第四百十一話 懐かしい相手
7451年12月20日
にべもない俺の言葉にバストラルは少し残念そうな顔になる。
「今日の魔石は全部やるからバルドゥッキー奢ってくれ」
ふふん、と笑いながら言うとバストラルは「そりゃあ勿論ですよ。じゃあちょっと行ってきますんで」とムローワの屋台へ向かう列から離れた。
あ。
奴の奢りなら金ねぇじゃん。
いや、勿論俺が出しても良いんだが、ああ言っちゃった手前ね。
まぁ、大した時間でもなし、ここで待ってよう。
再び肩を竦めて奴隷たちを見回す。
俺も含めて全員がフードを被ったローブ姿で、しょぼくれた感じに見える。
先程どこかのバカが殺戮者だと言ったことで少しだけ注目を浴びてしまったので、俺たちの周囲からは人が離れている。
「おいマール。久々の迷宮はどうだった?」
「最初は少し緊張しましたが、すぐに慣れました」
「リンビーは?」
「私もです。でも人数も多かったですし、“あ、今日は楽だな”と思いました」
「そうか」
そういやぁ、戦闘奴隷になりたいと駄々をこねたこいつらをジェスに預けて暫くした後、迷宮に行かせた最初の頃なんかは少人数での戦闘を延々と繰り返させていた。
よく考えたら、こいつらが殺戮者のメンバーでは一番多く回復薬を使った経験がある奴らの筈だ。
ベンとエリーはこいつらほどの回数、迷宮には潜っていないし。
なんだかんだでまだ余裕のある二人を別に、小頭のコースン以下六人は少し疲れも見える。
尤も、六人全員が三十路越え、ヴァスルなんか四〇歳という年齢だしね。
見た目だけならコースンたちの方が余程熟練した迷宮冒険者に見えるんだが、月に数回、しかも迷宮内での野営なしでの迷宮行しか経験していなければ当然だろう。
「お前たちもよく戦った。大きく進歩しているようで私も嬉しいぞ」
「「は。ありがとうございます」」
コースンらを褒めていると、少し離れた場所で椅子を蹴飛ばすような派手な物音と怒声が湧き起こる。
喧嘩騒ぎでも始まったっぽいな。
それを機に、俺たちを遠巻きにしていた奴らはそちらの方へと民族大移動をする。
ちらりと見るともう殴り合いにでもなっているようで、囃し立てる声や下卑た笑い声も上がっている。
あと五秒もしないうちに誰かが賭けの声を上げるだろう。
つられて見に行きたそうな顔をしているリンビーに「ただの言い争いならともかく、ここでの暴力沙汰なんざすぐに騎士団が介入して収めちまうぞ」と言ったら、恥ずかしそうにはにかんでマールの陰に隠れようとしやがった。
何だよ、こいつ。ちょっと前までマールなんかガキだのクソだの言ってたのにしっかり頼ってんじゃねぇか。
こんなところで甘酸っぱそうな匂いをさせるくらいなら早くくっついてガキを産め。
「……さぁさぁ、焼けるよ~! ほい、お待ち遠、粗挽き二本にチレ入りとトリプルミートな。四本で一六〇〇Zだよ」
ムローワの屋台で威勢のいい声を張り上げながらバルドゥッキーを焼いているのは又もや知らない顔だ。
ウェイトレスは変わらずに二人の女がビールのジョッキの配膳に忙しそうに立ち回っている。
屋台で働く奴も増員し、見ればテーブルの数も増えているようだ。
バルドゥックを根城にする迷宮冒険者たちの憩いの場となって久しいムローワの屋台周辺には、あちこちで迷宮から戻った冒険者や仕事帰りの人々がテーブルを囲んでいて、かなりの活気が感じられる。
当初は俺たち自身でソーセー、もとい、バルドゥッキーの屋台を出していたが、若い女とガキが店番だったので危険だと思い酒を扱っていなかった。
しかし、酒なんか他で買えばいいんだし、バルドゥッキーは焼き立てが最高に旨い。
自然と屋台の近辺で飲み食いする者が増えてきて、店番が絡まれる事も増えてしまった。
それでも殺戮者の店という事が知られてからはそういうのも大分減ったのはいいが、商売の拡大とともに店番たちを王都の工場に移動させざるを得なくなった。
その際に屋台の権利を殺戮者が溜まり場にしていた居酒屋、ムローワに譲ったのだ。
そしてムローワは頭も回り、この入り口広場を管理する行政府に交渉してあちこちにテーブルを置く許可を取ったのだ。
テーブルは単に空の酒樽を縦に置いた立ち飲みスタイルのものから、長椅子を備えたちょっと大き目のものまで合計二〇くらいが散らばっており、テーブルを使用出来る者は広場で食品や飲料を購入した者のみとされている。
尤も、テーブルの表面や椅子の座面なんかにはデカデカとムローワの焼印が押されているし、基本的にはテーブルや椅子を並べるのはムローワの店員なので設置場所はムローワの屋台の傍に集中して置かれているので実質的にはムローワの専用に近い。
そうこうしているうちにバストラルが戻ってきた。
「お待たせしました。じゃあ適当に頼んできますね」
そう言うとバストラルは一人で屋台の方へ歩いて行った。
「では、あそこにしましょうか」
マールが近くで空いているテーブルに目を付けた。
丁度良く椅子も十脚ある。
まぁ、迷宮に入る冒険者は一〇人組になっていることが多いので当たり前といえば当たり前なんだけど。
「あっ!? そこは……」
さっさとテーブルの確保に乗り出したマールとリンビーを見てコースンやヴァスルたちが少し慌てる。
ん?
