第四百二十二話 団欒
7451年12月26日
朝。
ランニングと朝食を終え、しっかりと着替えてから店に顔を出す。
兄貴を始め、従士たちでごった返しているが、引っ越しの荷運びは終わっているのでガラスの在庫が店内を圧迫しているからだ。
今日は多くの顧客が注文していたガラスを受け取りに来る日なので今日一日は我慢してほしい。
「あ、ジムさん。それはこちらにお願いします」
「この板ガラスの箱って一〇枚入りのやつだよな?」
「ええ。そうですよ」
「おい、キルタンズ、コーリー。そこの応接セット、一回右にずらしておけ」
「「はい」」
皆はアポイントメントが入っている大口顧客の来店順に合わせて納品用の商品を並べ、俺の接客予定のない小口の顧客用には空いたスペースに商品別に在庫を積み上げている。
「あ、アル様。おはようございます!」
「おう、おはよう」
次々と挨拶を送ってくる従士やその家族に対して挨拶を返し、レイノルズから差し出された帳簿を受け取った。
ぱらりとめくると最初のアポと納品物にその数量、単価、合計金額が書かれている他、過去の取引実績が記載されている――と言ってもガラスの商売は去年からなので大した量ではないはず……。
……やけに記載が多いな。
と思ったら最初は王都で商売しているカレイド商会か。
なるほどね。
カレイド商会には去年、ガラス製品は一億五千万程購入して貰っていて、小口(笑)だったのだが、ゴム製品はちょこちょこ買って貰っていた。
だから過去実績欄が肥大化しているんだな。
とは言え、カレイド商会の人と直接会うのは今日が初めてになる。
今年のガラス製品の受注額は四億を優に超える金額で、有り難い限りだ……。
……どっかで聞いたことあんなと思ったら、年明けにべグリッツで開かれる予定の大市に参加予定の商会だ。
ふーん、結構手広いのね。
今日会えるのは商会長なのか番頭さんなのか。
大市に参加する予定である以上、今日会えるのはそのどちらかになるはず。
どちらでも結構だが顔も名前もよく覚えておかなきゃいけない相手だ。
「ふぅ」
兄貴が俺の正面に腰掛け、テーブルに沢山用意されていた木のコップから一つを手に取ると水差しから水を注ぎ、一息で飲み干した。
首に掛けたタオルで顔の汗を拭っている。
「お疲れ様。鎧の納品は明日で変わりない?」
「ああ、変更の連絡は来てないな」
極稀に予定していた納品日をずらして欲しいという連絡が来ることがあるのでそれを心配しての話だったのだが、今回は特に変更はないみたいだ。
「そう。一〇時からだったよね」
「うん。しっかし、たった一年でよくもここまで増えたもんだ……」
兄貴の言う通り、今年のガラス製品の受注量は昨年よりもかなり増え、ざっと五割増し、一三五億Zになっている。
しかも、昨年の最大顧客であったグラナン皇国のリベラ商会からの発注額はあまり変わっていないので実質の伸び率は五割増しどころではないという事になる。
何しろリベラ商会だけで一八億もの売上額なのだ。
次点のカンビット王国のカーロス商会で一五億、王家は今年三位に陥落だが、それでも一二億Zと昨年の二割増しで伸びている。
「ね。積極的な宣伝なんか碌にしてないのにね」
俺が笑いながら言うと、兄貴は「まぁ、お前、侯爵閣下のお作りになられるガラス製品はどれもこれも話題にならん方がおかしい品ですから」と急に畏まって言って席から立ち上がった。
そして、
「おい、テーブルを片付けろ」
とサッキンスに命じた。
少し不思議に思ったものの、理由は直ぐに判明した。
「あの、すみません。ギレアン商会ですが……」
来客だったか。
ってギレアン商会!?
