しいのか、それとも頭が洗われている事が心地良いのか、ニコニコしている。
薄めた石鹸水なので泡はあまり立っていない。
高品質な極細の絹糸のような和毛を丁寧に梳くように洗い、お湯が目に入らないように用心しながらそっと流してやる。
アルソンを風呂に入れてやる時だけは、風呂の温度はミヅチが好むそれよりも少し温めにしてやっている。
体温より少し高めくらいなので俺には低過ぎるが、赤ん坊には丁度良いだろう。
「じゃあ私はこの子を温めるから、貴方先に体と頭洗っちゃって」
「うん」
髪を洗い終えたアルソンを抱いたミヅチが湯船に浸かるのを横目に体を洗い、頭もガシガシと洗う。
「ちょっと、泡を飛ばさないでよ。お風呂に入っちゃったじゃない」
「仕方ねーだろ」
少しくらい良いじゃねぇか。
予め用意してあったシャワー桶に繋がっている栓を開け、シャワーを被る。
勿論、自ら魔術で好みの温度に調整したシャワーを出してもいいのだが、精神集中が必要のないシャワーの方が楽だからね。
シャワーが面白いのか、アルソンはキャッキャとはしゃぎ声を上げている。
「よし。交代な」
頭と体を洗い終え、波を立てないようにゆっくりと湯船に浸かり、ミヅチからアルソンを受け取った。
「ほーれ」
このところのアルソンは、湯船の中で沈まないように背中から支えられて背泳ぎでもさせるようにお湯の上を滑らされるのが殊の外お気に入りのようだ。
喜んで笑う息子の顔など何時間でも見ていられそうだが、そんな事をしている間にも風呂のお湯はゆっくりと冷めてしまう。
途中、お湯供給用のホースの栓を抜いて少しだけ熱湯を供給するなどこまめな温度調整は欠かせない。
風邪引かせたくなんかないからね。
ミヅチの髪は以前と比べて長くなりつつあるが、まだ肩よりもちょっと下になった程度なので髪を洗うにもそう時間は掛からない。
リンスだのトリートメントだのといったヘアーコンディショナー類なども存在しないから体を洗う時間を含めても一〇分くらいじゃないだろうか?
そして、親子三人でゆっくりと体を温めてから風呂を出る。
風呂場の隣には当然脱衣場が用意されているが……。
「「最初はグー!」」
「「ジャンケンポン!」」
くそ、負けた。
妻と息子を湯船に残し、まず俺だけが脱衣場に向かう。
サッシになっているガラス戸をスライドさせ、すぐに後ろ手で締める。
温暖なダート平原だとは言え、流石にこの時期の夜は冷える。
天候にもよるけれど、零度近くまでは下がっていると思われるのだ。
おー、寒!
棚に置いておいたタオルを腰に巻き、脱衣場から廊下へ続く扉を少し開ける。
それと同時にそれなりの温度にした風魔法を使って脱衣場を温め始めた。
扉を開けるのが合図になっているので、すぐそばで待機していた住み込み女中のサストーレとテフラコリンの二人がしずしずと脱衣場へ入ってくる。
「失礼します」
サストーレの言葉に風魔術をやめて、「ん」と少し腰を折った。
彼女が俺の頭にタオルを掛けてくれ、同時に背中に回って拭き始めてくれる頃、アルソンを抱いたままのミヅチが風呂場から出てくる。
俺は頭に掛けてもらったタオルで髪を拭き始め、ざっと背中を拭いてくれたサストーレが新しいタオルを手にミヅチに向かう。
テフラコリンはタオルを載せた両手で慎重にミヅチからアルソンを受け取ると、脱衣場の壁際に設えられた鏡台の前の棚にタオルごとアルソンを寝かせて優しく水滴を拭き取ってやる。
髪からお湯が垂れない程度までざっと拭くと、腰に巻いていたタオルを取って全身に乾燥の魔術を使う。
そして、下着を穿くとすぐにミヅチのところに行って髪を拭き終わった彼女にも乾燥の魔術を掛けた。
