第四百十三話 良い取り引先
7451年12月20日
ロンベルティア行きの乗合馬車、その最終便に首尾よく潜り込む。
今の時刻は午後六時を少し過ぎたくらいで、辺りはもう真っ暗闇に近いと言ってもいい。
カンテラの柔らかい明かりが幻想的に街を照らしている。
勿論、高価な品の代表である透明なガラスをカンテラ如きに使うなどあり得ないのでクロムが抜けきらずに緑がかった光だ。
中で灯されている明かりも魔導具のそれではなく、獣脂か植物油を利用した自然の炎だよ。
ちらちらと揺れる緑色の光はそれだけ見ると綺麗だとも言えるだろうが、この真冬の真っ盛りの気温だとどこか冷たいようなイメージも感じられる。
「では閣下、ご機嫌よろしゅう。我々は年が明けましたらひと月内外でバルドゥックを発つつもりでおりますので……」
「ああ。よろしくな」
パーティー総出で頭を下げる黒女神に、たまたま乗り合わせたどっかのおっさんと御者が吃驚していた。
乗り心地の悪い馬車、その荷物入れ兼用の小樽を流用した椅子に腰を降ろし、背の低い背もたれに体重を預けた。
「黒女神を丸ごと抱えるんすか?」
広場から少し離れてからバストラルが言った。
「ああ。本当に警備の手が足りなくってな。馬車鉄道は図体もデカく見えるから魔物の襲撃についてはあんまり心配してないんだが、盗賊はそうもいかんからな……」
とは言え、ダート平原の中を根城にしているような、根性があって、尚且つ戦闘力も高い盗賊なんて一人もいない。
根性はともかく、そんなレベルで戦闘力が高いのであればもっと良い稼ぎ口には困らないだろうしね。
そして一般的な盗賊だとか野盗なんてのは、実は不作なんかで困った近隣で暮らす普通の農民なんかであることの方が圧倒的多数を占めるのだ。
従って、ダート平原の恐ろしさについてよく知る農民が平原の森なんかで野盗化するなどまずあり得ないし、土地自体がかなり肥えているので不作って事もあんまりない。
ダート平原だと働き口など労力さえ惜しまないのであれば幾らでもあるし、どこかで食い詰めた流れ者なんて、そもそも街や都市などある程度人口が集中する場所にしかいない。
それでも居るとしたら冒険者や騎士団員崩れの犯罪者だろうが、それだってわざわざ危険なダート平原の森の中で暮らすバカなんか居る訳がない。
人目につきにくく、街道を通る商人なんかを襲い易い森なんて他に幾らでもあるからだ。
その他、大抵の魔物なんぞ、犬か、良くて猿並の知能しかないので連結された鉄道車両を見てもでっかい一匹の魔物にしか思えないし、馬車鉄道のように自分よりもずっとでかいのを襲うような魔物は……居ない訳じゃないが、いわゆる大物って奴しかいない。
そして、大物なんてのは体がでかい分、遠くから発見もし易いから、予め速度を上げておく事で振り切るのも楽なのだ。
ついでに、大物と言われる魔物で集団生活をしているのなんてトロープ・オリファントくらいのもので、そのトロープ・オリファントにしても、普段は危害を加えるか、自分の群れに狙いを定めていそうな相手にしか攻撃しない、魔物としては温厚な奴だ。
まぁ、例外としてラミアとかケンタウロスなんかは群れている上にホブゴブリンやオークなんかよりずっとマシな頭脳をしていると思われるので、襲われる可能性はある。
が、それにしても貨物列車はともかく、乗客が乗っているなら数も多いので最初から寄って来ない可能性は高いと思っている。
何にしても魔物はともかくとして、ダート平原を外れると盗賊のほうが怖い。
多少でも頭の回る奴がいて、しっかりと観察していたなら、鉄道の弱点は線路から外れて走るのが難しい事にはすぐに気がつくだろう。
置き石程度なら車両や車輪の前に丈夫なスカートを取り付けている(馬糞がレールの上に残らないようにする為にも必須なのだ)ので、余程大きな物でないなら弾けるだろうが、大きな石や倒木、それこそ牛馬や人間なんかが線路上にいると停止せざるを得なくなる。
と、言うか、そんなもん馬の方が勝手に止まっちゃうし。
そこを集団で襲われたら……。
怖いのは知恵なのだ。
「そうすると、工事人夫以外に警備員としての移住募集もするんですか?」
「うーん、それなんだけどな。大々的に募集すると碌でもない奴ばっかり来そうな気がしてなぁ……」
「ああ、バルドゥックの冒険者とかクズばっかですからね」
本当にそうなんだよな。
良い稼ぎを上げている上の方は、パーティーの指揮や規律の大切さなんかについてある程度理解している者も増えてくるが、三層にすら行けない程度の有象無象になると己の事のみしか考えない、というのは言い過ぎだが、自分中心でしか考えられない奴が圧倒的多数派を占める。
