第三百六十七話 バリケード
7451年11月3日
「く、糞。本当に……」
デーバス王国白凰騎士団の十人長は、憎しみすら籠められた視線でアルの作ったバリケードを睨みつけた。
彼の視線の先には一m程の高さになる大量の土が街道一杯に敷き詰められている。
昨夕齎された報告によるとこの土は長さ三〇〇mにも亘っているとのことだ。
街道の幅を三mと仮定しても、ざっと一五〇〇トン以上になる。
「あ~あ~」
「こりゃあ……」
調査に随伴してきた部下達も溜め息を漏らして絶句していた。
十人長は乗っていた馬から降り、手綱を引きながら近寄っていく。
騎士達の眼の前には、一mもの高さで堆積した土が果てしないかのように続いている。
そっと土の端に触れると、ボロリと崩れ、手に取った土塊は少しばかり湿り気を帯びた何の変哲も無いものに見えた。
が、よく観察してみれば、すぐにそこらの土とは根本的に異なっている事が理解できる。
土を構成する細かな鉱物粒子は、自然界に存在するそれと同様に多種多様な大きさで混じり合っている。
しかし、混合の仕方が尋常ではない。
混じり合っているとは言っても、普通は結構な偏りがあるものだ。
例えば、同じ道の左端と右端から一掻きずつ採取しても、多くの場合で中身は異なっている。
しかし、この土はどこを掻き取ったとしても各粒子は全く同じような割合で混ざり合っていた。
そう、まるで念には念を入れてよく耕された現代地球の農業試験場にある実験用耕作地の土のように。
それはすなわち、この土は地魔法によって作り出されたものである可能性が非常に高い事を表している。
「魔法か……」
十人長も魔法には多少の心得がある。
そして当然ながら「街道を塞ぐバリケードは魔法で作られたもののようだ」との報告も受けていた。
彼はそれを確認しに来たのだ。
――たった一日でこれだけの規模……。やはりまだ……。
ミューゼ要塞にはまだ要塞を建設した魔術師部隊が残存している。
彼がそう考えるのを一体誰が咎められようか。
勿論、アルはそう誤認してくれる事を狙ってもいた。
・・・・・・・・・
7451年11月4日
夕刻。
デーバス王国ストールズ公爵領、ヘレス。
七〇〇〇もの人口を抱えるこの街は、公爵領の西部でも最重要と言っても過言ではない要衝である。
そのヘレスの街の脇に広がっている林の中に白凰騎士団は駐屯している。
昨日より、フィヌト方面への街道が再び塞がれているとの報が齎されており、今はその封鎖された場所が街道上の何処で、どのように塞がれているのか、調査隊を送って報告を待っているところだ。
「まだこれだけしか判らんのか!?」
白凰騎士団長であるシキラック・ストールズ伯爵は机を叩いて唸り声を上げる。
調査隊はベテランの十人長の指揮のもと、総勢一〇〇名を超す部隊を編成して昨日の早朝から駐屯地を発っていた。
しかも、そのうち三〇名は伝令としての為だけに一時的に他部隊から配置転換された斥候や騎士である。
その部隊から齎された報告は今朝から僅かにまだ四つだけ。
全てダート平原に入ってから街道を塞いでいるバリケードの位置と状況を詳細な見取り図込みで伝えるものであったが、それにしてもたったの四つとは如何にも少ない。
当然、ヘレスの街からそれなりに距離もある事から多少時間が掛かるのは無理もない話ではある。
しかしそのような事は騎士団長とて織り込み済みだ。
ヘレスの街からダート平原の東端まで約二〇㎞程であり、そこからフィヌト村までも二〇㎞程度である。
街道が塞がれている場所は全てダート平原内なので昨日の昼過ぎにはダート平原東端に到着している。
これは昨日最初に戻った伝令によって確認されている。
