第四百十八話 図版
7451年12月24日
早朝。
少し重い頭を振ってベッドから身を起こす。
はぁ~、昨晩は久々に兄貴やバークッドの従士のみんなと沢山話せた事に浮かれ、食べて飲んで大はしゃぎしすぎた。
流石に寒いので服を着替えてから洗面器に水を張り、顔を洗ってランニングだ。
「「おはようございます、ご主人さま!」」
「ああ、おはよう」
川べりの土手を走っていた奴隷のガキ共に追いついて合流する。
ズールーやマール、リンビーなどに憧れて戦闘奴隷になりたがっている奴もまだいるらしいが、ジョンやテリーのように俺に命じられているから仕方なく(多分)走っている者が大半だ。
それは別にいい。
若いうちに運動しない奴ってのは体力が付かないから、何をやらせても将来的に困る事が多い。
俺は健康で人一倍働ける、高値で売れる財産を作るために奴隷たちを走らせているのだ。
決して彼ら彼女らの将来を心配しているからじゃない。
ついでに言えば、彼らとコミュニケーションを取るごときの為にちんたら走りたい訳でもない。
こんな速度じゃとてもトレーニングにはならないからだ。
なので、さっさといつも通りまでスピードを上げて引き離しにかかる。
「あっ」
「速……」
戦闘奴隷を目指してるとか言ってた奴らも他のガキ共と仲良しこよしでゆっくり走ってるなら永遠になれっこない。
バルドゥックのボイル亭から出発し、外輪山を半周してから戻ってくる全長二〇㎞程度のランニングコースを二時間以内。
これが俺の奴隷から戦闘奴隷になる為に必要な切符であることは変わっていない。
二〇㎞とは言え、平地でもなければ舗装路でもない上に、アップダウンもあるこのコースを二時間以内ってのは、それなりに高いハードルだと思う。
尤も、距離が距離なので、一定以上の健康的な肉体を持ち、平地でアップダウン無しでもそれなりの速度で同じような距離を何度も走ってさえいれば、どんな種族、性別でも死ぬ気で走れば多分何とかなるのがポイントだ。
遠くの方にランニングをする人影を見つけた。
大して速くはなかったので簡単に追いついたらデーニック、ラシュハッド、ガレイン、ダブリンら、べグリッツの騎士たちだった。
遅いが、王都出張中でもちゃんとランニングを続けているのは良いことだ。
すっかり習慣化……あ、騎士団員には全員毎日騎士団本部の訓練場三周(約一二㎞)以上のランニングを義務付けていたんだった。
ガキの奴隷たちよりもかなり短い距離でしかないが、騎士団員は訓練やなんだで他に体を動かす事は多いからね。
それに、毎日このくらいの距離を走らせていれば、何をどんなに食っても不健康になることはないし。
「おはよう!」
「「あっ、おはようございます!」」
「遅いぞ、もっとスピードを上げろ!」
そう言い残し、四人をぶっちぎる。
うしろから「げぇ」とか「無理っスよ」などの泣き言が聞こえてきたが知らん。
遠くの方にマールとリンビーのものらしい二人組が見えるが、流石に距離はなかなか縮まらない。
よしよし、それでいい。
ひと汗掻き、さっとシャワーを浴びてさっぱりすると朝食だ。
今日は、贅沢に牡蠣のオイル漬けを入れた麦粥を味わう事にする。
生姜で味を整えられ、流石は王都の店が出す朝食だという感じがしてなかなか良い。
麦粥を掻き込んで店を出ると、兄貴とばったり顔を合わせた。
「おう、飯食ってたのか?」
「おはよう。うん、そこの店のポリッジが結構旨いんだよ。兄貴は走ってたの?」
「ああ、軽くだけどな。じゃあ俺たちも今朝はあの店にしてみるよ」
昨日話したが、兄貴はまだランニング中の魔術使用について諦めずに挑戦を続けているという。
まぁ、あれをそう簡単にマスターされたら流石に俺の立場がないが……そうか、あの兄貴でもまだ無理なのか、とかなり残念な気持ちになってしまった。
なぜなら、あの兄貴があれだけの時間を掛けて訓練しても出来ないなら、息子もそう簡単にはマスター出来そうもない、ということに思い至っちゃったからだ。
それはそうと、もう俺の休暇は終わっている。
今日はまだ残っているガラス製品の製造を行わなければならないし、午後は兄貴と一緒に甥っ子の顔を見に行く予定だ。
・・・・・・・・・
午後。
何とか全てのガラス製品を作り終えた。
店内に顧客がいないタイミングを見計らって思い切り伸びをし、首をコキコキとさせていると兄貴が顔を出してきた。
着替えてから二人で仕立て屋ハミルへと向かう。
早いもので、マルツももう二歳か。
俺の方はお土産として相変わらず西ダートで作られた上等な糸を持っていく。
兄貴はバークッドのゴム製品らしい。
今年は食器だという。
マルツの年齢を考えたら叩こうが投げようが壊れないゴム製の食器はいい選択だろう。
因みに哺乳瓶は姉貴がまだ妊娠していた頃に王都で売っていたのを買っていたらしく、既に持っているから贈ってはいない。
久々に会ったがマルツは俺も兄貴の顔も覚えていなかった。
誰だコイツら、というような面をして親父さんであるマーティーさんのズボンを掴んでいた。
当たり前と言えば当たり前だけど、少し残念な気持ちになる。
一時間ほどで切り上げて寒空の下、二人で店へと肩を並べた。
「お前、もうガラスは全部作り終わったのか?」
「うん。貰っていた注文分は全部作り終わったよ。今は注文分毎に梱包をしているところだね」
「……そうか」
それっきり兄貴は黙ってしまった。
ありゃ、これは、兄貴もガラスが欲しかったのかな?