ま、有象無象の大半が経験も少ない若い奴らばかりなのでしょうがないと言えばそうなんだが、そういうのにわしゃわしゃと来られてもトラブルの種にしかなりそうにないんだよね。
基本的に迷宮冒険者なんてのは荒事しか出来ず(又は、それに憧れて)一般的な冒険者になり切れなかった者が多いんだし。
「だろ? 西ダートのヴァーサタイラーなんかもう殆ど残ってねぇよ。その他の領土でも商業運転の路線が増える度にどんどん減ってる。俺の領地は今のところ余程の事でもない限り全ての集落に鉄道路線を敷くつもりだからまだいいけど、これが王都まで伸びることを考えるとな……」
「そうですね。他の領地の冒険者も減っちゃうくらいならまだしも……」
「うん……」
ここで心配しているのは他領の治安の低下だ。
ウチの商会には就職せず、そのまま冒険者を続ける者だってそれなりに残るだろう。
しかし、ダート平原内は全部の集落を結ぶ事になるから環状線だの本線から枝分かれした支線だのについては充実させるから良い(その分運転する便数は増えるので警備員は沢山必要になる)として、ダート平原から王都へ向かわせるのは今のところ主線だけだ。
つまりダート平原から王都に向けては主線しか通さないのでダート平原内を行き来する便数と比べればその数は圧倒的に少なくなる。
そして、そのどれもが長距離便になるので途中の土地で警備員を雇うメリットもまた少ないのだ。
勿論、開通工事中は主線の各所で多くの工事チームが敷設工事に励む事になるので警備員もそれなりの数が必要になる。
だが、工事が終わってしまえば維持メンテナンスの工事チームしか残さない。
当たり前だが、工事チームの数は激減する事になる。
工事人夫の主戦力となるであろう奴隷はその土地土地で募集するので工事が終わってしまえば優秀な者以外は馘首するんだが、その後も食わせて行くのは持ち主の責任になる。
とは言え、土地によっては人余りかも知れない。
そんなのが野盗化する可能性はある。
更に、工事警備の仕事が減った冒険者――しかも数年間は工事警備という楽な業務でスポイルされた人材と化している可能性がある――は、人数の多寡はどうあれ必ず一定数は野盗化すると思われる。
要するに、ここに線路が開通するまでの期間はともかく、開通以降ダート平原と王都までの間は野盗が多数出没しかねない土地となってしまう可能性がある。
工事や警備に携わっていただけに線路の鉄軌それ自体の盗難なども考えられるし、車両が通行していない時間帯なら馬や徒歩でも移動もし易いから野盗の移動範囲も広がり易くなるものと思われる。
尤も、治安維持なんてその地を治める上級貴族の責任なので、本来なら俺が心配する必要も義理もないんだが、そこはそれよ。
ああ、何となくだけど、どっかとの戦争で銃を使った瞬間に鉄道乗組の警備員には銃で武装させている風景が……。
それを考えると銃本体や実包の製造なんか、いつまでも俺が関わるような仕事じゃない。
とは思うが、この世界で銃を広めるのなんか遅い方がいいと思……ったり思わなかったり……。
最悪、手榴弾や火炎瓶、はたまたダイナマイトをくくりつけた矢なんかでも充分に……いやいやそれじゃあ……。
「ですが隊商だって襲撃されるこのご時世です」
「ああ。たっぷり警護を付けていた筈の俺の嫁さんまで襲われたくらいだしな」
ある程度の襲撃や被害を受けてしまう事くらい織り込んでおくべきか。
・・・・・・・・・
7451年12月22日
頭が重い。
昨日一昨日とガラスの元になるラジエーターみたいな鉄板やブランデーグラスとかワイングラス、カクテルグラスみたいな鉄器を作りまくり、ガラス化までやっていたからか、何となく疲れて調子が悪い気がする。
まぁ、睡眠時間を削ってまで頑張っていたのでただの寝不足かも知れん。
昨日(?)なんか魔力切れ寸前まで頑張ったからねぇ。
確認した訳じゃないけど、一区切りつけたのは真夜中過ぎてたと思うし、宿まで行くのすら面倒くさくて寝たのなんか店の来客用ソファでゴロ寝だった。
それでも夜明け前に起きてしまうのが貧乏性なんだろうなぁ。
腹減ってるうちにランニングにでも行くかぁ……走りゃ調子も戻んだろ。
ランニングを終え、商会の裏で汗を流しているとバストラルがやって来た。
こいつは俺よりも先に起きてランニングをしていたようで、もう既に髪は乾きかけている。
「アルさんは今日もガラスを?」
「いや、昨日で結構進めたからな。今日は午前中は休むし、午後は……気が向いたら残りをやるかもな」
「そうですか。じゃあ午前中は牧場回りますか?」
あのさぁ、俺ぁたった今午前中は休むって言ったよな?
