第四百十話 久々のバルドゥック
7451年12月20日
ロンベルティアの治療院の応接。
ここは表向きでは治療院の皮を被った、ライル王国の大使館のようなものだ。
「……して、ご令室様、ご令息様はいかがお過ごしですか?」
お歳暮のバルドゥッキーの詰め合わせを贈ると、治療院の主のトゥケリンは柔和な笑みを湛えて言った。
「お陰様で今年も息災でおります。息子はやんちゃ盛りになってきましたし、妻のミヅェーリットも手を焼いているようです」
「おお、そうですか! お元気にご成長なされているようで、誠にようございました」
「妻や息子の事までお気遣い頂き誠に有り難く存じます」
「いえいえ、遠く離れた地で懸命に頑張っている同胞を心配するのは当然の事です……」
お、おう。
「時に、ご令室様とご令息様にはこちらを……」
そう言って綺麗な布で包まれた重箱のようなものを差し出してきた。
元々応接のテーブルに乗っていた物なので、何だろう? と気になってはいたんだ。
「これは?」
「皮茸です。我が国でも未だ人工栽培が出来ずに天然採取に頼るしかない貴重なキノコで、非常に美味なのです……」
ほほう。
「あと、好き嫌いは分かれるようですが、好きな者はこの独特の芳香が食欲をそそると言っております。そして、何よりも食べた者はその後一〇年は無病息災で過ごせると言われているくらいに栄養豊富だとされています……」
へぇ。縁起物でもあるのか。
「……が、生のままだと軽い毒があって一度干さないと食べられません……」
おい、幾ら縁起物でもそんなん贈るなや!
「……勿論こちらの物はしっかりと乾燥させておりますので、既に毒は完全に抜けておりますのでどうかご安心ください……」
そう言うとトゥケリンはにこりと笑って重箱を軽く振った。
カサカサという、中身が軽そうな音がする。
毒抜けてるんならいいか。
「……しかしながら、一度カラカラになるくらいまで干すと、自慢の良い香りは僅かに薄くなってしまいますが味は濃くなります。そしてその味と言ったら……じゅるり」
自分で言っといて涎垂らす程旨いんか?
興味出てきた。
「失礼。私も長年に亘り王国に仕えて参りましたが……これほどの量ですと、ライル王国で採取された一年分にも匹敵する程かと」
「それ程に貴重な物を頂いても宜しいのですか?」
「勿論です。これは侯爵閣下に対する我が国の感謝の印でもございますし、何よりご令室様は我が国にとっても重要人物であり、ご令息様も閣下とご令室様の大切なお子でございますれば、そのご活躍、ご健勝について祈念せずにはおられません」
さっきはミヅチとアルソンにと言っていたのに、今度は取ってつけたように俺も仲間入りさせてくれた。
こりゃさっきのは本音だったんだろうなぁ……。
何か良くわからんがくれるんなら貰っておこう。
すごく旨い上に貴重、ついでに縁起物と来ればアルソンはともかくミヅチは喜ぶんじゃないかな?
「私だけでなく家族にまでお気遣い頂き痛み入ります。時に、このカゼクルッジの調理法ですが、妻は存知ているでしょうか?」
「あまりに貴重なものであります故、恐らくはご存知ではないかと。ですが、注意書きを同梱してございますのでご安心ください。少し手間はかかりますが、きちんと煮戻せばどのような料理にお使い頂いたとしても、きっとご満足頂けます」
トゥケリンは自信満々な様子で断言した。
それはそうと、ミヅチやアルソンについて言祝いでくれる事自体に悪い気はしないものの、この人の言葉や態度には“同じ国の出身者及びその人物が産んだ子供”――要するに他人――に対する通り一遍の感情を上回る気持ちが込められている事がありありと窺える。
まぁ、彼の言う通り俺の女房はライル王国内部だと元老という他国の大臣にも匹敵する程の地位となっている以上、仕方のないところではあるのかもしれないが……。
差し出された重箱を手に取ると、生前に干し椎茸の大袋を手にした時と同じような、体積と比較して拍子抜けするような軽さだった。
そして、箱から漏れるカゼクルッジが放っているとされる芳香が俺の鼻に届いた。
……こ、これって……まさか!?
期せずして重箱を手に取り直し、鼻を近づけてしまったのも仕方のないことだろう。
血相も変わってたのかな?
