第三百六十五話 需要
7451年10月28日
行政府に出勤して暫く経った頃、東ダートからの伝令が到着した。
伝令は一通の報告書と一通の手紙を携えて来た。
報告書の方はミューゼ要塞付近の戦況を伝えるもので、今のところ大した内容ではない。
デーバス軍はその存在が最初に確認された八月の半ばから、この報告書が認められた三日前まで要塞近くには小規模な偵察部隊を送り込んで来るだけだった。
これは、取りも直さず要塞の防壁は充分に抑止力という一番大切な機能を果たしていたと評価出来る内容だ。
その後、デーバス軍は約二カ月の期間をかけてフィヌト村までの街道封鎖地点を一つ一つ占領し、解放していった。
これ、大部分は嫌がらせが主目的で敷設していたんだが、こちらも充分に仕事に見合った結果を齎してくれたと言えるだろう。
ここまでは先日、東ダートのラムヨークまで行った時に報告を受けている。
まぁ、デーバス王国にしてみればミューゼ要塞よりもフィヌト村以西との連絡線確保の方が重要且つ何よりも急務の筈だから、取り敢えずは手を付け易いそちらを優先したのだと思われるが。
それを聞いた時、狙い通りに動いてくれたデーバス軍に感謝の念すら覚えた。
デーバス軍を率いている白鳳騎士団の団長さんだか何だかとしては、ミューゼ要塞を陥落させたい所だったのだろうが、あの城壁を見て断念せざるを得なかったのだろう。
もしも俺が彼で、ミューゼ要塞の守備兵力の情報収集まで出来ていたのなら損害を無視して要塞を急襲し、どれだけの犠牲を払ってでも陥落させる方を選んだ。
充分にそういう可能性もあったと思う。
彼らの兵力は五〇〇〇ないし六〇〇〇との事なので、全軍を一箇所に集めて集中的に攻撃を行えば、半数近く――事によったら半数以上――の兵力は失うだろうが城壁に取り付き、塔の一つくらいは占拠が叶うだろう。
防衛兵力なんか一個中隊なんだし、一箇所でも崩せたらなら後はもう、殆ど掃討戦に近い状況になる。
でもそれは要塞の防衛兵力について一個中隊くらいだとの確信が得られたらの話だ。
普通なら流石にあの規模の要塞に二〇〇~三〇〇名程度の防衛兵力しか居ないなんて常識外れも良いところで、偵察の結果得られた情報がそうであっても俄には信じられない。
もしそんな事をする奴がいたら俺ですら気違いの所業だと考えるだろうし、何回も偵察隊を送って念には念を入れてしまい、結局攻められない、という感じになっていたかもしれない。
まぁ、防衛戦の際には本来のミューゼ村の住人たちも徴兵して(城壁の石落としから石や糞尿を落とすだけなら子供でも出来る)使われるだろうし、防衛兵力は本職の防衛兵の頭数以上の戦力だろうけど。
それに、後詰めとして近隣のバッコス村にエーラース伯爵騎士団の中核を詰めさせているから、そんな事態になったとしてもすぐに一〇〇名程度の援軍は送れるし。
とにかく、デーバス軍はミューゼ要塞の攻略ではなく、常識的にフィヌト村以西との連絡線確保に執心してくれた。
そして遂に連絡線を塞いでいたバリケードを含む全ての障害を取り除いたという報告だ。
なお、その報を受けてもバルトリム伯爵は後詰めの位置を動かしていない。
これは先日会った際に確実な侵攻とその目的地が確認されるまでみだりに動かす必要はない、と指示していた事もあるだろうけれど。
現時点ではミューゼ要塞やそれ以西の東ダートの拠点にデーバス軍が攻め寄せてきた、という情報はなく、状況報告の域を一歩も出ていない。
たとえデーバス軍が大挙してミューゼ要塞に攻めて来たとしても、増援である俺が行くまで持ちこたえさえしてくれればいいので、俺としてはミューゼ要塞よりもその西にある村なんかを攻められる方が余程嫌だし後詰の場所を動かす必要はない。
尤も、ミューゼを無視して更に西の村を攻めるなんて、その位置関係を考えたら勝ち目の薄いバクチでしかないけれど。
なお、手紙の方はアンダーセンのところに置いていったバルトリム子爵からだった。
伝令はアンダーセンが治めるダスモーグの街を通らねば来れないし、途中で預けたのだろう。
手紙ではバルトリム子爵はアンダーセンの事をかなり気に入ったらしく、べた褒めであった。
そして、はっきりと見合いだと明言はしていなかった事もあってか、正式にアプローチを掛けても良いかという内容が書かれている。