そしてその後三時間ほどで戻った伝令により街道が大量の土で埋められているとの情報が齎された。
その範囲は東西に伸びる街道を三〇〇mも覆っており、土の除去には少なくとも三〇〇人で丸一日は掛かるであろうとの事であった。
当然土は街道の側に遺棄されるため、もっと遠くに捨てるのであれば人数や時間は更に必要になる。
流石にその量の土を近傍から掘り返しただけでなく、往来の目を盗んで街道まで運んで来たとも思えず、大規模な魔法が使われたと考えられた。
それはともかくとして、その程度の人数なら今の白凰騎士団からであれば簡単に割ける頭数だ。
報告を受けた時点で護衛も含めて少し多めに五〇〇名の部隊を編成し、今朝早くにヘレスを発たせている。
今頃はもう現場に到着していてもおかしくはない。
そして、続報は昨夜のうちに齎されている。
それによると、土のバリケードより一㎞程東に真四角の大岩が多数転がされている場所に行き当たったとの事であった。
その先、二㎞も行かないところで今度は道幅いっぱいの大きな三角形の岩が幾つも並べられていたという報告で昨日の報告は終わっている。
土のバリケードを超えるのに難儀したたため、その日は三角形の岩の近辺で野営をするとの事であった。
今日最初に齎された報告は「野営に異常なし、出発する」とありきたりなものだったが、その直後に二報目が届いた。
内容は、「街道を迂回するのが難しい場所に周囲の木々程の高さがある大岩で道を塞がれている」というものであった。
岩は昨日発見された真四角のように綺麗な形はしておらず、まるで自然石のようにゴツゴツとした表面で、形も不定形だという。
この大岩は、人や馬程度はともかく、馬車での迂回が難しいために除去せざるを得ない。
だが、あまりの大きさと重量から除去に掛かる時間は最低でも数週間は必要になろうと結ばれていた。
その報告の次は「高さ一m程、長さは一〇m程で道幅一杯程の岩盤が置かれている」というものだ。
除去にはやはり多くの人手が必要となるであろう。
一度に作業できる人数も限られる形状である事も先程の大岩同様に嫌らしい点だ。
その後に届けられた報告は「昨日同様に土で埋まっている場所があったが、調査の結果土の中に高さ五〇㎝程の三角形の石が幾つも埋められていた事がわかった」という内容だ。
昨日同様に足を取られることを覚悟して踏み込んだ騎馬は少し進んだところで三角形の石を踏み、足を滑らして転倒してしまった。
脚は当然骨折するし、後続として進んでいた馬は後退が難しい地面であるために一度脇に抜けるしかない。
初めてバリケードを構成する材料が複数種になった事も大きいが、ただ外側から見ただけでは昨日のものと同じに見えるのが作成者の心根の嫌らしさを表していた。
しかしながら、敵対勢力の交通を妨害するという点ではなかなかに効果的であった事は認めざるを得ない所がまた小癪であり、余計に心を苛立たせる。
このように今朝の再出発の報以降、合計四つの連絡があったが、最後の報が齎されてより既に四時間が経過している。
報告の内容から言って、最後の石が埋め込まれた土のバリケードの突破に難儀をしている物と思われるが、それならそうで続報くらいあっても良さそうなものだと騎士団長は歯噛みをしているのであった。
実情は土に埋め込まれた三角形の石(三角錐)はともかく、土さえ除去できれば少なくとも人や馬の通行は可能になると思われたため、時間を掛けてでも人一人、馬一頭がなんとか通れる程度に街道の脇を中心として土の除去を行っていた事が原因だ。
少しでも多くの人手を確保するため、伝令すらもケチった十人長こそが責められるべきである。
尤も、土の除去に難儀している事自体を報告する意味はあまりないが。