と思う間もなくマールとリンビーは椅子を並べ直し、端に腰掛けた。
そして……。
「おいおいおぃい!」
「ちょっと待ちなさいよ!」
どっかの戦闘奴隷らしい奴に因縁つけられちゃったよ。
後から来て文句をつけるなんて、はっきり言ってかなりムカつく行動だが、屋台の席取りなんて早い者勝ちだろ。
だけど腹も減っていてこれから一杯引っ掛けようとしている時にこんな事で喧嘩なんかしたくない。
肩を竦めて少し離れたところのテーブルにしようやと口を開きかけたら……。
「ああっ!? やんのかコラ?」
「今の、私達に言ったの?」
あっという間にバカ二人は席から立ち上がると因縁をつけて来た奴らに啖呵を切ってしまった。
個人的にはすごくみっともないと思うし、こういうの嫌いなんで、本当にもうよしてくんねぇかなぁ……。
とは思うがこの場所では別だ。
一度声を上げてしまったのなら、俺が、当事者の身内の者が止めてはいけない。
なぜなら、迷宮冒険者なんて、舐められたら終わりのメンツ商売という側面もあるし、それが結構重要視されてもいるからだ。
何しろどいつもこいつも脳筋の馬鹿揃いなので、一度でも舐められてしまうと迷宮の中でも「こいつら大した事ないからやっちまえ」と襲われる事すらある以上、舐められるのだけは避けなくてはならない。
それを考えると、こちらとしても不本意ながら相手のレベルに合わせざるを得ない。
俺も昔は度胸付けと称して戦闘奴隷を嗾けたりした事もあるくらいだ。
喧嘩になろうが殴り合おうが、身内が止めてしまうのは「僕たち、平和を愛する弱気な奴らなんです」と周囲に大声で宣伝する事と何ら変わりはない。
勿論、本当の上澄みの超一流パーティークラスになれば話は別なのだが、今の殺戮者は周囲から見れば単なる二流三流の有象無象に過ぎない。
マールもリンビーもそれが分かっているから……いや、単に腹立ててるだけだな、ありゃ。
ちっ、しょーがねーな。
ローブのフードを上げ、顔を出……。
「ンだ、ガキィ!? 俺の顔知らねえのか!?」
知らね……ギリー・ケイジェンス……どっかで……?
言われて、鑑定してみれば知って……ロズウェラ家所有奴隷。
あー。
あの奴隷使い、まだ元気でやってんのかぁ。
「何だい何だい?」
「そこは俺等の指定席なんだよ」
「ギリー、そんな礼儀知らず、ぶちのめしちまいな!」
「私らを黒女神と知っての事かい?」
長いこと一流半に留り続けている超ベテランの冒険者集団、黒女神。
その活躍の歴史は、かの緑色団をも凌ぎ、輝く刃と同時期から潜っているとも言われ、リーダーであるロズウェラという名の精人族は、恐らく迷宮冒険者としての知名度だけなら活躍期間の短い俺よりもずっと広く知られているだろう。
正直言って、こいつら相手なら引いてしまっても誰もヘタレとは思わない。
平和を愛する迷宮冒険者ならば、ここはさっさと退散するべきところだ。
普通なら。
「どうした?」
ロズウェラの登場だ。
「どうしたもこうしたもねぇよ! このテーブルは俺たちが先に目ぇつけてたんだ! それをこの兄ちゃんが横から突っ込んで来やがってよぉ!」
「そうよ。ちょっと有名だからって頭に乗んないでくんない!?」
マールとリンビーは犬のように吠えている。
「あ? その言い草、俺等の事知ってんのか?」
ケイジェンスが二人に凄む。
が、ロズウェラはその肩に手を掛けて止めた。
「ご主人様が出るまでもありませ……」
「お前ら、フードを上げろ」
おっさんの言葉にマールとリンビーが顔を見合わせる。
「顔を見せてくれないか?」
おっさんはもう一度、今度は少し丁寧に言う。
二人はおっさんの要望に従った。
「見たことあるな……」
「……あ!」
「殺戮者の……」
どうやらさっき俺たちが騒がれた時には広場にはいなかったらしい。
正体も割れたし、どう出るだろうか?