不動産屋じゃねぇか。
思わず振り返ったらいつもの犬人族だった。
「やぁ、お久しぶりですね」
ソファから立ち上がると同時に営業用スマイルで声を掛ける。
こいつは、どうにも憎めないのだ。
勿論、この商会本店やゴムやソーセージ工場、麺屋などで世話になっている件もあるが、こいつの本質はその不器用なまでの優しさにあると思っているからだ。
俺に相応の金銭があると見るや、ヨトゥーレン母子の生活のために相場より少し高めにこの商会本部を売りつけた事や、その罪滅ぼしと言わんばかりにゴムの作業場は大幅値引きをしたあたり、商売人としてはどうかと思うが人として好感が持てる。
まぁ、雇われの手代なんだし、手前ぇの財布を傷ませた訳では無いが、俺はそういう不器用なくせに小器用な優しさを併せ持つこいつの事は結構気に入っているのだ。
だからこそ、王都での不動産関係についてはまず最初に相談している。
「あ、これはグリード閣下。いつもお世話になっております」
「いえいえ、こちらこそ」
「えぇと、ウチの商会長から注文が入っていると思うのですが……」
え?
ガラス買ったの?
「こちらです」
レイノルズがさっと進み出てきて丁寧な手付きでグラスの収められた木箱を渡した。
急いで手近なところにいたエンベルトに確認させると確かに今年の春頃にグラスを一セット受注していた。
「や。ここで商品を確認させて頂いても……?」
「勿論でございますよ」
再び木箱を受け取ったレイノルズの手の上で、ドッグワーは慎重に蓋を開けて中を見ている。
しばらく眺めてから再び蓋を締め、付属の平裹をしっかりと結んだ。
「確かに。あ、こちら代金です」
そう言うと綺麗な袋から金貨を取り出してレイノルズに手渡した。
レイノルズも一枚一枚ステータスを確認して六枚全部が本物の金貨である事を確認すると、傍で立っていた妻のサーラが持つ金を乗せる専用の底の薄い木箱へ並べる。
「ありがとうございました」
俺は心を込めて礼を言う。
こちらは既に大貴族になってしまっているので頭こそ下げないが、心は最敬礼だ。
恐縮しながらドッグワーは帰っていった。
商売が順調なら来年中にもまた倉庫を借りるか買ってやろう。
・・・・・・・・・
夜。
やっとガラス関係の面談が全部終わっ……明日の王宮が残ってるけど、話すことはあんまないから終わったでもいいか。
予定では明日の午前中、鎧やなんだと一緒にガラス製品も王宮に納品に行く。
午後は王都から南に向けて行っている線路工事を視察、そして明後日の朝にはべグリッツへ向けて出発だ。
「じゃあ、お前らはここらで待っ……周辺の警備を頼む」
バストラル一家が生活している宿の前で、マールやデーニック以下、戦闘奴隷と騎士からなる俺の警護隊に命じると、お土産である夕食を受け取って宿に足を踏み入れた。
「もうこんなに大きくなってるのか」
赤ん坊が大きくなるのは本当に早いな。
バストラルの第二子、ジュンジは生後八ヶ月。
名前の通り男の子で順調に成長しているようだ。
【 】
【男性/30/4/7451・猫人族・バストラル家長男】
【状態:良好】
【年齢:0歳】
【レベル:1】
【HP:1(1) MP:1(1) 】
【筋力:0】
【俊敏:0】
【器用:0】
【耐久:0】
【経験:0(2500)】
姉のマイコとは名前、性別と誕生日以外寸分違わない。
あ、マイコはもう一歳になってるから少し違うか。
小さな手でキャシーの服を掴みながら眠っている赤ん坊の顔を見るとどうしても笑みが溢れてくる。
眠っているのが惜しいくらいだ。
「アルさん、奥へどうぞ」
「ああ」
指をしゃぶったまま珍しそうに俺を見ているマイコを抱いたバストラルの勧めに従ってダイニングに向かう。
ダイニングのテープルにはパンなどの主食の他、小さなコンロに乗った鍋が用意されているだけだ。
俺は持ってきた夕食――鍋の具材をテーブルに広げる。