何にしてもアルが作成したバリケードは合計六箇所にも及んでおり、完全な除去はともかく全ての位置と規模について知られるのは明日まで掛かるだろう。
そして、その全てにおいて最初から除去を諦める程の物ではない。
少なくとも刈り取った麦などを運ぶ馬車の往来は簡単には諦められないし、フィヌト村以西の一〇ケ村に対する生活必需品の供給もある。
供給の方はかなり長期に亘って中断されてもあまり大きな影響はないが、ロンベルト王国が付け込む隙にもなってしまうため、好ましくはない。
「もう一つ、障害除去の部隊を作っておくべきか……」
騎士団長は机を叩いた手を組み合わせて額を乗せると目を瞑ったまま呟いた。
・・・・・・・・・
7451年11月6日
べグリッツの屋敷に戻ったアルは、まず最初に息子の顔に頬ずりをすると行政府へ出仕した。
少し溜まり気味だった請願や嘆願を処理し、幾つかの決裁を済ませると休憩すら摂らずに騎士団本部へと赴く。
エムイーの想定訓練が開始されたために幹部連が全員事務仕事が出来なくなっている事もあって、細かな決裁はもとより、日々の業務の進捗(特に収税関連)の確認やフォローが必要になる。
予め作成してあった各村への馬車や馬の貸出や護衛の手配について確認するが特に大きな遅れは無いようであった。
これは、西ダート領内の大部分が馬車鉄道によって結ばれた事が大きい。
馬車鉄道の開通が遅れていたら、今実施されている幹部エムイー訓練は規模を絞って今年と来年の二回に分割されていただろう。
訓練従士への各種訓練や座学の進捗状況について報告を受けながら、アルは「思っていた程溜まっていないな。良かった……」と胸を撫で下ろしていた。
そして、従士や騎士達が課業や訓練を終えた午後三時過ぎ。
それ程寒くはない天候だったために団長執務室の窓はまだ開いている。
「……!」
「……!」
外出や外泊が認められている団員達がべグリッツの街へと向かう喧騒が聞こえてきた。
やっと昼食をぱくついていたアルはサンドイッチとお茶のカップを持って窓からその光景を見下ろしている。
何名かの若い従士達が外出が認められているらしく、はしゃぎながらも固まって門へと歩いている。
これからべグリッツの市街地にも繰り出して食事でもするのだろう。
――そうか、なんか少ないと思ったら今日は土曜日か。
リーグル伯爵騎士団では、ラルファやグィネ、ヘッグスらが属する訓練従士のみ毎週土曜日が休日と決まっている。
彼らは外泊許可こそ取れないが今日は丸一日完全な休日のため朝から出掛けているのだろう。
訓練従士以外の一般従士や騎士は所属する部隊や班で休日は固定されていない。
――早く俺も決まった日に休みを取れるようにならないとな……。
サンドイッチをお茶で流し込みながら苦笑を浮かべ、席に戻ろうとした時。
「……!」
「……!」
遠くから連続歩調らしき掛け声が耳に届いてきた。
この時間まで訓練が長引いた部隊だろうか?
――ああ、エムイーの連中か……。
もう一度窓辺に寄りながらアルは左手に持ったサンドイッチを齧る。
――今日は……山地潜入だったか?
一泊二日の訓練を終えてきたのだろう幹部エムイー訓練部隊員達の声にはまだ充分に張りが残ってはいるものの、どこか疲れている感じも窺える。
そしてアルが机に残っていた最後のサンドイッチを食べ切る頃。
騎士団の正門から疲れ切った足取りで数名の男女が敷地内へと帰ってきた。
彼らの最後尾には馬に騎乗した騎士らしき者が随伴している。
全員、銃を模した同程度の重さの木銃を抱え、幾人かは首から、幾人かはショルダーバッグのように結んだ風呂敷のようなものを提げていた。
――何だあれ?