トゥケリンも少し驚いてしまったようだ。
重箱から漂っているのは、薄いが確かに醤油かそれに近い物の香りだった。
「実に良い香りがするしょう? 閣下もお気に召されたようですね」
……嗅ぎ直しても当然変わることはない。
「これは……たまらなく良い香りですね……妻も喜ぶことでしょう」
湿らせなければこのまま数年は大丈夫らしいから年末に帰ったら三人で食べよう。
少しいい気持ちになって治療院を後にした。
・・・・・・・・・
治療院の後で幾つかの用事を片付けるとバストラルが希望した通り、警備員の戦闘奴隷たちを引き連れて久々にバルドゥックの迷宮に潜り、扱いてやった。
あんな事を言うもんだから、よっぽど気が抜けているのかと思っていたんだが、奴隷たちは全員それなりな感じだった。
このままでも一流半はともかく、三層を超えられる程度の二流パーティーならやっていけるような実力を見せてくれたので少し驚いたくらいだ。
彼らを購入した時は頭数を揃える事が第一義でもあったので、ここまでの実力なんかなかった。
結構頑張ってたんだね……こいつら自身は当然として主にバストラルが。
とは言え、流石に純粋な戦闘能力自体は騎士団でも訓練を受けているマールとリンビーの方がまだ上回っているけれど。
尤も、小頭のコースン以下警備員たちはかつての殺戮者並みにしょっちゅう迷宮に行っていた訳でもないし、マールやリンビー程に若い訳でもない事を考えると高評価を与えるに吝かではない。
「よし、そろそろ戻るか」
誰一人怪我することもなく殲滅した六匹のホブゴブリンの死体を前に言う。
魔石を採取した奴隷たちの手に水を掛けてやり、汚れを洗わせてやる。
俺、今日は救急箱になるくらいのつもりで潜ったんだけど、半日の間で治癒魔術は合計二〇回くらいしか使ってねぇ。
勿論攻撃魔術なんか一回も使わなかった。
まぁ、主がいそうな部屋には行かなかった、ってのもあるんだけど、それでも大したもんだ。
バストラルの先導でもと来た通路を戻る。
戻りなので通路をうろつくモンスターに出くわすなど、余程運が悪くない限りは基本的に安心出来る。
何しろ俺たちは出会ったモンスターは全て殺すのがモットーの殺戮者だからね。
なので、復路の用心は往路と比べると格段に楽ができる。
そのために移動速度は地表を歩く半分程度にまで高まっている。
そして、あと三〇分も歩けば地上から転移してきた水晶棒に戻れる曲がり角。
「……っ!」
先頭を歩いていたバストラルが突然掌を後ろに向けた右手を水平に伸ばし、歩みを止めた。
原因は不明だがとにかく止まって音を立てるな、というサインだ。
ちっ、ワンダリングモンスターかよ、今更面倒くせぇなとは思うが、オークだのホブゴブリンだのだった場合、一層にしては結構な実入りになるので見逃す手はない。
マール以下、戦闘奴隷たちに緊張が走るが、いい感じに肩の力も抜けており、この様子なら今回も安心して見ていられるだろう。
最後尾近くに位置していた俺は念のため後方に【鑑定】の視線を飛ばすが、見える範囲には特に不審なものはなかった。
と、すぐに複数の足音が近付いて来るのがわかった。
向こうも俺たちの存在について気付いているのかは不明だが、ガチャガチャという鎧の音もする感じからしてモンスターではなさそうだ。
足音に気を付けながら移動しているようだが、こっちが完全に止まっており、近くにモンスターなんかが居ないのであれば大抵の場合、結構遠くから気付くことが出来る。
今回のように、迷宮内で別口の冒険者らしい存在と出会うような場合、どちらが先に気付いて動きを止め、息を潜められるかで有利な形で遭遇出来るかが決定する。
「……」
誰かがごくりと唾を飲んだ。
俺としても迷宮内、特に転移水晶の部屋以外で他の冒険者と出会うとなれば緊張する。
バストラルがゆっくりと振り返って俺の様子を窺う。
目つきは鋭い。
俺もバストラルと一緒に俺を見る戦闘奴隷たちを安心させるように不敵な笑みを浮かべて頷き、腰の鞘から鞘鳴りしないように慎重に屠竜を引き抜いた。
