第四百二十話 王国総軍会議 2
7451年12月25日
「来年の前半中にはダート平原の南東部、エーラース伯爵領の南部について完全に征服する予定でおります……」
グリード侯爵は事もなげな調子で言ったが、国王を始めとする全員は黙ったままだ。
「……この南東部ダート地方ですが、エーラース伯爵領から南にデーバスの勢力圏を越えた所にあるラスター連峰までを南限とし、東限はエーラース伯爵領の東限をそのまま、西限はギマリ要塞までと定義します」
当然ながら北限はエーラース伯爵領との暫定国境になる。
「その範囲には村が一〇あるとのことです。人口は合計して七〇〇〇という所らしいですが、我が国のように出生後の命名時に人別帖が作成されてはいないようで、偵察員の推測が多分に含まれています。ですので実態とはプラスマイナス一〇〇〇から二〇〇〇くらいの開きを見込んでおく必要があるでしょう……」
実際のところは各村五〇〇から一一〇〇という人口であり、合計人数は八〇〇〇人を僅かに超えている。
また、仮にロンベルト王国と同様に人別帖の作成を神社に委託していたとしても、それを見る事は叶わないので結局は偵察からの推測になる。
「……なお、一〇ケ村のうち神社が存在する村は二つだけらしいので後の事を考えずに滅ぼすだけなら長く見てもひと月も要りません。ですが、今回は全ての集落に対して占領、及びその後の同化政策を行うつもりでおりますので、短くても数カ月は掛かるでしょう……」
その間に占領地における反抗の芽を摘み取り、完全に平定した事を確認しなければならない。
「「……」」
侯爵の話を耳にした王国軍の幹部は揃って同じ事を考えていた。
侯爵の力をもってすれば、たとえ広範囲に散らばっている一〇ケ村と言えど占領自体は叶うだろう、という事だ。
だが同時に同化政策が効力を発揮する迄の期間については疑念を覚えざるを得ない。
他国の勢力圏下であった占領地を自国勢力へと組み入れる事自体は珍しくはないし、むしろ当然と言える。
ダート平原内に限らず過去には他の土地でも散々行われてきたし、外国からされた事だってある。
しかし、その場合、それまでその土地を管理していた外国貴族は皆殺しにするか、良くて捕虜として人質だ。
それはよくある話なので良いとしても、同化政策自体は苦労することも多い。
勿論、過去にロンベルト王国に所属していた歴史があるとすんなりと行く事も多いのだが、今回話題になっている一〇ケ村は一つの村を除けば今迄に一度としてロンベルト王国の勢力下に置かれた歴史はない。
そういった土地を占領した場合、数年も掛けて根気よく同化させるか、村の主要人物を村民達の前で皆殺しにし、無理矢理にでもご主人様が変わった事を思い知らせるしかない。
敵勢力に与していた期間中、余程の悪政が敷かれていたのであればいざ知らず、大抵の場合は善政とまでは言えないまでも普通に治められていた事が多い。
そう言った場合、村を治めていた貴族や従士などは例え己の持ち主でなかったとしても慕っていた者も少なくはないのだ。
つまり、生まれながらの奴隷とは言え、力ずくで占領してしまえば、慕っていた者達を殺された恨みから来る反抗心や反逆心を心の奥底に持ったままの者だって多いのである。
それらを考慮すると……。
「幾らなんでも数カ月というのは考慮に値しないほどの短期間だ」
という事になる。
「なお、占領した全ての土地からは貴族か、平民か、自由民か、奴隷であるかを問わず全ての戦闘可能な男性のうちから八割と戦闘可能な女性の半数を徴用し、戦闘奴隷として南方総軍へと組み込むつもりであります。一ケ所でも徴用を行えれば、以降は基本的に戦闘奴隷を戦闘の矢面に立たせます……」
地球では中世以前、古代に遡ってもごく普通に行われていた当たり前の政策だ。
しかし、ロンベルト王国やその周辺――オーラッド大陸の西部では一般的ではなく、もう少し東の方でないとそういったやり方は行われていない。
例えば、北方の雄、キーラン帝国などがそれに当たる。
「その際には戦闘奴隷を纏められるような力量を持った者は可能な限り最前線に配置し、戦死を狙います。こちらの命令に対するサボタージュや反抗には占領地に残してきた家族や縁者を人質として使います。また、そういった行動に対しては督戦隊を以って当たらせるのも効果的かと存じます……」
侯爵は眉一つ動かさず、毛の一筋ほど表情を変えないまま言い放つ。
あまりにあまりな言葉に全員が絶句した。
だが、このような戦法は地球においても古代から中世、場合によっては近世になっても行われた例は枚挙に暇がない。