アルが不審に思う間もなく、訓練学生のうちの一人がへたり込むように座った。
そして、すぐに風呂敷の中身は判明する。
訓練学生に支給した仔犬だ。
あれから二ヶ月以上が経ち、既に一回りも二回りも大きく成長しているが、所詮は仔犬。
最初は元気に走って付いて来る事が出来ても、限られた体力などあっという間に使い果たす。
抱いてやるなど少し休ませたりすればすぐに回復してまた駆け回る事は可能でも、やはり大した時間は持たずにすぐに眠くなってしまう。
木銃が邪魔で抱くのが億劫になって風呂敷をキャリーバッグ替わりにしたのだろう。
――なるほどね……。
アルは一般的な「おつかい包み」とか「平包み」などと呼ばれる方法と、一升瓶などを包む「一本・二本包み」、そして買い物籠代わりの「買い物包み」くらいしか知らない。
事故死した時の年齢から言ってミヅチも似たようなものだろう。
また、クローは事故死当時に高校生だった事もあって風呂敷など触った事すら無い可能性もある。
――ありゃマリーが教えてやったのかな?
そう考えるのも無理はないが、オースでは現代日本以上に平裹(※風呂敷のこと)は一般的だ。
染色技術が未熟なため、日本で見られる風呂敷程美しい物は無いが、それでも綺麗な色で染められている物は多い。
地方貴族家の次男坊から冒険者となったアルを始め、転生者達は布一枚の風呂敷を使うくらいならしっかりとしたリュックサックや鞄の方を好んでいた為に多様な包み方については学ぼうとすらしなかったのだ。
勿論、都市部でのみ流行っていた道具であったことも理由の一つだ。
徒歩移動の距離が長い田舎の方では、やはり物を運ぶ道具は丈夫な素材でしっかりと作られたものが好まれる。
当然、教えたのはバリュート士爵を始めとする転生者以外の幹部達である。
大きな風呂敷を使えば肩に斜め掛けすら可能なショルダーバッグのようにする事など誰でも出来るのだ。
因みに、転生者ではグィネやデーバス王国の者達であればよく知っている知識でもある。
ミヅチが抱くシロを少しの間眺め、アルはすぐに机に戻った。
・・・・・・・・・
7451年11月8日
未明。
「集合ッ!」
そう怒鳴るとアルは訓練隊舎の明かりの魔道具を灯す。
下着で眠っていた訓練学生達は反射的に飛び起き、真新しい下着類や鎧下を身につけ始めた。
――むひひ。やってみたかったんだよな、これ。
隣の部屋でも女性騎士がアル同様に怒鳴っている。
アルはさっさと外に出ると腕を組んで仁王立ちになった。
そして、最後に出てきたバルソン准爵が訓練学生が並ぶ列の端に立ったところで組んでいた腕を解く。
「遅い! 全員腕立て一〇! 姿勢を取れ!」
アルの命令に全員が地面に手を突き腕立て伏せの姿勢になる。
そして号令を掛けようとした時。
訓練隊舎から仔犬が駆け出してきた。
ある者はキャンキャンと鳴き、ある者は静かなままだ。
「お?」
仔犬達はそれぞれの主の元に駆け込むと体当たりでもするかのように顔に突っ込んだり、背中に登ろうとしている。
少しだけ驚いたように目を見開いていたアルだが、すぐに表情を引き締め直すと号令を掛け始めた。
「一ぉつ!」
流石に仔犬に構う者は居ないようで、全員顔を舐められたり背中に乗せたりしながら腕立て伏せが始められた。
――今日は湖水からの水路潜入想定だったな。犬は置いて行かせた方が良いか……。
「二ぁつ!」
号令を掛けながら訓練生達に近付いていく。
「三ぃっつ!」
そしてクローの手を蹴って幅を開かせた。
「ズルした奴が居る! プラス一〇回!」
そんなアルの足元に茶色と白のぶちの仔犬がすりつく。
そっと抱き上げると頭を撫で、地面に下ろす。
「四っつ!」
訓練学生達にとって今日明日は長い日になるだろう。