バストラルは右手の指を三本立ててゆっくりと左右に振り、再び掌を後ろに向けて下がれと言うように指先を何度か曲げる。
焦らずに三〇mくらい後退しろという合図だ。
今は曲がり角の寸前なので、別口の冒険者と顔を合わせるにしても少し距離を開けておこう、という事なのだろう。
相手まではまだそれなりの距離があるが、こちらが先に曲がり角から顔を出すよりは余程いい。
音を立てないよう、少しづつ後退した。
一五m程後退した辺りで曲がり角の辺りの壁の照度が上がった。
相手はもう角から四〇~五〇m以内にまで近づいている。
当然向こうもこちらの存在には気が付いたことだろう。
向こうの足音が止まり、暫くしてまた動き出した。
曲がり角から出てきたのは、当然ながら別口の冒険者集団だ。
兜や鎧でわかりにくいが、数名の兜はフルフェイスではないみたいだ。
【鑑定】するとミラーレ・ベイスという虎人族の女にエミレイス・ザレイドロンという精人族の女。
知ってる名前だ。
桜草じゃねぇか。
元メンバーのロックワイズは黒黄玉に引き抜かれた形でアンダーセンの護衛をしていて、今はもう殺戮者の一員になっている。
そのあたりの事情については乱波の実戦部隊でもあるんだし、知っているはずだ。
それを含めても桜草とは別に敵対している訳でもないし、乱波やその親玉である国王とも表立っては何一つ争いはない。
なら。
「桜草の皆さんですね。そこで止まってください」
一応丁寧に声を掛けた。
こちらの存在に気がついている以上、向こうも声を掛けられた事自体には驚きはなかったようだが、いきなり桜草だと見抜かれた事で警戒度を高めたようだ。
こちらを安心させるつもりだったのか、長物以外は直接武器を手にして居なかったのが、剣の柄に手を掛け、盾を構えたのがわかる。
「グリード侯爵アレインです。ケルンさんは居ますか?」
桜草のリーダーを務めているファミーユ・ケルンは三十代後半に入った普人族の女性で、通称をファムという。
メンバーからはファムとかファム姉とか呼ばれていた筈だ。
後ろの方から一人進み出てきた。
ケルンだ。
「ご無沙汰しております、閣下」
跪きまではしないものの、かなり丁寧に喋っている。
「二年ぶりくらいですね」
「ええ」
前に王都で会ったのが一昨年の年末だ。
「通して頂いても?」
「勿論です。どうぞ。やはり閣下は流石ですね」
「?」
一体何が流石なのか、少しだけ立ち話をしたら、昨日一層で特殊な魔物が発見されたらしい。
出会ったのは双子金貨という一流半くらいのパーティーなのだが、死者こそ出さなかったものの二人が重傷、三人が大怪我、という大被害を受けて退却を余儀なくされたという。
魔物は凄腕のスケルトン。
数年前の出来事を知っている冒険者なら金目の匂いにピンとくる。
何せ、当時黒黄玉が一層でスケルトン相手に祟られた品を入手して大変な目にあったのを知らない奴なんて、それ以降にバルドゥックデビューをした新人かモグリだけだ。
たとえ祟られた品だろうと魔法の品は魔法の品。
呪いなどない有用な物程ではないだろうが、かなりの値が付くであろう事は明らかだ。
それを持つような相手が一層に居たとなれば、そら冒険者共は大騒ぎになるか。
俺を含む殺戮者はと言えば、当然そんな情報などつゆほども知らなかった。
バストラルや警備員は商会同様に六勤三休なので昨日まで王都で働いていたし、俺やマールなんか王都に着いたのは一昨日の夜だ。
それに、俺が迷宮に入るところを見られて騒がれても嫌だったので、迷宮に入る際に俺たちはフードやローブなどで殺戮者だと判らないようにしていたことに加えて、どうせ一層で連戦させるだけなんだしと旧知の冒険者から噂などの収集をしてなかったからこの件については全く知らなかった。
必ず祟られた品だという訳でもなし、スケルトンをぶっちめて高価で有用な魔法の品の入手に賭ける、というのも悪いことじゃな……悪いわ。
ガラス作んなきゃだしな。