「……ん」
おっさんに見つかったようだ。
ロズウェラとはどこかで顔を合わせれば挨拶くらいはする間柄で、別に親しくはなかった。
お互いに顔と名前を知ってるだけの同業者ってだけだ。
お互い、迷宮内で相手の戦闘を見たこともある。
かなり堅実に戦っていたのが印象的だった。
ロズウェラはつかつかと俺の前まで来ると跪いた。
「「ご、ご主人様……?」」
俺に跪くロズウェラを見て、黒女神の戦闘奴隷たちが目を剥く。
「手前どもが不心得を働きました由、閣下におかれましてはどうかご容赦下さいますよう、お願い致します」
やれやれ。
だけどもう、これで終わりだ。
「お久しぶりですね、ロズウェラさん。ですが貴方は私の臣下でも部下でもありません。お立ち下さい」
俺もフードを取りながら言った。
「は。では失礼して……」
立ち上がったロズウェラの背は、一八〇㎝を超す俺よりも少し高い。
エルフの癖に本当に長身で羨ましいね。
使い込まれていながら手入れの行き届いた革鎧は、かなりの上物でいつか見たそのままのようだった。
そうだ。
「もし宜しければ久しぶりにお会いしたのも何かの縁でしょう。我々とご一緒に如何ですか? 今日はウチの奴の奢りなんで」
ここでの飲み食いなんぞ大した額でもないし、バストラルも文句は言うまい。
「宜しいので……?」
「ええ、勿論です」
そこまで言葉を交わしたら、殺戮者と黒女神の戦闘奴隷たちはキビキビと動き出した。
お互いに目をつけていたテーブルの隣のテーブルで飲み食いしていたどこかの底辺冒険者を脅しつけてどかせるなんて朝飯前だ。
「おう姐ちゃん! エールを二〇杯だ!」
「はーい!」
愛想のよいウェイトレスに注文をしたのは最初に因縁をつけてきたケイジェンスだ。
「あの、グ、グリード閣下、先程はその……大変失礼を……」
「気にしないでいいですよ。それにこのテーブルは皆さんが普段お使いのもののようですしね」
どうやら有力な冒険者集団になればなるほど時間帯や曜日などで“指定席”みたいな習慣があるらしい。
なるほど、無為な争いを避けようとする知恵なのだろう。
なお、バストラルの言によると殺戮者は普段バルドゥックに居る訳でもなく、ここに顔を出す回数もめっきり減っているので“指定席”はないという。
地位の低い冒険者や普通の人は、テーブルが“指定席”の時間帯以外ならムローワで買い物をすれば使用可能で、“指定席”で埋まっていると立ち呑み樽や文字通りの立ち呑み、地べたへ座り込んで飲食となる不文律が既に出来上がっているという。
道理で沢山人がいるのにも拘わらず、ポツポツと空いたテーブルがあるなぁと思ったよ。
因みに空いていても基本的には“指定席”なのでいつその席の“指定者”が姿を現すか知れたものではないので、空いている“指定席”に堂々と座れるのは精々二流か二流半のパーティーまでらしい。
今の殺戮者はそれ以下の存在になり下がっているとは言え、バストラルの顔は広いので大抵の場合問題にはならないとのことだった。
その後は簡単な近況報告などで費やし、一杯目を空けた。
じゃあそろそろ行こうかね、と思ったところで少し興味深い話になった。
「双子金貨が一層で?」
彼らはついさっきまで迷宮で四泊していたところらしく、双子金貨がやられたというスケルトンの話を知らなかった。
「ええ。私もつい先程耳にしたんですがね。何でも一層のボス部屋で骸骨にこてんぱんにやられて、ほうほうの体で逃げ帰ってきたのが昨日らしいですよ」
「ほほう……それでこの人出ですか」
「そうみたいですね」
やはり今日の入り口広場はいつもより混んでいるらしい。
「まだその骸骨は倒されていないのですか?」
「警備の騎士団員から聞いた話ですと、どうもそうらしいですよ」