お前ん中では、俺の挨拶回りは休みなの?
「いいけど……」
牧場(畜産農家)は大口だろうがそうでなかろうが、仕入先としては非常に大切だ。
特にウチの場合は品質に基準も設けているので、それに合致する食肉を生産してくれる畜産農家とは絶対に上手く付き合って行かねばならない。
普段からちょこちょこコミュニケーションを取っていないと、ある日突然卸してくれなくなるかも知れない。
そうなってしまうとそれこそ死活問題だ。
まして今は、挽き肉機も売ってるんだし、ラーメン屋はともかく肉を大量に消費するバルドゥッキー屋だって出てきている。
牧場の方でも増加する需要に応えるため生産量を増やすべく努力はしているらしいが、土地は有限だし、あまり手間や心配要らずでほぼ勝手に生まれてくる豚や鶏はともかく、その他の大型家畜も一緒に育てているところが殆どだ。
鶏は養鶏専門の、養鶏場とも言える専業は俺の知る限り無いし、豚専門も俺の領地に付いて来たイミュレークの後釜に入ったキンバリー牧場(養豚場)しか無いという。
それ以外の畜産農家だって勿論あるけど、どこもキンバリー牧場みたいに一種類の家畜だけで勝負をしている、なんてところはない。
北や東の田舎だと羊や山羊専門ってのはあるらしいけど、詳しくは知らん。
あ、ライル王国に行く時にどっかで羊飼い的な群れを誘導している人を見た気もする。
何にしても王都からほど近い距離にある畜産農家は複数種類の家畜を育てている事が多い。
これは、大型家畜は出産の介添がないので結構な割合で子供はともかく母体も死ぬので、そちらでのリスクの分散と言うよりも、病気などに対するリスク分散という性格が強いようだ。
伝染病は数多かれど、世の中には牛だけ、豚だけ、驢馬だけ、羊だけ、という具合に一種類の動物だけが罹る病気もあるからだ。
因みに病気で死んだ家畜も普通に肉にされて売られる。
やばそうな色になってもやばそうな匂いを出していても多少値段を引かれる程度で、肉屋の店頭には並ぶ。
そんな物を食えば腹痛や下痢をしてしまうのは当然だが“肉のある”食事それ自体が贅沢なので、それしか買えない者は多少傷んでいても喜んで食べる。
ウチの品質基準って、部位による脂肪の量なんかもあるけど、むしろ病気や腐ってるものを排し、同じ棚に置かないとか食肉としての品質だけでなく衛生管理方面に重点を置いているんだよね。
「じゃあ行きますか」
朝飯の後、バストラルと二人、馬上の人となる。
牧場を営む畜産農家は土地面積の問題もあってそもそも都市圏ではやってない。
市街からは少し離れた場所で経営されているので一箇所に行くだけで結構時間を取られてしまう。
だが俺たちの馬にはそよ風の蹄鉄という貴重な魔法の品を装着しているので全力疾走させようが休み無しでどこまでも行けるのだ。
目立つし、見回りの騎士団員に怒られるからさせねぇけど。
牧場主のラルソイユ・キンバリーという男は年末まで牧場にいるらしいからアポは必要ない。
尤も、ラルソイユ・キンバリーというのは偽名で、本名はなんとかエンブリーという。
あ、思い出した、マクダフ・エンブリーだ。
直接顔を合わせたこともある。
息子が俺の商会で丁稚をやっているので人質(笑)として……ほぼなんの活用も出来てねぇ。
「では、この条件で」
来年の予想購入量を伝えて価格を詰める。
別に買い叩くとか値切るとかそういう交渉はしない。
品質についての担保を行い、相場通りの価格であれは約束した量はこちらが損を被ってでもちゃんと買う。
その代わり、約束した量は損を被ってでも納品してもらう。
まぁ、そこまで要求する可能性は低いけど。
食肉みたいな物が納品不可能になるような場合、大抵は家畜の病気なんかが理由で、そういう時は近隣の牧場でも病気が流行っているものだからだ。
食品だろうがなんだろうが、物を購入する際には定期・継続的なのか一時的なのかによって販売側の心証、ひいては価格に影響を与えるのは当然だ。
そして、きちんと予想購入量を伝え、言った以上それを守るかも非常に重要なポイントである。
俺の知る限り、こうした情報を買い手側が売り手側に提示するような事はまずない。
理由は「購入している間にもっと高品質で安価な供給源が出たら損」とか「相場が急に、しかも大幅に変動したら損」とか小利口……は言い過ぎか……常識的な事を考える奴しかいないからだ。