髪の大部分と体表に付いていた水滴が拭き取ってあったのでそう長く乾燥の魔術を掛け続ける必要はないのが楽でいい。
アルソンだけはテフラコリンによって丁寧に拭かれている。
用意されていた清潔な寝間着に袖を通し、同じようなおくるみを着せてもらったアルソンを受け取ると、仕上げとばかりにミヅチがアルソンの後頭部から乾燥の魔術を使う。
温かくて激しい風が吹き付けられ、アルソンはまたしても楽しそうな声を上げて喜ぶ。
「ん。しっかり乾いたね」
ミヅチがアルソンの頭を撫でてやりながら声を掛けた。
その後、アルソンを抱いたまま居間に移動する。
居間は暖炉に焚かれた炎で適切に温められており、風呂上がりの俺たちも寒さに震えなくていい。
居間の隅には今夜の護衛当番であるキャレー・ゾフロタレンさんがひっそりと待機していた。
その足にはシロと、先日仲間入りした仔犬の“海苔弁”がじゃれ付いている。
どうせ食うんだからと海苔のように真っ黒な体におかか醤油を掛けたような茶色く染まった飯のような斑のある仔犬に付けた名前がノリベンってのはどうなのよ?
とか思わんでもないが、仔犬の名前なんか心の底からどうでもいいので、俺は何も言わずに受け入れていた。
ま、食い物の名前の方が抵抗が少ないと思うならそれでいいだろ。
犬たちは俺やミヅチが居間に入ってきた事にすぐに気が付いてこちらに向かって駆けてくる。
シロは生後半年程度、ノリベンに至っては僅か二カ月であり、体格の差は否めない。
そもそもシロはマレンマという大型犬で、ノリベンはヴァイグルというグレイハウンドを小さくしたような中型犬という体格差もあるからか、四カ月前、家に来たばかりのシロの方がでかかったくらいだし。
「はいはい。わかったから」
そう言うとミヅチはアルソンを抱いたままソファに腰を下ろす俺を尻目に犬用の皿に水を出してやる。
ぴちゃぴちゃと音を立てて水を飲む犬たち。
ソファの前に置かれているローテーブルに用意されていたプレミア焼酎と氷、水でミヅチが簡単な水割りをを用意してくれる。
その間にテフラコリンが持ってきてくれた燻製イウェイナを一切れ口に放り込む。
芳醇な薫香、舌の上に広がる豊かで深い味に舌鼓を打ち、ミヅチが差し出してくれたタンブラーに手を伸ばす。
と、部屋の隅で水を飲むのに夢中だったはずのシロとノリベンが、いつの間にかソファまでやって来て俺の足を伝って上に登ろうとしてきた。
「おい、止めろ」
そう言うが聞く訳がない。
「シロ、駄目! ノリベンも!」
ミヅチが少し強い口調で言うとシロは俺の足から離れてくれたが、新参者で躾の行き届いていないノリベンは離れてくれない。
それどころか、今度はテーブルの上に用意された燻製に興味を示したようで、テーブルに前足を乗せている。
「駄目!」
ミヅチがノリベンの前足を軽く叩き、テーブルから離して床に付けた。
それを見て、水割りを一口飲んだタンブラーをテーブルに戻し、シロの腹の下に手を回して抱き上げた。
ソファに凭れ、左腕に抱えたアルソンと右腕に抱えたシロを腹の上でこんにちわをさせてやる。
シロに顔を舐められたアルソンはそのままシロの顔に手を伸ばし、唇っぽい鼻の脇を掴んで笑い出した。
シロはなすがままだ。
対してノリベンの方はミヅチに抱き上げられたものの、その手から逃れようとしきりに体をくねらせている。
躾ってのは大切だねぇ。
シロとノリベンが生まれた時期は半年も違わないが、我が家で過ごした時間は大違いだ。
それこそ寿命の短い犬にとってみれば、人間の二~三年に相当するのかも知れないな。
・・・・・・・・・
7452年1月25日
午後。
リンディーちゃんとカールくんを扱いてやった後で団長執務室に籠もる。
今纏めているのは、今年の四月半ば頃から予定しているデーバス王国に対する本格的な侵攻作戦の編成だ。