近代、現代になってもそういった事例は多い。
例えば、ベトナムやアフガニスタンなどでは捕らえて捕虜にした敵兵を殆ど丸腰のまま地雷原に追い立てたりした記録がある。
捕虜に処分させるのが彼らの旧所属勢力の敵兵なのか、旧所属勢力が設置したり保有している軍事資産かが異なるだけで性格としては全く同一である。
また、督戦隊については敵から得た捕虜だけではなく、自国民や支配地域から徴用した兵に対して督戦させる事も多いため、厳密には異なるが似たような例だと第二次世界大戦は勿論、それ以降でも行われた歴史がある。
降伏してきた、または占領地で得た捕虜を食わせていくのが大変だからと一息に全員殺してしまうよりはマシであると言わざるを得ないが、所詮は五十歩百歩だ。
自軍の戦力や軍事資産の消費を抑えられるので、近世くらいまではこういった行為を全く行わなかった勢力はゼロに等しいとも言えるだろう。
「それは……」
絞り出すように国王が何か言いかけるが、侯爵は丁寧にそれを無視した。
「……そういう事を何度か行っても、その中で生き残るだけでなく手柄を立てる者も出てくるでしょう。そういった者にはきちんと褒美を与え、場合によっては奴隷から解放して軍の指揮官として正式に軍に迎え入れる事もあると思います……」
近代以降、こういった事はまず行われていないが、それ以前は戦闘奴隷にした元敵対勢力所属者を金品や人質、はたまた好みの異性を与えるなど、籠絡することで自軍勢力へ引き込む事は結構頻繁に行われていた。
勿論、近現代でも捕虜や占領地になる前の敵対勢力に対する調略は常に行われている。
小は個人や部隊単位、大は国家単位で寝返らせたり、それを狙う行為は珍しくはないだろう。
――この程度の事で不愉快になる……か。以前に感じた事もあるがこの辺りの人って一本気、いや、ええ格好しいなのか、変な正義感を持つ人が多いよな。
ある意味でブーメラン的に皮肉な事を思いながらも侯爵は続ける。
「占領を済ませた各村に対して割く人員については、現役の軍人である王国軍や私配下の郷士騎士団からの異動は最小限に抑え、私の出身地からの移住者や冒険者時代からの部下などに行わせるつもりでおります……ああ、一ケ所あたり一個分隊程度の人数も居れば急な連絡事項が発生しても問題ないでしょうから充分かと」
加えて、実験的に一ケ所か二ケ所程度は占領地から徴用した人員に任せる腹積もりである事も付け加えた。
「……それと並行して、いえ、占領の進行度合いによりますが、五ケ所か六ケ所まで占領した段階で中南部ダート地方、ドレスラー伯爵領の南部に相当する中南部ダート地方についても侵攻を行います。こちらはギマリ要塞を本拠としてそこから西へと進みます……」
こちらの土地についても同化政策を実施して、出来るだけ生産人口へ影響が無いように配慮する。
「……順調に進むのであれば、中南部ダート地方についても秋が深まるまでには占領が叶うであろうと予測しています。また、うまく行ったのであれば年末を目処に中南部のダート平原の南端か、そこに近い場所にある適当な村を一つ潰してギマリと同等規模の要塞を建設します……」
来年中に行う侵攻について説明を終えた。
尤も、侯爵にしてみれば、この驚異的とも言えるほどの進行速度ですら控えめな表現であり、可能なら来年中にはダート平原の南部については全て手中に収めたいとも考えていた。
今は公式の場なので、取り敢えず確実に達成出来そうな所に抑えているだけだ。
――突っ込まれなかったし、調子に乗ってたからつい過程目標から先に言っちまったけどまぁいいか。
「ここで話を戻しますが、当初、デーバス王国に対して私はダート平原の南半分についての割譲を賠償……戦争回避の条件としてデーバス王国に突きつけました。同時に同要求に対する交渉の拒絶及び断った場合の実力行使も通告しています」
この、現在進行中の戦争に於ける最終目標自体は以前より報告を行っているが、総軍会議の場でもあるので本来なら「現在進行中の戦争」の項目に入った一番最初に言うべきだった。
それはそうと、国王以下の全員が苦笑いになる。
いきなり最後通牒を突きつけたも同然だし、条件の交渉それ自体の拒否は市井のやくざ組織同士の抗争にも近い、とても野蛮な行為だからである。
つまるところ、「お前らデーバス王国は俺の妻になる女を拐った。許せない。でもダート平原の支配を諦めて正式にその全域を俺様に献上するなら今は勘弁してやるよ。あ、値切りとか一切認めないし交渉とかも受け付けねぇから。断ったら力ずくで奪うつもりなんでそこんとこ夜露死苦」と言っている以外の何物でもない。