そのくらい作るのは吝かではないが、しっかりと梱包するとは言え、バークッドまで壊さないように運ぶのは大変だろう。
まあ、ちゃんと梱包しているからそう簡単に割れたり欠けたりはしないだろうが、輸送に慣れてどの程度の揺れまで大丈夫なのか理解していないなら御者は心労で倒れてしまうかもしれない。
「疲れているだろうが、もう少し作っておかないか?」
「え?」
やはり。
兄貴がどうしても欲しいと言うなら、もうひと踏ん張りしてもいいさ。
「いや、注文書を見て驚いた。国内の上級貴族や大手の商会、更には外国の商会とか錚々たる顧客筋だからな」
「……?」
「納期やデザインなどで無理を言われるんじゃないか?」
「ああ。そういう事はあんまりないみたい。少なくともレイノルズやヨトゥーレンたちからはそういう事を言われて困った、という話は聞いてないよ。そもそも初めて来たお客さんには“納期は年末になる”って必ず伝えているから」
どうも実家の分をくれ、ってのは違うようだ。
「今まではな。それで良かったのだろう。だけど、これだけ広まったらどんな事情を抱えた客が来ないとも限らん」
「というと?」
客の事情? そんなん知らんがな。
地球でだって数百万円もするような高価値な商品をその場で支払うのはともかく、その場で持ち帰れる物なんて……宝石や腕時計ならあるんだろうか? そこまで高価な物を買ったことはないので知らないんだよな。
とは言え、確かに兄貴の言う事も尤もだ。
「例えば、俺みたいな立場の下級貴族が何らかの事件に巻き込まれ、上級貴族に解決を依頼したい、という事があるとする」
「うん」
「そんな時ってのは急いでるもんだろ?」
「あー、そうだね」
「そういう時に手土産としてガラスのコップなんかを持って行って差し出せれば頼まれた上級貴族も首を縦に振りやすくなるとは思わないか?」
「……確かに」
簡単に言えば賄賂として使い易いってことか。
俺としては賄賂という存在は素直に受け入れ難い気持ちもあるが、兄貴はそうでもないようだ。
「そういうのとは別に、贈り物なんかにも需要があるだろう。例えば、貴族同士の婚姻の贈り物とか、結婚して何十周年の贈り物なんかが考えられるな」
それなら納得だ。
そういうのは、品物が大事なのは言うに及ばず、その当日に贈れるかどうかも非常に大切なポイントだ。
そんなもん予め見越して発注しておけ、と言うのは記念日だとか誕生日だとか元々予定が判っているものだけだ。
快気祝いや就職祝い、開業祝い、叙爵や襲爵に伴う昇進祝い、はたまた上棟式、竣工式、落成式なんかも機会は多くないだろうがある。
それに、急な結婚だって少ないが無い訳じゃないし。
そういう時に無体を言ってくる貴族とか、物語なんかではある意味定番だろう。
それ以前に、無体を言う貴族だって本人的には緊急時なんだし、別に言いたくて言う訳でもないと思う。
特にこのグリード商会は侯爵である俺の直営だし“言うことが聞けないなら危害を加えてやる”などという、俺に直接喧嘩を吹っ掛けるような事は流石にない……んじゃないかな?