ついでに、ダスモーグで有意義な一週間を終えたので父親である伯爵から命じられている東ダートのバッコス村に戻ると結ばれていた。
貴族同士、それも婚姻を前提とした付き合いになる以上、俺の許可を得なければならないと考えたみたいだね。
俺の返事は、狙い通りでもあるし、勿論OKだ。
早速返事を書いてやるべきだろうな、これは。
えーっと、一番上等な便箋……あれ? あと一枚しか残ってない。切らしちゃったか。
まぁ、後でミヅチの机からでも失敬すればいいだろ。
とかなんとか思って返事を後回しにして事務をしていたらアンダーセンの方からも手紙が届いた。
それによると「バルトリム子爵との正式な交際をお断りしたい」との内容で、少し、と言うか、かなり予想外であり、俺個人としては非常に残念なものだ。
詳細はぼかされていたが、どうも価値観の相違が見られたらしい。
だが、相当気を使って表現を選んだようで、バルトリム子爵についての悪口らしきものは一言も書かれてはいなかった。
それどころか、主である俺に対する詫びや、子爵に対して悪感情を持たないで欲しいとまで書かれていた。
いや、心の底から残念なのは確かだし、気に入らなかったのであれば断ってくれていいのだけど、もういい年なのに余裕あんな、と思っただけだ。
まぁ、そもそも勝手に仲を取り持とうとしたのは俺なので、バルトリム子爵には俺の方から適切な相手を紹介出来ずに申し訳ない、と詫び状でも入れておくべきだろう……まだ返事書いてなくて良かった。
溜め息を吐いて席から立ち上がった。
・・・・・・・・・
7451年10月29日
ジュンケル伯国にあるヒリッツの街より一〇㎞程南東にある森の中。
ニギワナ教会の面々は野営を行っていた。
そして、もうそろそろ完全に日が暮れる、という段になる頃。
数匹のオークがやって来くると、焚き火を囲む輪に加わってきた。
今日は定期的に集まって情報を交換する事になっていた晩なのだ。
「ギィグ。今月もご苦労を掛けたようですね」
大悟者であるペギーが優しく声を掛ける。
「ア、アリガトウゴジャイマズ」
ギィグと呼ばれたオークは嬉しそうに答えた。
なお、彼らのラグダリオス語はいつまで経っても舌足らずな喋りのままで、大主教のウォーリーはもうこれ以上の言語教育は諦めている。
彼に言わせると声帯の作りも多少異なるだろうし、別に意思疎通が出来ない訳ではないので今の状態で満足すべきであるとの事だ。
「ジェズ、ザジ、そしてゴゥドもね」
続けてペギーが他のオーク達にも声を掛けると三匹のオークも嬉しそうに笑う。
人間からしてみればギィグらが浮かべる表情は醜悪以外の何物でもないが、最近は微妙な違いも読み取れるようになっており、今の表情は労われて素直に嬉しい、というものだ。
「ゾレデ、ダイゴジャザマ、ダイシュギョウザマ、ゴゥドヨリゴホウゴグガアリマズ……」
ギィグの言葉に教会の面々はゴゥドに注目した。
ここにいる全員、もうオークの顔を見間違うようなこともない。
「ふーん。ゴゥド、何があったの?」
教会の聖戦士であるイリーナが少し驚いたように言う。
今まで、重要な報告は皆を代表してギィグが行っていたのだが、今回はゴゥドが直接報告する事で今までとは何か違う報告が行われようとしている事を感じたのだろう。
「ハ。ココヨリズゴジ……スゴシミナミ……ワダシガイヂニヂデイゲルバショニオーガガタクザンイマズ」
この情報は少し前に耳にしていた。
ここに来るまでの道中でオーガの一団と鉢合わせしかけた事もあって、ウォーリー達としてはそんな危険な魔物がいる場所には近付きたくなかった。
不用意に危険そうな魔物のテリトリーに足を踏み入れないよう、一番最初に調査を命じていたからだ。
「ソコハオーガダケデナグ、オークモボギー……ホブゴブリンモゴブリンモノールモコボルドモイマズ」
「ほう? オーガ以外にもたくさん居るのか……」
この情報は新鮮だった。
しかも多種族の魔物同士が一箇所に纏まっているなど初耳だし、オークに教育を施してきたウォーリーとしては興味が惹かれる。
頭の足りない魔物同士で互いに争わずに生活出来る訳がない、とでも言うかのような懐疑的な独り言だった。
「ソゴノ……ゾクチョーノオーガトハナジガデギマジダ」
全員ゴゥドの言葉に耳を傾けたままだ。
「ゾクチョーノナハゼストイイマズ。ゼスハニギワナノオジエヲシリダイトイッデイマジダ」