運良く魔法の品を手に入れられたとしても、今年のガラス販売は国内国外で去年の一割増し、百億Zを超える程の受注を抱えている。
この金額は一層で見つかる程度の生半可な魔法の品よりも大きいだろうし、何より商取引は信用が第一だろ。
年末には納められると言ったのなら何としても納期は守らねばなるまい。
それに、地図もあるので他の冒険者たちよりは有利かも知れないが、主の部屋を虱潰しに当たるような時間なんかある訳がない。
大体、グィネの地図は少数ながら既に出回って久しいのだ。
知ってたら主の部屋にも行ってたんだけどなぁ……。
「あ、遊びですよ。久々に来たんでほんの遊びです。ほら、見ての通り私なんか鎧すら装着していませんし。明日以降、予定もありますんでもう戻るところです……」
運試しくらいしたかったなぁ……。
・・・・・・・・・
地上に戻ったら、税吏の護衛は懐かしいチャーチさんだった。
「ご無沙汰しております」
「おお、閣下。首尾は如何でした?」
なんで驚いてないのよ? と思ったら入る際に入場税を支払う時にステータスを見られてたわ。
その時の当番だった税吏が言ったんだろう。
チャーチさんの質問には肩を竦める事で答え、外へ出た。
「おい! また出てきたぞ!」
「誰だあいつら?」
「顔隠しててわかんねぇ。でも一〇人だし永遠の仲間と、王虎、桜草じゃあねぇな」
「桜草はちょっと前に入ったばっかだしな」
おお、ああいうの、まだ結構居んのな。
「荷物なんかも大して持ってねぇようだし……あ、ありゃあ……」
「ん?」
「あいつ、いや、あのお人は……」
「あん?」
「す、殺戮者だ!」
ん? 俺様が伝説の冒険者だという事に気が付かれてしまったようだな。
人気者は辛いぜ。
こういうのを避けるために顔隠してたんだけどね。
「はぁ? 殺戮者なんて全盛期のメンバーが一人残ってるだけの三流パーティーだっつってたじゃんか」
「あ、阿呆! あそこにいるの、リーダーだったリーグル伯爵だぞ!」
三流パーティー云々は今や一層しか行ってないみたいだから仕方ないとして、情報古くない?
いや、リーグル伯爵である事も確かなので間違ってはいないけどさぁ。
「の割には嬉しそうじゃねぇ。見っかんなかったんじゃ?」
「スケルトンが確認されてからまだ一日しか経ってねぇわ。幾らリーグル伯爵でもそう簡単には行かんだろ」
「おま、昼間にリーグル伯爵が居た頃の殺戮者なら半日で魔法の品持って帰るだろうって」
「う」
「で、今は全盛期のメンバーが一人しか残ってない三流に成り下がってるから無理だって……」
「それは言葉の綾ってもんよ。だけどリーグル伯爵が戻ってきたんなら……」
俺の名が言われたからか、奴らの周囲からざわめきが起こる。
まぁ、俺ってほら、レジェンドだし?
下々が騒ぐのも仕方ないよな。
「アルさん、明日もどうですか?」
バストラルが言う。
「はぁ? 俺ぁガラス作んなきゃだし行きたきゃお前らだけで行けよ。戦力的に不足ならマールとリンビーの他にデーニックなんかも使っていいからさ。俺の方は店の奥でガラス作ってるだけだし、どこにも行くつもりはないからな。護衛はいらん。好きにしろよ」
「そんな事言われたって、流石にアルさんがいてくれないと怖いですよ」
「なら諦めてくれ」
肩を竦めて言うと、バルドゥッキーを焼いているムローワの屋台の方へ向かった。
俺が地下を這いずり回っていた頃から、迷宮から上がってきた冒険者の定番になっていたしな。
■皮茸は醤油のような香ばしい良い香りを放つのが大きな特徴の食用キノコです。
一般には香茸と書いてコウタケと呼ばれる事も多いですが香茸は椎茸の別名です。
採取量も少なく、現在のところ日本でも人工栽培は成功しておりません。
炊き込みご飯や鍋物は勿論、炒めものや焼き物、天ぷら、パスタや蕎麦などの麺類の具にしても美味しいキノコです。
作中の通り、弱毒性なので一度干してから戻して食べるのが普通ですが上級者は生でも食べてしまうそうですよ。