革袋から取り出された肉類や野菜類はどれもこれも結構値が張るものばかりだが、全て既に一口大に切られ、下ごしらえを終わらせている。
なぜなら、キャシーは農奴出身のご多分に漏れず、料理は得意でないからだ。
出来るのは、せいぜいバルドゥッキーに切込みを入れ、串を打って焼いたり、そのままボイルするくらいだと聞いている。
あと、バルドゥッキーを使ったホットドッグもどきとか。
コッペパンみたいな細長いパンに切り込みを入れて具を挟むだけなのを料理と呼ぶならば、だが。
奴隷階級で料理がまともに出来る者は、貴族や金持ちに使われている料理人くらいのもので、それ以外は僅かに冒険者や軍隊など野営をする事のある戦闘奴隷が多少の料理に通じている程度、というのが一般である。
農村部なら奴隷は主家から配給されるパンを食べるし、料理といえばスープを温めるくらいしか出来ない者が大多数を占める。
都市部でも食事代込みの給料を渡されるだけで、一般的な住まいである安宿には調理設備など無いのが普通なので、自宅で何かを料理する者などまずいない。
つまり、コンロは疎か包丁すら握ったことのない者が大半で、せいぜいスープをかき混ぜたりよそったりするお玉を使ったことならある、という程度なのだ。
バストラルからも自宅には碌な調理器具がないのでコンロから買わなきゃいけなかったと聞いている。
それすらも夫婦揃って共働きなので火すら滅多に入れたこともないと言っていた。
麺屋から持ち出した昆布だかワカメだかを乾燥させた物を鍋に入れ、汲み置きの井戸水を張る。
コンロに火を点け、水が沸騰する寸前に取り出して具材を放り込んで蓋をする。
珍しそうにその様子を見ていたマイコがまだ生の手羽先に手を伸ばすのをバストラルが「まだだよ」と抑えるのを見て心を和ませる。
「葉野菜はあと三分くらいでいけるぞ」
そう言ってマリー渾身の鍋のつけ汁を小丼っぽい器に注いでいく。
これはなまり節や椎茸から取った出汁を煎り酒を始めとする調味料で味を調整したものだ。
べグリッツではたまに鍋も食べるのでレシピは完全に頭の中にある。
でも、なまり節の出汁は、その香りがオースの人には苦手な人もいるのでそういう人のためにゴマダレも用意してある。
「あ、美味しい!」
薄切り豚バラを頬張るキャシーの声に俺も「ああ、これは中々だな」と笑みを返す。
豚バラや牛肉の薄切り(現代の日本とは違ってそんな肉を使う料理などオースには無い。わざわざギベルティに切らせた、本来ならお高いものだ)も入れているので大量の灰汁が出ているが、バストラルは灰汁を掬うのとマイコに食べさせてやるのに一生懸命だ。
豚や牛には骨はないが手羽先も入れているのでかなり複雑で良い出汁が出ている。
銀杏切りにした大根や人参などの根菜にそれが染み込むのは明日の朝になるだろうが、つけ汁にこういう出汁を入れて伸ばしてやると立派なスープになる。
このままだと思い切り和風な感じのスープで、これはこれで旨い。
が、牛乳や山羊乳、羊の乳などで味を調整してやると途端に魚臭さは薄れて洋風やエキゾチックな風味を持つ高級スープに早変わりする。
これが一般的なバゲットみたいなパンにもよく合うんだ。
オースの人たちでこの乳で伸ばしたスープを嫌いだとかまずいとか言った人は今までに一人もいない。
マイコもジュンジも喜んで飲ませてもらっている。
鍋の具も、肉類を中心にだいぶ減ってきた。
そろそろいいだろう。
……と、その前に。
キャシーを【鑑定】してステータスの状態を見る。
当然のように【状態:良好】だ。
だからと言って油断は出来ないんだけどさ。
「あと半年もすればジュンジの首も据わるだろう。来年はべグリッツに来れるんだよな?」
左手に小丼、右手に菜箸を持ったまま言った。
「ええ。勿論ですよ」