または、板ガラスはともかくとして、グラス類なんかはデザインも無視できない要素だ。
過去に購入実績のある信頼できる顧客などから、再度の発注に当たりどうしても別デザインのサンプルが見たいので見せてくれないか、とか頼まれたりなども考えられる。
そういう時用に少数のサンプルも置いていたが、姉ちゃんに強奪されたっきり補充してないからね。
「沢山作っておく必要はないと思うが、多少はそういう特別な在庫を持っておかせてもいいんじゃないか?」
「そうだね」
やっとしんどい作業が終わった、と思って解放感に浸っていたのだが、これはもう少し労働が必要な事案だな。
誠に面倒臭いことこの上ないが、サンプルってのは必要なものだ。
店に帰った俺は、在庫分として二〇枚の板ガラスと一〇脚のワイングラス、一〇脚のタンブラーを追加で作った。
板ガラスはともかく、グラス類は当然二脚づつデザインは変更している。
数から言って本当に少しではあるが、これで俺がいない間の急で無体な要求に応えられるだろう。
何も普段から展示しておく必要もないし、在庫ありと宣伝する必要もない。
例えば国の機関や上級貴族、他国の大使館などから本当に急ぎの入用などで無理を言われたりした際に使うためのものだ。
幸運にもそういう事がないのなら、別に一年間店のバックヤードで眠らせておいても問題ないんだし。
・・・・・・・・・
夕方。
王城内にある第一騎士団の本部内。
実は昨日から本部内はてんやわんやの状況が続いていた。
あまりの仕事量に帰るに帰れず、徹夜をしている事務官も多い。
こういった状況はこの第一騎士団のみではなく、第二から第四までの各騎士団の本部でも事務官が総動員されて上を下への大騒ぎになっている。
理由は、明日に迫った王国総軍会議の資料作成の為である。
王国南方総軍を預かるグリード侯爵は、一度見せているし、あれから一年も経っているのだからもう良いだろうと昨年作成した“侯爵としては当たり前の報告書”と同レベルの物を提出していたのだ。
それを見た国王はいたく感心し、「そなたらもこの程度の報告を行って欲しいものだ」と言った事でこの騒ぎへと繋がったのである。
勿論、各騎士団長連中も無能からは程遠い人材が揃っているので、全員で予め相談しあって今年からは今まで以上に充実した内容にするべく努力を重ねてきた。
その結果、当然ながら今までの十数ページ程度の報告書からボリュームは何倍にも増えている。
しかし、悲しいかな、昨年グリード侯爵が作成していた報告書は提出されないまま回収されてしまっていたので「お手本」となるような物は存在しなかった。
当然ながら騎士団長達は額を寄せ合って「この項目があった」だの「ここはこういう形で書かれていたはず」だのと各騎士団でフォーマットや項目の統一も図られているのだが、抜けは少なくない。
ボリュームも大幅に増えていたとは言え、多い騎士団の報告書でも五〇ページ程度に過ぎず、昨年侯爵が提出しようとしていた報告書の半分もない。
それは騎士団長達も理解してはいたが、この形式どころかここまで詳細な内容の報告は初めてなのだし、そもそもお手本もなく、四人もいた上に幾らショックを受けていたとは言え記憶を手繰っての項目選定である。
だいたい、予め国王から命じられていた訳でもない以上、今年は“あの侯爵が提出して来るであろう完璧な報告書”と比較されて叱責を受けるのも仕方ないものだと考えていた。
何しろ彼らにしてみれば数年前からのデータを漁り、表組みにする事自体が殆ど初めての経験なのだ。
その報告書も侯爵が王都に到着する少し前に完成していた。
しかし、昨日になって侯爵から提出されてきた南方総軍の報告書。
それは昨年末に騎士団長達が目にした物と、内容自体は似ていたが、新たに図版が取り入れられていたのだ。
チャートである。
棒グラフや折れ線グラフに円グラフ、項目によっては蜘蛛の巣グラフや積み上げ棒グラフ、そしてそれらの複合など、多岐に亘る解り易い図版が多く採り入れられていた。
一つひとつ、表の細かな項目を追わずともひと目で推移や状況が理解しやすいグラフを国王は大変に気に入った。
そして、
「全部とは言わんが、項目ごとの会計や騎士団員の種族や性別、年齢の人数推移くらいはこういう図版が欲しいよな」
と言ったのだ。
当然ながら各騎士団長達も各種の図版については、こんな手法があったのかと大いに驚くと同時に感心した。
今更報告書の項目数を侯爵の報告書と同等まで増やすのは調査時間もないしどう考えても無理だ。
しかし、表組みのあるページに図版を挿し込むことは可能である。
各騎士団長は王国の常設軍と言えば聞こえは良いが、平たく言えば国王であるロンベルト公爵家の私兵だ。
騎士団長ともなれば、ボスである国王の意向に添うのは当然であるし、義務でもある。
そして、今の状況となった。
ならざるを得なかったのだ。
勿論、グリード侯爵に抜かりなどある訳もなく、お手本となる南方総軍の報告書は総軍会議の参加者全員分が作成され、配布を受けている。
「これ、棒の長さは横の目盛りに合わせてあるのは当然として、目盛りも揃っているように見えるな」
「専用の定規を作ったんだろうな」
「ええ。ですがこういう図版なら目盛り幅とか大した問題ではないのでは? 本質は目盛りに記載された数字と棒の長さが合っているかですよね?」
総軍会議は明日の昼から開催される予定だ。
果たして会議までに人数分の図版を用意できるのであろうか?




