第三百八十五話 迎撃防衛戦 13
7451年11月26日
午前二時。
折からの曇り空で、満月に近かった主月のカルタリの光も大分弱まっており、隠密活動にはうってつけの天気だった。
そんなミューゼ城南東部の城壁に忍び寄る人影があった。
言わずと知れたデーバス軍の魔術師部隊である。
城壁上への突撃路として作ったスロープの補強と併せてロンベルト側から何らかの工作をされていないか、チェックを行うためだ。
スロープは作成当初より断面がある程度の台形になるように作られており、アンチマジックフィールドなどのカウンターとなる魔術でも使われない限りはそう簡単に崩されたりしないような形状をしているし、何か工作されていないか監視を残してはいた。
しかし、物事には全て絶対はないのだ。
勿論、デーバス軍の魔術師部隊はこれだけではない。
と、言うよりもう一つある魔術師部隊が主力である。
こちらの部隊は少々実力が劣る者ばかりで構成された予備部隊的な性格のものだ。
本命の方はもう少し南側で新規の突撃路を建造する手筈になっていた。
「……」
城壁に近い樹々を伝って少しずつ突撃路に近づいていく。
先頭を行くのは夜目の利く猫人族の男だ。
ロンベルト王国側は、昨夜とは警備部隊の交代シフトを変えたらしく、常に発見される危険が伴っている。
本音を言えば一気に城壁に取り付いて背を貼り付けたい所だが、城壁上にある胸壁は少し外部に突き出しており、その内側には石落としもあるようなので、そこから覗かれたら一発でバレてしまいかねない。
流石にこの暗さなら露見しない可能性も高いが……。
石落としから覗かれても見付からず、胸壁から見られてもそうそう見えない、発見されにくい場所は城壁から三~四m程離れた場所になる。
発見されずにそこまで辿り着けたら一息入れられるだろう。
だが、彼ら七人はここまで発見されることなく近づいて来れた。
当然油断など一切していないが、このままならば大丈夫だろうと思われる。
何しろ攻城塔の進路となっていた木製舗装路を除けば、城壁近くまでダート平原の樹々が生えているのだ。
夜目が利こうが利くまいが、たとえ真っ昼間だろうと相当に注意して見られていない限りはそうそうなことでは見つけられないと思われた。
あと一時間でチェックを終え、その結果を友軍に知らせねばならない。
・・・・・・・・・
午前三時過ぎ。
ロンベルト王国第二騎士団第三大隊第三中隊に所属するセシリア・ブローデルは部下と共に城壁上でパトロールを行っていた。
ぼんやりとした月明かりに照らされるダート平原の森。
地上高一〇mもの高みにある城壁上からは大分低く見えている。
ここにはつい半日前まで多数のデーバス軍が多数蠢いていたのだが、すっかり夜も更けた現在は死んだように静まっている。
少し斜めに傾いて擱座した二基の攻城櫓と、炎上して廃墟のように骨組みだけが辛うじて残されている一基が樹々の上に突き出している事が、辛うじてデーバス軍がいた事実を訴えている。
尤も、しっかりと森を観察すれば三〇〇mも離れた場所で焚かれているデーバス軍の野営の炎が揺れているのも分かるが、樹々に遮られている事もあって、実際よりもかなり遠くに見える。
対して城壁内にはミューゼ村の耕作地が広がっており、壁外で野営をしているデーバス軍よりも更に遠い場所に建つ内城の窓から明かりが漏れていた。