ん~、まず最初はミューゼの南にあるデーバスの一〇ケ村のうち、一番東、ダート平原の外れに近い位置にあるというフィヌト村を攻め落とす。
その際に使用する戦力は俺の他に地元のエーラース伯爵騎士団から一個小隊くらいの他、示威を考慮して王国第二騎士団から二個中隊を予定している。
時期や位置から言ってこれはもう決定事項だし、ある程度長距離の移動が必要な二個中隊にはもうミューゼまでの移動命令を発している。
と言っても、べグリッツ、いやゾンディールからエーラース伯爵領の領都であるラムヨークまで馬車鉄道は通じているからギリギリまで動かさないけど。
フィヌト村の攻略自体は以前にコラン村を陥とした時の焼き直しを行うつもりだが、殲滅はしない。
素直に降伏してくれればそれが一番で助かるが、流石にそうも行かないだろう。
今回はフィヌト村を含めた一〇ケ村を征服するのに一月半ほどの時間を掛けられるのだ。
勿論、オースの常識では途轍もない侵攻速度だと言えるだろうが、俺の常識ではゆっくりも良いところなのだ。
ダート平原の雄、グリード侯爵アレインに歯向かったらどうなるか知らしめてやる必要がある。
一種のプロパガンダになるようにも活用するつもりだ。
さて、明日は無線送信機の試作捌号機(先行量産機とも言う)の実践テストが控えている。
無線機はこの捌号機において、漸くアンテナを含む可搬型を開発出来た。
それでも大型のリュックサックくらいの大きさで重量も二〇㎏を超えているが、曲がりなりにも一度の充電における連続通話時間で二時間を超すバッテリー込みでこの大きさ、重量を実現できたのは大きい。
因みにバッテリーが切れたら、ライトニングボルトなど電撃系の魔術でも充電が可能なライデン瓶をバッテリーにしている。
待機時間は、まだ完全な計測を終えていないが通信待受状態で一五日ほどだ。
今の所、この先行量産機は二台一組しか完成していないが、俺が心血を注いで作っただけあって、完成度は高いと自負している。
この貴重な一組の片割れはもうすぐ発車するであろう馬車鉄道でウィードのゼノムの屋敷に運び込まれる予定だ。
なお、もう一台の方はガルへ村にあるトリスの屋敷に設置する。
因みに、可搬型ではないがもっと高出力な通信が可能な試作漆号機はこの騎士団本部と俺の屋敷に新設した通信室に鎮座しているし、こちらの方は当然ながら可搬型ではない、固定式のアンテナに接続している。
周波数は今の所共通のバンドを一つしか設定していない(同一の水晶を大体三五度強の同じ角度で切ったクロックを利用しているだけなので正確な周波数はわからない。多分十数メガヘルツ?)ので全部の電源をオンにしてしまえば混線する。
この混線はもっと若い試作機でも共通の水晶だから既に実験によって解っている。
今回の試作捌号機からは水晶発振器(子ではない。ワンパッケージ化に成功しているんだ)に接続した誘導コイルにボリューム状の移動接点を付け加えているので大して広くはないものの、送受信の周波数の変更を可能にしている。
勿論、アンテナの制約もあるんだけどね。
ま、そういった細かいところは置いておいても、無線機は革新的且つ、そう簡単に真似の出来ない優れた通信手段になるだろう。
明日の実験は単に長距離通信(要はアンテナ性能ね)に対するものであり、見通しだけでなく数㎞程度の通信はもう何度も成功させている。
これとある程度の実力を兼ね備えた小銃部隊、そしてRDX火薬を利用した埋設型を始めとする迎撃・攻撃可能な爆裂武器があれば軍隊の人数において多少の不利があろうとも……たとえ俺がその場に居なかったとしても、戦闘を有利に運べるようになるんじゃないかな?