これは国を代表するような大手の商会でもそうだ。
まぁ、天候の変動や戦争などの天変地異なんかは読みようがないし、実際それで大損こいたり大儲けしたりなんて話は掃いて捨てるほどある。
工業も全くと言って良い程発達していないので、どんな物だろうと安定供給なんて言葉からは程遠いし、下手すると供給ゼロなんて事態だって発生しかねない。
で、ある以上、継続的に取引していようが、一つ一つはスポット取引オンリーになるのは仕方がないとも言える。
実際、地球でも先物取引がある程度の発達をするまでは商取引におけるフォーキャストという概念なんか糞の役にも立たないと思われていた。
だけど、それは基本的に買う側の話だ。
勿論、売る側にも同様の理屈を唱えられないこともない。
例えば「三年前は冷夏と戦争特需で麦の価格が急上昇したことあったろ? その前に在庫を売っちまったって嘆いてたよな?」ってやつだ。
相場は上昇も下降も表裏一体なので、一見すると正しいような公平なような印象を受けやすい。
だけどね、やっぱり売り手側が不利になることが多いのはどうしたって避けられないんだよ。
生産するための原材料が自分の手の範囲だけなら生産リスクは最低限で済む。
でも、農作物以外は他の生産者が絡むことが多いんだ。
木工製品でも金属製品でも、食肉だって仕入れるものは発生する。
農作物だって足の早い葉野菜類なんかだとさっさと売りきらなきゃすぐに生ゴミになってしまう。
保存用の氷なんか、食肉や野菜類においてはその最たるものだ。
生産リスクに保存リスク、物によっては避けられない相場リスク、そしてどんな物でも縁が切れない在庫リスク。
売り手側はこれだけのリスクを抱えなければいけない。
それに対して買い手側が負うのは相場リスクのみ、というケースは多い。
勿論、再販や購入したものを原材料に別の商品を生産する者も多いので一概には言い辛いけど、どうしたって売り手側の方がリスクは高くなりがちになるのは否めないだろう。
でもね、そういうのを解決できる魔法のシステムが有る。
んなもん決まってる。
「当初取り決めた価格から一定以上価格が上下するようならその際に再度価格の取り決めをする」と約束するだけで済むんだ。
これが先物取引、じゃない、先渡取引の大本の考えだ。
ここから「再度価格を取り決める」というのがいつの間にか外され、「当初取り決めた価格通りに取引・決済を行う」というように変化したんじゃないかと……。
地球で先渡取引が発明されたのは一六世紀だと言われているが、個人的に本当はもう少し前からあったんだと思う。
順序としてはそっちが先だと思うってのがその根拠なんだけど、約束を記した紙なんか不利な方が偽造したりしまくったんじゃないの?
それで面倒を省く意味もあって「当初の取り決め通り」となっていったのではないかと考えている。
まぁ、俺がそう考えてるってだけで本当のとこは知らんけど。
普通に、「次に作る剣は一〇〇万Zで売るよ」みたいな予約販売の話からスタートした気もするので、そうじゃないかも知れないが、そういうのは一般的じゃない。
貨幣経済がある程度の浸透を見せていても、取引と商売の基本はまず現物があって、それから価格が決まるのが普通だ。
勿論、先払いで支払いを済ませ、納品は製造後、とか普通な気もするけど、それじゃあ出来上がって納品された製品の品質の担保がない。
納品しないで逃げられるというリスクも発生するしね。
逃げる、みたいな犯罪はともかく、生産者が病気なんかで死んじゃうとか珍しくも何ともない世界、いやさ、時代だし。
とにかく、どういう理屈でもいいが、俺は交渉可能な仕入先に対してはどんどんとこういう交渉を行って取引先を増やすことに成功した。
食肉の生産業者にしてみれば、リスク分散の大きな手になるのは多少頭が回る人なら――僅かでも経営的なセンスが有るなら――誰でもすぐに気が付いてくれるからだ。
今ではそういうところから大きな信用を得られるようにもなってきているし、ウチと似たような感じで仕入れを行う商会も出始めたと耳にしている。
それはそれでいいことだよね。
「よろしくお願いします」
乱波のらの字も感じさせない、すっかり商売人、牧場経営者の顔でキンバリー、もとい、エンブリーは言った。