しかも誘拐の証拠一つ提示せずに。
事実無根でも濡れ衣でもないし、言われた方もそれを承知しているが、数少ない当事者以外の第三者から見れば完全無欠のイチャモンであり、脅迫でもある。
言われた方は激怒する以外の対応は無いのだ。
この内容については侯爵からの報告よりも前にデーバス王国に対する領事であるゲークラズニ伯爵から齎されており、その際に驚きの感情は使い果たしてしまっていた。
尤も、驚こうが暴走や先走りを戒めたかろうが、侯爵は王国の南方総軍の司令官である以前に自前の領土を構え、戦力を保持する大貴族である。
戦争行為が王国を巻き込まず侯爵の領土と戦力のみで賄えるのであれば、たとえ国王であろうと部外者である以上、文句を言える筋ではない。
まして、現時点では順調に推移しているとあれば、余計に何も言えない。
せいぜい、侯爵本人がいない場所で「あれは品のない挑発的且つ野蛮な行為で貴族らしからぬ」と謗るくらいしか出来る事はないだろう。
「ラスター連峰以北をデーバス側で治めているのはガルドゥールという伯爵とデーバスの三公爵家の一つ、ストールズ公爵だそうです。私が調査したところ、このガルドゥール伯爵家はストールズ公爵家の分家にあたるようですが、分かれたのはかなり前のようで、現在では全く別の家とも言えましょう」
侯爵の言葉に全員が頷く。
「一〇ケ村の西側六ケ村はガルドゥール伯爵領に属し、東側の四ケ村はストールズ公爵領に属しています。まずは最東端に位置するフィヌトという村を攻略するつもりでおります。攻撃開始は来年の四月後半を予定、戦闘開始後三時間内外で完全占領します。捕虜は取りませんが、逃げる者は追いません。むしろある程度の人数はそのまま逃がすつもりでいます」
捕虜を取らずに占領はする。
その言葉が示す意味。
しかも戦闘開始から三時間で占領を完成させるというのだ。
一体どれほどの凄惨な光景が繰り広げられるのか。
その具体的方法も述べられてはいないが誰もが“彼が言うからには出来るんだろうな”という感想を抱いている。
また、侯爵によると、逃した民がロンベルト王国の恐ろしさを喧伝してくれることを狙っているという。
侯爵はその御蔭でその後別の村を攻撃する際の脅しになるし、降伏勧告も受け入れられやすくなる筈だと主張しているが、そのような考え方をすること自体が今まで無かった新しい戦法でもある。
取り逃した相手方の民衆や兵士が結果的にこちらの強さを喧伝してくれたという事はあったが、最初からそれを狙う、という点には感心はともかく一定の効果が得られる事については否定の余地は無かった。
なお、占領後、同フィヌト村には過日のタンクール、デナン、キンケード村に対して行ったように耕作地を取り巻くように土壁を作成し、取り急ぎ砦にするが、最終的にはミューゼのように石造りの壁に作り替え、城塞を目指す事が伝えられた。
「とんでもないな……」
王国第二騎士団を指揮するヴァルモルト准男爵が誰にも聞こえないほどの小声で呟いた。
外征や防衛の主戦力を担っている第二騎士団を預かる准男爵としては侯爵の言う“予定”とやらについては常識的に無謀なものにしか感じられないのだが、それでもきっと出来るのであろう、という予感がしたからだ。
侯爵の声にはそう感じてしまう程にこれから先に起こるであろう事実を淡々と話す抑えの利いた抑揚と、自信が溢れるような口調が混ざり合っていたからである。
仰々しい喋り方をすることで「もしかしたら」と思わせ、どこかインチキ臭い雰囲気を漂わせる預言者ではなく、未来に起こるであろう信じがたい出来事を単に昨日あった、誰でも知っている事実であるかのように喋る姿。
しかも、どうやって実現するのか具体的な手法や戦法には殆ど触れないまま話を進めるのだ。
尤も、現時点でそれを尋ねたところで、体よくはぐらかされるであろう。
だが、彼は既に複数の実績を打ち立てている。
それ故に大言壮語と切って捨てることも出来ない。
国王や城軍尚書といった王国それ自体の最高幹部を除く各騎士団長達は改めて侯爵に対する認識を新たにする。
「では、次に……」
デーバス王国との戦争計画。
殆ど夢物語に近い内容ながら、ここにいる全員がヴァルモルト准男爵のように“きっと実現させ……てしまうのだろう”と戦慄していた。
そして、同時に「恐ろしい」という感情の発生をも認めてしまうのであった。