その言葉にはウォーリーを始め全員が驚きを隠せなかった。
何しろ現在は麻薬の新規製造が出来ず、従ってギィグやゴゥド達にも彼が吸う分の最小限しか渡せないでいるのだ。
意地汚いオークが自分達の分を削ってまで他の魔物に分けてやるとは思えない。
にも拘わらずオーガやオーク達を纏めているらしい族長が宗教に興味を覚えたというのが信じられなかったのである。
「ハイ。ゼスハゴッドヲジリダイノダソウデズ」
その際の状況をゴゥドに詳しく説明させればさせるほどウォーリー達は混乱した。
どう見てもトントン拍子に交渉が進んだようにしか思えないからだ。
過去に彼らがヨーライズ子爵領で魔物への布教に勤しんでいた頃でも、このような事など一度もなかったし、訪ねてきた戦士の実力を見るとかいう訳のわからない理由で争いになった事すら少なくなかったと聞いている。
余程ゴゥドの喋りが良かったのかもしれないが、ゼスという族長も魔物の親玉をやらせておくには惜しい人材のようだ。
「なんかそのゼスって族長、なかなか凄いですね……」
ジャクソンが唸るように言う。
「確かに。多種族を纏めるだけの事はあるね」
キルンも感心したように言った。
彼らの言葉にはペギーやウォーリーにしても肯定の気持ちしかない。
ゴゥド達ここにいるオークはウォーリーの教育を受けてきた。
オークとして見れば大氏族の族長すら務まりそうな優秀な頭脳の持ち主だ。
とは言え、それはあくまでオークなどの亜人種の魔物の尺度内での話である。
人間と比べれば著しく劣るのはどうしても否めない。
ギィグやゴゥドですらニギワナを含む“神”という、ある意味で形而上的な概念(オースの場合は存在という方が適切だろうか)について、ある程度理解してくれたと実感できたのは相当な教育期間が経過してからだ。
それが、たった一度の説明で興味を覚えるほどに理解したなど驚き以外の何物でもなかった。
「ゴゥド。そのゼスという族長はオーガなの? それと性別は?」
「オーガデ、オドゴデズ」
「話し方なんかはどうだった?」
「ワダジハオークノゴドバデハナジマジタ。ゼスモオークノゴドバデハナジマジダ」
ペギーの質問にゴゥドは淀みなく返答した。
「ん? ゼスはオーガなのにオーク語も使えるのか? ああ、オークも従えているなら使えてもおかしくはないのか」
ウォーリーは腕を組みながら呟いた。
彼の隣ではルーダも目を丸くしたままだ。
「ハイ。デズガ、ゼスノシャベルオークノゴドバハギレイデジダ」
ギィグ達だけなら彼らは普段オーク語でコニュニケーションを取っている。
ウォーリーもそこそこ喋れるが、オーク達が喋るラグダリオス語程ではないだろうがそれに近いように聞こえるだろう。
ギィグ達はオーク語なら結構な長文やかなり複雑な内容でも問題なく意思が通じあえているようなので、綺麗な言葉というからにはオーク語のネイティブ話者に近い発音に加えてかなりの語彙も備えているのではないかと思われた。
「そのゼスって族長と話がしてみたいな……」
「ダイシュギョウザマ、ソデハマダハヤイドオモイマズ」
「ん? 何故だ?」
「ゼスハワダジガオークダッタノデハナシヲギイデクレタドオモイマズ」
「……」
「ゾデニ、ニンゲンタチヲカッテイマジダジ」
「は?」
ショッキングな発言に全員が目を剥く。
「ワダジガミダノハオンナバガリデジダガ、オリミダイナイエニタグザンカワレデイダヨウデズ」
「檻みたいな小屋で飼っている、ということ?」
ペギーが眉を顰めながら確認し、ゴゥドは頷いた。
「リユウハワガリマゼンガ、ニンゲンヲテキダドカンガエデイルカモジレマゼン。カクニンスルマデキゲンデズ」
「そうか……そうだな」
女性には使い道がある。
勿論男性にもそういった使い道がないではないが、人間の男性の生殖器は亜人の魔物と比較してかなり見劣りがするからか、魔物の捕虜で男性という者は過去に一人も見つかっていない。
なお、勿論ゼスが奴隷化して使役している人間の捕虜にもそれなりの数の男性が居る。
意図的に隠されていた訳ではなく、ゴゥドの目についた場所には居なかっただけだ。
「だが、安全なら会ってみたいものだな」
「ハイ。デスノデノックスデハナイニジデモ、バックスガホジイデズ……」
その言葉にウォーリーは微妙な笑顔を浮かべ、すぐに冥く笑った。