「村民達も眠るどころではないのだろうな……」
内城を見てブローデルが呟く。
「そりゃそうでしょう。昼間に城門を叩いてた音、ここまで聞こえてたくらいですからね」
隣を歩く部下が答えるが、そのような事はブローデルも承知しており、元々単なる独り言だったので会話は続かなかった。
パトロールは彼女が上申した意見が取り容れられており、城壁上の各所で篝火が焚かれているので足元はよく見えている。
反面、肝心の壁外監視は少し難しくなっているが、一番危険な擱座した攻城櫓の天辺に登る敵兵も確実に発見出来ている。
天辺から頭を覗かせる敵兵は、こちらが弓を引くとすぐに引っ込むので特に問題になるような事もない。
南方総軍司令は「擱座している敵の攻城櫓それ自体はそう簡単に修理出来るものではないし、動くこともないだろう。だが、あの中に弓兵やクロスボウ兵を潜ませて壁の隙間などから撃ってくる可能性もあるから充分に注意するように」と言っていた。
ブローデルは敬愛する総軍司令の言葉をそっくりそのまま部下達に伝え、決して気を抜かずにパトロールを行っている。
「隊長、また登ってるっぽいっすよ」
部下の一人が敵中央で擱座したままの攻城櫓を指差して報告してきた。
横目で見ると、確かに攻城櫓が微妙に揺れている。
ブローデルは余裕を見せつけるように、ゆっくりとしたハンドサインで部下達にしゃがむように指示をする。
彼女を含む全員が胸壁に隠れた。
胸壁に隠れてしまえば、例え攻城櫓の天辺からでもこちらを直射で狙い撃つのは不可能だ。
下側の胸壁からそっと覗くと、やはり攻城櫓は小刻みに揺れている。
あの様子だと複数の敵兵が攻城櫓に登っている最中のようだ。
それを確認したブローデルは、一歩分だけ横に移動すると高い方の胸壁に隠れた。
そっと頭をずらして高い視点から地上を窺う。
眼下に広がるダート平原の樹々を除くと、擱座した攻城櫓から城壁まで伸びている舗装路だけがぼんやりと見えるだけだ。
勿論、舗装路の上に人影はない。
――ちっ、私には見えないか……。
部下のうちで【夜目】の特殊技能を持つ者に地上の観察を命じた。
しかし、ある程度の時間を割いたにも拘わらず、部下からは「特に不審な点は見当たらず」との報告があっただけだ。
当然、片側の車輪全てを破壊されて擱座した攻城櫓が修理されている様子も無いとの事だった。
が、その擱座した攻城櫓に人が登っているのは確かなので、中隊本部には報告すべきだろう。
「セルモンティ、今すぐ本部まで行って、人数は不明ながら敵中央部の攻城櫓に敵兵が登ってると報告してきな」
「はい」
命じられた部下は背を低く保って胸壁に隠れたまま中隊本部のある西の防御塔へと向かった。
この時刻なら中隊長ではなく副長が起きているだろうから、彼が対応を判断してくれる筈だ。
――それに、私の分隊が胸壁に寄ったままで移動していないのは、同じ城壁上をパトロールしている友軍もすぐに気が付いてくれる筈……。
まだ壁外を観察していた分隊員が四つん這いになると近づいて来た。
「隊長。松明を一本、下に投げ込んでもいいっすか?」
何か彼の疑念を抱くような物でも見えたのだろうか?
松明を投げ込んで、ちゃんと確認しなければならない程の……?