「なるほど……」
ロズウェラの目がギラリと光る。
うーん、現役バリバリの迷宮冒険者の目つき。
しかも一流かそれに準ずる程の実力者だ。
迷宮に巣食う魔物を前にした時のようなそれではなく、金の匂いを嗅ぎつけた時のそれだ。
そういえば、黒女神はよく貴金属や宝石の鉱石なんかを持ち帰っていた。
懐かしいな。
もうちょっとくらい飲んどくか。
「おい、バストラル。これでエールを、いや、バルドゥッキーと併せて頼めるだけ頼んどけ」
「あ、はい」
たまたま財布の中にあったエレクトラム貨(一〇万Z)をピンと弾いて渡す。
確か一杯二〇〇Zなのでいくらでも飲めるし食えるだろ。
「うおおっ、あざます! おい、マリオン、エディス、バルドゥッキーを適当に……五〇くらい頼んでこい」
「「はい!」」
「おーい姐ちゃん! こっちとそこのテーブルにエールを四〇杯だ!」
うえ。
今日はもう王都に帰って寝るだけだし、まぁいっか。
「すみませんね」
「いえいえ、お気になさらず」
さっと瞳の光を消したロズウェラに笑い掛け、話を戻す。
「やはり凄腕の骸骨というところに……?」
「ええ。それはもう興味深いですね。あの話を知っている以上、無視は出来ません」
「ははは」
「ですが、流石に今日はもう無理ですね。疲れていますし、こいつらの緊張も切れちゃいましたから」
うん、こういう時に無理してもどこかでポカミスをするだけだろう。
こんな話をしている間も、何人もの冒険者達が迷宮に入っていく。
中にはこの屋台で噂を聞き、食事をしただけでもう一度迷宮に挑む者もいるくらいだ。
今日半日しか迷宮に入っていない俺たちならばともかくとして、四泊もしてきたなら最低でも一晩はぐっすりと休むべきだ。
億単位も望み得る大稼ぎのチャンスであることは確かだし、誰かにかっ攫われてしまえばそれまでだが、こういう冷静な判断は流石のベテランよな。
そしていい感じに酔いも回ってき始めた。
宴もたけなわ。別に宴会なんか開いちゃいねぇけど。
そんな時だ。
「へっ、へへへ。グリード閣下、お久しぶりです!」
「またバルドゥックに戻られたと聞いてすっ飛んで参りやした!」
髭面でいかつい顔をした男が二人、俺に挨拶をして来た。
誰だこいつら?
「お、お忘れですか? ボートンです。兄のアンドレアス・ボートンでさぁ!」
「そんな……覚えておいでですよね? 弟のペドリアス・ボートンっすよ!」
いや、知らんが。
「そなたら、私に何か用か?」
貴族同士ではないが、他人の会話に割り込むなよ。
まぁ、顔つきからして教養の無さが滲み出ているので、こういう手合に道理を説いても無駄だろう。
「お、俺達を殺戮者に入れてくださいませんか!?」
「はぁ?」
またえらく懐かしい言葉だ。
ついぞ聞いていないが、以前はこういうの、本当に多かったなぁ。
「へへっ、俺等ぁボートン兄弟はこれでも三層まで行ってるんですよ」
「ほう?」
たった二人で三層とは、それが本当なら大した実力者だと言っても過言ではない。
兄弟は普人族。
兄の方は二九歳、レベルは一三。
弟の方は二七歳、レベルは一二。
自ら言うだけあって確かにそれなりだ。
この年齢ならもっとレベルが高い奴もいるが、二人だけなら戦闘をするような機会も少ないだろうし、それを考えると結構なものとも言える。
だいたい経験レベルはあくまで個人戦闘における実力を図る目安にしかならないし、レベルなんか低くても実力者はいる。
「いや、冒険者はもう間に合ってる。もしもそなたらにやる気があるなら、西ダートに来い。実力さえあるなら我が騎士団はいつでも入団を受け付けるぞ」
「「は、ははぁっ」」
いつでもは受け付けないが。
「えっ?」
ロズウェラが驚いているよ。
あんで?