バストラルの言葉にキャシーも頷いて「ジュンジの件で色々とご迷惑をお掛けしました。べグリッツへ行ったらサージ共々それを取り返せるように働きますのでどうかご容赦を」と言ってくれた。
「うん。わかったからもう気にしないでくれ。君らが来る頃には北ダートの大部分に鉄道網が敷かれているはずだ。流石に日帰りは厳しいと思うが、西ダートから東ダートまで、往復も結構楽に出来るぞ」
遅くとも来年の春先には各領地の領都にしか停まらない特急列車の運行が開始する予定だ。
そうなるとべグリッツからラムヨーク(エーラース伯爵領都)まで最高時速二〇㎞程度の馬車鉄道でも半日もあれば行くことが出来るようになる。
動力が馬車から内燃機関に変わってもっと速度を上げられれば、単位時間あたりの移動距離はもっともっと増え、人も、物も、金も活発に動くようになる。
人口ばかりはそう簡単には行かないだろうが、それでも北ダート全体の人口は二〇万人に迫る。
おまけに優良な農地にも恵まれているし、鉱山だって近い。
王都と比較すればちょっとだけだけど、海にだって面している。
王都よりも大きな経済圏だって確立できるはずだ。
・・・・・・・・・
7451年12月27日
午後。
王都から南に向けて行われている線路の敷設工事現場の視察に赴いた。
現在、この王都方面からの工事はべグリッツにある工務店、アイアンボイル商会の商会長兼親方である山人族のバックス・アイアンボイルを総監督として任命している。
彼の下で現場で励む工事チームは六チームあって、合計二〇〇人弱が工事人夫として労働している。
ちなみに以前工事現場で人身事故を起こしたマークス・ロビゴルという虎人族は、希望していた監督ではなく、単なる工事人夫としてこちらの王都の工事チームに配属させている。
身分は領主である俺の借金奴隷ではあるが、工事人夫たちの間に「人身事故を起こし、その治療費と傷害の罰金を負わせられた元平民の借金奴隷」だと大々的に喧伝してやったので奴隷なのに西ダートから出ている事についてはあまり触れられなかった。
勿論、俺の領土である北ダートを出る際を始め、各地の関所などでは足止めを食った、とも聞いているが、アイアンボイルに預けていた俺直筆の釈明書を見せた事で無理やり通させていた。
ああ、当然、釈明書とかそんな物は法律で定義などされていない。
要するに「文句があるなら直接グリード侯爵まで言って来い」という事を少しばかり丁寧に書いただけの書面だ。
勿論、王国の法に反している。
立派な犯罪だ。
だが、それを国王を含む通行地の領主に訴えたところで、そもそも大した罪でもない。
俺の上位者である国王に訴えたら公開裁判はともかく、罰金刑くらいはあるだろうが、恐らくは高くても数十万Z、と言ったところだと思う。
大規模な街道工事の人夫として連れて行く必要があると主張されているだけの借金奴隷だし。
しかも元々は国内を自由に往来可能な資格を持つ平民で、借金さえ返したなら解放される立場なのだ。
更に言うと、工事現場で人夫として労働させられているなら長くても数年くらいで解放されるのは確定しているとも言える。
ついでに、「そのために工事現場で働かせているのだろう」くらいのことは関所に詰めている騎士なら誰でも気づく。
誰だってそんな事で侯爵閣下に睨まれたくはなかろう。
あ、当たり前だけど、マークスを俺の戦闘奴隷という立場にして警護として一緒に行動するなら違法でもなんでも無い。
侯爵なら数百人どころか千人を超えていたとしてもOKだし。
でも、小さな犯罪を犯すことになろうともそれはしたくなかっただけだ。
さて、マークスの野郎はしっかり働いてるかね?
現場仕事以外の意味で。
あれから一年半。
うまく毒を振りまいてくれているだろうか?
まぁ、乱波については国王が全く触れていなかったので奴にも忠誠心とか自制心、はたまた少しは先の事を考えられる頭があったのかもしれない。
俺にしてみればどちらでもいいけれど。