「いいわ」
疑問はあるものの、ブローデルは即座に許可を出した。
部下はすぐに立ち上がろうとする。
一番近くで燃えている篝火へと向かうつもりなのだろう。
攻城櫓に敵兵が登っている事を思い出したブローデルは、すんでのところで立ち上がろうとする部下の腕を掴んで止める。
明かりのある壁上を走る彼の姿は攻城櫓からは丸見えになってしまうと思ったからだ。
「攻城櫓に矢を撃ち込め!」
疑問の顔で彼女を見る部下を他所に、低い声で弓を携えている者達に命令する。
弓を携行している部下は四人いるが、全員が無言のまま矢筒から矢を引き出すと弓に番えて一斉に放った。
闇夜に弓弦が鳴る。
目標が巨大なこともあって、放たれた四本の矢は全て攻城櫓に命中していた。
今の命中音で中の敵兵も驚いた筈だ。これで当面の時間は稼げたろう。
「行け!」
低い号令とと共に部下は壁上を駆け抜け、あっという間に篝火へと到着した。
そして篝火から一本、火の点いた松明を引き抜くと即座に反転して戻ってくる。
「第二射、撃て!」
すでに次の矢を番えていた弓兵達が矢を放った。
・・・・・・・・・
「……」
デーバス王国軍の魔術師部隊は、明かりの殆どない突撃路に張り付くようにして調査を行っていた。
もうチェックを終えており、その結果工作の痕跡は発見出来ていない。
今は命令を待って待機中だ。
チッチッ。
この辺りを彷徨く夜行性のネズミ、ミーアラットの鳴き声だ。
その声に驚いたのか、魔術師部隊は一斉に動くのを止めた。
暫くして再び鳴き声が響く。
勿論、然程大きな音ではない。
チッチッ。
また、鳴き声がした。
チッチッ。
もう一度。
チッチッ。
更にもう一度。
ミーアラットは突撃路の傍をゆっくりと移動しているかのようだ。
デーバス軍は、昨日の戦闘後、本陣への退却にあたって突撃路周辺の戦死者の遺体を片付ける余裕はなかった。
死体を食べに寄ってきた可能性もある。
誰かがゴクリと喉を鳴らす。
唾を飲み込んだ音だろう。
チッ。
ミーアラットの声は一度近づいた突撃路から遠ざかるような移動をしていた。
今暫くは合図があるまでここで待機を続ければいい。
・・・・・・・・・
ロンベルト王国二三三中隊に所属する兵士の手により、松明は城壁から森の中に敷設された舗装路へと投げられた。
落着する音が響くよりも前に投げた兵士が胸壁から身を乗り出すように下を観察し始める。
コーン……。
松明が舗装路に落ちた音が鳴り響く。
投げた兵士にも意外な程に大きな音だった。
舗装に使われた木の板の反響音も重なったからだろう。
「っ!」
松明を投げた兵士は見てしまった。いや見えてしまった。
舗装路の両脇にデーバス軍の兵士がずらりと並んでいるのを、だ。
「敵襲!」
兵士が叫び声を上げながら大慌てで胸壁に隠れる。
その途中、彼の兜に何かが掠ったような音がした。
敵の弓矢か、攻撃魔術か。
どちらにしろ、兜のお陰か彼は戦死の運命から免れたようだ。
・・・・・・・・・
「気が付かれたようですな……」
「うむ。まぁ仕方あるまい」
デーバス王国白凰騎士団団長、シキラック・ストールズ伯爵は副騎士団長の言葉に渋い顔で頷きを返した。
願わくば中央で擱座している攻城塔の前に突撃路を作り終えるまで発見されたくはなかったが、流石にそれは贅沢というものだろう。
城壁上では敵兵が大声で何かを叫びながら走っている。
今回の夜襲では、擱座した中央の攻城塔から城壁まで続く舗装路の上に突撃路を作成する。
この突撃路は右翼に作成していたスロープ状のものとは異なり、擱座した攻城塔の突入部屋と同じ高さで作る。
攻城塔から城壁まで三〇m以上もある。
そこを結ぶ突撃路の幅は一m程度。
その上を鎧を着込んで武装した兵士が走り抜けるのだ。文字通り綱渡りに近い。
とは言え、上り坂を駆け上がるよりは早く走れるだろうし、平らなので足場も良い。
何より城壁で待ち構える敵と高さを揃えたかった。
なお、胸壁に乗って迎撃しようとする敵兵よりも高くしてしまうと突入の際にかなりの高さから飛び降りる必要があるので高さは同じ程度とされていた。
同時に、右翼のスロープは幅を拡大して再度突撃路として活用し直す。
突撃路の幅を拡大したことで二人並んでの進撃も可能になる。
攻城塔による(比較的?)安全な乗り込みは断念せざるを得なかった。
しかしながら、城壁上に兵を送り込む事のみを叶えるのなら安全性を犠牲にすればこの程度の事は可能なのだ。
「数人でも壁上に送り込め、橋頭堡が築けたなら……」
「我が方の勝ちだ」
腕を組んだまま伯爵は、ニヤリと笑った。




